Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

土合駅

2011-02-28 15:58:43 | 甲信越


「日本一のモグラ駅」として有名な土合駅は、鉄道のことを少しかじったことがある人と登山好きには良く知れた珍駅。
2009年3月、中学3年生の春。初めての青春18きっぷで憧れの土合駅を訪れました。





上野駅から高崎線で1時間半強、終点の高崎駅でその先の上越線水上行きに乗り換えて1時間。
晴天の関東平野も上越の境が近くなると雨雲に変わります。







水上駅に着く頃に雨は雪に変わります。
この駅で、先の上越線長岡行に乗り換え。

列車は揺れながら水上駅出発すると、上越の国境越えの区間です。
長らくの間ループ線を走る単線区間でしたが、昭和42年に下り列車専用の新清水トンネルが完成しました。
新清水トンネルは全長13500mの長大トンネルで、峠を越えることなく上越を結びます。

トンネルに入るとすぐに湯檜曽駅に到着。
この駅もホームは上下線で離れおり、下り線のみトンネル内にホームがあります。
トンネルに入ってすぐのため、トンネル出口から外光が射しこんでおり、そこまでの閉塞感はありません。

湯檜曽駅を出発すると、いよいよ新清水トンネルを進んでいきます。
窓ガラスの揺れる音が響く車内に、心もとないアナウンスが流れて減速すると、トンネルがさらに大きな空洞になって、右手にホームが現れます。





土合駅に到着。
まだ寒いこのシーズンに、私の他数人が下車。
何処へ向かうのか、さっそく出口へ向かっていきます。

すぐに電車は、トンネルに消えて、轟音も遠ざかると何もない駅は少し寂しいものです。





ホームは近年線路側に移設されたようで、壁面に沿って昔のホームが残っています。
あとは簡単な待合室があるのみ。

新しいホームの下には待避線の跡があり、以前は通過待ちなどを行っていたようです。





ホーム中ほどに地上へ続く通路が設けられており、かまぼこ上の通路が遠く地上まで続いています。
谷川岳の最寄駅のため、夏期には登山客の利用が多いと考えられますが、もはや地上に着くまでも登山です。
登山好きには前座的な役割なのかもしれません。





このホームは、地上にある上り線ホームから高低差70mほど離れた地下深くにあります。
地上に出るまでに462段の階段を登らなければならず、日本一のモグラ駅とも呼ばれています。

なぜこんな地底に駅があるのでしょうか。

山地を長大トンネルで抜ける新ルートでは地中深くを走行するため、地上に出ることはできません。
しかし上越線の峠越え区間に以前からある土合駅を下り線のみ廃止することはできず、無理やりトンネル内に造られることになりました。






もちろんエレベーターなど便利なものはあるはずもなく、長い長い階段を登るほかに地上に出ることはできません。

階段の横にある余剰スペースはエスカレーター設置のためとも言われているが、果たされぬままです。


階段は数段ずつに踊り場がありベンチで休憩しながら上ることもできます。
ちなみに階段左端には時たま段数が書いてあるので参考になります。

単調な中にもすこしだけアクセントがあって観光気分も味わう事ができます。


 



階段が終わり、地上まで到達。
地上と言っても野外に出るわけではなく、かまぼこ型の通路がまだまだ続きます。





「ようこそ土合駅へ」と歓迎されるもまだまだ駅舎は遠いようです。
窓から外を覗くと、地上2階ほどの高さになっており、河川や自動車道路をの上を通っていることがわかります。

突き当りには風よけの屏風のようなものが設けられています。
地下ホームに列車が入線するとその風が地上まで来るのでしょうか。





次はコンクリートの暗い通路。

小学校の頃、体育館に向かう通路がこんな雰囲気だったのを思い出します。
昼なお暗く、夜間は少し気味が悪そうです。




最後に少しだけ階段を登ると、到着を示す486段目の文字が現れます。
角を右に曲がれば、出口はすぐそこ。








無人駅のため、駅舎には閑散とした待合室があります。
往時には駅員が常駐していたのでしょうか、ずいぶん立派な駅舎です。

列車は上下線で各7本ずつしか来ないので、列車の到着しない時間に人の姿はありません。






駅舎は三角形が印象的な建築です。
山間部にあるこの駅は冬の激しい雪にも耐えています。

 

