昨日の天気予報では、今日はお天気は回復し、温かくなるとのご神託だったが
朝の空はスッキリしない。家内は孫娘のクラスでの朝一家族触れ合い学級で中国楽器「ニ胡」の紹介と演奏日。私は9時過ぎまでEメールの整理。メール整理が一段落したとき、家内が小学校から帰ってきたので、天候はスッキリしないが長瀞宝登山の蝋梅園に行ってみることにした。ルートを6号、外環、関越道、秩父鉄道沿いの一般道140号を利用して長瀞宝登山に12時ジャストに到着した。小休止を外環新倉、関越道高坂で取ったが予想外にスムーズに走り抜けることができ所要時間は2時間30分。蝋梅園は宝登山山頂にあるのでロープウェイ利用する。今は30分毎の運行でしばらく待たさる。その間、品の善いご夫人連れに構内の売店で購入した焼き銀杏をいただき、筑波山の話題に、下妻町お住まいご夫婦が仲間入り。下妻から車で約3時間強でこられた由等和気藹々。家内は知らない人と直ぐお友達になれる特技を今日も発揮している。ワイワイ、ガヤガヤしている内乗客の行列が出来ていた。ロープウェイの乗車人員は50人。乗り切れるか心配なほどの行列だ。2/3が70歳を超えていそうに見える。端境期の上、木曜日なのにこれだけの乗客が来てくれれば秩父鉄道も力が入るだろう。現在の観光地は元気な高齢者に魅力をアッピールすることに尽きるようだ。山頂まで5分、表参道ハイキングコースを利用することもでき約60分を要する。蝋梅園は宝登山の南斜面約2,000㎡を利用した素心、満月、和の3種類の500株、約2,000本が期待通り咲き乱れる最盛期を迎え大好きな香りが一面に漂い私を酔わせてくれた。蝋梅園を一周するのに15分とかからないので2周してしまった。山頂は晴れ渡り温かいのでグループが所々で昼食を取っている。単身、二人連れは山頂に座り込んで眼下の街並みや渓谷ライン下りの荒川を無言で見下ろし、私はロープウエイが出るまで蝋梅林の真ん中にある東屋で周囲からの香りと温かい日差しの下、お茶を飲みながらう船を漕いでいた。人それぞれに今日を楽しんでいる。山麓駅で焼き銀杏を頂いた二人連れに依頼されデジカメでツーショットのお手伝い。宝登山は蝋梅園の他、小動物園、奥宮がある。奥宮ではミニ扇子のおみくじが置いてある。「家内安全」を願う。山頂駅へ戻る途中、道端の蝋梅の根っこ付近に福寿草が3株黄色い花を咲かせている。ラッキー。1時半のロープウェイ乗り込み、山麓下の大駐車場に戻った料金は往復720円蝋梅園の入園料は必要ない。駐車料金は500円。家内の話では3年前火渡りを見に「ニ胡」仲間と訪れたときこの大駐車場が会場だったと言う。後から下りてきた品の善いご夫人2人もこの駐車に車を置いていたようでお別れの挨拶をされた。お一人はお年寄りとは思えないが杖を持っていた。「焼き銀杏」昨年拾い集めたものを焼き銀杏にして食べているが梅干形、長瀞の銀杏は丸っこく一味違う美味しさである。昼食は長瀞駅近くの商店街で取ることにして指定された長瀞駅裏にあるライン下り客用駐車場に車を止め、まず商店街で通ってライン下り案内書に向かう。途中大澤屋とで田舎菓子、だんご、煮込み豆、薬草、等を買い込んだ。重いポリ袋をぶら下げ船付き場に行き長瀞の石畳散歩した。案内所では熱心に呼び込みをしているが乗船する人はないようだが、この時期のライン下りはガラス張り、掘りごたつの屋形船。
長瀞は小学校の遠足で来たり、仕事で近くのホテルに宿泊してたりとご縁が在ったのだが一つも覚えていない。家内の案内で昼食は大黒屋の長瀞ホウトウとした。800円。この店の呼び込みはお年寄りだが店主のおばあさん、腰が曲がっているが顔色は若々しい。商売で見習わなければならないと感心したのは数種類の珍しい付け出しだ。一つは大豆の粉で作ってあり、お店でも売っている。その上帰りにはタオルと竹の耳掻きをお土産に頂いた。地方では1月は正月内として賀品を出していたのを思い出した。二軒とも家内が前回立ち寄った所。不思議なことにおみやげ店、レストラン、酒屋など軒を並べているが繁盛しているのはこの二軒だけ。
15時少し前再び一般道に戻り花園IC急いだが、IC近くに道の駅「はなぞの」があったので道の駅パンフにスタンプラリー印を押しに寄ってしまった。
