「州羽の海」は、自作の小説からの抜粋という形式で長野県諏訪市にある諏訪大社について書いています。
主人公である英嶋善也と相澤深那美の二人が諏訪大社を訪れます。
予告編に続いての第1回目ですので、今回は予備知識編といったところです。
→州羽の海 予告編
中央自動車道諏訪インターチェンジ。
ここは諏訪市の外れにあたり、まだ諏訪湖からは南に少し離れている。
ETCゲートが開いて車が加速し始めると、深那美は首を伸ばして窓の外を見回した。
「諏訪湖はどこですか?」
「まだだよ。まだ少し離れているんだ」
「ここはもう諏訪でしょ?」
「そうなんだけど、まだ諏訪市の外れなんだ。あと5キロくらいあるよ」
「5キロ…。じゃあ、ちょっといいですか?」
「ん?」
「諏訪湖の前に寄ってみたいところがあるんですけど…」
「ああ、いいよ。俺には何の予定もないから、君の行きたいところに行くよ」
「諏訪大社です」
「諏訪大社…」
「行ったことあります?」
「…ない」
「このすぐ近所なんですよ」
(一部省略)
「諏訪大社は四社あるって知っていました?」
「四社?『上社(かみしゃ)』と『下社(しもしゃ)』なら知ってるよ。他にもあったっけ?」
「『上社』と『下社』が諏訪湖を挟んで南北に位置していますね。南に『上社』、北に『下社』です。で、それぞれが更に二つに分かれているんですよ」
「更に分かれる?」
「『上社』は『前宮(まえみや)』と『本宮(ほんみや)』に、『下社』は『春宮(はるみや)』と『秋宮(あきみや)』に分かれます」
「へえ…」
諏訪湖と諏訪大社の位置関係を示します。
大雑把な地図ですが、茶色の部分が山地、灰色が平地です。
「御柱祭はご存知なんですね?」
「そりゃ、もちろん。七年に一度だったかな。柱を建てる祭りだろ?」
「諏訪大社と言えば、まず御柱祭を連想しますものね」
「誰でも知ってるほどの一大イベントと言ってもいいな」
「正式には式年造営御柱大祭(しきねんぞうえい みはしらたいさい)と言います。式年とは決められた年ごと、つまりこの場合は七年ごとになります」
「日本三大奇祭の一つなんだってね」
「三大奇祭がどれとどれを指すのかは諸説あるんですが、御柱祭が洩れることは、まずありませんね。文句なしの奇祭ですよね。遠い山から、時には犠牲者まで出して大木を運んできて建てるんですからね。わざわざ急な坂から落としたり、冷たい川を渡したりして」
「坂から落とす『木落とし』なら知ってるよ。下社の木落とし坂なんか、まるっきり崖だよ」
「ダイナミックで派手な祭ですよね。地元の人たちの熱の入れ方も半端じゃないんですよ。観光客にも大人気ですし…」
「御柱祭って、いつから始まったの?」
「えーと、確か平安時代の…」
深那美は、おもむろにバッグからメモ帳を取り出した。事前に調べてきたらしい。
「一番古い記録は、平安初期の桓武天皇(781~806)の時代です。でも、それ以前から行われていたようです」
「諏訪大社以外でも御柱を建てる神社はあるの?」
「諏訪地方では道端の小さな祠に至るまで、すべて御柱が建てられているんですよ」
「全部が諏訪大社の系列じゃないんだろ?」
「違いますが、御柱に関しては諏訪全体が諏訪大社化すると言ってもいいくらいですね」
「それじゃあ、すごい本数になるんじゃないの?」
「でしょうね。それらも全部、御柱祭の年に建て替えるんですって」
「まあ、小さいものは簡単だろうけど…」
「でも、ちゃんと御柱の伝統作法に則って建てるんですよ」
「全国的にはどうなの?」
「諏訪神社などの系列社以外では聞きませんね」
「なぜ諏訪大社だけに御柱の伝統があるんだろう」
「それが究極の疑問なんですよ。謎なんです。」
「究極の疑問?理由は不明なの?」
「ええ。諸説あって定説と言えるものがないんです」
「なぜ建てるのか…理由が判らないのか」
「四本の柱で取り囲むということは、普通に考えれば神域を示しているんでしょうね」
「だろうね」
「なぜ七年ごとなのか。なぜ諏訪大社だけなのか。いつから始まったのか…。何も判っていないんです」
「すべて謎なのか…」