 



上り線は普通の地上ホーム。
雪に覆われて停車位置も釈然としません。

土合駅を出た上り線はすぐにトンネルに入り、トンネル内でループをして湯檜曽駅に到着します。





次の長岡行の到着時間が近づいたので
急いでまた先ほどの下り線ホームに向かいます。

貼ってある紙には道路の案内標識のように説明がされています。





誰もいないので462段を一気に駆け降りる・・!!
地底へと進む不思議な感覚が楽しいです。

自分の足音だけがトンネルに響きます。






外と比べて暖かい地下ホーム。
無音の地下で、次第に奥から列車の音が近づいて来のがわかります。





眩しいほどの光を放って列車が到着です。
この列車で越後湯沢方面へ向かいます。



二度あることは三度ある

2011-02-13 18:34:58 | とりっぷ!

嗚呼!
また行ってしまった。

寄生虫博物館・・・・

 

今度はD君、ON君と来館。






この瓶に入った寄生虫たちとはもう顔なじみ。

なんたってもう三度目の訪問。

だんだん寄生虫に詳しくなってしまっている。

この間は生アニサキスに自宅で遭遇してしまったし、
もう寄生虫は身近な存在だ。

しかし寄生されても困る。

詳しくなってもっと気を付けるようにしよう。


この話をまだ行ったことのない友人にしたら
「行ってみたい」
と言われてしまいました。

さて、どうなることやら/(^o^)\


松代象山地下壕

2011-02-11 18:51:22 | 甲信越



長野電鉄屋代線・松代駅から歩くこと20分。
右手に現れた象山という山の下にそれはあった。


地下壕と言っても何の地下壕なのか-

 


太平洋戦争末期
政府は東京の皇居・大本営・政府主要機関等を
移転する計画があった。

海から近い平野の東京は本土決戦があった時、
防衛には不利だからである。

その移転場所に選ばれたのがこの松代だった。

松代の地盤は固く、
本州の中央に位置するからだ。

極秘のうちに工事は始まった。

工事には地元住民や朝鮮人が強制的に動員された。

この松代の3つの山の下に地下壕が掘られたが、

終戦で工事が中断されるまでの
わずか9か月の間に全体の約7割が完成したのだという。

工事はダイナマイトで爆破し、破片をトロッコで運ぶという旧式の方法で行われていた。

むろん、事故・自殺・栄養失調などで
死傷者も多く出たと言われている。

そんな場所も戦後は歴史の闇に消えかけていたが
平成元年からこの松代象山地下壕が見学用に整備され
公開された。

見学路の約500mを歩くことができる。

 

入口にある看板。







ぽっかりと口を開けた地下壕・・・・・

ヘルメットを付けて入る。


地下壕の中は暗い、暖かい。
そして誰もいない。

冬休み期間とはいえ平日の昼間なので
あまり訪れる人も少ないのかもしれない。



 




壕内は碁盤の目のように掘られていて
見学路は2回曲がることになる。

通れない通路には柵がしてあり
明かりもないので何だか不気味。

思ったより高さも幅も広いので驚いた。




 


1つ目の角を曲がると急に道が狭くなり
先が見えなくなった。

落石の危険がある箇所は
補強してある。

 

 

すこし進むと広い場所に出た。

ずっと先に外の光が見える。
出ることはできないが、外と繋がった通路もあるらしい。


柵が立ちはだかったら
次は左に曲がる。



その先、
地下壕はどこまでも続いているようだった。

外の音は何も聞こえず
聞こえる音は
自分が地面を踏む音のみ。


地下壕の中には私一人。

前にも後ろにも誰もいない。






不思議な世界だ。

外からすべてが遮断された場所、異空間。


60数年前の現実を
簡単に受け入れることが難しかった。




見学路の最後にあったのは
沢山の千羽鶴。

寂しげな雰囲気でかかった千羽鶴の先には
地下壕が続いている・・・

私は一礼をして折り返した。


この地下壕はあの頃の人々が眠っているのだ。
静かに。

でも何かを伝えている。
この地下壕を通して。



深く考えさせれられる。




急に外の世界に帰りたくなって、
出口を目指す。


 

