無茶苦茶後味悪いっていうか、主人公がたまらんキャラクターだけど、これは時代を象徴する人物なのでそのすごさが他人事ではない。っていうことで、映画的にはあんまり面白くないけどインパクトがあった。んー、訳の分からん評価ですな~。
最近の話題本に『となりのクレーマー』という新書があるが、自意識が肥大した時代には勘違い人間が大勢登場してクレーマーだらけになって困ったことになる。この映画の主人公もそんなクレーマー時代の申し子のような人間だ。彼女の究極のわがままと根拠のない自尊感情はおそるべきクレーマー達と同じ精神構造から生まれている。
この映画でキーとなる人物は兄嫁だろう。一家の中で一人浮いている異様なお人好し人間で、暗い過去を持つ明るい性格というのがかえって暗い。自意識しかない主人公和合澄伽(わごう・すみか)はわかりやすいし、姉すみかの横暴に耐える妹清深(きよみ)の暗い憤懣もまた理解はできる。後妻の連れ子である兄の秘めた欲望もわかるし、周りの人間のわかりやすい欲望はそれぞれに理解はできる(共感はしないが)。
しかし、謎なのは兄嫁の待子である。待子を演じた永作博美が印象に残ったのは本作が初めてかもしれない。今年38歳だなんて知らなかった。とてもそんな歳には見えないすごい童顔なので、30歳過ぎまで処女で見合いによって結婚した初な苦労娘、という設定も似つかわしくない。ほとんど化粧っ気なしで演じているため、永作の素の童顔ぶりが浮き彫りになるのだろう。その初そうな表情の下で多くのことに耐えているけなげな新婚妻を妙演している。しかしこの兄嫁、ほんとうに「けなげ」なだけだろうか? ここが不可思議だ。
女優を目指して田舎から上京し、売れないまま両親の葬儀のために帰郷したすみか。売れないのを妹のせいにして、自分は女王様気取り。妹のきよみは姉に虐待された鬱憤をホラー漫画を描くことによって晴らす。そんな暗い一家を鏡のように映す漫画がすごい迫力でなかなかに怖い。誰の絵だろうと思って公式サイトを見てみたら、「呪みちる」というカリスマ的人気を誇るらしいホラー漫画家が描いているそうだが、わたしはまったく知らないので新鮮だった。あんな恐ろしげな漫画をほんとうに中学生や高校生が描けたらそれこそ怖いです。
いろいろあって勘違い女のすみかは結局勘違いしたまま、自分のダメさを知る。でもこの女、自分に才能がないことに気づいてもきっとそれを認めずまた勘違い街道をまっしぐらに生きるのだろう。いっぽうで自分の才能に気づいた妹のすみかは軽やかに飛び立つ。残された兄嫁はアルカイックスマイルのような不思議な微笑みを満面に浮かべている。
げにおそろしきは兄嫁ではなかろうか? 童顔のまま中年になった無垢な兄嫁は、自分の周りで起きるすべての怒りや悲しみの発露を笑って受けとめる。彼女もまた勘違いしたまま自意識を閉じこめて生きるのだろう。この対比的な女二人の自意識がするりするりとすれ違っていくのがこの映画の不可解さであり、後味の悪さだ。つまり、この二人の自我がぶつかることはない。ぶつからない以上、二人に「自己変革」の兆しは見えない。他者との出会いと葛藤によって自己が変わって行くという弁証法的な契機がないのがポストモダン的といえようか。この点でもこの映画は時代を象徴している。しかし、単に象徴するだけではその先が見えないし、何か新たな発見があったともいえない。インパクトのある映像と演出で最後まで観客を引っ張るけれど、いまいち充実感や満足感にひたることができないのはそのせいかもしれない。
それにしても主役の佐藤江梨子、うまいのか下手なのかよくわからない演技だったけど(なにしろ演技が下手な女優というキャラクターですから)、わたしは一目見て工藤夕貴と見間違えたわ。ひょっとしてご親戚? え、違う?(レンタルDVD)
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日本、2007年、上映時間 112分
監督: 吉田大八、プロデューサー: 柿本秀二ほか、原作: 本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』、脚本: 吉田大八、音楽: 鈴木惣一朗
