とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2016 初夏の大杉谷ツアー:2日目

2016-05-24 23:08:32 | 山登り
6:00。桃の木山の家を出発し、七ツ釜滝まで歩く。落差120mで7段に分かれている見事な滝だ。日本の滝百選にも選ばれている名爆でもある。ただ、残念ながら展望台からは4段ほどしか見えない。




七ツ釜滝をバックに記念撮影する。


さらに上流に向かって上っていくと、七ッ釜滝の一番上に出る。まさに、1段目の起点になる場所だ。




岩の端っこに座るN山さんが危なっかしくて、思わずザックを掴むN部さん。


急峻な断崖の狭い道を更に進んでいく。


エメラルドグリーンの水中には、山女魚だろうか数多くの魚影が見えた。


7:40。凄まじい崩落現場が見えてきた。


この崩落現場は、2004年の水害によるもので、10年もの間、この区間は通行止めになっていたのだ。2014年4月、光滝付近の崩壊箇所の登山道が整備されて、大台ケ原から大杉谷が全線開通になったのである。とはいえ、崩落した岩石を取り除くことはできず、岩の間の隙間を整備して人間が歩けるようにしたようだ。




崩落現場を通り抜けると光滝が見えてきた。落差40mあり、これまで見てきたいくつかの滝と比べても見劣りする事はない。




吊り橋を渡る我々の影が、河原に映っている。


電力関係の水門のような施設が見えてきた。


8:50。最終目的地の堂倉滝(落差18m)に到着する。




堂倉滝の落差は、それほどないものの水量が多く、水滴が広範囲に広がっていて、白っぽいモヤがかかったように見える。マイナスイオンで満ち溢れている。


堂倉滝でマイナスイオンを充分浴びた後、もと来た道を戻る。


吊り橋も渡る。


11:10。桃の木山の家に戻り、スタッフに写真を撮ってもらう。堂倉滝往復は、軽いサブザックで歩いてきたが、ここからは再び重いザックを担いで行かなければならない。


シシ渕で昼食休憩をする。12:55。ザックを担ぎ直し出発する。シシ渕とニコニコ滝もこれで見納めだ。




13:35。千尋滝に到着する。1日目に見たときよりも、水の色が光り輝いているように見えた。


15:30。無事、登山口に到着する。


登山口からしばらく歩くと、すぐ近くに止めてあった車のタイヤがパンクしていた。近くの公衆電話から電話していた人がいたので、話を聞いてみると車の持ち主で、タイヤが二つもパンクしていたという。二つもパンクしているのは、事故というよりも事件っぽい。心無い人にいたずらされたようだ。我々の車もひょっとしたら被害に遭っているのではと、恐る恐る車に戻ってみると、4つのタイヤは全て無事だった。山奥に車を止めると、このような被害にあうこともゼロではない。全員無事で何事もなく下山できたことが、一番ありがたく思えた。

参考1:2日目のコースマップ(YAMAPで記録)


参考2:2日目の高低図(YAMAPで記録)
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2016初夏の大杉谷ツアー:1日目

2016-05-23 22:31:43 | 山登り
5月21・22日の土日にわたって近畿の秘境“大杉谷”に行ってきた。大杉谷は、黒部峡谷、清津渓谷とともに日本三大渓谷、日本の秘境百選の一つにもあげられている。手付かずの原生林と渓谷の中を歩き、7つの滝と10の吊橋を巡る渓谷歩きの山旅だ。3年前、紅葉の時期に歩いて以来、2回目となる。

前日の金曜日の夜に自宅を出て、道の駅「奥伊勢おおだい」で車中泊後、滋賀のメンバーと合流し、大杉谷への登山口となる宮川第三発電所に車で向かう。9:15。登山口手前のトイレがある駐車場に車を止める。