「謎の一つには、四本の柱の高さが同じじゃないというのがあります。四本全部高さが違うんです」
「自然の木を使っているんだから高さが違うのは不思議じゃないだろ?」
「高さがバラバラなら不思議じゃありません。時計回りに少しずつ低くするらしいんですよ」
「時計回りに低くする…」
「つまり、ただ適当に建てているわけじゃないってことですね」
「何らかの意図があるってことだな」
「でもね。諏訪大社の謎は御柱祭だけじゃないですから」
「御柱祭だけじゃない?」
「四社から成ることからして謎なんですから」
「ああ…そうか」
「まあ、そもそも神道自体の発祥からして謎ですしね。謎じゃないことなんて一つもないとも言えますね」
「それを言い出したらキリがないんじゃないか?」
「諏訪大社には他にも変わった神事や伝承があるんです」
「へえ、どんな?」
「追々説明します。実物を見ながら」
「もったいぶるなよ」
「一度に全部説明しても頭に入らないでしょ?」
(一部省略)
四社ある諏訪大社の内、上社の本宮は諏訪インターチェンジのすぐ近くに鎮座している。
俺は諏訪市博物館に隣接する本宮参拝者用の駐車場に車を入れた。
ここは本宮の参道の一つである北参道の入口に当たり、参道奥の突き当たりにそびえる山の裾には大きな鳥居が建っている。
本宮参拝者用の駐車場の前から眺めた、新緑の頃の北参道です。
鳥居のすぐ左に、接するように建っている茶色い柱が御柱の一本です。
「英嶋さん。あそこが二つある上社の内の本宮という社です」
「へえ…」
「何ですか?」
「社殿はまだ見えないけど…背後の山が神々しいね」
「ええ。良い雰囲気ですよね」
「いかにも神の領域という空気感が漂っている」
「神の御霊を宿していそうな古木が密生していますね」
「あの山は禁足地なのかな」
「どうでしょうね。でも、ほとんど手を入れてないんでしょうね」
「神秘的な雰囲気を醸し出しているな」
「只ならぬ気配さえ感じさせますね」
「ああ、何だか期待できそうだね」
「ここ本宮が諏訪大社の中心的存在と言える社なんです」
「諏訪大社の要か…」
「諏訪大社は数ある神社の中でも最古の部類に入るようですよ」
(一部省略)
「諏訪大社は日本でも最古の部類に入ると言いましたが、諏訪大社という名称自体は新しいんですよ」
「新しい?」
「延長五年(927年)に編纂された延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)という書物には、南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)という名前で載っています」
「昔から諏訪大社という名前じゃないの?」
「戦後になってからなんです。1948年(昭和二十三年)に諏訪大社と改称されたんです。意外でしょ?」
「戦後なんて、神社の歴史から見れば、つい最近じゃないか」
「で、諏訪大社は信濃国一之宮という位置づけなんです」
「信濃国一之宮…つまり長野県の筆頭神社?」
「ええ。延喜式神名帳によれば古くは名神大社という地位にあったそうです」
「それは…神社の格付ってこと?」
「名神大社って最高位なんですよ」
「ほう…」
「明治時代以降では1916年(大正五年)に官幣大社というランクに昇格しています。官幣大社も最高位なんです」
「ふーん」
「全国的にみても、一目置かれるほどの神社ってことなんですね」
「へえ…」
「諏訪大社の祭神は誰か知っていますか?」
「神道の神と言われても…アマテラスくらいしか知らないな」
「建御名方命(タケミナカタノミコト)というんです。そして妃である八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)も一緒に祀られています」
「タケミナカタ…。ヤサカトメ…」
「この神はどこから来たか…当然知りませんよね?」
「神様なんだから…天国か?」
「もう…。子供の会話じゃないんですから」
「俺の知識は子供以下だよ」
「出雲出身なんですよ」
「イズモって、出雲大社の出雲?」
