明日への道標~みんなが幸せになるために

さあ、また書き始めよう。どうしても伝えたいことがあるから。

「日銀の独立性」雑感

2008-02-29 | 政治
最近、また日銀の独立性がうにゃうにゃとか言う人が
あっちこっちにいるんだけど。

ただ、何のために何に対して独立すべきなのかという
議論が、すごく混乱しているようだ。

よくいるのが、やたら財政省に対する独立ばかりを
強調する人。

確かに、日銀がすごく弱くて直接どんどん国債を
買わされちゃったら、まあ今みたいにデフレの時はいいけど、
普通だったらやっぱりマズイわなってのは解る。

だけど、財政と金融ってのはマクロ経済運営の
両輪なんだから、そりゃ協調してやってくのは当然だろう。

日本であれだけ国債の発行残高が積みあがったのは、
ひとえに日銀が強すぎて、かつ独善的だから、
そのしわ寄せが全部、財政に来てしまったという話。

今の国債残高を見ても、まだ「財務省に対する
日銀の独立性が…」などと言っている人は
ちょっと頭悪すぎ。

一方で、金融政策は政治から独立してなきゃいけない
ってのはすごく大事。

普通の国なら、景気をクールダウンする利上げってのは
必要でも政治的に嫌われるし、一方で日本のように
「利上げってのは預金者に商品券を配ることだ」ぐらいの
認識しかない政治家が選挙で通っちゃう国では
逆に利下げが政治的に嫌われたりする。

だから民主主義だからって言って、
選挙で金利を決めてたら大変なことになる。

まさに今問題なのは、そのくらいのレベルの政治家が
次期総裁を決めるキャスティングボードを持ってしまって
いることだ。

本当はそういう連中からの独立こそが
最も大事なはずなんだけどね。

原因は「政治主導」

2008-02-28 | 政治
池田信夫blogより

>「消費者重視」と称して進められている統制経済については、
>当ブログで何度も問題点を指摘したが、けさの朝日新聞によると、
>今度は経産省がクレジット業者の規制に乗り出すという。
>いわゆる悪質商法で買った商品の割賦販売契約を、
>消費者側が一方的に取り消す権利を認めるものだ。

>この「悪質商法」は、きわめて漠然と定義されており、
>同じ商品を複数買っただけでも悪質と認定されるそうだ。
>これによって、また「グレーゾーン」が大量に発生し、
>貸金業法の改正で飯の種がなくなったクレサラ弁護士が、
>今度はクレジット業者相手に「無理やり売りつけられたので
>金は払わない」という訴訟を大量に起すだろう。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/97fb485551046c7b1216d94030fe6781

ここまでの問題意識は正しい。

「サラ金は悪だ」と言って消費者金融を潰したところ、
資金繰りが付かなくなった中小企業がたくさん倒産したように
今度はクレジット業界発の信用収縮が起こるだろう。

そして、景気が悪くなって困るのは普通の国民である。

それはともかくとして、さらに読んでいくと、
最後は金融庁が悪いの経産省が悪いのと言った、
「お約束」の役所批判で締めくくられている。

この人も何かというと官僚が悪い、官僚が悪いと言う人だし、
最近、そういう人がすごく多いんだけど、
この手のあとさき考えない対処療法って
むしろ「政治主導」の結果なんじゃないの?と思う。

官僚がその副作用などを真面目に政治家に説明しても
「抵抗勢力」扱いされて叩かれるだけなんだから、
そりゃ、こういう目先のマスコミ受けだけを狙った
政策ばかりになるわな。

それは、建築基準法「改正」による「官製不況」しかり、
ポルポト竹中による不良債権処理の強行しかり。

ここらで少し官僚の側に力をシフトすることが、
日本復活のための第一歩になるような気がしてならない。

「型の文化」の影響

2008-02-27 | 社会
>兵庫県警明石署などは27日、同県明石市の高校2年の
>男子生徒(17)ら16~18歳の少年4人と少女1人を
>傷害容疑で逮捕し、神戸地検に最終送検したと発表した。

>調べでは、5人は昨年10月19日午後11時~翌20日
>午前6時ごろ、明石市内の大蔵海岸公園で、知人の高校1年の
>男子生徒(16)に、お笑いタレントの小島よしおさんの
>「でも、そんなの関係ねぇ」「オッパッピー」のギャグを
>するよう強要。

>「面白くない」と言いがかりをつけ、首を金具でフェンスに
>固定して暴行したり、上半身を裸にして海にけり込むなどし、
>鎖骨を折る重傷を負わせた疑い。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080228k0000m040113000c.html

まあ、いろいろ大変そうだが、それはともかくとして。

昔から、日本では、この手の「決めセリフ」があって、
それを言うと、それを合図として皆が笑うという芸がある。
植木等しかり、ドリフターズしかり。

これが、どうもなじめないのである。

初めから言うのが解っているのに、
なんで可笑しいのかが、よく解らない。

あまり海外のお笑いというのは良く知らないのだが、
これは日本独自のものなのだろうか?