宮川第三発電所の裏側に登山口のゲートがある。


9:25。ここから、大杉谷に向けて出発だ。


登山者カウンターがあるゲートを抜けると、いきなり岩盤をくり抜いた水平歩道になる。幅1m弱の歩道で、左側は切り立った岩壁だ。


鎖をしっかり握って進む。


岩壁の下には、エメラルドグリーン色に輝く宮川の清流がゆっくり流れている。


アップダウンを何度も繰り返し、鎖に捕まりながら道を進む。


9:55。最初の吊り橋に着いた。


以後、このような吊り橋を幾度も渡ることになる。


10:30。河原に降りると、水の透明度がよくわかる。


河原で少し休憩。


ここの吊り橋は、鉄骨で支えられているのでほとんど揺れない。


11:30。歩道を歩いているメンバーの足が止まり、何かを見ている。


視界の先に見えていたのは、落差約180mの千尋(せんぴろ)滝だ。大杉谷中最大の落差を誇り、頭上から降るようなシチュエーションの滝だ。






千尋滝前には、立派な東屋があり滝見をしながら休憩できる。


横に倒れた木が、岩を抱えて再び上に伸びている。植物の逞しい生命力に感動だ。


岩を削ってできた階段の道もある。


湧水が滴り落ちる岩のトンネルを通り抜ける。


12:50。1日目のハイライトとなるシシ渕に到着する。渓谷の奥には、ニコニコ滝が見え、格好のビューポイントである。渕の水が美しく、静謐で神秘的なムードが漂い、いつまでも離れがたい場所だ。水が豊富に汲め、昼食休憩とする。


ゆっくり滝を見ながら物思いにふける。


13:35。シシ渕を出て先に進むと、すぐ横にも大きな滝がある。木陰から差し込む光の筋が滝の水に映し出されている。




13:55。シシ渕から見えたニコニコ滝が間近になった。落差50mで2段に分かれている。


平等吊り橋が見えてきた。大杉谷の中では最も長い82mもある吊り橋だ。


吊り橋には、巨大な平等瑤隆篳匹すぐ近くに迫り迫力満点だ。谷から垂直に上がる岩壁で,見ているだけで首が痛くなる。


名前はわからないが、この岩壁も大きい。


14:40。大杉谷の看板前で記念撮影。


15:00。吊り橋を渡ると、この日の宿となる桃の木山の家だ。


桃の木山の家は、大きな山小屋で最大500人もの収容能力があるという。この日は、170人ほどが泊まるらしく、大賑わいだった。小さいながらもお風呂もあり、早めに到着したおかげですぐに入ることができた。部屋も我々パーティだけの貸切となった。翌日は、さらに奥の堂倉滝まで行く予定だ。

参考1:1日目のコースマップ(YAMAPで記録)


参考2:1日目の高低図(YAMAPで記録)


「2016 初夏の大杉谷ツアー:2日目」に続く。
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2016比叡山:後半

2016-05-09 18:48:58 | 山登り
玉体杉から緩やかに下っていくと、再び奥比叡ドライブウェイの下を通り抜ける。


しばらくは、ほとんど水平な杉木立の道を進む。




13:15。横川中堂に到着する。ここは、広い延暦寺の境内の中で最も北の位置に在るエリアだ。横川は“よかわ”と読むらしい。拝観料を払って奥まで行くとさらに時間がかかりそうなので、入口だけ見て、すぐ脇にある登山道を登っていく。


きつい階段をしばらく登ったあと、一気に下っていく。


またもや車道下のトンネルを潜る。


14:00。府県境の仰木峠に到着する。


仰木峠から少し東側の尾根道に進んでみると、展望が開け琵琶湖がうっすらと見えた。


展望後、仰木峠まで戻り大原に向けて歩き出す。豪雨のツメ跡を残す岩がゴロゴロした道となり、沢筋に沿って歩いていく。木々の葉に覆われて薄暗く、道筋はコケで覆われている。




シカ避けの柵を通り抜ける。


いきなり視界が開け、田園と民家が現れる。大原の里である。


15:00。三千院門跡に到着する。


参道を数分歩くと、現在の三千院の門に出た。


正面の門をくぐって受け付けを済まし、靴をビニール袋に入れて中に入ると、目の前に見えてくるのが聚碧園と呼ばれる庭園だ。作家の井上靖が“東洋の宝石箱”と賞賛したほど見事な庭園で、清流が流れ、心地よいせせらぎの音が響きわたっている。客殿の縁側に座り、美しい静かな庭園を見ていると、時間を忘れて飽きることもなく眺め続けてしまいそうだ。




