Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

横浜マリンタワー (改訂版)

2014-12-28 05:40:26 | 神奈川





横浜は非常に塔の多い街です。
横浜三塔に数えられる神奈川県庁、横浜税関、横浜市開港記念会館とともに、NTTの電波塔やぷかりさん橋なども塔の仲間でしょう。

山下公園の目の前にある横浜マリンタワーもその一つです。


横浜マリンタワーが完成したのは1961年。
横浜開港100周年を迎えようとする1958年より記念事業の一環として建設が決定され、長らく横浜の港を照らす灯台としての役割を与えられます。
展望台も併設し、横浜の観光スポットとして知られるようになりました。

20世紀も終わりに近づくと、横浜博跡地がみなとみらい21として開発され、日本一高い展望台を持つ横浜ランドマークタワーなど新しい観光施設が完成。
観光客はみなとみらいへと流れ、マリンタワーの収入も落ち込んでいきました。
そして、すでに灯台としての役割も終えていた2006年に展望台の営業を終了しました。

しかし、横浜市は横浜開港150周年を控えた2009年に、記念祭に向けてマリンタワーを再生することを決めます。
横浜港の一等地に塔の廃墟があるというのも印象が悪いという理由もあったかもしれません。

誕生から50周年を目の前に控えて、九死に一生得たマリンタワーは装いも新たに生まれ変わることとなりました。

現在、館内は地方の展望塔にあるような古臭さはなく、内観はシックな雰囲気に統一されています。
展望フロアは恋人の聖地にも指定されていて、休日にもなれば若いカップルで溢れかえりそうなほどお洒落に出来上がっています。







展望フロアの入場料は大人750円。
1階のインフォメーションで入場料を支払って、2階へ上がると展望台行きのエレベーターがあります。
塔の構造がよく見えるシースルー型のエレベーターに乗って、高さ91mの展望フロアへ到着。

円状の展望台はそこまで高さはないものの、横浜の名所を眺めることができます。
真下には山下公園と氷川丸。
少し目を前に向ければ横浜ベイブリッジと行き交う船。

みなとみらい方面は建物が林立していますが、反対に元町方面に目を向けると閑静な宅地が広がります。
夜景ともなると差は明白で、コントラストが対照的です。


展望フロアは2層になっており、狭い階段で1階部分と繋がっています。

2階部分に比べると狭いが、東京タワーにあるような直下を覗けるガラスの床が用意されています。
長細い鉄塔のため、風で揺れているのもよくわかり、高所恐怖症の人は少し怖いかもしれません。


全体的に広告や宣伝などの無駄なものは廃し、落ち着いた雰囲気のある展望フロアは、ベンチこそないもののゆっくりと景色を楽しめる空間です。
閉館に近い夜遅くは特に人がいないのでおすすめ。

50数年間、この景色を見守ってきたマリンタワー。
平成生まれの私にはベイブリッジもランドマークタワーもない横浜の風景を想像することができません。




横浜港方面。
真下には横浜人形の家の可愛らしい建物が見えます。
オレンジ色の首都高速が向かうのは本牧JCT。
その先のコンテナ・クレーン群は横浜港です。



首都高速のカーブ。
夜が更けてきても、車通りは途絶えることがありません。





目の前には横浜ベイブリッジ、通称ベイブがライトアップされています。
その後ろに見える斜張橋は鶴見つばさ橋。



みなとみらい方面。
ホテルニューグランドの先にはライトアップされたクイーンの塔が優美です。
コスモロックに赤レンガ倉庫、ワールドコンチネンタルホテルは見慣れた横浜の風景です。





クイーンの塔こと横浜税関を拡大してみました。



コスモワールドの背景にビルが増えましたね。

 


リニア・鉄道館

2014-12-28 03:40:55 | 東海地方

 



名古屋のりものづくしの旅をした際、あおなみ線の終点・金城ふ頭駅にあるリニア・鉄道館を訪れました。

ここは東海道新幹線を中心とした鉄道車両の展示を行っている、JR東海の企業博物館です。

かつて万世橋にあった交通博物館が2006年に閉館して以来、JR東日本がさいたま市に、JR東海がここ名古屋に新たに自社の企業博物館を開館しました。
2016年春にはJR西日本が梅小路に京都鉄道博物館を完成させる予定です。