ただ、そういうのが好きな人はいる訳だし、
それについて別にとやかく言うつもりはない。

ただ、問題なのはテレビ局などに、この「型」通りに
落とすような番組の作り方が染み込んでしまっていて、
報道(もどき)番組までもが同じ手法で作られて
しまっていることだ。

例えば「自衛隊」や「官僚」や「大企業」は常に横暴であり、
「漁師」や「小さな町村」や「中小企業」やはいつも
虐げられつつも頑張っている、というような。

そんなものケースバイケースだろうが。

でも、テレビ局は常に「型」通りにしか番組を作らないし、
その「型」から外れたビデオは全部カットされる
ことになっている。

私はこれまで日本の昨今の停滞の原因として
団塊世代に多い破壊や混乱を嗜好する人達の影響が
大きいのではないかと何度も書いてきた。

しかし、それに加えて、影響力の強いマスコミに
この「型」の文化が染み付いてしまっていることも
大きな影を落としているのではないかと
最近、特に感じている。

前者だけであれば、あと数年も待てば状況は
改善してくることが期待されるが、
後者の方はこれはなかなか拭い去り難い。

眠っているルール

2008-02-26 | 社会
太田肇氏の「ホンネで動かす組織論」より。

>守っていると渋滞を引き起こすような現実離れした制限速度にしても、
>微罪逮捕にしても、かりにそれらが常時適用されていたら
>非合理、非常識なルールとして見直されるだろう。

>ところがそうした見直しを受けず、非合理、非常識なまま
>眠っていたルールがいきなり恣意的に適用されると
>影響力はすこぶる大きい。

ちなみにここで言う「微罪逮捕」とは、オウム事件の関係者が
ホテルに偽名を使って宿泊したことを理由に
旅館業法違反で逮捕されたケースなどを指している。

ここで、何でこんな文章を引いてきたかというと、
最近のイージス艦の件が重なって見えてしまうからだ。

海上衝突予防法では船が海上で交差しそうになった際は、
他船を右方向に見る船が右に避けるのがルールだという。

一方で、実際は大きな船は小回りが利かないので、
小回りの利く小さな船が避ける以外になく、
それが一般的な運用になっていると、
複数のそれなりに信用できるサイトが書いている。

そして、それは「相手がよけると思った」という
艦員の証言でも裏付けられる。

この場合、「他船を右方向に見る船が右に避ける」というルールは
普段は眠っていて、実際はそれとは別のルールで
上手く回っているから、ルールが現状に合わなくなっていても
「ルールを見直せ」という声は起こらない。

しかし、事故が起きてしまうと、マスコミ的には必ず
「悪い」ことになっている自衛隊の船が、
その眠っているルールを守っていなかったということで
ボコボコに叩かれるのである。

もちろん、イージス艦に過失が全くなかった訳では
ないのだろうが、根底には船舶が大型化する中で
実態にそぐわないルールが盲腸のように生き続けて
いるという問題があるようにも思える。

そのあたりも踏まえた冷静な議論を求めたい。

テレビ局の電波利用料を100倍にしろ

2008-02-25 | 政治
河野太郎氏のHPでテレビ局の電波利用料が公開され
話題になっている。

この人、トンチンカンな所もある人だけど、
今回は日本最大のタブーに切り込んだ勇気を称えて、
ここで紹介したい。

>      営業収益(H18)  電波利用料 (単位百万円)
>NHK__________675,606________1,215
>日本テレビ______288,636________317
>東京放送________277,400________318
>フジテレビ______377,875________318
>テレビ朝日______227,687________318
>テレビ東京______111,200________317

>テレビ局の電波利用料負担は、ここにあげなかった局を
>含めて総計で34億4700万円にしかならない。
>一方で営業収益は3兆1150億8200万円。
>電波を独占して上げる収益に対して利用料が千分の一。
>低すぎませんか。

まあ、ここを見れば「大規模局」の電波使用料は
一律310百万円だって解るから、キー局の分は
大体推測はできるんだけどね。(あとの端数は中継局か?)