赤絨毯の上に座ると、心が落ち着きそうである。


こちらは、有清園と呼ばれる庭園。苔生した庭園が広がり杉や檜などの並木が建ち並ぶ。




池には、鯉が優雅に泳いている。


秘仏・金色不動明王が祭られている金色不動堂。


金色不動堂前の休憩所で、金粉入りの梅昆布茶を振舞われる。


再び有清園の中を通り抜ける。とにかく、このコケは見事だ。


15:45。大原三千院を出たところで記念撮影。みんな、三千を表すポーズをとっている。


その後、大原のバス停から京都バスで出町柳駅にもどる。大原からのバスの便数は多く、さすが観光地らしく交通の便はいい。鴨川を渡ると、飛び石周辺で遊んでいる人が見えた。亀や鳥の形をした石が並んでいて、テレビなどでもよく見たことがある場所だ。


駐車場近くの「出町ふたば」の豆餅を行列に並んで買った後、帰路に着いた。帰りのSAでも、みんな京都土産を買いこんでいた。今回は、比叡山と大原三千院という目玉があり、山登りと観光を兼ねた欲張りなコースであった。

参考1:今回のコースマップ(YAMAPで記録)


参考2:今回の高低図(YAMAPで記録)
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2016比叡山:前半

2016-05-08 21:06:29 | 山登り
GWの後半は、世界文化遺産登録の比叡山に登り京都大原三千院までのハイキングを楽しんできた。参加者は、現地集合の3人を入れて全部で12人となり、賑やかなパーティになった。

6日の夜高速を走り草津PAで仮眠後、京都の出町柳駅前の公共駐車場に車を止め、鴨川の橋を渡る。


叡山電車で出町柳駅から終点の八瀬比叡山口駅まで行く。鮮やかな青竹色のレトロな駅舎だ。


八瀬比叡山口駅前のお店には、こんな面白いアルバイト募集の張り紙があった。
「座っているだけ、80才以上、元気のない方、昼寝付、1000円以上」
いったいどんな仕事をするのだろうか?


高野川に架かる木橋を渡る。


9:00。始発の叡山ケーブルに乗る。


叡山ケーブルは、高低差561mを9分ほどで一気に登っていく。これだけの高低差は日本一だという。


9:15。ケーブル比叡駅から、いよいよ歩き出す。


スキー場の跡地を過ぎると、前方に鮮やかなツツジの群落が目に入ってきた。


赤やピンクのツツジの群落が斜面一面に広がり、みんな大いに感動する。


京都トレイルの標識のあるところから、比叡山の最高峰“大比叡”を目指す。


10:00。分岐から20分ほどで、大比叡848mの山頂に到着する。


大比叡から下っていくと、延暦寺の境内になった。


まず最初に見えた朱色の建物は、阿弥陀堂だ。


阿弥陀堂を拝観してから、広い境内を進む。


広い石段を下る。大きなモミジの木の葉が鮮やかな緑色で目に眩しい。今にも、頭の上に覆いかぶさってくるようだ。


“平和の鐘”の周りには、大勢の観光客が集まっていた。


平和の鐘からさらに石段を下っていくと、見慣れない屋根の建物が見えてきた。


この建物こそ、延暦寺の総本堂となる根本中堂である。延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院が元であるが、その後何回も災害に遭い、現在の姿は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものだという。本尊は、薬師如来で、その前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」が安置されている。建物は国宝に指定されているそうだ。


中は撮影禁止なので、入口前で集合写真を撮る。


根本中堂から、長い階段を下っていく。


にない堂の石庭。


釈迦堂の脇を通り過ぎる。


奥比叡ドライブウェイの下にあるトンネルを通り抜ける。


モミの木に囲まれた静かな道を上ったり下ったりしながら進むと、“玉体杉”に着いた。ここで、回峰行者が京都御所に向かって、玉体加持(天皇のご安泰をお祈りする)を行うのだという。


開けた先には、京都の街並みが見える。


12時を少し過ぎていたので、玉体杉の周りでお昼にする。30分ほどの昼食休憩の後、玉体杉をバックに記念撮影する。まだ、今回の山行の半分くらいしか来ていない。


「2016比叡山:後半」に続く。
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GW前半は、引越しで終わる

