画燈樹

アンティークのある暮らし。営業日は火木金土・・12時半から5時まで
Tel: 090 3708 8212

プチソルグに 出店します。

2007-09-30 00:48:16 | Weblog
10月1日 プチソルグ開催です。

画燈樹は、今回も 素敵な物を いっぱい 詰め込んで やって参ります!

どうぞお楽しみ♪

写真の 「小振りのブリキのバケツに植え込まれた クランベリー」 は、プチソルグで販売いたします!

¥3800円・・・SOLDOUT
2点 あります。

火曜日の画燈樹

2007-09-24 10:48:47 | Weblog
火曜日の画燈樹は、比較的に お客様が 多いです。

せっちゃん とこの さーちゃんの 美味しいパンが 来る日でもあるので、 パンお目当ての お客様も 多いです。

時々 賑やかで 多騒動になります(笑)。


何しろ 私は、二つの事が出来ないので、皆さんに 迷惑を かけてしまいます。(一つの事も あんまり うまく出来ません)


例えば・・・
クーラーの下に座ってられるお客様の 肩が冷たくなるので、 「あぁ~、じゃあ ちょっと温度 上げますね」 と 言ったら、
その前に お茶を入れかけてたのを 忘れてしまいます。
「暑いですか? じゃあちょっと温度 下げますね」 と 言ったら もう お金の計算が 分からなくなります。
「お湯 沸いてるよ!」 「あの~、紅茶 どうなったんやろ?」 はたまた 「トイレの水 出ないけど~」(漏水してるので、栓を閉めて帰ってたんです。何しろ 四十年前のアパートやから・・)


もう 私、わけ分からなくなるから、 勝手知ったる お客様が 商品は 包んで下さるし、 無茶苦茶な計算をする 私から 電卓を取り上げて、会計して下さるし・・・
ホント スンマセンです。


そして、 喋るわ、笑うわ・・・
皆さんの お話しが楽しくて、おかしくて、笑ってばっかり。

絶対に 顔の運動になってると 思います。
ホウレイ線も 消える とまでは いかなくても、少しは のびるのじゃないかな~。
一人で 黙って 下向いてたら あかんそうです。


こんな 画燈樹を 何時も お客様に 助けられます。

こんな 画燈樹を 何時までも 続けていたいです。

何時まで いられるでしょうか?



その内、 薄暗い 骨董屋になって・・・

お馴染の 奥様方も、若い お客様も いなくなって・・・

明るい 話し声も 消えてしまい・・・

暗~い 奥の部屋に 一人で座ってたりして・・・(明るかった 画燈樹の思い出に ふけって)

そしたら、ヨボヨボの お爺さんが ふらりと入って来て、
「これ ちょう~だいぃ~」 と 私を 指さして、
はぁ! なんぼ 骨董屋かしらんけど 私 骨董品と違いますッ。人間ですッ。
「何に しはるんですか?」
「魔除け に しますねん~」

“ん・・・? 私、木彫の ミイラかッ!
木彫の 魔女かッ!”



まあ、そんな 骨董屋みたいになっても、
やっぱり 画燈樹に 座ってたいな~~。

淡路島に行ってきました!

2007-09-12 23:08:59 | Weblog
淡路島に 近づくにつれて、雨が上がり だんだんお天気が良くなって 三日間 嘘の様な天候に恵まれました。
お陰様で 楽しい日々を 過ごしました♪


その中の一つです。
主人が、素手でタコを捕ったのは いいけれど、 手の肘の所まで タコがへばりついて 取れなくなって 大騒動!
気色悪いし 気持ち悪いし 取ってあげられなくて、どうしょう どうしょう~
「タオルかせ、タオルかせ!」 と 言ってるのですが、 皆 オロオロして 中々 タオルが見つからず、やっと渡して 主人はタオルで引っぱってタコを取りました。
なんとか バケツに入れたら はいだして来るし、ビニール袋にバケツごと入れて なんとか おさまりました。

大騒ぎの後で 大笑い!
私は、慌てて 手にへばりついた タコの写真を撮るのを すっかり忘れていました。

あの 気色悪い タコ
のへばりついたのを、皆さんに お見せ出来たら どんなに 面白かったでしょう!(笑)

残念でございます。


追伸

主人は、タコに噛まれておりました。

円谷幸吉(つぶらやこうきち)の遺書

2007-09-07 02:30:19 | Weblog
ついこの間の事です。
主人との話しが、最近の小学校の事になりました。
特に 先生の生徒に対する言葉使い、生徒の先生に対する言葉使いが、本当に おかし過ぎるとゆう事になりました。


私が 姉の小学三年の時の絵日記に、「母が・・・・と おっしやいました。」と ゆう言葉が よく出て来ると 言いました。
もっとも これは戦時中の絵日記です。

今の子供、いいえ 三十代の大人でも 「おかんが言いよった」と 話して います。
えらい 違いです!

その時 主人が 東京オリンピックのマラソンランナーで 銅メダリストの 円谷幸吉の事を 思い出しました。
「もう あの人が そういう最後の人かな~」と 言いました。

それは あの“もう走れなくなった”と 自殺をされた時の 遺書の 話しです。

私も思い出し、二人で 遺書を声に出して 言って見ました。

悲し過ぎました。こんなに美しい 言葉が たった四十年前に あったんです。


「父上様
三日 とろろ美味しゅうございました。
干し柿、餅も美味しゅうございました。

敏雄兄 姉上様
おすし美味しゅうございました。
・・・
以下四人の兄姉様に あてた お礼の言葉が 続いて

最後に

父上様 母上様
幸吉は もうすっかり 疲れきってしまって 走れません。
なにとぞ お許し下さい。・・・・

幸吉は 父 母上様の そばで 暮らしとうございました。


と ゆう遺書を残して ・・・
1968年 1月9日 に亡くなりました。


今、ここまでの 言葉を言おうとは 思いません。
せめて、せめて、親を敬い 先生を敬い 目上の人を敬う心を持った 子供が育つ 日本であって欲しい と 心から思いました。