ちなみに池田信夫の「電波利権」によれば、
テレビは電波帯域の8%を使いながら電波利用料の
負担は全体の1%、一方で携帯電話は電波帯域の
11%の使用に対して、電波利用量全体の93%を
負担させられているという。

こんな無茶苦茶な話はないだろう。

福田政権もネチネチと公務員をイジメるよりも、
「テレビ局の電波利用料を100倍にします」とか言って
本気でテレビ局と対決したら、少なくとも
ネット上では人気沸騰まちがいなしだと思うよ。

もちろん、マスコミは大ネガティブキャンペーンを
始めるだろうけど、今でも似たようなものだから、
そんなに失うものもないだろうし。

一つ勝負を掛けてみては?

「打算」は見透かされる

2008-02-24 | 政治
去年7月に参議院選挙で自民党が負けた後に
こんな文章を書いた

>安倍がなぜ負けたか?ってなことで
>いろんな人がいろんなことを言っているのだが。

>A.小泉のように「構造改革」を進めていないからだ。
>B.「構造改革」で日本中が疲弊したからだ。

>という具合に、全く正反対のことを言ってる人達がいて
>笑える。

>じゃあ、いったいどっちなんだ、と。

ちなみに私の意見は

>「安倍の言ってる「改革」をやるくらいなら
>現状維持の方がまだマシと思われているからだ」

という、第三の答えだったのだがそれは置くとして。

福田は当初はBが原因だと思っていたように見える。

しかし、ここにきて内閣支持率は低下してきている中で、
実はAだったのではないか、と思い始め、
何か公務員イジメみたいなことなどを
いろいろ考え始めているように見える。

だけど、マスコミに迎合して弱いものイジメをして
「改革」のポーズだけ作れば支持率が上がるだろう
などという打算的な考えは見透かされると思うよ。

小泉の時に郵政民営化「だけ」が、あれだけ大きな支持を
集めることができたのは、内容はもちろんだけど、
内容がよく解らない人にとっても
目先の計算抜きで本当に強い敵と戦っていることが、
実感として理解できたという点が大きかったと思う。

だからと言って福田が同じことをしようとしても無理だろう。
あれは良くも悪くもキ○ガイにしか出来ない戦法だ。

だったら、まずは堅実に世情を安定させる方に
全力投球する方が賢明だと思うけどねえ。

「衆愚政治」元年

2008-02-23 | 政治


ネット上でちょっと面白いグラフがあったから拾ってきた。

何が面白いって、97年ってのが一つの転機だったんだなあ、
ってのがはっきり見て取れるから。

そこで何が大きく変わったかと言えば、
それまでは大蔵省が経済をそれなりに仕切っていたものを、
その後は、マスコミの意を受けた訳の解らん連中が
仕切るようになったということだろう。

実は財政赤字の増加も、そこから加速度的に
スピードが速くなっている。

衆愚政治って怖いなあ、というのが率直な感想だ。

経済も財政もパフォーマンスが全く違うからね。

もうそろそろ、このままじゃ大変なことになるという
危機感が出てきてもいい頃じゃないかと思っていて、
今回、武藤氏が日銀総裁に就任すれば、
それが時代の転換の象徴的な意味を持つかなあ、
と思ってたんだけど。

だけど、この衆愚政治を煽り、
またその結果としての不況による政治不信に乗じて
勢力を伸ばしてきた民主党にとっては、
今のまま政治が続けられるかどうかが
死活問題なんだろうな。

まだまだ日本のトンネルは長いのかなあ。
あーあ、憂鬱だなあ。



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最後までみっともない人

2008-02-22 | 政治
>福井日銀総裁:潜在成長率高める1つの方法は移民受け入れ緩和

>日本銀行の福井俊彦総裁は22日午後、都内で講演し、「日本の
>潜在成長率が欧米に比べて低い主な理由は労働人口要因であり、
>人口の伸びの違いには移民人口の違いが影響している」とした上で、
>「日本の潜在成長率を高める方法の1つは、おそらく
>移民受け入れの緩和だろう」と述べた。

