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1976年(昭和51年)サンデー毎日5月2日号表紙
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デビュー曲「あなたに夢中」17歳のスーちゃん
田中好子さんが4月21日に亡くなった。
キャンディーズ解散して2年後芸能界に復帰、女優として大成した田中好子さん。しかし、スーちゃんとして青春を駆け抜けたキャンディーズは30年余りたっても忘れることが出来ない。
私は中高校生時代をキャンディーズと過ごした。私と同世代から50代の人間は、熱狂的に支持したキャンディーズとの思い出を心にしまって、会社で家庭でもがきながら人生の後半戦を過ごしている。
そんなキャンディーズのスーちゃんが死んでしまった。まだ55歳と惜しまれているが、正直、「そうか55歳になっていたのか」という思いがある。
キャンディーズは、森昌子、桜田淳子、山口百恵の中3トリオ、そして南沙織、麻丘めぐみ、浅田美代子とほぼ同期。少し先輩に天地真理や小柳ルミ子。少し下に岩崎宏美、ピンクレディーと活躍時期が重なる。
アイドルとしてのカリスマ性は中3トリオの方があったし、レコード売り上げは子供、女性に圧倒的に支持されたピンクレディーには遠く及ばない。
では、キャンディーズは何だったのか。
それは「記録より記憶に残るアイドル」
「年下の男の子」、「春一番」、「ハートのエースが出てこない」・・・全く古くさくない歌詞、メロディー。今の子供たちにも親しまれる永遠のアイドルソング。
テレビでは、「8時だよ全員集合」、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のキャンディーズ。当時、色々アイドルが出演した番組があったが、今でも回想されるのはキャンディーズばかり。ドリフターズ、伊東四朗、小松政夫らに対して、真剣にお笑いに取り組んでいたアイドルはきっとキャンディーズだけだったのだと思う。
そして、当時のアイドルにとって、ファンとの一番身近な接点はラジオだった。はからずも昭和50年頃は空前のラジオブーム。私は中学時代、結構熱狂的なラジオリスナーだったが、キャンディーズは文化放送の吉田照美さん、日本短波放送の大橋照子さんという私も大ファンだった当時のトップDJと一緒にラジオを通じてファンとの交流を深めていった。
そして、キャンディーズは単なるテレビ、ラジオを通じてのアイドルではなく、ファンとの直接の触れ合いも大事にした。デビュー3年目には当時のアイドルとしては異例の全国50ヶ所のライブツアーを実施した。全国のコンサートについていく親衛隊「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」なる組織があったのは有名だ。その全キャン連主催の蔵前国技館コンサートは伝説と語り継がれている。
そして、キャンディーズは昭和52年7月の日比谷野外音楽堂のコンサートで自分達の意思で解散宣言、翌年4月4日の後楽園球場のさよならコンサートを最後に3人揃って同じ舞台に立つことはなかった。
キャンディーズの3人が、あの時代に、ひたむきに、何よりもファンを大切にし、自己主張もしっかりしたのは奇跡である。キャンディーズの後に出現した松田聖子、中森明菜、安室奈美恵、浜崎あゆみ・・・・。音楽性は彼女たちの方が高いかも知れないがキャンディーズとは明らかに違う。ファンに心から愛されたキャンディーズ。キャンディーズを愛した世代は30余年たっても忘れることは出来ない。
話は少しずれるが、キャンディーズを愛した世代が、原点に戻って、ファンとの絆を基本にアイドルを築こうとしているプロジェクトが、今の「AKB48」だ。AKB本人たちは知らなくてよいことだが、同世代の秋元康はじめプロデュース側は、時代を超えて、どこまでキャンディーズの精神に近づけるかチャレンジしているように見える。だから、娘世代の「AKB48」だが、楽曲といい、「会いに行けるアイドル」というコンセプトも共感する。彼女達がどう成長するのか関心がある。
田中好子さんの通夜は今日24日、告別式は明日25日。伊藤蘭さんだけでなく、芸能界から離れている藤村美樹さんも弔辞を読む。マスコミの前では、キャンディーズファイナル以来、33年ぶりの悲しい再会となる。
ありがとう田中好子さん。さようならキャンディーズ!
NHK BS わが愛しのキャンディーズ
※90分番組が20分割((1)~(20))してUPされています。
※全国キャンディーズ連盟主催の蔵前国技館コンサート(昭和51年)の映像(9)は特に必見。