ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

北辰斜にさすところ

2008年10月11日 | 映画レビュー
 旧制七高(現鹿児島大学)と五高(現熊本大学)野球部の100周年決戦をクライマックスに、古き良き時代の旧制高校生の生態を懐かしむ映画。反戦映画の気も入ってます。

 旧制高校ナンバースクールと言えば、旧帝大7つにそれぞれ付属高校のように存在していた七つの高校(と思っていたが、そうではなくて、帝大と旧制高校はそのままリンクしない)。この映画をみて、今更ながらに全部言えるか? と自問自答。

 1高 東大
 2高 東北大
 3高 京大
 4高 ?
 5高 熊本大
 6高 ?
 7校 鹿児島大

 4と6がわからないが、どちらかに金沢が入るはず。で、調べてみたら、4高が金沢で6高が岡山、8高まであってこれが名古屋大学。帝大の付属ではなく、戦後の大学改革によってそれぞれの旧制高校が各大学の教養部などになったのであった。というわけで、教育史のちょっとしたお勉強になりました。

 という以外には評価するところもないような映画だったのは困ったもんで。旧制高校の蛮カラぶりを描いているのはいいけれど、あまりたいしたことがない。というか、なんだか絵空事のように見えてしまう。この映画の登場人物のうちキーになるのは緒形直人が演じた草野先輩だ。彼がもっとカリスマ的な蛮カラで剛毅な人間でなければならないのに、その迫力が感じられない。彼にもっと奇人変人偉人的な魅力があれば、戦後何十年も主人公上田(三国連太郎)が草野先輩を戦地で亡くしたことの慚愧の念に囚われ続けたその傷がリアリティをもって見る者の胸に迫るのに、そこが浅いため、物語全体が薄っぺらく見える。特に、戦場のシーンなんていっそない方がよかったのに。あまりにもちゃちなので紙芝居みたいだ。

 役者はみななかなかのメンバーなので「ほぉ」と思ってしまうが、老人になった彼らがいまだに「五高の名誉のために」とかいう愛校心があまりにも意気軒昂なので「ほんまかいな」と思える。「北辰斜めにさすところ」というのは七高の寮歌の一節である。やたら寮歌を歌いたがる伝統というのはわたしの学生時代の京都にもまだあって、一回生の頃は同級生の男子学生たちが吉田山に登っては三高の寮歌「逍遙の歌」を放歌していたものだ。そういえば、この映画の寮の雰囲気が京大吉田寮に似ているのでとても懐かしかった。 

 この映画を見て喜ぶのは旧制五高と七高の関係者だけではなかろうか? この作品に普遍性を感じることができないのは、映画の制作者たちがこの時代の雰囲気を的確につかんでいないからだろう。だいたいが、旧制高校の歴史を三國連太郎に語らせる冒頭の導入部からして歴史教科書を読むようで味気ない。そして、三国連太郎演じるかつての野球部のエース上田投手が、戦後、頑として同窓会に出席を拒み続け、郷里にも帰らなかったその理由が戦場での心の傷にあることが明らかになるところはこの映画の山場なのに、南方戦線の兵士達が餓死寸前にも見えないふくよかな顔をしているのは具合が悪かろう。

 見終わって、旧制高校時代が懐かしいけど(といっても実際に体験したわけではない共同幻想である)、「で?」と思ってしまう残念な出来。この作品を今製作することの意義がどこにあるのかわからない。公式サイトによると、この映画は現在のシステム化された教育に疑問をもち旧制高校の教育に着目した弁護士の発意で製作が始まったという。今の教育に疑問を持ったからといって旧制高校ねぇ。それでは発想が古すぎるだろう? 自由闊達でよく遊びよく学んだ伝統といっても、それは寮にエリート男子だけを詰め込んで女を排除したところで厳格な先輩・後輩の統制のもとに展開した、隔離されたパラダイスのお話。今それをやったら戸塚ヨットスクールとか、最近では入所者に暴行したどこかのフリースクールのようになるのではなかろうか。(レンタルDVD)

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北辰斜にさすところ
日本、2007年、上映時間 111分
製作・監督: 神山征二郎、原作: 室積光『記念試合』、脚本: 室積光、音楽: 和田薫
ナレーション: 山本圭
出演: 三國連太郎
   緒形直人
   林隆三
   佐々木愛
   和田光司
   林征生
   神山繁
   北村和夫
   織本順吉
   犬塚弘
   滝田裕介
   高橋長英
   斉藤とも子
   河原崎建三
   坂上二郎
   永島敏行