>中央銀行総裁が移民の受け入れに言及するのは異例。
>福井総裁は3月 19日に迫った退任を前に、日本の中期的な
>課題について持論を訴えた。


あーあ、この人本当に最後までみっともない人だ。
日銀総裁としての重みも風格もあったもんじゃない。

デフレの克服が出来るかどうか微妙なときなのに
「俺は利上げがしたいんだ」と利上げに突っ走ったのも、
村上ファンドなんかに肩入れした挙句に
量的緩和直前に売り逃げたのも
まあ、この人ならさもありなん、という所か。

日銀総裁の任期は5年であり、かつこの人は
速見前総裁が就任する時も、あの時に不祥事がなければ
総裁に就任すると言われていた訳だから、
つまり日銀の価値観では、こんな人が10年に1人の
逸材だと認識されているってことだ。

三重野も速見も酷かったし、日銀を脱藩した連中にも
ロクなのがいないと前に書いたけど
本当にあの組織はどうなっているのだろう。

なんか、変なものに憑りつかれてるとしか思えない。

そういえば、また民主党が変なゴネ方をしている
みたいだけど、頼むから日銀出身者を総裁に
することだけは勘弁してくれよな。

というか、日銀法を改正して「日銀に10年以上勤務した者は、
絶対に総裁にしてはならない」とかきちんと決めておけば
国民も安心して暮らせるだろうに。

「地方分権に異議あり!」

2008-02-21 | 政治
>私は昔から地方分権そのものに反対である。
>最大の理由は、個人の責任によらない機会の不平等を
>押しつけるからである。

>また、特権的(自分が築いた地位ではないという意味で)な
>強者の論理に陥るからでもある。
http://ohtahajime.blog50.fc2.com/blog-entry-84.html

これまで、私も地方分権反対については散々書いてきたが
なかなか世の中に反対論が広がらないことに
歯がゆい思いをしてきた。

今日、たまたまあちこちを巡回していたら、
「地方分権に異議あり!」というコラムが見つかったので
嬉しくてリンクしてしまいました。

>自治体間でサービスを競い、住民はそれを選択して
>移動すればよいとか、財政力やサービスの格差は住民全体の
>責任であるといった、現実離れした発言をする人がいる。

>前者の発言は、自治体と会社とを同一視するとんでもない議論だ。
>会社でさえ簡単にかわれないのに、それぞれ仕事や学校がある家族が
>そう簡単に住むところを選べるはずがない。
>まして何代にもわたって田畑や地域を守り続けてきた人たちに、
>まともな生活がしたければ都会に移れと言えるのか。

>後者の住民責任論も、まったくの仮構の上に成り立っている。
>かりに住民一万人の自治体なら、住民個人は一万分の一しか
>発言力がないのに、どうして責任をとれというのか。
>夕張の財政破綻にしたって、住民にその責任を押しつけ、
>窮乏や不自由を強いるのはおかしい。

まさに、すべてその通りだろう。

何かマスコミは地方分権になるとバラ色の未来があるような
ことを言うが、結局、同じ自治体の人達と連帯責任を
取らされるだけで、イヤなら引っ越せなんて、
そんなバカなことがあっていいはずがない。

リンク先の文を書いたのは同志社大学の太田肇氏という方だ。

最近、結構本も出してるみたいだから、
そのまま、どんどん売れっ子になって欲しいね。
応援しています。

ちなみに、他のコラムにも結構面白いのがあるので、
ぜひ一度、行ってみてください。


太田肇 Critical Essays ”個の視点”
http://ohtahajime.blog50.fc2.com/

「交通事故」を政治利用するな

2008-02-20 | 政治
>イージス艦と漁船衝突 漁師の父子不明 南房総沖
http://www.asahi.com/special/080219/TKY200802190004.html

事故が起こったことはたいへん残念であり、
行方不明の父子が無事救出されることを願っています。

そして、また事故原因の究明と再発防止には
真摯に取り組んで欲しいと思っています。

と、ここまでは誰しも同じ気持ちだと思う。

ただ、私が気に入らないのは、何故これが
政治的な問題として浮上してしまうか、ということだ。

基本的には「交通事故」だろう。

これで防衛相に「辞めろ」というのは、
パトカーが交通事故を起こすたびに国家公安委員長の
クビを飛ばすのと同じことだ。

そりゃ、おかしいだろう。

また、例によってマスコミは首相への連絡が
遅いの何のと騒いでいるが、そもそも一国の首相が
陣頭指揮を執るほどの問題なのだろうか?

