風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

州羽の海 5 本宮の表玄関

2010年11月16日 | 夢想の古代史


「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。

主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が、諏訪大社上社本宮の北参道から境内に入り、正面玄関である東参道にやってきました。
→予告編
→第1回 出雲から来た神
→第2回 境内へ
→第3回 湖畔の社
→第4回 片隅にある神楽殿




立派な門の前に出た。
門の脇には二番目の御柱「二之柱」が立っている。
ここが上社本宮の正面入口、つまり表玄関ということらしい。

「ほう、ここが本宮の正面入口なのか。風格があるね」
「新しい北参道とは対照的ですね」
「正面玄関というだけあって立派な門があるねぇ」
「いわゆる神門(しんもん)ってやつですね。入口御門という名前だそうです」


本宮の表玄関にある入口御門です。
右側の黄土色の柱が二番目の御柱「二之柱」です。
高さは5丈(約15m)で、5丈5尺(約17m)の「一之柱」より低くなっています。
二人は、この写真の右手からやってきました。



境内案内図で位置を示すと、このように境内の左端(東端)になります。
境内案内図の左端に小さな橋のあるのが判るでしょうか?
そこには銅葺きの鳥居が建っています。



この写真は、その橋から鳥居越しに入口御門を望んだところです。
橋と鳥居は入口御門より一段高い位置にあります。



門の東側、境内の入口には大鳥居が立ち、境外には参道が延びている。
俺は鳥居の下に立って外の参道を向いた。
北参道周辺よりずっと歴史を感じる佇まいだ。

「こちらの参道は東参道というんです。これが本宮の表参道ですね」
「昔ながらの面影を残しているね」
「北参道よりは門前町という雰囲気がありますよね」

(一部省略)

俺たちは、また門の前に戻った。

「入口御門か。お寺だったら山門とか仁王門があって普通だけど、神社にも門があるんだね」
「どこの神社にも必ずあるわけじゃないですけどね」
「門の先には…廊下のようなものが続いているな」
「あの廊下のようなものは布橋(ぬのばし)と言うんだそうです。かつては最高位の神職である大祝(おおほおり)が渡る時だけ布を敷いたんだそうです」


大祝(おおほおり)とは、生き神と言われる諏訪大社最高位の神職(明治維新の神社改革で廃止)の名称です。
神の御霊を大祝に降ろす、つまり憑依させることによって生き神となるのです。
御霊を降ろすのは諏訪大社ナンバー2の神職だけが成しうる業なのですが、それについては、また後日。



入口御門の先に延びる布橋。
手前の紋入りの垂れ幕がかかっているのは入口御門で、その先が布橋です。
因みに、垂れ幕に描かれているのは上社の御神紋で
「諏訪梶(かじ)」と言って、桑科の植物である梶の木を象ったものです。
下社の御神紋は、同じ梶でも根が5本ある「明神梶」というもので、微妙に異なります。



「布橋…。橋という名前がついているのか」
「神社によっては『神橋(しんきょう)』と呼ばれる橋が設けられていることがありますから、これもそれに相当するんでしょうね」
「しんきょう…。ああ、日光東照宮の前にある有名な赤い橋も神橋と言ったな」
「そうです。神のいる領域と人間の領域との橋渡しということですね」
「橋…か」
「まあ、これはどう見ても廊下ですけどね」
「陸上の石垣の上に造られているから、一般的な意味での橋じゃないよね」
「神橋は現実の橋じゃないですから」
「神橋であり、布を敷いたから布橋と名づけられた。…でも、それだけだろうか?」
「かつて諏訪湖が間近に迫っていたことに因んだ名前なんでしょうか」
「これが本当に橋と言えるようになるためにはどうなればいい?」
「橋は川や池の上に架かっているものですから…」
「そう。下に水があればいい。橋というものは水上を渡る道だからね」
「下に水があれば名実ともに橋と言えますね」
「真下に水がなくても、水面に映るような状況だったら橋だと名づけたくなるよね」
「ということは、布橋のすぐ脇に水面が…」

諏訪大社は湖畔の社だった。
だが、創建当時の湖畔がどの位置だったのかは明確になっていない。

「布橋を支えている石垣の下が湖畔だったんじゃないか?布橋は…諏訪湖に面していたかもしれない」
「ああ…なるほど」
「当時は布橋がギリギリ湖畔だったんじゃないかな」
「そうだったかもしれませんね」
「ここから北参道の方向へは下り斜面になっているだろう?今歩いてきたところだ」
「明らかに斜面でした」
「布橋の足下の地面は元々緩い斜面で、そこに盛り土をして布橋を造ったんじゃないか?それを補強するために石垣を築いたように見える」
「入口御門は正面玄関ですから間違いなく陸上だったはずですね。その先は下り斜面ですから、布橋の少なくとも後半部が湖に面していた可能性はありますよね」
「可能性は…あると思うね」