メインは地域物産館の「アルエット」1階の半分は地元深谷市の豪華な祭ばやし屋台3台が耐防ガラス張りの内部に展示されている。製作は明治の初めで当時の深谷市が如何に経済的に裕福だったかが分かる。道路を挟んだ農産物直売所は地元産を中心にいろいろな野菜が並んでいるがネギ一束を買った。別棟には果実木や草花、肥料、農業器具など扱っていた。、最後に黒田遺跡に寄ってみた。荒川中流左岸にあり、そこはダンプが行き来する作業場の近くで農道の両側の畑の中にこじんまり小さくなってしまった古墳が存在していた。よく見ないと見過ごしてしなう規模だ。朽ちたたて看板によると付近には30基程の古墳があつたが、関越道や工場、作業場なのため4基存在すると記されていた。(S51.10現在)この17号古墳の頂上付近から太刀型を模した器材埴輪がほぼ完全な型で発掘されているいう。今は積み上げた石が崩れて散らばっている。よく見ると土器の破片かと思われるものがあるので持ち帰った。この地域は前方後円墳や円墳が確認されており、出土物は轡(クツワ)など馬具が多く馬の生産に関係した豪族のお墓であるようだ。ここ深谷市の荒川中流地帯は鹿島、木の古、白山、小前田、等多くの古墳群がある。行田のさきたま古墳群を含め埼玉県中、北部地域は6~7世紀多くの豪族がいたことが分かる。ダンプが行き交う中を縫って花園ICから関越道に入り、三芳PAで小休止後、一気に出口の三郷南ICまで突っ走った。帰りもスムーズに流れていた。松戸のスーパーイイダで夕食を買い込み帰宅したのは17時40分。GSメターの針が2/3でスタートし帰宅したとき赤マークに下押していた。
<参考>
蝋梅の名前は花被片が蝋細工に似て美しいと言う説と陰暦で蝋月12月に咲く花という説がある。長瀞宝登山の蝋梅は3種類、花のが内外が黄色で早咲きの素心蝋梅は香りが素晴らしい。満月蝋梅は素心蝋梅の変異で内外が濃い黄色で大輪で豪華。
和蝋梅は基本原種で花弁は薄黄色で花芯が紅紫色で小ぶり。和蝋梅は唐時代に中国から入ってきたので唐梅とも言うようだ。
朝の空はスッキリしない。家内は孫娘のクラスでの朝一家族触れ合い学級で中国楽器「ニ胡」の紹介と演奏日。私は9時過ぎまでEメールの整理。メール整理が一段落したとき、家内が小学校から帰ってきたので、天候はスッキリしないが長瀞宝登山の蝋梅園に行ってみることにした。ルートを6号、外環、関越道、秩父鉄道沿いの一般道140号を利用して長瀞宝登山に12時ジャストに到着した。小休止を外環新倉、関越道高坂で取ったが予想外にスムーズに走り抜けることができ所要時間は2時間30分。蝋梅園は宝登山山頂にあるのでロープウェイ利用する。今は30分毎の運行でしばらく待たさる。その間、品の善いご夫人連れに構内の売店で購入した焼き銀杏をいただき、筑波山の話題に、下妻町お住まいご夫婦が仲間入り。下妻から車で約3時間強でこられた由等和気藹々。家内は知らない人と直ぐお友達になれる特技を今日も発揮している。ワイワイ、ガヤガヤしている内乗客の行列が出来ていた。ロープウェイの乗車人員は50人。乗り切れるか心配なほどの行列だ。2/3が70歳を超えていそうに見える。端境期の上、木曜日なのにこれだけの乗客が来てくれれば秩父鉄道も力が入るだろう。現在の観光地は元気な高齢者に魅力をアッピールすることに尽きるようだ。山頂まで5分、表参道ハイキングコースを利用することもでき約60分を要する。蝋梅園は宝登山の南斜面約2,000㎡を利用した素心、満月、和の3種類の500株、約2,000本が期待通り咲き乱れる最盛期を迎え大好きな香りが一面に漂い私を酔わせてくれた。蝋梅園を一周するのに15分とかからないので2周してしまった。山頂は晴れ渡り温かいのでグループが所々で昼食を取っている。単身、二人連れは山頂に座り込んで眼下の街並みや渓谷ライン下りの荒川を無言で見下ろし、私はロープウエイが出るまで蝋梅林の真ん中にある東屋で周囲からの香りと温かい日差しの下、お茶を飲みながらう船を漕いでいた。人それぞれに今日を楽しんでいる。山麓駅で焼き銀杏を頂いた二人連れに依頼されデジカメでツーショットのお手伝い。