国鉄分離に伴い、JRもそれぞれ異なる理念で運営していることもあって、
このようにそれぞれ独自の博物館をつくることは分離以降の発展と歴史をアピールすることも兼ねています。









入館料を支払って入場すると、薄暗い館内に3つの車両が並んでいます。
手前から、C62蒸気機関車、955形新幹線試験電車、超電導リニアMLX01-0。
どちらも当時、世界最高速度を記録した名車両で、JR東海を象徴する車両です。

SLと聞いてすぐに高速鉄道とは思い浮かばないものの、リニアと言えば誰もが知っている近未来の高速鉄道。
JR東海は、これまで高速鉄道の開発に積極的に取り組んできました。
東海道新幹線に始まり、今世紀中には実用化されるであろうリニア中央新幹線など日本および世界をリードする高速鉄道を開発しています。
これがJR東海の売りであり、誇りでもあるのでしょう。

東西都市の通過点という皮肉的な役割を逆手に取り、独自の社風を築いてきた自信が垣間見えます。

高速化は新幹線にとどまらず、在来線にも言えることです。
例えば、東海道本線の新快速列車は転換クロスシートを導入して、快適かつ充実した運転本数を誇っており、
豊橋-岐阜間で並走する名古屋鉄道には速度面でも運賃面でも大きく差をつけています。

設備投資も惜しまず、駅改良工事や車両の統一化を進めている点もJR東海らしさでしょう。
利便性を追求した反面、鉄道としての面白みに欠けてしまっていることは一部の鉄道愛好家たちに指摘されています。


東海道新幹線の車両は運行上、車両性能と座席数が全車両同じであることが望ましく、旧型車両は次々と廃され残すところは700系のみになってしまいました。
山陽新幹線は先頭車運転席側に入り口のない500系や、コンパートメント席を持つひかりレールスターなど、豊富な種類の車両が運行していることからも、東海道新幹線の徹底ぶりが伺えます。











シンボル展示を抜けた先のメイン展示では、東海道新幹線の車両たちがそろい踏み。
外光が射し込む吹き抜け空間の中で、静かに余生を過ごすことが許された車両たちが並んでいます。
フラットな空間に、新幹線も在来線特急も電気機関車も一緒に並んでいるところがテーマパークっぽくて子供ならずとも心躍りそうです。

車両の展示はいわば昆虫の標本のようで、動くはずのものが動かない寂しさもあります。
しかし、じっくりと見学する事ができるため、普段は気付くことがないような発見もあることでしょう。
新幹線を目の前から眺める機会など他ではなかなかできない体験です。


入り口から近いところにまず、新幹線。
ついに乗車することなく現役を終えてしまった団子鼻の0系や、元祖のぞみ号の300系など幼い頃に絵本でよく見た夢の超特急。
普段は見る事ができない角度から眺めてみると、思いのほか流線が美しいです。
展示されている300系にはえくぼのようなものがあって可愛らしい。このえくぼがあるのは量産先行試作車なのだそうです。


車両の側面にまわると、ひっそりと紹介パネルが設置されています。
その中には最高速度が大きく表記されているのもJR東海らしさではないでしょうか。
説明は裏方に徹して、展示は実物を目で見ることが重視されているようにも思います。


中央には在来線車両。
過去に名古屋と長野を結ぶしなの号として活躍した特急型車両、キハ181とクハ381が配置されています。
急勾配やカーブの多い中央西線や篠ノ井線での高速運転を可能にした名車です。

隣にはついに首都圏でも見ることが少なくなった湘南色の車両も並んでいました。








一番右手には、電気機関車や客車など20世紀中ごろに活躍した車両が集まっています。
どれもがチョコレート色の外観をしていて、見た目は地味ですが、よく眺めてみるとそれぞれに個性があります。

丸っこいモハ52が可愛らしい。
プラットホームに上っての車内に入ると、ノスタルジックな内装に驚かされます。
木調に優しい電球の明かりが射して暖か味のある車内は、都市の人々を運んでいたとは思えないほど趣のある車内です。