また2回曲がると外の光が見えた。

私はその光に包み込まれるようにこの地下壕を後にした。


でもこの光のある世界に帰ってこれなかった者たち
見ることが許されなかった者たちがいたこと
それはこれからも忘れてはいけない。



この地下壕・大本営建設についての当時の資料は
残ってないという。


そしてこの壕だけが残った。
だからこそこの地下壕はあの頃のことを語るものとして
これからもあり続けてほしいと思う。


新たなる始まり・・新春信州旅END

2011-02-08 20:49:25 | とらべる!


1月9日(日)

チェックアウト時間ぎりぎりに起き、出発し
松本駅から中央本線でゆっくりと帰った。


途中、山梨市あたりではまた
富士山が見えた。

帰りの富士は行きの富士より大きく感じた。

それから先、トンネルが続く。

トンネルが終わったかと思うともう高尾。
東京だった。

座りすぎと昨日のうちみで
尻が痛い・・・!!






あっという間の3泊4日
色々な体験ができた。

この旅から変わった事が一つある。


もっと普段では体験できないようなことをしたら
もっと自分が変わるんじゃないか。

もっとさまざまな場所の特色を知り感じる。
そういうことがこれからは自分に必要だということ。

それが自分のこれからに役立つような気がした。

だからこれからはただ旅するだけではなくもっと自分から
知りに行く・感じに行く
そんな旅にしたい。


そんなことで
この先の新たなる道を少し見つけられたこの旅は
自分の中でも重要なものとなった思う。



歴史散歩・・新春信州旅Ⅹ

2011-02-07 20:00:57 | とらべる!

松本城から少しまた歩いた。

目指すは旧開智学校なのだが、
持っていた地図が簡易的なものだったので大いに迷った。






迷った末につきあたった川は
なんと凍っていた。

川が凍っているなんて私の中の世界が少し変わった。


そして川沿いに進んで行ったら
旧開智学校が見え始めた。





旧開智学校跡に到着。

造りからして普通の学校ではないことはわかる。
擬洋風建築のこの建物は今、重要文化財に指定されている。


開智学校は明治が始まって間もないころ
つくられた小学校で、
高額な工事費は
7割住民が負担する形で完成した。


当時の人たちの勉学へ関心は大きかったのだろう。

昭和の中ごろまでは校舎として使用され
重要文化財に指定されてからは廃校となり、改修・移動し
今のような姿になっているらしい。


300円で中に入ることができた。





中に入るとそう違和感はない。
普通に今も学校として利用できそうな場所。






教室は資料室になっていて、
当時の貴重な写真などを見ることができ、
青い目の人形などもあった。


見学している人はお年をめした方が多く少し浮いたが、
わかりやすい展示でじっくりと、学ぶことができた。






また、松本は水の街。
ぶらぶらと歩いているとたくさんの井戸を見つける。

地元の人が水をわざわざ汲みに来ている姿があちこちで見受けられる。
そんなにいいものかと私も一口飲んでみると
湧水なのですこし温かく感じた。

本格的に湧水巡りをすれば丸1日かかってしまいそうだ。


歩いて歩いて、最後には松本駅に着いた。

遅めの昼飯を食べて、駅ビルMIDORIを散策して
時間が余ったので、青春18きっぷで駅に入り
適当にとまっていた中津川行きの電車に乗って寝た。


起きると塩尻を過ぎて山間部に突入してトンネル内だった。





ちょうど奈良井駅が近かったので下車。






ここ奈良井には江戸時代の宿場町。
木曽路・奈良井宿があったところで、今も残っている。


特に木曽路には宿場が残っているところが多く。
この先の福島・妻籠などは有名。

奈良井宿は木曽路の初めの宿場だ。






大きな道の両側に店が連なる。
さすが奈良井千軒と呼ばれていただけはある。





当時の面影を色濃く残している。

このような場所はこれからも大切に保存していただきたい!

