明日への道標~みんなが幸せになるために

さあ、また書き始めよう。どうしても伝えたいことがあるから。

「立ち位置」の反転

2005-01-29 | 政治
小泉内閣成立以降の3年余は、
極左革命的な経済破壊ににすり替えられてしまった
「エセ構造改革」を徹底的に攻撃することが、
「明日への道標」の大半を占めるテーマだった。

まさに「反小泉サイト」の急先鋒であったと言ってよい。

一方で、多くのマスコミはそういう「エセ構造改革」を
極めて好意的に取り上げてきた。
マスコミ各社の経営の中枢を占める
極左カルト世代の影響が大きいのだろう。

多くの政治家がマスコミの奴隷と化している中で、
結局、経済は壊滅的な打撃を受け、
その結果、多くの国民が苦しむこととなってしまった。

ところが、ここに来て小泉内閣は180度方向転換し、
本来の「構造改革」の「本丸」である「郵政民営化」に
集中する姿勢を見せ始めている。

もちろん、小泉内閣のこれまでの経済破壊を
許すことはできないが、それでも「郵政民営化」を
頓挫させる訳にはいかない。

いまさら小泉個人を応援する気は全く無いが、
政策論的には「明日への道標」と小泉は同じ方向を向くことになり、
事実上「小泉内閣応援サイト」とみなされるものに
なっていかざるを得ない。

ところが、一方でこれまで「親小泉」だったマスコミは
逆に極めて冷淡になりつつある。
まさに、「明日への道標」とマスコミの「立ち位置」が
グルッと反転してしまったと言ってよい。

どうして、こんなことになるんだろう。

結局、彼らが小泉に期待したのは「極左革命」だったんだと思う。

極左カルト世代のマスコミ人はいくつになっても
極左カルト思想から脱却することはできなかったんだろう。
そして「改革」と言ったらその手の「改革」しか
思い浮かばないのだ。

そして、そのツボにハマれば「賛成」、ハマらなければ「反対」と
パブロフの犬のような脊髄反射をしているだけなのだろう。

ともあれ、そんなマスコミに
これ以上日本をダメにされてはたまらない。

「極左」路線のマスコミに対峙し、
本当に国民の利益になる政策を訴え続るサイトで
あり続けたい。

メディアを持ちたい

2005-01-24 | 政治
もう、日本の既存のマスコミは完全に死んでるな。

前にも書いたっけ。



マスコミは世の中が混乱したり、景気が悪くなるのを「勝ち」、
世の中の秩序が安定したり、景気が良くなるのを「負け」と感じる
意識を持っているのではないだろうか。

彼らは小泉が「改革」を称してやった政策の中でも、
それが有害であればあるほど好意的に報道し、
逆に、前向きのものにはほとんど興味を示さない。
http://blog.melma.com/00099352/20041222232117


やっと、前向きの「構造改革」が始まろうとしているのに、
マスコミのこのシラケぶりは何なんだろう?
本当に救いようの無い連中だ。

平成以降マスコミの影響力が格段に拡大する中で、
この既存マスコミの低劣さが、国民を不幸にしてきたと
言っても過言ではないと思う。

何とか、本当に国民の幸せを願う
全く新しいメディアは立ち上げられないものだろうか。

まだ、小生が学生だったころ、
当時は朝日的なメディアが全盛の時代であった。

しかし、その頃ちょうど「諸君」だの「正論」だのの
いわゆる保守系メディアが少しずつ勢力を伸ばしつつあって、
当時の朝日的な世相にウンザリしていた小生には、
非常に新鮮で、興味深く読んだものであった。

その後、ステレオタイプな「保守像」が出来上がるにつれて、
それらの雑誌もその殻に閉じこもるようになり、
その結果、あまり面白いとは思えなくなり、
最近は手に取ることもほとんど無くなった。

しかし、朝日的な価値観が覆い尽くしてきた日本に、
一定の転機を与えたと言う意味で、
それらの雑誌は歴史的に大きな役割を果たしたと思う。

同じように、今の閉塞を打破するようなメディアを
作ることはできないのだろうか。

正直言って、「明日への道標」の問題意識は
極めて的確であると自負している。
一方で、文章は決して上手くはないことも自覚している。

だから、小生が責任編集をして、文章の上手い人や、
スクープの取れる人に原稿を書いてもらえれば、
結構、面白いメディアが作れるような気がするのだが。

そして、そのメディアが日本の世相に一石を投じられれば...