こんな車両に乗って車窓の風景が流れたらどんなに素敵でしょう。

現代の車両は車内の雰囲気もだいたい想像できてしまいますが、異なる時代の車両は特に内部をゆっくり観察してみたくなります。
同じ鉄道でも時代によって内部空間も大きく異なっていて、比較しながら時代背景などを考えたりするのも楽しいかもしれません。


最近では水戸岡デザインの車両が各地で運行されて、観光列車ブームが続いています。
JR九州のクルーズトレイン「ななつ星」はそのブームにさらに拍車をかけ、JR東日本もJR西日本も負けじと開発に着手しました。
移動手段としての鉄道に本来は不要である娯楽性や芸術性が求められてきているのだな、と改めて感じます。

JR東海は少なくとも今現在では観光列車も少なく、速さ重視。
それは悪いことではなく、この博物館全体からもJR東海のぶれない姿勢が伝わってきます。

車両展示のほか、1階では「鉄道のしくみ」や「超電導リニア」の展示など技術を紹介するコーナーが設けられています。
技術開発に力を注いできたJR東海の見せ場でもありますが、機械には疎いのであまりじっくりとは見ずに通り過ぎてしまいました。


子供たちはシュミレーターやジオラマに夢中ですが、2階へ上ると、「収蔵展示室」と「歴史展示室」があります。
資料を基に展示を行っており、1階の技術展示とは対照的に文系の博物館のようです。

技術面を紹介することが多い中、このような展示があると異なった面から鉄道を考える事ができていいですね。



全鉄道が並べるだけでなく、企業の色を出しつつもシンプルにまとまった展示は非常に完成度が高と思います。
シンプルすぎて、整然としているとも言われかねない展示方法にもJR東海らしさを感じてしまいました。

最も印象深い展示は導入部のシンボル展示。
JR東海を象徴する車両が集う空間は、この博物館が私たちに何を伝えたいのかを明確にし、見学者を迎え入れています。
博物館は入り口が重要なのだなと改めて感じたのでした。

名古屋駅からは離れた辺鄙な場所に建っているものの、一見の価値がある博物館です。


 






C62蒸気機関車









蒸気機関車の無骨さ









新幹線の進化論







300系新幹線









700系新幹線







モハ52形















在来線列車







最奥には整然と並べられた旧車両









カラー写真のない時代の名車







2階からの全景



昭和幻灯館

2014-12-27 01:40:24 | 東京都

懐かしさってなんだろう?


中央線の立川駅から青梅線に乗って半時間で到着する終点・青梅は大正昭和が色濃く残る街として知られています。
そのなかでも昭和幻灯館は青梅を代表する観光施設。

小さな館内に並ぶ小さなジオラマたち。
薄暗い中明かりの灯ったジオラマは何処か暖か味があります。


 




浅草十二階と二十面相、路地裏、隠れ里の温泉、見世物小屋・・・・

怪しくて活気にあふれた世界。
これらのジオラマは造形家の山本高樹氏の作品たちです。

作品に一貫するテーマは昭和レトロ。

私が覗いているのは、今はなき昭和の面影ということ。

しかし、山本氏の作品が博物館の復元ジオラマと明らかに異なるのは、
作品自体は忠実な再現ではなく、昭和をテーマに再構築したオリジナルの街ということ。

街を構成する精巧な人や看板、街灯などがそれぞれが昭和を物語り、
知らない街に想像が膨らむ。
街を歩く人も生活感が漂い、ドラマを背負っているに違いない。

場所も知らないけれど懐かしい街。
人はここでジオラマの中の風景に、自分の中に刻まれた原風景を重ね合わせることができます。

懐かしさはきっと今の自分にない場所から来るのでしょう。
確かに過去の自分を構成していた部分、それをいつの日か忘れてふとした時に思い出す。

日常からいつの間にか消えてしまったものがここにはあって、
人々を昔の世界へと誘う。

だからこそ懐かしさを感じるのです。

 




ケース越しの風景は私にとって懐かしくはないのだけれど、
何故か愛しく思えてくるのは遺伝子の影響でしょうか。

それとも今と違った世界に思いを馳せているでしょうか。

 


武蔵野を探索するはなし.4 多摩川

2014-12-27 01:20:58 | とりっぷ!

