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ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「ロリータ」ナボコフ

2018-08-20 07:13:36 | 小説


ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」


レトリックの中のレトリックの中のレトリック。

ナボコフの「ロリータ」を読み込んでいくと次第に気づかされていきます。無論初読からそう気づく方もおられるでしょうが、初で私にはそこまで感じとることはできませんでした。
秘密めいた妖しい雰囲気は感じ取られるとしても。近づいてはいけない恐怖が見え隠れしてるとは気づいても。

ですが、再び入るとそこには巧妙に仕掛けられた罠があることに気づきます。どのドアを開けるかどの階段を上るかで方向も出口も判らなくなるカラクリ屋敷に迷い込んでしまうのです。

まずこれは小説です。

実話記録ではなく、ナボコフが綴った虚構です。しかもナボコフは英語圏の人間ではないのに英語を駆使してこれを書き上げたそうです。そこにも一つの作り出した虚構を感じるのですが(感情ではなく計算で創作したという)いったいどのような頭脳を持てばこういう小説が書けるのでしょうか。
虚構の中の虚構の中の・・・しかしすべてが虚構なのでしょうか。すべてが虚構では表現できないと思える粘着質な何かを感じてしまいます。

ハンバート・ハンバートという不思議な名前。ドロレスという実名から連想されたロリータという甘美な名前はハンバートの夢の世界だけで通用する通り名です。

さてこの先からは小説を掬い取っていかなければ進むことができません。ネタバレになりますので未読の方はご注意ください。








小説を書こうとする人はこの小説を体験するべきではないでしょうか。ナボコフ「ロリータ」を読む前と読んだ後では小説に対する考え方が全く変わってくるのではないでしょうか。
ナボコフはハンバート・ハンバートという奇妙な名前の一人称で物語を始めました。一人称、というのは彼の視点のみで語られる、ということです。彼の立ち居振る舞い、考え方(それが正しいのか不正なのか)他の人の様子、他の人がどう思っているのかもハンバートの考えにすぎません。いや、正確に見て話していますよ、という表記を入れながら彼は巧みに小説を進めていきます。
ハンバートの後ろにはナボコフがいるはずですが、ナボコフもまた彼の背で「これはハンバートというなかなか立派に見えるが心には闇を抱える中年男のお話でしてね」とささやいて身を潜めるという具合です。

お話の中のどれが真実でどれが嘘なのか、それはハンバートの(またはナボコフの)気持ち次第です。かわいそうなヘイズママがなぜ死んでしまったのか、誰が殺したのかというミステリーでもあります。
ミステリーの中のミステリー。
いい加減に繰り返すな、というご指摘もありましょう。次第にナボコフ的になってきたのかもしれません。

ハンバートは言います。
「セックスには一切関心がないのだ。わたしをたえず誘惑してやまないのは、ニンフェットの危険な魔法を一網打尽につかまえることなのである。」
そう言ったはずの最初の機会に、彼はロリータを何度も三度も性交の相手をさせたと書き、その文章の中に天涯孤独な子供という表示をつけています。ハンバート(ナボコフ)は身寄りのない幼い少女というタグを見るのが好きだったのではないでしょうか。

ナボコフはレトリックの才能をいかんなく発揮していきます。
つまらないダジャレや(翻訳家の技量を感じます)様々な修辞、言い回し、例え話、いきなり演説を始めたりファンタジーの世界へ導いたりハンバート=ナボコフの饒舌は止まりません。その話術に乗ることができればこんな面白い小説はほかに類を見ない、と言えますが、実際の筋立ては単純であっけないようにも思えますが、だからこその饒舌なレトリックが生きてくるのではないでしょうか。

かくしてハンバートのいう短いニンフェット期(ハンバートが名付けたロリータの魅力を感じることができる期間)の終わりが近づいてくる。可愛らしいロリータも15歳になればハンバートの興味はなくなってしまうのである。
ハンバートはうそぶく。
「そして私がドロレスと結婚し、可愛い娘が生まれ、再び私はロリータを愛することができる。さらにその娘をわがロリータにできるのだ」と。
正直、この表現にはあきれ果てましたがなるほどと感心もします。(それにしてもキモイ)

ロリータは都合よくハンバートの前から姿を消します。
ここからの処理能力はなかなかのものです。
ハンバートはロリータでなくなったドロレスにも愛情表現をしめすのですが、心中はどうなのでしょうか。表記すら「ロリータ」から「ドリー」に代わっているのが彼の心を表しています。(「ロリータ」と彼女に呼びかけてはいますが)
ドロレス自身が「もうあなたとは行けない」と断り、だが心優しい(と言わんばかりの)ハンバートは彼女に多額を支払って誠意を示すのです。
妊娠して醜くなった(と感じられる描写)ドロレスにもハンバートは思いやりを見せるのです。当然相手の男は風采のぱっとしない的な描写であります。
「さようならあ!」というロリータの別れの場面はいっそ清々しささえ感じさせるのですが、これはハンバートの彼女への興味の消滅を確信させます。

その後の物語の畳み方は事務処理というものでしょう。しかしそれでもハンバート=ナボコフの周到なレトリックは機能しています。その最後は誰もが納得のいく結果となっていることさえも。

私がここに記したのはハンバート=ナボコフの謎解きのほんの一部にしかすぎません。
訳者あとがきでも書かれていますが、この小説は何度も読むたびに新しい発見がある迷路なのです。




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