などと、夢のような事を考えてますが、
誰かスポンサーになってくれる人はいませんか?

郵政民営化が「最優先」の理由

2005-01-22 | 政治
昨日のコメントより。


郵政民営化をイマなす理由はどうしても理解できない。
http://blog.melma.com/00099352/20050121231221#comments


最近、マスコミでもこの手のことを言う人がいる。
はっきり言って何も解っていないと思う。

今の政治の最優先課題は明らかに「郵政民営化」だ。

マスコミが大好きな「年金」にしても、
また、「財政再建」にしても経済成長の回復以外で、
本質的な解決をするのは不可能だ。
まず、優先して考えるべきは経済の回復の問題なのである。

じゃあ、経済の回復に必要なことは何か。

もちろん、第一は政府がわざと民間企業を潰すような
極左革命的な経済破壊をやめさせることである。
これについては政府の中でも反省がなされ
方向転換が模索され始めたように見える。

表立った懺悔がないので、まだ推測に過ぎないし、
安心もできないのだが、この点の方向転換が明確になれば、
デフレは止まり、経済は一定の回復軌道に乗り始めるだろう。

次に必要なのは、非効率な公的分野に張り付いている資金を、
民間経済に取り戻し、経済の効率を上げていくことだ。

営業利益が黒字の民間企業を捕まえて
「非効率だ」と叫んでた連中はキチガイだとしても、
意味不明の公共事業や、訳の解らない特殊法人が
「非効率」であるのは間違いのない所だ。

そして、それらの大きな資金源になっているのが、
郵貯であり、簡保なのである。
その流れを変え、経済の活性化に資するための、
最大のキーポイントが郵政民営化なのである。

さらに言えば、郵政民営化は小泉にしかできない。
普通の政治家ならこれだけの政治力のある組織を、
向こうに回そうとは思わないから。
(この辺は前にかいたがhttp://homepage3.nifty.com/~fwhh1899/page186.htm)

だから、小泉が総理の間にやってしまわないと、
未来永劫、民営化ができないということにもなりかねない。
悠長にやっていて小泉内閣が先に潰れてしまっては困るのだ。
だから、急ぐ必要がある。

これらが、今、郵政民営化が「最優先」である理由だ。

じゃあ、なんで「もっと大事なことがある」論が
はびこっているのか?

そういえば、参院選前に「年金を争点にしたい人達」
てのを、書いたっけ。


要するに、「年金」を争点にしとけば、
与野党とも傷つかないってこと。
どうせ、技術的な調整以外はやりようがないわけだから、
与野党とも支持組織は安泰になるからね。

それで、ギャーギャー騒ぐだけ騒いどけば、
なんか仕事してるように見えるし、
ついでに関係する官僚あたりを数人、人身御供にして
魔女狩り騒ぎでもやっとけば、マスコミ的にも絵になるだろうし。

まあ、「年金」ってのは与野党とも「安全パイ」のテーマだろうね。
そりゃ、当然国民の関心をそっちへ持ってきたいわな。
http://blog.melma.com/00099352/20040620230834


そう、これと一緒だな。

選挙の組織票を考えると郵政民営化には反対したいけど、
開き直って大声で「反対」を唱える程の恥知らずにもなりきれない議員が、
「安全パイ」のテーマを上位に持って来ようと騒いでて、
それが今の所、功を奏しているという構図だな。

こんな議員が山ほどいるからイヤになるけど。

まあ、くれぐれも騙されないように。

やっと「構造改革」が動き出す

2005-01-21 | 政治
首相施政方針演説、郵政民営化で4分社化を強調
http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt47/20050121AS1E2100121012005.html


まあ、やっと「構造改革」が動き出した感じだな。

なんで最初からやらなったんだよ。
まだ、勢いがある内にやってればもう少し楽に進んだだろうに。
ほんと、かえすがえすも、もったいない話だ。

経済だって、ここまでわざと悪化させてから回復させるのと、
あのまま上昇させたのでは雲泥の差だっただろうに。
潰れなくてもいい企業や、死ななくてもいい人も
たくさんいたはずなのに。

ほんと、最悪な3年余の使い方をしたものだ。

とはいえ、今さら言っても甲斐のないことだ。

小泉がやるべきことをやり始めた以上は、
過去のことをとやかく言うことは、反対勢力を利するだけだ。

もちろん、いまさら小泉を全面的に信用することは不可能だが、
郵政民営化のような重要な政策については、
バックアップしていく必要があるだろう。

当初言ってた「官から民へ」「市場重視」の路線が
いきなり極左革命路線にすりかえられ、
それがまたいつのまにか元の路線に戻るという、
この「ねじれ」の連続についての小泉の真意は本当に解らない。