 
前回
http://blog.goo.ne.jp/fujizero3/e/2b8d793003f5383609a20f383abf9b6a





中央高速を潜り抜けて、どこまでも続くかのような閑静な住宅街を歩いていると、ちょっとだけ目立った鉄塔を見つけた。

送電線のような、電波塔のような不思議な塔だ。
緩やかに弧を描いて伸びていく姿は東京タワーを思い浮かべてしまう。
東京タワーも日本で数ある自立鉄塔のうちのひとつでしかないのに、日本の鉄塔の代表的なところがある。

この塔はサーチライトも付いて本格的だが、展望台は付いていない。
周囲には他に目立った高い建物がなさそうだから眺めは良さそう。


塔を過ぎると歩いてきた道がいきなり直角に折れる。
多摩川に到着したらしい。

まっすぐ進んできた道路も人の流れも、ぽきっと折られてすべてが川と平行になる。

土手の上へ登ると、武蔵野の森公園以来の広々とした視界が広がった。
向かって右手が上流で、左手が下流。対岸は丘陵とも山稜とも言えない地形が続いている。







河川敷は広く、川の本体は土手の上から見えない。
いや、見えているのかもしれないが暗くてよくわからない。

土手を降りるとただっ広い草原にぽつりぽつにと何かが配置されている。

街灯ないので、足元に注意しながら近づいてみると護岸工事された川がある。
いや、淀んだ匂いがしているので正式には川ではないのかもしれない。

川沿いには無駄に豪勢な橋などが架けられたりしており、草原にあるにしては少しおかしい。
人が通行するような場所ではないのに、なぜ豪華な橋が架けられているんだろうと考えているとやっと気がついた。







どうやらこれは多摩川のミニチュアらしい。偽多摩川である。
橋のかたちは実際に多摩川に架かる橋を似せたもののようで、大変作り込んである。

何分の一の縮尺だろうとか想像しながら、偽多摩川を下っていくと、大きな池に流れ着く。
きっと東京湾だろう。
はるか下流にある羽田付近の多摩川の姿を想像してみる。

今から歩いて向かったら日が昇るまでに着く事ができるだろうか。





川沿いは特に遮る物がないので、寒い。
すーっと風が大きく流れていく。
風はさぞかし気持がいいだろうなと、風の気持ちになっていても仕方がないので、対岸に渡る手段を見つけよう。

ちょうどよく橋などが架かっているはずはないから、橋のあるところまで歩いて行かなくてはならない。
上流方向にも下流方向にも橋は見えるものの、近いとは言い難い距離だ。

目測では下流側の橋の方が近そうに思えたので、もう一度土手に登って橋の下を目指す。


しばらく歩いても、只々土手が続く。
夜も更けてきたので歩いている人も少なくなって、風は冷たいしいよいよ心細くなってくる。
肝心の橋の明かりはそこに見えているものの、なかなか辿り着かない。

迷路のように見えないものを探して歩き続けるのは時間を忘れてしまうけれど、目標が目に見えている場合は時間を意識してしまう。
人間が高い建物を建てたことと、時間意識になんらかの繋がりがあるのかもしれない。
適当にそんなことを思う。




やっと目的の橋が頭上にどんと現れて、安堵したもののなかなか橋の上に登れない。
橋の上へと登る道を探さなければならない。

橋の隅にある三つ子の水門は、上部の管理棟の窓が目のように見えて妖怪のようだ。
海坊主のようだな、と思ったけれど川に海坊主はいないので川坊主だろうか。





橋の下をぐるりと半周ほどするとようやく橋の入り口が見つかった。
上へと伸びていく階段はなんだか空への滑走路のようで素敵。
軽いステップを踏んで登りたくなってしまう。

きっと夕暮れとか晴天の日も美しいだろうが、他に何も見えない夜もなかなかいい感じだと思う。

 