2016-05-02 21:39:37 | 呟き
東京に住んでいた娘が、仕事の関係で引越しをすることになった。
4月いっぱいで、東京の家を出なければいけないという事で、4月末に東京まで出かけた。
家に着いてみると、ダンボールがあるものの、ほとんど中身は埋まっていない。
翌日の夕方頃、引越業者が荷物を取りに来るというので、頑張って箱詰めを手伝う。
神戸にいる娘の夫も手伝いに来たので、思ったより早く片付き、何とか業者が来るまでに荷造りが終わり引取りが完了した。
そして、そのまま私の車で娘夫婦&猫2匹と一緒に浜松に帰ったのは、深夜だった。

1日おいて、早朝から神戸に向けて出発する。
神戸には、11時過ぎには到着し、引越業者の到着を待った。
12時過ぎには、業者が到着し荷物の搬入が始まる。
ダンボールの山で部屋がいっぱいになった時はどうなることかと思ったが、
妻も一緒に行ったので、まるまる1日を費やしたおかげで、部屋も片付き、住める状態になった。
神戸の家は、広くて夫婦で住むには十分な広さだ。
神戸マラニックで走ったコースにも近く、住みやすそうないい場所である。
一晩泊まって、今日の午後神戸から帰ってきた。

例年GWは、マラニックで長期間出かけてばかりいたが、今年は引越しで半分終わってしまった。
日常と違う事を何日もしていたせいか、何だかちょっと疲れた気分だ。
しかし、ひと仕事をやり終えてホッとした気分でもある。
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田中陽希さん講演会in浜松

2016-04-30 22:05:52 | いろいろ
今日は、グレートトラバース2でお馴染みの田中陽希さんの講演会だった。1昨年、日本百名山人力一筆書き踏破を成し遂げ、昨年は日本二百名山人力一筆書き踏破を成し遂げたプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、今までの山旅を350人の聴衆を前にして裏話満載の興味深い話を語ってくれた。早いうちに、講演会があることの情報を知り、ラン友、山友に情報を流したところ、会場に着いたら、見慣れたメンバーが大勢来ていてビックリだった。みんな、こんな偉大な挑戦者の話は、またとない機会とばかりに参加してくれたのだと思う。

講演会場の前のテーブルには、陽希さんが山旅の途中で使ったグッズがずらりと並べられていた。テレビでよく写っていたあのオレンジ色のヘルメットもあった。持ってみると、ものすごく軽いのに丈夫そうな硬さがあり、かなり優れもののヘルメットだった。やはり、プロは、軽くて丈夫というのに、相当こだわっているというのがよくわかった。


その他、シュラフ、手袋、地図、ストック、非常食、帽子等山好きには気になるグッズが、溢れんばかりに並べられていた。地図には、陽希さんが記入したコースタイムやメモが几帳面に書かれていた。計画は緻密で慎重に練っていたというのがよくわかる。誰もが簡単に成し得ないことをやるという事だから、多くの人からの期待がかかっている。それ故に、決して失敗はできないという重圧もあったはずである。それだけに事前の準備を万全にしていた事は、見習わなければいけない。


そして、足元にはおびただしい数の登山靴が置かれていた。8000キロを踏破するということは、一体どれほどの靴を消費したのだろうか?


グッズ類をひととおり見終わる頃、講演会が始まった。陽希さんが後ろの入口から入ってくると、周りのファンから握手を求められてしまい1列で終わることなく他の席も回りだし、熱心にファンサービスを行っていたのが印象的だった。人気に奢ることなくファンを大切にしている人柄がよく滲み出ていた。

さて、講演会の内容といえば、二百名山を踏破した時のいろんな裏話があった。今回のグレートトバラース2では、全行程222日で8000キロを歩いたという。1日平均40〜50キロを歩いた計算になる。しかも、その40〜50キロというのも平地だけではなく山の中の距離が入っている。山の中を10キロ歩くだけでもとんでもない距離に思えるから、その凄さは、前人未到の距離と言わざるを得ない。

北海道では、ヒグマの恐怖に怯えながら大声を上げて林道を歩いたり、獣臭を間近に感じたり、ヒグマの糞を見つけたりと、北海道の奥深さを感じたという。幸い、ヒグマに遭遇することはなかったというが、撮影スタッフは、ヒグマを見ていたというから決して出会わないということはないのだ。北海道の山に行くときは、ヒグマとの接近遭遇を十分考慮しておく必要性を改めて感じた。