出演: 佐藤江梨子、佐津川愛美、永作博美、永瀬正敏、山本浩司、土佐信道、上田耕一
最近の話題本に『となりのクレーマー』という新書があるが、自意識が肥大した時代には勘違い人間が大勢登場してクレーマーだらけになって困ったことになる。この映画の主人公もそんなクレーマー時代の申し子のような人間だ。彼女の究極のわがままと根拠のない自尊感情はおそるべきクレーマー達と同じ精神構造から生まれている。
この映画でキーとなる人物は兄嫁だろう。一家の中で一人浮いている異様なお人好し人間で、暗い過去を持つ明るい性格というのがかえって暗い。自意識しかない主人公和合澄伽(わごう・すみか)はわかりやすいし、姉すみかの横暴に耐える妹清深(きよみ)の暗い憤懣もまた理解はできる。後妻の連れ子である兄の秘めた欲望もわかるし、周りの人間のわかりやすい欲望はそれぞれに理解はできる(共感はしないが)。
しかし、謎なのは兄嫁の待子である。待子を演じた永作博美が印象に残ったのは本作が初めてかもしれない。今年38歳だなんて知らなかった。とてもそんな歳には見えないすごい童顔なので、30歳過ぎまで処女で見合いによって結婚した初な苦労娘、という設定も似つかわしくない。ほとんど化粧っ気なしで演じているため、永作の素の童顔ぶりが浮き彫りになるのだろう。その初そうな表情の下で多くのことに耐えているけなげな新婚妻を妙演している。しかしこの兄嫁、ほんとうに「けなげ」なだけだろうか? ここが不可思議だ。
女優を目指して田舎から上京し、売れないまま両親の葬儀のために帰郷したすみか。売れないのを妹のせいにして、自分は女王様気取り。妹のきよみは姉に虐待された鬱憤をホラー漫画を描くことによって晴らす。そんな暗い一家を鏡のように映す漫画がすごい迫力でなかなかに怖い。誰の絵だろうと思って公式サイトを見てみたら、「呪みちる」というカリスマ的人気を誇るらしいホラー漫画家が描いているそうだが、わたしはまったく知らないので新鮮だった。あんな恐ろしげな漫画をほんとうに中学生や高校生が描けたらそれこそ怖いです。
いろいろあって勘違い女のすみかは結局勘違いしたまま、自分のダメさを知る。でもこの女、自分に才能がないことに気づいてもきっとそれを認めずまた勘違い街道をまっしぐらに生きるのだろう。いっぽうで自分の才能に気づいた妹のすみかは軽やかに飛び立つ。残された兄嫁はアルカイックスマイルのような不思議な微笑みを満面に浮かべている。
げにおそろしきは兄嫁ではなかろうか? 童顔のまま中年になった無垢な兄嫁は、自分の周りで起きるすべての怒りや悲しみの発露を笑って受けとめる。彼女もまた勘違いしたまま自意識を閉じこめて生きるのだろう。この対比的な女二人の自意識がするりするりとすれ違っていくのがこの映画の不可解さであり、後味の悪さだ。つまり、この二人の自我がぶつかることはない。ぶつからない以上、二人に「自己変革」の兆しは見えない。他者との出会いと葛藤によって自己が変わって行くという弁証法的な契機がないのがポストモダン的といえようか。この点でもこの映画は時代を象徴している。しかし、単に象徴するだけではその先が見えないし、何か新たな発見があったともいえない。インパクトのある映像と演出で最後まで観客を引っ張るけれど、いまいち充実感や満足感にひたることができないのはそのせいかもしれない。
それにしても主役の佐藤江梨子、うまいのか下手なのかよくわからない演技だったけど(なにしろ演技が下手な女優というキャラクターですから)、わたしは一目見て工藤夕貴と見間違えたわ。ひょっとしてご親戚? え、違う?(レンタルDVD)
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日本、2007年、上映時間 112分
監督: 吉田大八、プロデューサー: 柿本秀二ほか、原作: 本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』、脚本: 吉田大八、音楽: 鈴木惣一朗
出演: 佐藤江梨子、佐津川愛美、永作博美、永瀬正敏、山本浩司、土佐信道、上田耕一