しかし、深那美は俺の意見に頷きながらも、布橋と、境内を取り囲んでいる玉垣(塀)の方向をしきりに見比べていた。
何か気がかりがあるようだ。



布橋の後端部(「一之柱」のすぐ近く)を下段から見上げた様子です。
上段(布橋の建っている地面)と下段(石垣の下)の高低差は、この位置で3mくらいあります。

布橋は神橋と言われる社殿の一種と解釈していいとは思いますが
他所の神社の神橋に比べて異例に長いのです。
本宮が湖畔の社だったことから、布橋が単なる形式的な神橋に留まらないのではないかと感じた英嶋は
布橋は諏訪湖の湖畔に面していたのではないかと推測しているのです。
つまり、この石垣の下に諏訪湖の波が押し寄せていたのではないかと…。


しかし、諏訪大社について下調べをしてきた深那美には、布橋に関して何か気がかりなことがあるようです。

では、第6回 「布橋を渡る」 に続きます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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4 コメント

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Unknown (shinkai)
2010-11-19 07:41:12
こんばんは!
ええと、乏しくなった想像力を補うために、何度も行き来してあれこれ考えました。
で、質問です。
神楽殿は、布橋に比して新しいのですか?
入り口御門に至るには、布橋を左手に見つつ、入り口御門に行くのですか?
布橋の半分ほどの位置から、石垣がある、つまり土地が低くなり、石垣で高さを調節している?
東参道に至る橋と鳥居の方が高いと書いておられますが、どちらが古いのですか?

今は北参道の方からが参拝客が多いと言う事ですが、なぜ東参道の方から行かないのでしょうか? 現在の交通事情ですか?
そして、東参道に至る道は、門前町? つまり栄えた町並みだったのですか?

長野の善光寺の様子など思い出しながら、拝見しています。

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Unknown (二木一郎)
2010-11-19 14:54:44
shinkaiさん、こんにちは。

布橋と神楽殿は、最初にいつ建てられたのか記録はないのです。

本宮が湖畔の社であったことから、湖畔に沿って異例に長い神橋である布橋が建てられたのではないかと考えています。
神楽殿は、その位置が創建当時湖畔だった可能性があり、建てられたのは諏訪湖がもっと後退してからことだろうと私は推測しています。
ですから、起源は神楽殿より布橋の方が古いと思っています。

北参道から入口御門へは、布橋を右手に見ながら進みます。
境内の構成や参拝順路が他の神社に比べて奇妙なため、本宮の地形や社殿の配置などは判りにくかったかもしれませんね。
次回は、北参道から入口御門にかけての地形を、簡単な図で説明しようと思います。

東参道が本宮の表参道であるにもかかわらず北参道からの参拝者が圧倒的に多いのは道路事情によります。
東参道は古くからある道で狭く、現在は一方通行になっていて、車では不便だからです。
北参道は第二次大戦後に新たに造られた道ですので、それ以前は東参道だけでした。
ですから、昔は宿屋や土産物屋が東参道に集中していましたので、ここが本宮の門前町だと言っていいでしょうね。
実は西参道というものもあるのですが、これは有って無きが如しの道ですので割愛しました。

長い記事ですので、そろそろ中間のまとめが必要かもしれませんね。
本宮の記事は後2回で終わりますので、その後に本宮の総まとめをしようと考えています。
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Unknown (shinkai)
2010-11-20 07:02:53
こんばんは! 再度です。 すみません、右と左と間違えておりました。

広島の宮島、厳島神社に馴染んでおりますので、湖畔の神社、または渡り廊下、という物も想像しやすいのですが、・・
肝心の御柱との関係となると、皆目見当がつきません。
ごゆっくりで良いので、楽しみにしております。
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Unknown (二木一郎)
2010-11-20 12:56:51
shinkaiさん、再度ありがとうございます。

諏訪大社が湖畔の社だったことを知ってから、やっぱり厳島神社をイメージしてしまいますね。
布橋は諏訪湖に面していたのでは…と書きましたが、もしかしたら厳島神社のように湖上にせり出した橋だったのではないかという考えも持っています。
それについては次回ご紹介します。

諏訪大社に限らず、古い神社はどこでも創建当時と今とではガラリと様変わりしているはずですが
当時と変わらぬもの、古代諏訪大社の痕跡はきっとどこかに隠れていると思っています。
最終的には、御柱について私なりの推測が出てくればいいのですが…。
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