さて、陽希さんの山旅は、基本的には一人旅というスタイルだ。撮影スタッフが常時付いているのかと思っていたが、長い林道歩きやロードの場合は、スタッフは先に車で移動し、次に登る山の映像を先に撮っていたという。撮影スタッフは黒子に徹し直接の触れ合いは、あえてしなかったというから一人旅のスタイルは徹底していたらしい。孤独を感じる時もかなりあったというが、見た事のない大自然を満喫したり、綺麗な高山植物に癒されたり、里に下りて人の痕跡を見つけたときは嬉しさを感じたという。この辺りは、私も一人で山旅に出かけたときは、まさしく意を得たりという思いがある。陽希さんほどの人でも、自分と同じような思いで山に登っていたのだとわかると何だか嬉しい。

またテレビでも見て知っていたが、旅の間にいろんな場所で、楽しく食事をしていた話もあった。カツ丼が好きで、百名山の時に立ち寄ったお店に二百名山の時も再び寄って食べていったら、その店でヨーキさんの食べたカツ丼を注文する客が激増していたとか。また、マグロ丼を注文したら、山盛りいっぱいのマグロにさすがの陽希さんも、追加サービス分がでたらはげんなりして食べられなかったとか。そして、意外にもスイカアレルギーだとかでたくさん食べると、口の中が痒くなるそうだ。何とも可哀想な…。

テレビやネットなどで大々的に報道され、タレント並みに有名になっていくことで、大勢の人から見られる視線や声に戸惑う話は、特に頷ける話だった。最初は、応援してくれる人たちがいることで力を得ていたが、疲れている時でも多くの人たちの声に応えなければいけないと無理していた時の映像もよく知っている。一日に何十人、何百人の人と接していたら、本来のスケジュールに影響が及ぼすことは必至だ。荷物になる差し入れ、サイン、記念撮影の要請も断りたくなる気持ちもよくわかる。それでも、長い旅の間に、そんな応援者との距離感を克服し、人との出会いを大切にしていこうという気持ちを大事にしていこうというふうに思う様になっていったというのが、凄い。あの若さで、そこまでの意識改革ができたというのが、なかなか我々には真似できないことである。普通の人では体験できない事をわずか数年でやり遂げてしまったからこそ達観できる境地なのだろう。

今年の元旦、九州の佐田岬に夕日を見ながらゴールしたあと、もう歩かなくていい。車に乗って何時間もかけて歩いてきた道を短時間で移動できるという喜びに包まれたという。やっぱり彼も、人の子だったのだとちょっぴり安心した。そして、その後当分休みたいと思ったそうだが、旅の事を書物にまとめていくうちに、まだまだ歩き足りないといいう気持ちが湧いてきているそうだ。日本の自然は美しい。季節が違えば、同じ場所でも違う風景が見られる。山だけではなく、川や湖、海もある。この次も、三百名山になるのか、はたまた別の企画を考えているのか、詳しいことは語らなかったが、何かをやろうとしていることは間違いないようだ。これからも、田中陽希さんが何をやるのか楽しみになってきた。何をやるにしろ、我々に夢と希望を与え、日本の自然の美しさを伝えようとしてくれる彼の活動には目が離せない。


講演会は1時間ほどで終了し、数人からの質疑応答の後、参加者を交えての集合写真の撮影があった。3回に分け、陽希さんを中央にしてみんなで記念写真を撮る。

(公式FBより)

その後、出口では一人ひとりと握手をしてくれるなど、ファンサービスもまめにこなすタフガイであり、人懐こく気さくな人柄がよくわかった。トータルで2時間ほどの講演会であったが、全く飽きることがなく、あっという間に終わってしまった。もっともっといろんな話を聞きたかったと心から思った。

講演会の後、仲間たちと昼食をした後別れたが、帰りに乗った電車を見てビックリした。地元のローカル線「遠州鉄道」は通称“赤電”と呼ばれているが、そのとき乗った車両は、全体が青くまさに“青電”だった。最近、この“青電”が1日に数回走っているらしい。初めて見たが、今日はなんだかいい日になったようだ。