唯一、政治的な問題があるとすれば、
森首相時代の「えひめ丸」の事故の時の例が示すように、
こういうネタに対するマスコミの異常な反応が
予想される中で「マスコミ対策」が後手に回って
しまったということはあるかも知れない。

ただ、事故後のドタバタの中でそこまで要求するのは
酷だと思うし、さらに言えば「マスコミ対策」が
下手だったことをもって政府を叩くのは、
ますます政府をマスコミに対して及び腰にさせるだけで、
国民に取って百害あって一利なしである。

今、国民に求められるのは、この件は政治とは
切り離して、冷静に見守ることなのではないだろうか。

「コソボ独立」に思う

2008-02-19 | 政治
コソボは独立宣言で沸き立っているようだ。

だが前に「戦争広告代理店」を読んでしまった私は
どうしてもセルビアに思いを馳せてしまう。

「戦争広告代理店」は2002年に出た本で、
ボスニア紛争の時のアメリカ国内での情報戦を
取り上げている。

ボスニアヘルツェゴビナ側がアメリカ国内での
PR会社を使った情報戦に成功していく中で、
セルビアは一方的に悪者にされ、
空爆にされされていく経緯が書かれている。

コソボが国連の暫定統治になったのも、
その空爆が端緒である。

そういう流れを考えると、セルビアの人達の
やり場の無い怒りはいかほどのものか、と
考えてしまうのだ。

もちろん、国際関係だけでなく、国内においても
結局はすべて情報戦をも含んだパワーゲームであり、
それをあれこれ言っても仕方がないのかも知れない。

しかし、あまりにも一方的な決着の付け方をして
大きな怨念を残すことだけは、なんとか避けることは
できなかったのかと思うと残念だ。


<推薦図書>
これはぜひ読んでおくべき。

戦争広告代理店/高木 徹

<バックナンバー>
>「選挙のための戦争」の時代
>民族紛争は「善玉」「悪玉」では割り切れない。
>1999/4/4
http://homepage3.nifty.com/~fwhh1899/page114.htm

「福島大野病院事件」のこと

2008-02-18 | 社会
ときどき読んでいるブログでこんな呼びかけをしているのが
気になっている。

>我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医の無罪を信じ支援します。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080218

初公判の時の記事があったのでリンクしておこう。

>福島県立大野病院(同県大熊町)で04年、帝王切開手術中に
>女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と
>医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告
>(39)の初公判が26日、福島地裁(大沢広裁判長)であった。

>加藤被告は「死亡や執刀は認めますが、それ以外は否認します。
>切迫した状況の中で精いっぱいやった」と起訴事実を否認した。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2007/01/post_f138.html

要するに、精一杯治療したが、患者が亡くなってしまった
ことをもって、ある医師が刑事責任を問われていると
いうものだ。

私には医学の知識は無いので、この件が刑事責任を
問われるべき事例がどうかの最終的な判断はできない。

しかし、私の理解できる世界でも、最近、結果論だけで
一方的に罪を問われるケースを実際たくさん見てきたこと、
また、多くの医師が危機感をもってこの医師の支援に
動いていることを見ると、かなりの確信をもって、
無理筋の起訴なのではないかという気がする。

この事件が起こったのが2年前の2月18日である。

そして、その後訴訟リスクを恐れた産婦人科医の減少に
拍車がかかっているという。

そりゃ、できるだけのことをやっても
結果論で刑事責任を問われるのならば、
危なっかしくてやっていられないだろう。

同様のことは産婦人科だけでなく、救急医療の現場でも
起きているらしい。

これまで当ブログでは主に経済関係の事例について、
「後からならなんとでも言える」ようなことで
経営者や会計士や官僚が刑事責任を問われるようなケースを
「魔女狩り」だと散々批判してきた。

しかし、それは今や日本のあらゆる分野で起こっている
問題であるようだ。

もはや、この流れは止める方法は無いのだろうか?

また、言葉使いが間違ってる

2008-02-17 | 政治
>福田首相:成長路線派の伊藤、大田両氏と長時間会談
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080218k0000m010072000c.html

また、言葉使いが間違ってる。

こいつらは日本をデフレ不況のドン底に叩き落した
ポルポト竹中の一派だろう。

どこが「成長路線派」なんだ???