車道はずいぶん高い場所を走っていて、構造も立派なことから高速道路かと見紛うてしまいそうだ。
歩行者・自転車用の歩道もしっかりと橋の両側に設けられている。

分岐点ではどちらにいこうか迷うが、景色が明るそうな下流側を選ぶ。
ゆるやかに坂を登っていくと車道と同じ高さになって川を渡っていく。
橋の名前は稲城大橋。

車道には料金所のような跡があって、かつて有料道路であったことを物語っている。
近年では少なくなったが、前世紀には河川を渡るための有料道路が多くあった。
建設費などの採算がとれるまでの間有料にしているのだろう。





橋の上は河川敷にも増して風が強い。
帽子など一瞬で旅立ってしまいそうだ。

多摩川はいつものように穏やかで、静かに流れている。
広い河川敷、遠くには高層マンション。
小田急線の車窓から毎日眺める風景とは違うようでだいたい同じような風景だ。


いつもと違うのは、対岸に渡っても東京都のままだということだろうか。

それでも市は変わる。
川を渡れば稲城市であり、よみうりランドの城下町的な街である。
急峻な崖の上に、観覧車が光り輝いている。

よみうりランドは昭和の香りを継承した首都圏では数少ない遊園地であるし、多摩川越しに見る夕暮れ時のアトラクションのシルエットは本当に絵になる。

最後にはよみうりランドまで行きたいところだが、今回は稲城大橋を渡りきった時点での最寄駅である稲城長沼駅を目指す。


体が冷えてしまっているので、友人と駅に着いたら何か食べようと考えていたのだが、駅周辺は思った以上に何もない。
長旅の終わりにはふさわしいのかふさわしくないのか・・・
そこにはただ、人の姿がまばらになった南武線の黄色い電車がぽつりと待っていた。







何をするでもなく、ただ歩いてみる。
何かに出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。

期待することに疲れたら、
約束も保証もない自由な時間を使って、計画的な迷子になってみるのもいいかもしれません。




探訪日:2014.11.07


武蔵野を探索するはなし.3 知らない街

2014-12-07 00:45:43 | とりっぷ!

 
前回
http://blog.goo.ne.jp/fujizero3/e/a32c1efab344bb9b14c331780ced5d6f






武蔵野の森公園におさらばして、目の前を横切る並木道を南下してみる。
電信柱は少ないし、緑は多いから散策には最適である。

虚空に2本の兄弟のようなクレーンが見える。
都市化の波がすぐそこまで押し寄せているのだろうか。



繁華街の方向へと歩いているから、だんだんと周囲が賑やかになってくる。
先程の公園から飛行場越しに見えた味の素スタジアムがもう目の前に迫っている。

このスタジアムがどのチームの本拠地なのかは知らないが、サッカー関係のオブジェやショップがある。
どうやらアーティストのライブ会場などにも使われているようだが、未だにお世話になったことがない。

二車線道路をまたいでいる歩道橋はスタジアムの来場者のために内部と直結している。
階段を登るとぽっかりとした空間が広がっているが、イベント開催時にはイモ洗い状態になるのであろう。
こんな夜では想像することも難しいが。

静かな場所を歩いてきたあとは特に自動車の騒音がやかましく感じてしまう。
早々に道路を渡ってから続けて南方向へ進む。




少し歩くと、スタジアムの最寄となる飛田給駅が見えてきた。
近未来的な駅舎は内部の明かりがガラス越しに漏れてきて、それが少しばかり暖かそうなものだから吸い込まれそうになる。

何気なく走りすぎる電車の中を見ると、たくさんの黒い物体が詰め込まれている。
今日が平日の夕方ということをすっかり忘れていた。

どうせ京王線に乗っても家には帰れない。
ここは我慢して踏切を渡ろう。


駅を過ぎると、周囲は本格的な住宅街だ。
住宅街は味気ないが、進む道の選択肢は増える。
むやみやたらに曲がりながらわざと迷子を楽しむのもいい。





狭い路地に入るとどこに続いているかも見当がつかず、日も出ていないから方向感覚も鈍る。
電信柱に付いている住所表示を見ても知らない場所なので何もわからない。


公園などの来客者を迎え入れるためにつくられている施設ならともかく、暮らすための場所である住宅街など住んでいる人しかわからなくてもよいシステムになっている。


それでも夜の街歩きが楽しいのは、暗闇がどうでもいいものを背景から消し去り、目の前のものを抽象的に浮かび上がらせてくれるからだろう。
街中は情報が多いから、自分の目に見える情報量が夜だとちょうどよくなる。
 





