立憲民主党の国対委員長に衆院/辻元、参院/蓮舫が起用された。
蓮舫・辻元議員に共通するのは、かっての主家政党を混乱と退潮に導いた議員であることと、知名度(悪名)は高いものの国家経営の経綸を持たないということであると思う。政権に繋がる不正の噂を追及しての印象操作には長けているものの、その主張には井戸端会議の延長程度の印象しかない。辻元議員は多くの議員立法の成立に尽力したとする政治家としての成果を誇示されているが、ジャンヌダルクともてはやされたように全ての事象を声高な黒白2極の対立として捉え、サイレントマジョリティを顧慮しない思考が根底にあるように思われる。蓮舫議員には創造力と長期的視野に疑問符が付けられる。東日本大震災後のスーパー堤防論争や事業仕分け人としての発言、2030年原発0達成の前倒しや共産党との選挙協力、いずれもが創造力と長期的視野の欠如が生んだものと思う。しかしながら、特筆すべきは両議員とも泥船を見捨てて新造船に乗り換えるという保身の術に長けていることであると思う。特に辻元議員が社民党から民主党に鞍替えした際は、自身が社民党を危機的な状況に陥れた張本人であるにも拘らず平然として民主党に入党したもので、その行動には人格的な疑問さえ感じさせるものであったと思う。また、辻元議員には反戦・反軍を掲げるピースボートの一員として青年の船を運航した際に、自衛艦による護衛を甘受する不条理に平然としたいた姿も思い出すことができる。
両議員ともに、過去に在籍した政党で国対委員長としての実務経験があるが、存在感発揮を唯一の信条とする性格から質問時間や総理の委員会出席時間の割り振りに一悶着あると思う。国会はもっと政策協議に時間を費やす場であって欲しいと願うものである。
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