こんな奴らの言い分を聞いて、
おかしな社会改造運動みたいなことをやっていたら、
成長できるものも成長できなくなってしまうだろう。

そういえば、連中が暴れていた頃、マスコミは
彼らを称して「市場原理主義」などという言葉もよく使った。

だけど私は、そんなミクロ介入の権化みたいな連中の
どこが「市場原理主義」なのか、さっぱり解らなかった。

私はその首謀者を「平成のポルポト」と呼ぶべきだと、
さんざん主張したが、マスコミの影響力の前には多勢に無勢で
いまだに連中が「市場原理主義」だと信じ込まされている
人も多い。

結構、言葉っていうのは大事で、内容をよく理解して
いない人達はマスコミが使う言葉のイメージだけで
判断してしまう。

「成長路線派」なんてマスコミで呼ばれている人達が
いたら、なんかその人達の言う通りにしたら、
経済が成長するんじゃないかと勘違いしてしまう人も
多いはずだ。

それなのに、なぜマスコミはそんなミスリーディングな
言葉を使うのか?

悪意があるのか、単にバカなのかは知らないが、
影響力の強いマスコミがこんな状態であり続ける限り、
日本の復活は望み薄だと思う。

教師の量と質を確保するには

2008-02-16 | 教育
>授業の質は教師の量と質にかかっている。本来は教師を
>もっと増やし、教師の質も高めなければならない。
>文部科学省もそうした条件整備が必要だと認めているのに、
>指導要領を変えただけで、手をこまぬいているように
>見えるのはどうしたことか。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080216.html#syasetu1

昨日取り上げた新指導要領について朝日がこんなことを
書いている。

しかし、私が思うのは、まず今教師にやらせている
無駄なことを止めさせて、授業に専念させることで、
量、質を充実させるべきだということだ。

最近、どこの学校のHPに行っても「特色ある教育活動」が
掲げられている。

ググって見ると、和紙作りをやってみました、とか、
環境問題を学習しています、とかいろいろ書いてある。
主に総合的な学習の時間を使ってやっているようだ。

しかし、それらのことを企画して実行して、
報告を纏めて、などとやっていくことには
恐ろしい手間暇が掛かっているはずである。

また、学校によってはシラバスだとか、
やたら細かい学校評価だとか、いろいろなものが
掲げられている。

今の学校の問題は幹の部分がちゃんとできていないのに、
枝葉の部分の負担が重くなりすぎていることではないのか。

民間企業なら、本社に企画やバックアップの機能があって、
現場は営業や生産に専念できる体制になっているのが
一般的である。

今のマスコミは個別の学校にさらに裁量を与えて
学校毎の特色を出すのが善だというようなことを
言っている。

しかし、あるべきはむしろ、民間企業同様、
なるべく企画機能やバックアップ機能を霞ヶ関や教育委員会に
集中した上で、現場の教師は授業や日常的な指導だけに
専念できる体制を作ることではないだろうか。

それによって、現場の教師に余裕ができ、
さらなる予算を掛けなくとも実質的に量、質に渡る
大きな改善が期待できるのではないだろうか。

「ゆとりの教育」だけでなく、
この点についても、早急な方向転換が望まれる。

「新しい学力観」を追放せよ

2008-02-15 | 教育
>小中学校、主要教科の授業1割以上増加…新学習指導要領案
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080215-OYT1T00611.htm?from=top

これまで散々「ゆとりの教育」路線を非難してきた立場としては、
今回、やっと授業やカリキュラムが充実する方向と
なったことは、なにはともあれ、まず素直に評価したい。

とは言っても、まだ十分とは思わない。

コマ数は減ったとは言え「総合学習」はまだ残っているし、
さらに言えば「新しい学力観」も完全に否定されていない。

これらが完全に教育の現場から追放されない限りは、
本当の「ゆとり教育」路線からの転換とは言えないと思う。

知識や理解を軽視し、生徒の思いつきや思い込みに
迎合するだけの「新しい学力感」に基づいた教育なんて
いつまでもやっていても仕方がないだろう。

なぜか、日本人は「新しい」と付くとプラスの評価のものの
ように思う人が多いが、先人の長い努力によって築かれたものと
「新しい」ものを比べれば、「新しい」方が優れていることは
極めて例外であると知るべきだ。

コマ数の増加ももちろんだが、根本的な考え方の転換が
そもそも待たれる所だ。