日本の良さが次々となくなっている
今だからこそ・・






線路を渡って川沿いに来ると、
木曽の大橋
という実に興味深い橋があった。


山口の錦帯橋のような造りをした木造太鼓橋。





橋脚を持たないのもこの橋の特徴で、
この手の造りの橋では日本有数とのこと。





この複雑な造りをが何とも言えない。
ゾクゾクした興奮に似た気持ちになる。

どうやってできているのかとても気になる。





橋を渡ると道の駅がある。

道の駅といっても何もなかったのでまたこの橋を渡って帰ることに。





橋の中央にだけ雪が残っていたので
そこを歩いていると上りに滑りそうになって

下りでついに滑ってこけて階段を転げ落ちた。

犬の散歩をしていた人に見られたが見られていぬふりをした。
だからあちらも見ていぬふりをしていた。


カメラは守ったものの尻を強打しとても残念な気持ちになって
奈良井を後にする。



日が暮れたころに松本駅に到着。

帰り際にローソンに寄ってからホテルへ。


荷物を置いたら
尻を癒したかったので1Fの温泉へ入る。


広々していて適温でゆっくりと入った。
しかも貸切。

ロビーで飲み物を買って部屋へ。






まだまだ英語の宿題が残っていたので
テレビを見ながら進めたが
辞書がなかったので残念ながら本文写しと
虫食い状態の和訳で終わった・・・

 


うさぎとの出会い・・新春信州旅Ⅸ

2011-02-07 15:33:29 | とらべる!

姨捨を出ると
車内で松本までの運賃を支払い、WALKMANで音楽を聴きながら
松本に着くのを待った。

この日から2日間は松本に滞在する。
松本は一度行ったことがあったが、落ち着いていいていい街だ。


駅に着くとホテルに行く道の途中、こんなポスターが目に入った。




こちらを窺うように隠れたうさぎ・・・
奴こそがミッフィーだろう。

この時、ミッフィー展をやっていたらしい。

ちょっと気になった。


宿泊地は
スーパーホテル松本 天然温泉。

駅から少し離れた静かな場所にある。

チェックインの際
フロントに先ほどのミッフィー展の割引券があったのでもらった。

部屋は3階。
このホテルは鍵ではなくて暗証番号制だから気楽。

荷物をおいて夜飯の買い出しに・・・
少し駅方面に歩くとエスパというイトーヨーカドーっぽい大型スーパーがある。

地下1階が食料品コーナー。
エスパレーター(エスカレーター)に乗って地下1階へ。

デザートとお菓子を買ったが、いい夜飯がなかったので
ローソンでのり巻きとカップめんを買った。

ホテルに帰るとテレビを見ながら夜飯。
テレビをじっくり見たのなんてどれくらいぶりだろう。

基本的にテレビは見ないので、たまに見ると面白い。

日付が変わる頃に眠くなってきたので就寝。



3日目
1月8日(土)

この日は遅めに起きて、チェックアウトぎりぎりに出発。

この日は松本市街巡り。

カメラを首から下げて荷物は最低限におさえた。
その方が歩くにはちょうどいい。

まずは初めにミッフィー展を行っている松本市美術館へ。





ホテルから15分余りで到着。
明るく綺麗な館内。

ミッフィー展はブルーナさんの絵本がずらりと並んでいた。

ミッフィーの歌が終始流れていたので
洗脳されかけた。

しかしじっくり見ているとかなり可愛い。

ミュージアムショップではクリアファイルとシールを買ってしまった。

画集が欲しかったが
2500円だったので今回は買うことができなかった。

常設展では草間彌生さんの展示を行っていたのでじっくり鑑賞。
あの“かぼちゃ”はすごく素敵だと思う。

草間さんはこの松本出身らしい。
ちなみにミッフィーは違う。

 

 それから松本散策再開。






川沿いのなわて通りは
色々な店が並んでいて楽しげな雰囲気。

人ごみが好きではないので
通り過ぎただけだったが・・・・






到着したのは松本城。

雪化粧した山々を背景にした天守閣は何とも立派!!
さすが国宝。





堂々たる姿。

多くの観光客が記念撮影をしていた。

私は城に関してはしろうとだが、
城には角度美があると思う。

この角度はじつに美しくグッとくる。

どこの城でもどこかしらに必ずグッとくる角度があるはずだ。



さて、入城料600円を払い中へ。





本丸御殿跡を通って天守へと進む。

はっきり言って城は見るのが好きなので
内部はあまり興味がないが
入ってみた。




靴を脱いで入ると迷路のようになっていてぐるぐると回る・・・
ちょっとした探検気分だけれども
土曜日なのでかなりの観光客がおり、階段付近では渋滞。
あまり楽しむことはできなかった。