気が付けば道路が二股に分かれた先の扇状地のような場所に稲荷神社がある。
目の前には最近見かけなくなった公衆電話があっていかにもな場所だ。

暗くてちょっぴり恐ろしいがお邪魔させてもらうと、びっくりするほど大きな狐様がいらっしゃる。

稲荷神社というとほっそりとした狐像がいることが多いような気もするが、ここでは狛犬のようにどっしりと構えた姿である。
それにしてもしっぽの先が何か詰まっていそうなくらい大きい。

所以などはわからないので狐につままれた気分で神社をあとにする。








何かに誘われるように足を進めると、所々に残った自然が目に付く。

道路を遮るように立つ巨大ケヤキは注連縄がまいてあっていていて、樹齢はいくつくらいなのかと考えてみる。
間違いなく道路がアスファルトに変わる以前の生まれであるし、道路が敷かれても「どかないぞ」という気迫がこちらにも伝わってくる。
木というのも大きすぎると狂気を感じたりする。何となく怖い。

しばらくすると、道は段丘の末端に沿うように進んでいる。
崖は開発しづらいから自然が比較的残るのかもしれない。
崖下には低層階建ての団地が見えたりもする。

結局、多摩川を目指すのなら崖下に降りなければならないので坂を下ってみる。

 

 

          



タバコ屋さんと思われる家の店先には珍しい自販機があった。
知らない街を歩くと時々変わり種の缶ジュースを見つけることがあるが、この自販機は珍しい形のモノだけが売っている。
コカコーラが一時期売り出したミディペットと吸うタイプのアレである(名前が分からない)。

そこそこの需要があるのだろうか。

自動販売機は夜歩きをしているとよく目立つ。
明るいから当たり前のようでもあるが、最近は節電の影響で硬貨を入れないと電気が付かないものが増えた。
無駄なことを排してエネルギーを大切にすることは良いことだけれど、夜道を歩く万人に光を与えてくれなくなったのは悲しい。

それと、光っていると思わず虫のように吸い寄せられてしまう感じが好きだった。





平凡な住宅街が続くので飽きかけていると、いきなり城壁みたいなものが現れて驚く。
左右に伸びる高さ10mほどの頑丈な壁は誇張ではなく、完全に世界を真っ二つに分断している。

トレーラーの音が上空から聞こえてくるので、高速道路であることがわかる。
中央高速だろう。

比較的大きな道だけトンネルのようにして壁を潜り抜けられる。
小さな道はすべてこの壁に遮断されて先に進むことはできない。
ぬりかべのような奴だ。


武蔵野を探索するはなし.2 野川に沿って

2014-12-04 22:30:32 | とりっぷ!




国立天文台の三鷹キャンパスから単に帰るのはもったいないと思い、周辺を歩いてみることにした。
天文台のキャンパス自体も緑豊かで、東京の三鷹市といってもまだまだ自然が多く残っているのだと改めて思う。

天文台の前を横切るバス通り沿いを調布方面に歩きはじめると緩やかな下り坂になっている。
この傾斜は国分寺崖線そのものであり、多摩川がかつて武蔵野台地を削り取った跡である。
この崖は通称「はけ」とも呼ばれるが、豊富な湧水に恵まれて古代より人が住んでいたらしい。
武蔵野の地は奈良時代には国分寺も建てられ、歴史は古い。







坂を下った先には野川が流れている。
壁面は護岸工事されているものの緩やかな流れとともに周辺には青々と雑草が茂っている。


護岸工事されて、植物の種もとりつく島もない川が東京にはいくつもあるが、ここは緑豊かである。
何処かで野川も一時期はどぶ川と化していた、なんて聞いたことがあった。
そんなことが信じられぬほどに自然を取り戻している。



 