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『沈まぬ太陽』山崎豊子/著

2016-04-28 19:00:39 | 読書
沈まぬ太陽 文庫 全5巻 完結セット (新潮文庫)
クリエーター情報なし
メーカー情報なし


山崎豊子といえば、『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』『沈まぬ太陽』等、実在する事件や社会問題、権力の暗部などを扱った作品が多く、代表作のほとんどが映画化やドラマ化されている大ベストセラー作家だ。作品の名前を聞けば、ほとんどの人が聞いたことがあるはずで、作品を読んでいる人も多いだろう。

今まで、このような大ベストセラー作品は、あえて読んでこなかった私だが、『沈まぬ太陽』が、来月からWOWOWで開局25周年記念として全20話で放送されることになったと知って驚いた。この作品は、日本企業の労使問題や日航機墜落事故を一つのモデルとして描かれたもので、作品発表当時は日本航空の反発が大きく、2009年に映画化されたものの完成させるまでは、大変な苦労があったらしい。ましてや、テレビドラマ化なんてスポンサーのシガラミがある民放では、まず映像化不可能だとさえ言われていたという。それが、全20話という長さで、完全ドラマ化されるというのは凄い。こういった社会派ドラマを積極的に制作しているWOWOWのドラマは、良質な作品が多いのも事実だ。

まだ、ドラマの放送は先だが、やはり原作を改めて読んでみたいと思い、第1部の「アフリカ編」から読み始めている。なぜ最初が、アフリカというと、主人公の恩地元が、アフリカに左遷され象狩りをしているところから始まるからだ。国民航空ナイロビ営業所に勤務する恩地は、なぜアフリカにいるようになったかが、回想形式で描かれる。恩地は、国民航空の労働組合委員長として友人の副委員長の行天四郎とともに、死亡事故が起きるほど劣悪な労働環境の改善を目指し経営陣と激しく対立する。その結果、組合委員長に任期を終えたあと、「現在の流刑」にも等しい左遷人事に晒されカラチ、テヘラン、そしてナイロビへと海外の僻地に足掛け8年に亘る海外赴任が続いている。その間、母親と死別、家族と別れる等、不遇なサラリーマン生活が続くが、友人の行天四郎は、価値観の違いから恩地と袂を分ち出世街道を進んでいく。信念を曲げずに生きていくことが、いかに大変なことかという事を思い知らされる内容だ。

第2部「御巣鷹山篇」では、国民航空機が起こした「国航ジャンボ機墜落事故」の遺族対応係として家族を事故によって失った人々へ誠実に対応する恩地の姿と遺族の悲しみが描かれ、第3部「会長室篇」では、国民航空の再生措置として関西の紡績会社会長、国見正之が会長に据えられる。国見会長は誠実に仕事をこなしてきた恩地を会長室の部長に抜擢する。恩地は会社の上層部と戦い、社内の腐敗体質の様子が描かれていくという。

全て読み終わったわけではないが、サラリーマンにとっては、非情でやりきれない内容が続くようだ。決してハッピーエンドでは終わるような話ではないだろうが、現代の私たちに「働くこと」「生きること」の意義を問いかけるものになるに違いない。WOWOWでは、恩地元を上川隆也、行天四郎を渡部篤郎が演じ、その他豪華キャストが出演する。一通り原作を読み終えた上で、ドラマを楽しんでみたいと思っている。
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2016奥熊野いだ天ウルトラマラソン

2016-04-27 22:06:52 | マラソン
24日の午前3時50分、ホテル浦島にジャンボタクシーが迎えに来てくれた。ホテル浦島に泊まったランナーをスタート地点まで送ってくれるサービスだ。玄関前まで来てくれるので非常にありがたい。

タクシーは、我々を熊野那智大社前まで送ってくれた。駐車場で手荷物を大会のトラックに預け、那智の滝まで歩いて移動する。真っ暗な参道を降りていくと、目の前にライトアップされた那智の滝が見えてきた。那智の滝は、日本一の水量と落差を誇る和歌山の世界遺産だ。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。その大きさと美しさは一見の価値がある。集まっているランナーたちも、その豪快な滝の流れに息を飲んでいた。