にしても天守の最上階からの眺めは素晴らしい。
遠くの北アルプスがくっきりと見えて、清々しかった。

400年前の景色を想像してみたくなる。







帰りは赤い橋で濠を渡る。
赤いところが気に入った。





よく見ると時刻は正午近かったのに
まだ濠の表面に氷が張っている・・・

朝は相当冷え込んだのだろう。
恐るべし松本。




つづく


姨捨・・新春信州旅Ⅷ

2011-02-06 18:07:35 | とらべる!

善光寺を見終わり、女子学生で埋め尽くされた路線バスに乗り
長野駅へ戻る。

この日ももう太陽は沈みかけていた。
しかしこの日の予定はまだ一つ残っていた。

長野駅から
信越・篠ノ井線に乗り込んだ。

篠ノ井を過ぎて列車は坂を上ると
だんだんと夕暮れの善光寺平が眼の前に広がってゆく・・・

列車が一旦停止し、バックして停車したのは姨捨駅。
ここで下車した。

姨捨までは“北回廊パス”が使える。



前の日に通った時にも雪景色を眺めたが、
今回は夜景を堪能しようとした。

姨捨は善光寺平が望めるスポットで有名である。

近くには高速道路も走っていて姨捨PAがあるので
ここからも景色を楽しむことができるらしい。

姨捨駅から少し歩くと姨捨公園という小さな公園がある。





姨捨公園からの眺望。

駅とは違って開放感があり、
静かで落ち着いて眺めることができた。




夏はこんな感じで緑が美しい。
(2009・7)



寒さと風に耐えながら
やまぎわの暗闇に包まれ、
光の時間がやってきた。







少しずつ、光がきらめき始める。






光が線になって見えるのは道路沿いだろうか。
昼間はまた違った良さがある!


しかし姨捨というからには
捨てられたおばあたちが出てきたりしないだろうか。
と想像してみたりした。


それはさておき、
電車の時間も近づいてきたので
駅に戻ってホームからの夜景を見に行った。





すっかり暗くなった姨捨駅。

無人駅で近くに住宅地もないので訪れるのは鉄道マニアか
私のような極度な物好きくらいだろう。


だからあまり人がいないところがいい。





静かなホームで存分に夜景を堪能。






ここまで来て損はない絶景。


姨捨はあと棚田と月が有名。
芭蕉もこの地で

おもかげや 姥ひとりなく 月の友

と詠んだ。
負けじと一句捻ろうと思ったがそんな才能はなかった。








自動アナウンスが流れ、列車がやってきた。

これに乗って松本へ。

つづく


牛に引かれず善光寺・・新春信州旅Ⅶ

2011-02-05 19:36:35 | とらべる!

松代を出て、終点屋代に着いたら
次にしなの鉄道に乗り換え。

終点長野で下車。

次にここからびんずる号というただの路線バスに乗り、善光寺へ。


牛に引かれて善光寺
という言葉があるが
牛に引かれてに来たわけではない。

今回は
バスに揺られて善光寺
だ。


バスは大門までしか行かないので、
そこから参道をまっすぐ歩く。




大きな門をくぐると現れた本堂。

びんずる様をなでて戒壇巡りもしてきた。

一人で寂しい気持ちになったので
戒壇巡りについては語らないでおこう。




右手には種類豊富なおみくじが並んでおり
一番気になる“男みくじ”というものを
やってみた。

末吉だった。

一番微妙な辺りが出てしまって
何とも言えぬ気持ちで参道を戻る。

すると、





なんだかアレに似ている奴が目に飛び込んできた。

むじな灯篭という伝説から生まれた

むじな地蔵

というらしい。





ににににている。

どうみても・・・・







せんとくん・・・・!!