遊歩道を降りて、雑草を踏みつつ川のすぐ近くを歩くとサギだかシギだか首の長い鳥がじっと虚空を見つめている。
その近くをカルガモの親子がすいすいと泳ぐ。

なんとものどかな光景にありもしない故郷の里山を夢想したりもする。
夏場には鳥類に加えて昆虫なども元気に飛び回っているのだろう。

秋口は生きものが少しずつ姿を消していくのでちょっぴり寂しい。


そんな自然空間に突如、巨大なコンクリートの塊が飛び出してくるからやっぱりここは東京なのである。
排水路なのか、川の暗渠なのか、薄暗い鉄格子の先は黙ったままで何処へ繋がっているのかは知れない。





気付けば、周辺の住宅は消えて鬱蒼とした森になっている。
近くに立ててある看板を見ると「野川公園」と書かれており、周辺は巨大な自然公園となっているらしい。

野川とおさらばして、公園を探索する。

公園には大きな芝生広場がある。遠くを見てもビルも山も見えない。そこには空があるだけだ。
所々に大きな針葉樹が孤立していて、いかにも整備された公園という感じがする。ゴルフ場のコースのようでもある。


 
芝生の片隅にはアスレチックや遊具が置かれている。
もう薄暗くなってしまっているから、こどもはおうちに帰る時間。

誰もいない遊具というのも寂しくていい。
乗りながらゆらゆら揺れるタイプの遊具も何処か空虚な目をしていて愛らしい。

青色のエリマキトカゲの遊具は顔の部分がパックマンみたいだ。
首にリボンまでしている。

その他にもパンダや新幹線、コアラなどの遊具があってそれぞれ別々の方を向いて無造作に配置されている。


しばらく野川公園を歩いていくと、ようやく人の暮らす空間に出た。
3,4階建ての比較的低い団地などを横目に見ながら進むと、またも広い場所に出る。





ここが武蔵野の森公園で、この公園には何度か訪れたことがある。
近年整備された綺麗な公園で、人口の丘や小さな林や池もあって散策の休憩には最適である。

小さな丘の上にぽつんと置かれたベンチはいつ見ても絵になると思う。
頂上からは何が見えるかというと、調布飛行場が見える。

ただっ広い平地が続く風景は東京ではなかなかお目にかかれない。
飛行場の先には味の素スタジアムが見える。それよりも遠くにかすかに見える山稜には観覧車がきらめいている。
きっとライルミネーションイベントを行っているよみうりランドであろう。

よみうりランドの観覧車は神奈川県にあるから、多摩川を越えて対岸まで見渡せていることになる。

とりあえず、この度の最終目的地も神奈川県にしてみようと思う。
多摩川にも歩いていればいつか着くだろう。

公園内を巡りつつ、気の向くまま進もう。




薄暗い公園には人の姿はまばらで、自転車で通過する地元の人々くらいなものだ。

そんな状況に甘んじて、遊水池ではカルガモがつがいで寄り添いあっている。
京都の鴨川でもあるまいし、等間隔に並ばなくてもよい気はするのだが、美しくかつ均等に並んでいるのがおもしろい。

邪魔しないでおいてあげるのが紳士であろう。





ふるさとの丘と呼ばれる小高い丘の上に登ってみる。
都道府県を象徴した形の石が並べられていて、おもしろそうだが暗いから良く見えないのが残念だ。
先程の丘と同じように頂上からは飛行場が見下ろせるが、その先には国分寺崖線の木々が連なっている。

ぼんやりと景色を眺めていると、木々の先から赤々とした月が顔を出した。

雲に隠れていっそう怪しい。
今日は曇っているので、青白い光を照らすころには雲の中に隠れてしまうだろう。

そういえば、以前ここでお月見をやったことを思い出した。
月の出てくる方角に向かってベンチが備え付けてあるので、絶好の月見スポットである。

 


武蔵野を探索するはなし.1 - 国立天文台

2014-12-02 23:45:12 | とりっぷ!