やはり、滝をバックに記念写真を撮る。


大会事務局から送られてきた護摩木に、各自祈願したい事を書いてきていたので、護摩壇の中に投げ入れる。何を祈願したかというと、もちろん完走である。


那智の滝は、単なる滝ではなく、飛瀧神社のご神体として崇められる対象となっていて、この先には入ることができない。


茶娘の二人も合流し、もう一度スタート前の記念写真だ。


午前5時、滝を背にして100キロの長い旅が始まった。これから約7キロ上り坂が続く。


20分もすると明るくなり、白い霧のかかる山道をぐんぐん登っていく。


5:30。那智山見晴台に到着する。天気が良ければ、熊野灘などが展望できるらしいが、辺りは真っ白で全く景色は見えない。


頂上を越え下り道に差し掛かる頃、雲が切れ山並みがよく見えるようになってきた。


山の中を、何度も上り下りしているうちに青空も出てきた。美しい棚田の間を通り抜けていく。




何回目の坂か忘れてしまったが、長島スパーランドや富士急ハイランドのジェットコースターに例えられた坂道を登る。あまりにもきつい傾斜に脹脛が悲鳴を上げそうだ。


その後も、厳しいコースが続き、写真を撮る気力もなくなっていた。とにかく前に前にと進むことだけ考えてゴールを目指した。84キロあたりからの最後の7キロの上りが特に応えた。1キロ1キロが長くて遠い。やっと頂上を越えたときは、本当にホッとする。しかし、その後の下りも早くは走れない。それでも、ゆっくりでもとにかく走ることに専念して前に進んだ。ゴールの補陀洛山寺が見えた時は、本当に嬉しかった。応援の人たちの声援も暖かく、久々に100キロのゴールに目頭がジーンと熱くなっていた。平安衣装に扮した女性の持つテープを切って13時間47分でゴールする。


この1年、関門に引っかかることばかりで100キロを完走したことがなかったので、久しぶりに制限時間内で完走できたことは、本当に嬉しい。今年になって、いろいろトレーニングを積み重ねてきた成果があがったものだと思いたい。


しかし、今回のコースは噂にたがわずきついコースだった。大会の翌日、翌々日とも筋肉痛で、動き回るのもやっとな状況でいた。三日目を過ぎ、何とか普通の状態に戻ってきたところだ。

参考1.今回のコースマップ(SUUNTOで記録:バッテリー切れのため96キロ辺りまで)


参考2.今回の高低図(SUUNTOで記録:バッテリー切れのため96キロ辺りまで)
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三重県 鬼ヶ城&花の窟神社

2016-04-26 22:52:42 | 観光
23〜25日まで、奥熊野いだ天ウルトラマラソンに参加するため出かけていたので、ブログはしばらくお休みしていた。マラソンは和歌山県で行われたのだが、初日は通り道にある三重県の観光地に寄り道していく。

昔は、和歌山県というと高速が繋がっていなくて車で行くには不便な地域というイメージがあったが、今は、紀勢自動車道、熊野・尾鷲自動車道ができ、完全に繋がっていないものの道は広くて走りやすく、車で行くのも楽になった。熊野・尾鷲自動車道の熊野大泊ICを出るとすぐに鬼ヶ城(おにがじょう)という景勝地がある。

鬼ヶ城は、2004年7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録され、熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2km続く凝灰岩の大岸壁である。鬼ヶ城センターに車を止め、鬼ヶ城の遊歩道入口に入っていく。


遊歩道に入るとすぐに「マブリカ」という説明看板が有り、トトロみたいな彫刻の説明だと思ったが、よく見ると先に見える小さい島“魔見ヶ島”の事だった。一体このトトロは何だったのだろう。


この先がいよいよ鬼ヶ城だ。


岩の先が割れ、まるで大きな魚が口を開けているかのように見える。今にも、魚に喰らわれそうだ。


急激な地盤の隆起のあとが見られる海岸線の遊歩道を進む。


岩穴を通り抜ける。


中に入ると、天井部分には蜂の巣状の風蝕跡が見られ床面は板のように平らかな棚となっている。ここは千畳敷と呼ばれ鬼ヶ城のいちばんの見所である。


下の方には、数段に分かれた岩盤が見える。大昔の大地震ごとに隆起したものだという。


千畳敷は、こんな大岩を持ち上げる男がいた。


千畳敷の先は、猿戻りと言われる場所だ。猿も怖がって戻ってしまうような場所で付いた名前らしい。できれば、その先も行ってみたかったが、平成27年7月17日に通過した台風11号の被害により千畳敷以降の遊歩道は通行止めとなっている。