やはり製作者が同じ彫刻家の方らしい。


それにしても特徴のあるお顔。
これが新世紀のお地蔵様なのだろう。



・・・・・申し訳ないが角を生やしたくなってしまう。



つづく


雪を散らして・・新春信州旅Ⅵ

2011-02-04 19:51:24 | とらべる!




朝になった。
1月7日、旅行2日目の朝だ。

ブラインドをあげて、窓を開けると氷柱がたくさん・・・

かなり冷え込んだらしいが、雪はもうすでに止んでいた。
天気は曇り。

この旅館の地下にも内湯があったので、さっそく入りに行った。


ヒノキを使った浴室は木のぬくもりがあって
九番湯の大湯程ではないが広々としていたので
とても落ち着いた。

熱めのお湯で目も覚め部屋に帰るときに女将さんに会ったので
駅まで送ってもらうことにして
荷物をまとめ、玄関へ。

一人旅館は初めてだったがかなりよく休むことができた。
私にとって初の温泉街宿泊はこの渋温泉となった。

これからもその思い出は忘れることはないだろう。

宿の人の車で楽々と湯田中駅へ。

ちょうど特急の電車と接続する時間だったので、
すぐに見覚えのある赤い特急が来た。





展望車のついた旧小田急ロマンスカーだ。
今はゆけむりという名らしい。

さすがに先頭の展望席は人気があったが、後方の展望席は誰一人としていなかった。






閑散とする進行方向反対の展望席。

席に座ると、
間もなく電車は発車した。





走り出すとすぐにどんどんと坂を下ってゆく。

昨日積もった雪を散らしながら山が遠ざかって
雲の切れ間から日が射し込んだ。





やがて平野を駆け抜ける・・・・

眺めがいいので、当初の予定では小布施で降りて
葛飾北斎を堪能するつもりだったが、やめて
その先の須坂まで乗車。

須坂で屋代線に乗り換え。


といっても乗り換え時間が30分以上あったので
駅前のジャスコで飲み物と菓子を買い、暖かい待合室で電車を待った。

改札口前には長野電鉄が野菜などが売っているコーナーもあった。


地元の人と思われる人とも少し会話して、時間になったので
ホームへ。

住民も駅員さんも何故か長野はあたたかい。

特に駅員さんなんか東京とはえらく違う。
かんじが良くて旅行をしていても気分をもっと盛り上げてくれる。


ワンマン運転の2両の列車に乗って、次に向かうは松代。
歴史の街だ。





山に沿って進むこと23分、松代駅に到着。




列車は1時間に一本程度。

とてものどかな場所だ。
駅員さんもフレンドリーだった。


松代は歴史の街として知られ、その代表として真田氏が有名。
その他にも佐久間象山などもその一人だ。





駅からも見える位置にあったのが、松代城。
その昔、川中島の合戦の時に武田信玄が造らせたと言われている。

その後真田氏が城主となり何代にもわたってこの地をおさめたらしい。

今は門や橋などが復元され、歩いて散策することができた。

よく整備されていてトイレもあり、気軽に楽しめる場所だと思う。



歴史のありそうな街並みを歩き、向かったのは真田氏とは関係がなかった。





駅から20分ほどで着いたのは地下壕。
しかしただの地下壕ではない。

訳ありの地下壕だ。

太平洋戦争中、本土決戦に備えて皇居・大本営・政府機関などを移転する計画が極秘のうちに練られ、
その移転場所に選ばれたのがここ、松代だったのだ。

その計画のもとに松代の3つの山に地下壕が掘られた。

敗戦で計画は中止されたものの、それが今でも見学できるのが
象山地下壕。

許可された見学ルート約500mを歩くことができる。

入り口で安全のためヘルメットをかぶり入壕。





見学の人は私以外誰もいなかった。

暗く生暖かい地下壕を歩いた。





壕内はこんな具合に碁盤の目状になって掘られている。

角を曲がってしまうと、ほとんど外の音が聞こえない。

通れなくなっている穴からは当時の人たちが見ているようで
一人でいるのに一人ではない気さえしてきた。





それにしても立派な壕で、
これを強制労働させ9か月間で造ったのだから驚きだ。

学びそして考えさせられる場所であった・・・・





次の屋代行きの列車に乗るため、再び松代駅へ。



つづく


渋温泉外湯巡り2・・新春信州旅Ⅴ

2011-02-03 18:22:39 | とらべる!