宝登山は蝋梅園の他、小動物園、奥宮がある。奥宮ではミニ扇子のおみくじが置いてある。「家内安全」を願う。山頂駅へ戻る途中、道端の蝋梅の根っこ付近に福寿草が3株黄色い花を咲かせている。ラッキー。1時半のロープウェイ乗り込み、山麓下の大駐車場に戻った料金は往復720円蝋梅園の入園料は必要ない。駐車料金は500円。家内の話では3年前火渡りを見に「ニ胡」仲間と訪れたときこの大駐車場が会場だったと言う。後から下りてきた品の善いご夫人2人もこの駐車に車を置いていたようでお別れの挨拶をされた。お一人はお年寄りとは思えないが杖を持っていた。「焼き銀杏」昨年拾い集めたものを焼き銀杏にして食べているが梅干形、長瀞の銀杏は丸っこく一味違う美味しさである。昼食は長瀞駅近くの商店街で取ることにして指定された長瀞駅裏にあるライン下り客用駐車場に車を止め、まず商店街で通ってライン下り案内書に向かう。途中大澤屋とで田舎菓子、だんご、煮込み豆、薬草、等を買い込んだ。重いポリ袋をぶら下げ船付き場に行き長瀞の石畳散歩した。案内所では熱心に呼び込みをしているが乗船する人はないようだが、この時期のライン下りはガラス張り、掘りごたつの屋形船。
長瀞は小学校の遠足で来たり、仕事で近くのホテルに宿泊してたりとご縁が在ったのだが一つも覚えていない。家内の案内で昼食は大黒屋の長瀞ホウトウとした。800円。この店の呼び込みはお年寄りだが店主のおばあさん、腰が曲がっているが顔色は若々しい。商売で見習わなければならないと感心したのは数種類の珍しい付け出しだ。一つは大豆の粉で作ってあり、お店でも売っている。その上帰りにはタオルと竹の耳掻きをお土産に頂いた。地方では1月は正月内として賀品を出していたのを思い出した。二軒とも家内が前回立ち寄った所。不思議なことにおみやげ店、レストラン、酒屋など軒を並べているが繁盛しているのはこの二軒だけ。
15時少し前再び一般道に戻り花園IC急いだが、IC近くに道の駅「はなぞの」があったので道の駅パンフにスタンプラリー印を押しに寄ってしまった。
メインは地域物産館の「アルエット」1階の半分は地元深谷市の豪華な祭ばやし屋台3台が耐防ガラス張りの内部に展示されている。製作は明治の初めで当時の深谷市が如何に経済的に裕福だったかが分かる。道路を挟んだ農産物直売所は地元産を中心にいろいろな野菜が並んでいるがネギ一束を買った。別棟には果実木や草花、肥料、農業器具など扱っていた。、最後に黒田遺跡に寄ってみた。荒川中流左岸にあり、そこはダンプが行き来する作業場の近くで農道の両側の畑の中にこじんまり小さくなってしまった古墳が存在していた。よく見ないと見過ごしてしなう規模だ。朽ちたたて看板によると付近には30基程の古墳があつたが、関越道や工場、作業場なのため4基存在すると記されていた。(S51.10現在)この17号古墳の頂上付近から太刀型を模した器材埴輪がほぼ完全な型で発掘されているいう。今は積み上げた石が崩れて散らばっている。よく見ると土器の破片かと思われるものがあるので持ち帰った。この地域は前方後円墳や円墳が確認されており、出土物は轡(クツワ)など馬具が多く馬の生産に関係した豪族のお墓であるようだ。ここ深谷市の荒川中流地帯は鹿島、木の古、白山、小前田、等多くの古墳群がある。行田のさきたま古墳群を含め埼玉県中、北部地域は6~7世紀多くの豪族がいたことが分かる。ダンプが行き交う中を縫って花園ICから関越道に入り、三芳PAで小休止後、一気に出口の三郷南ICまで突っ走った。帰りもスムーズに流れていた。松戸のスーパーイイダで夕食を買い込み帰宅したのは17時40分。GSメターの針が2/3でスタートし帰宅したとき赤マークに下押していた。
<参考>
蝋梅の名前は花被片が蝋細工に似て美しいと言う説と陰暦で蝋月12月に咲く花という説がある。長瀞宝登山の蝋梅は3種類、花のが内外が黄色で早咲きの素心蝋梅は香りが素晴らしい。満月蝋梅は素心蝋梅の変異で内外が濃い黄色で大輪で豪華。
和蝋梅は基本原種で花弁は薄黄色で花芯が紅紫色で小ぶり。和蝋梅は唐時代に中国から入ってきたので唐梅とも言うようだ。