多分、読者の中にもこの「ねじれ」についていけない人が
たくさんいるのではないかと思う。

ただ、政治に求めるものが「結果」である以上、
そして、全面的に信用できるような政治家が存在しない以上、
この「ねじれ」は割り切る以外に仕方ないと思う。

小泉の「ねじれ」を超えて

2005-01-18 | 政治
はっきり言って、ここにきて小泉を応援せざるを得ないことには
忸怩たる思いがある。

小泉内閣発足以来、彼の「言っていたこと」と「やっていること」は
徹底的に「ねじれ」ていたからだ。

「官から民へ」「市場重視」の「構造改革」をやるといいながら、
実際は、全く正反対のミクロへの介入を繰り返して
経済をぶちこわし、多くの国民を苦しめてきた。
このことは、決して許されるべきではない。

とはいえ、ここにきて「郵政民営化」である。

小泉内閣で初めての「官から民へ」「市場重視」の
方向性に沿った、「構造改革」の名に値する政策である。
しかも、その大きさや、多方面への波及効果を考えれば、
まさに「本丸」というに相応しい政策だ。

ところが、3年余のエセ改革の迷走を経て、
多くの国民は「改革」といっても「どうせ痛みだけだろう」とか
「効果はないだろう」などとシラけるようになってしまっている。

「構造改革」の名の下に、まさに正反対の政策を繰り返した
小泉内閣の罪は、その政策自体による経済破壊だけではなく、
どうせ「改革」なんてダメだと多くの国民に
思わせてしまったしまったことにある。

しかし、ダメなのは本来の「構造改革」ではなく、
政府が民間経済におかしな介入をする「エセ改革」である。

逆に、政府が民間経済におかしな介入をすると
経済が滅茶苦茶になるということが示されたことによって、
本来の「官から民へ」の「構造改革」の正しさが、
改めて証明されたと言っても過言ではない。

なぜか、この点を正しく指摘するメディアが存在せず、
この点に関する理解が国民の間に十分浸透していないことが、
極めて残念ではあるが。

ともあれ、3年余も逆走した挙句、ここに来て突然、
本来「言っていた」「官から民へ」「市場重視」の方向に
180度Uターンした小泉の真意は解らない。

とはいえ、小泉以外に「郵政民営化」のような、
本質的な課題にまともに取り組もうとする政治家も見当たらない。

こういう状況下では小泉のこれまでの「ねじれ」は
ともかくとして、是々非々の態度で
政策毎に判断していく以外にない。

少なくとも「郵政民営化」だけは
きちんと達成されるように、ネット上で訴えていきたい。


P.S.
本文とは関係ないけど、珍しく良いニュース。


中山文科相、総合学習削減の意向 教科の授業時間確保
http://www.asahi.com/national/update/0118/035.html

全面的に賛同します。

武装解除・紛争屋が見た世界/伊勢崎賢治

2005-01-07 | 政治
武装解除・紛争屋が見た世界/伊勢崎賢治

NGO出身で国連や外務省の仕事を請け負ってる人とかいうと、
なんか無茶苦茶胡散臭いイメージがあったんだけど、
この人はずごいね。

内戦後の民兵組織などの武装解除をやるんだけど、
そりゃ、まだ「法」も何もない世界。
多国籍軍等の軍事力をバックにしているとは言え、
もう、徹底的にプラグマティズムだ。