 

*渋温泉・九湯めぐり続き*

続けてきた外湯めぐりも
ついに半分、五番湯を目指す。

もう浴衣の着替えも慣れてきて
軽やかに進む。

 
おっと、いきなり現れたのは飛び出し坊や。

私の家の近くにもあるが、真っ暗な夜に自転車のライトで照らされた飛び出し坊やは本当に怖い。

ちなみに滋賀県は飛び出し坊やの出現率が多いらしい。


 
五番湯・松の湯。
先ほどの竹の湯とはほぼ同時期にできたらしい。

そして同じ道沿いに建っている。

 
ここも貸切。
ここのお湯は凄まじく熱かった。

水で少し薄めても、次から次へと
熱いお湯が流れてきたので敵わずに出てしまった・・・・

綺麗でいい浴室なのだが・・・・


 
ここで温泉街の一番端まで散歩。

オレンジ色の街灯がついているのでどこまでも一人で歩けた。

次は急にビニールトンネルが現れた!!
これは入るしかなかったので入った。

トンネルは以外にも長く、途中で分岐もしていた。
かなり本格的。

誰もいないトンネルを歩く。

 

 
すると最後はお寺に着いた。

どうやらお寺の入口から本堂までの参道を濡れずに滑らずに来られるようにした
心優しいサービスなのかもしれない。

しかし夜のお寺はあまり気持ちの良いものではないので、戻る。
途中の分岐点は通っていないのない方へ行ってみる。

階段を下り、右に曲がり、左に曲がると
別の出入口に着いた。


 ここは温泉寺という寺だった。

温泉の湧くこの地らしいお寺だ。


 


後半になった。
お次、六番湯の目洗いの湯。

私的にはここが一番気に入った!





浴場は床も湯船も木造。
湯船は長細く、お湯も適温だった。

木の湯船でゆっくりと暖まった。


美肌効果があるとも言われている。





外に出ると雪がまだ降っている。
こちらとしては暖かいんだか寒いんだかという感じ。


この日は長野県に大雪注意報が出されていたのを部屋に帰ってから知った。




雪に打たれながら着いた七番湯・七繰の湯。

こちらはタイルの浴室だったがお湯は適温。
後から3人程入ってきたので早めに出てしまった。



ここまで来たか、八番湯・神明滝の湯。

この温泉の向かい側には今回泊まっている洗心館・松屋がある。
もう街を一周してきてしまった。



浴室は六番湯の目洗いの湯をコンパクトにしたような形。

お湯も少し熱いくらいでよかった。

ここまで来ると次に早く行きたくなったので早めに出て九番湯へ!!!







九番湯・大湯。
造りも堂々としていて立派!

半地下のような状態になっていて、
上には誰でも入れる足湯がある。


写真左下には死にかけの飛び出し坊やが!!


鍵を開けて中に入ると驚く。
湯船が大きい。

2つに仕切られ、熱湯と温湯に分かれていて
お湯は茶色っぽい。

ここれで九つすべての外湯に入ったので
外湯巡りは完了。


仕上げに、高台にある高薬師というお寺に行く。

大湯のすぐ近くに高薬師へと続く急な階段が伸びている。

雪が積もり、足場が危険な状態でありながらも上る・・・・





緑色にライトアップされた高薬師。
夜遅いのでもはや人影はない。





一匹の狸が私を迎えてくれた。

手ぬぐいにスタンプを押そうとするも、インクが雪で固まっていて
押せなかった。

それ以前に巡浴祈願なのに
願い事をまったく考えていなかったので、
まあいいか。と

高薬師をあとにする。

温泉に入れただけで満足だった。


雪がいよいよ強くなってきたので
宿に帰ることに。

体は暖かいし、雪も夜景も綺麗だしもっと外にもいたかったのだが・・・



部屋には暖かいこたつが待っていた。

寒いのに暖かい。
冬の温泉街の良さを初めて体感したのであった。