感動も、圧倒的ラストもない、日常の旅―。





三鷹の国立天文台に、何やら風変わりなプラネタリウムがあるということで行ってみることにした。
平日だというのに、2人も付き添いがいる。大学生も3年になると自由気ままである。


小田急線の狛江駅で降りて、武蔵境行きのバスに乗る。

国立天文台は三鷹市にあるが、中央線沿線からは少し離れているため、現地に向かうならバスが最適だ。
中央線の武蔵境駅と京王線の調布駅から相互発着のバスが多く出ているが、狛江駅発着もある。

このバスは全線乗車すれば10km近くにもなるため、東京にしては長い距離を走るバスだ。
運賃は統一220円なので乗れば乗るほどおトクな気がしてくる。


住宅街を抜けて、調布駅の北口に停車する。
窓の外を眺めても、肝心の駅がない。
そういえば数年前に京王線の国領-調布駅間は地下化されたらしい。

駅舎は跡形もなく消えて、目の前に南口が見える。シンボルを失った駅前はなんとも滑稽な姿でなんとも寂しい。

調布の市街を過ぎて、甲州街道を横断すると左手に味の素スタジアムが見えてくる。
周囲は野球場や飛行場があってのどかで開けた景色になってきた。

緩やかな坂を上ると、目的の「天文台前」に到着。
目の前の敷地が国立天文台である。
門と言い建築と言い、大学のような雰囲気。
守衛さんに挨拶をしてキャンパス内へ。



この場所は正式には国立天文台三鷹キャンパスというらしく、国立天文台の本拠地だという。

天文台の仕事は天体を観察する事であるから、設立された大正期にはおよそ周囲には何もなかったと思われる。
東京西部の住宅化が進んだ現在でも、どうにか緑の多い周辺環境が維持されているが、天体の観測自体は長野県の野辺山やハワイなどにある観測所で行っているに違いない。







落ち葉を踏んだ時の軽い音を楽しみながらキャンパス内を周回すると大正の頃よりつくられたいくつかの建物を見つけることができる。
木漏れ日の路を歩いた最奥にひっそりと建つアインシュタインの塔が建っている。
正式には太陽望遠鏡で1930年に建てられたもの。国の登録有形文化財に指定されているらしい。


森の中の茶色い古めかしい建物は窓が少なく怪しい博士が住んでいそうな雰囲気がしている。
また、都市開発者に見つかって壊されることのないようにひっそりと隠れているようにも見えたりする。


他にも旧図書庫や子午儀資料館といった昭和初期の建造物がごろごろしていて、それらのすべてが有形文化財。
外ではとっくに壊されているであろう年齢の建造物がのんびりと余生をすごしている。
有形文化財だからと言って管理が厳重でなく半分ほったらかし状態な所がいい。

科学的な聖地にいるはずなのに、なんだか近代建築巡りをしているようで楽しい。






肝心なプラネタリウムもキャンパスの一角にある。
名を「4D2Uドームシアター」と言って完全予約制なのである。
しかも、チャンスは月に2度の定例公開日しかない。


4D2Uシアターとはなんぞや?と思い今回は予約したのであるが、HPによると“天体や天体現象を空間3次元と時間1次元の4次元で可視化”した「4次元可視化実験システム」のことらしい。
人文系の輩はそれだけ聞いてもさっぱりなわけであるが、3Dならぬ4Dを体現する実験のひとつらしい。

近年では映画館でも用いられるようになった3Dメガネのようなものをかけて鑑賞する。

内容はというと単に地上から星々を眺める、という従来のプラネタリウムとは異なり地球外に飛び出して天体を眺めることができる。
天体が妙に立体的でふわふわと浮いているように見えて面白い。
しかしメガネは視野が限られてしまってもったいない。ゴーグルにしたらもっと素晴らしいと思う。


地球を出発した私たちは、太陽系からも飛び出して銀河系をも旅してしまう。
名もない星たちは掃除機のCMで用いられるような微粒子となって飛び交っている。
美しいどころかゾワゾワしてしまうような個所もあったが、他のプラネタリウムにはない星の観かたである。

地球から太陽系へ。太陽系から銀河系へという流れが時間の経過を表しているから4Dなのだろうか。



壮大な宇宙の旅だったのだが、座席と案内役の方の声が心地よすぎて幾度か意識が飛んだ。
意識を失っているうちに長い長い時間の旅があったのかもしれない。なかったのかもしれない。