猿戻りから千畳敷を眺めてみる。これだけでも驚嘆すべき自然の造形美だ。


大岩に登って、その険しさを象徴するかのような自然の造形を味わう。


鬼ヶ城からしばらく南下すると、「花の窟神社」がある。花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵だと言われている。ここも「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されている場所で、日本書紀にも記されている日本最古の神社ともいわれている。


岩窟の上には、日本一長いともいわれている約170mの大綱が御神体から境内南隅の松の御神木まで渡されている。


熊野市は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に、花の窟神社を組み込んで「熊野四山」とすることを提案しているというが、果たしてどうなるのであろうか?いずれにせよ、熊野詣でに興味があるなら、花の窟神社を外すことはできない。


2箇所観光してから、この日の宿である那智勝浦の「ホテル浦島」に到着する。帰るのを忘れさせてくれるという“忘帰洞”等5種類のお風呂を楽しめる巨大ホテルだ。まずは、高低差77m、全長154m、傾斜角度が30度ある「スペースウォーカー」という本館と山上館をつなぐ長~いエスカレーターに乗って、「遙峰の湯」に入りに行く。


その後も、一番有名な洞窟風呂“忘帰洞”などにも入浴し、温泉三昧する。お腹もすいたころ夕食となり、マグロ解体ショーを見ながらバイキングを楽しんだ。




翌日は、本来の目的である「奥熊野いだ天ウルトラマラソン」への参加だ。スタート時間が早いので早々に寝床に入った。

「2016奥熊野いだ天ウルトラマラソン」に続く。
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ナンバープレートの秘密

2016-04-22 21:08:16 | 
今月のJAFMateには、ナンバープレートに纏わる蘊蓄がいろいろ載っていた。今更、読んでも代わり映えしないことしか書いてないと思っていたが、意外と知らない事が数多く載っていたので、一通りまとめてみた。

まず、自動車の種別による分類番号は、今更教わるまでもなくよく知っている内容だ。仕事で交通量の調査などをやった時にも、車種分類をやっているのでこの辺りは、問題ない。一応、挙げておくと、
1.大型トラック
2.バス
3、5,7.乗用車
4,6.小型トラック
8.特殊自動車
9.大型特殊自動車
0.大型特殊自動車のうち建設機械
である。

また、プレートの色が、白は自家用の乗用車、黄は自家用の軽自動車、緑は営業用、黒は軽自動車の営業用となり、この辺りもだいたい知っていることである。

次に、ひらがなの付け方であるが、これは、よく知らなかった。自家用の場合、普通車と軽自動車で使い分けられているようだ。特に「あいうえ、かきくけこ、よ、を」については、軽自動車のみで、普通車には使わないことになっているという。したがって普通車には、このふりがなは付いていないはずだ。また、レンタカーには“わ”が付いているのは常識だったが、“れ”もあるらしい。何でも、レンタカーが多い沖縄では、“れ”が使われているとか。

ただし、ひらがなも全て使われているわけでもなく、“お”、“し”、“へ”、“ん”は使われていない。理由は、以下のとおり。
“お” “あ”と形が似ていて、視覚的に誤認される恐れがある。
“し” 縁起が悪い文字を連想させる。
“へ” 『おなら』を連想してしまうことを考慮。
“ん” 発音しづらい。

さて、ナンバープレートの数字にも欠番がある。末尾2桁が“49”と“42”である。やはり、語呂が悪いということから使われない。しかし、「希望ナンバー制」に基づいて所有者が申請したものであれば“49”も“42”もその限りではないらしい。でも、わざわざそんな番号付ける人いるのかな?

希望ナンバーのランキング上位は、一桁だと、やはり“1”、“3”、“5”、“8”が多く、4桁だと“2525”、“1122”、“8888”等が多いという。みんな考えることは似ているようだ。その他、個性的なオリジナルナンバーの例が一杯載っており、今後自分の車に希望ナンバーを付ける場合には、参考になりそうなものがいくつもあった。
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