しかし、それを裏打ちするのは「法と秩序」に対する
深い洞察であり、それは文章の端々に現われる。


>「『小学校よりも刑務所の方が大事』ということが、
>治安はただであると思っている日本国民に理解されなければならない」


紛争後の復興への支援についてのコメントだが、
なかなかこう言い切れる日本人はいないだろう。

そんな彼の「改憲」に対しての意見がまた興味深い。
小生のこれまでの意見とは違うが納得させられる面がある。
あえてここには書かないけど、ぜひ読んでみてほしい。

内戦後の復興の過程についての知識を得ることに加え、
「秩序とは」、「正義とは」などという問題を
もう一度考え直す契機ともなる良書である。

ぜひ、ご一読を。

ハウルの動く城

2005-01-04 | 雑記
今日は午後からちょっと時間があったので、
「ハウルの動く城」を見てきました。

正直、ちょっと世界に入りきれなかったです。

作品の完成度という点では高まっているのでしょうが、
だんだんメッセージ性が薄れ、ただのメルヘンに
なってきているように思えて。

前にどっかで、「悪い企業を潰せば経済がよくなる」と
言ってる人達と、ナウシカの「腐界を焼き払えば全て解決する」と
いってる人達はそっくりだという話を書きました。

人間の力を過信すれば必ずしっぺ返しが来る。
無茶をやればオウムの大群が全てを蹴散らしに来る。
これは、まさに今の日本経済で起きていることではないかと。

また、前に「もののけ姫」と重ねて金融崩壊を論じた、
宗永健作氏の本も紹介しました。
http://blog.melma.com/00099352/20040801230722

昔の宮崎駿氏の作品には人間の力への謙虚さや、
自然との調和への希求というメッセージがあり、
それは硬直した原理主義者が跋扈する今の日本に
最も欠けているものを示しているように思っていました。

それが、前作の「千と千尋の神隠し」から、
何故か、そういうメッセージ性が薄れてきたように感じます。
期待を上回る完成度の作品を作りたいというプレッシャーに負けて、
伝えたいものが見えなくなってきているように見えます。

確かに、ここまでブランドが確立すると
ただのメルヘンでも商業的には成功するのでしょう。
ただ、ますます原理主義者が先鋭化し、混乱を深める社会の中で、
彼なら伝えられることがあるのではないかと思えるだけに残念です。


P.S.
文中でも書きましたがお薦めです。

金融崩壊・日本の呪縛 「しし神」のいない金融の森/宗永 健作 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198618607/qid%3D1104854183/249-6148002-7823529

左翼カルト世代

2005-01-02 | 社会
この言葉は「(C)明日への道標」である。

とはいえ、当ページの読者の皆様においては、
おのずから意味する所は明白だと思われるので
特に注釈もなく使わせてもらっている。

あえて説明すれば、若い頃左翼カルトに嵌り、
いまだにその尻尾を引きずっている者が多い今の50代前後を指し、
堺屋太一の言う所の「団塊の世代」がその中核である。

もちろん、「世代」で括って議論する限界も知っている。
また、その世代でもそういう風潮に抗して
戦ってきた人もたくさんいるだろう。

しかし、そうは言ってもおかしなのが多すぎる。

彼らはいまだに社会主義の幻影からか、
「政府が直接手を下す」ことが最善だと信じており、
何かあるとすぐに「政府は何をやってるんだ」と叫ぶ。

そのように、自己責任の意識が極めて希薄である一方で、
自ら責任を引き受けてくれようとする人達には
条件反射的な敵意を示し「揚げ足取り」と「吊るし上げ」が
何より大好きである。

要するに、今やデタラメであることが明白となった
社会主義、共産主義の幻影をいまだに引きずっている上に、
そういうカルト思想を掲げて暴れた過去が、
全く清算できていないのだ。

そういう「左翼カルト世代」の代表選手のような奴が、
マスコミの中枢を占めるようになって日本がおかしくなりだした。
特に89年の消費税選挙を境に、そういうマスコミが
実質的に政治を動かすようになってからは、もう、まっ逆さまだ。

ネットを回っていたら「左翼カルト世代」の見本のような
奴を見つけたから、リンクしておこう。



異端の肖像2005 団塊の世代は<1>
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050101/mng_____tokuho__000.shtml


もう、タイトルからして臭い。異臭が漂う。
中身を読むともはや耐えがたくなる。
「大学紛争が敗北し、次の世代はしらけた。」とか
「結局、大学紛争は何も残していない。国家権力に負けた。」とか。

もう、アホじゃないかと。

この世代の幼稚な怨念からの「反政府」「反秩序」のポーズが、
どれほど後の世代に迷惑をかけているのか、まだ解らないのか?

「同世代の中には『このまま終わっていいのか』という声がある。」だってさ。

もう、いいよ。頼むから「このまま終わって」くれよ。
先人達が営々と築いてきたものを、
これ以上ぶち壊すのは、もう勘弁してくれよ。


P.S.
著作権は主張しませんので
「左翼カルト世代」という言葉はぜひ、どんどん使って欲しい。

「団塊の世代」なんていう単に「数が多い」ことを示す語では、
あの世代を表す言葉としては生易しすぎるから。

ただ、これは「左翼カルト」が多い世代という意味で、
「全員がそうだ」と言ってる訳じゃないので念のため。