「ええ。建御名方命は大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供なんです」
「オオクニヌシ…因幡の白兎を助けたことで有名な?」
「それくらいは知っているんですね」
「出雲か。じゃあ諏訪大社って出雲大社から分かれたの?」
「違います。建御名方命の来た頃は、まだ出雲大社はありませんから」
「出雲大社はない?」
「因幡の白兎を知っているのなら、出雲の国譲り神話は?」
「いやあ、さっぱり…」
「大和王権が初めて日本を統一するにあたって、最大の懸念が出雲の存在でした。出雲は古くから強固な国を造って一大勢力として君臨していましたからね。出雲を従属させることができなければ統一なんて夢物語ですから」
「大和王権は出雲に従属しろと迫ったわけだ」
「出雲は古代日本の大国ですからね。簡単にはいきませんよね」
「そりゃそうだ。交渉は決裂したんだろうな」
「ところが統治者である大国主命は意外とあっさり承諾したんです」
「え?OKした?」
「自分はOKだが、まずは長男の事代主命(コトシロヌシノミコト)に聞けと言ったんです。そして国譲りの条件として出雲大社の建設を大和王権側に要求したんです」
「なるほど。出雲大社の創建は、それ以降か」
「そうです。ですから諏訪大社は出雲大社から分かれたわけではないんです」
「で、事代主命の返事は?」
「これもあっさり承諾するんです」
「へえ…ずいぶん潔いというのか、弱腰というのか…」
「自分はOKなのだが…」
「また?今度は誰に聞けって?長男の次は次男かい?」
「当たりです。次男の建御名方命に聞けと言うんです」
「建御名方命は大国主命の次男坊なのか」
「でも、建御名方命はOKしませんでした」
「そこで決裂か。結局、戦いに?」
「はい。建御名方命は建御雷命(タケミカヅチノミコト)率いる大和王権軍に最後まで抵抗したんですが…敗れたんです。そして諏訪に逃げたんです」
「逃げてきたのか…」
「一方、諏訪には大和王権成立以前から守矢氏という一族を中心とした先住民がいたんです。彼らには独自に信仰する神がいました」
「地元の氏神ってやつか?」
「まあ…そうですね。今の前宮に守矢氏の神が祀られていたようです」
「じゃあ、諏訪大社は建御名方命が来る前からあったんだ」
「いえ、神社という形態ではありませんね。まだ神社という概念はなかったはずですから。守矢氏の神の祭祀場があっただけでしょう」
「でも、先住民である守矢氏はあっさり受け入れたのかい?敗軍の将がよく祭神になれたね」
「そうはいきません。今度は建御名方命と守矢氏との戦いになりました」
「そこで建御名方命が勝ったのか?」
「ええ。建御名方命は守矢氏に勝ち、新たな諏訪の支配者となったんです」
「勝ってめでたく祭神になれたわけか」
「それで建御名方命を祭神として諏訪大社が造営されたと伝えられています」
「なるほど…」
「まあ、これはあくまで神話が伝える限りの諏訪大社造営物語ですけどね。とりあえず、これが諏訪大社の常識というところですか」
「常識か…。常識という言葉は必ずしも当てにならない」
「ですね」
「ところで、負けた守矢氏はどうなったの?」
「やっぱりそこが気になるでしょ?」
「何だよ、含み笑いなんかして…」
「戦争の敗者ですから抹殺されてもおかしくないですよね」
「まあ、昔はね…」
「でも、守矢氏は諏訪大社ナンバー2として生き残ったんです。子孫は現在まで続いています」
「ほう。建御名方命は寛大なんだな」
「強権で支配せず融和政策を採って守矢氏を厚遇した…。一般にはそう解釈されていますが…」
「含み笑いをしたところを見ると、何か言いたいんじゃないの?」
「ま、それは後のお楽しみにしましょう」
次回からは二人が境内に足を踏み入れて、実際に目にしたもの、感じたことを語り始めます。
できるだけ写真も増やして、二人と一緒に本宮を巡っているような構成にするつもりです。
それでは次回、第2回「境内へ」に続きます。
-------------- Ichiro Futatsugi.■