Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

闇夜の高尾山.1

2014-09-22 04:40:07 | とりっぷ!


じわじわと夜が狭まって、都会では生暖かい風が吹くようになると、夜歩きがしたくなる。
喧騒を逃れて、静かな自然の中でほのかに吹く涼しい風が恋しい。

そんななか、高尾山に登ることになった。
夜歩きとは違う、夜登山である。

高尾山と言えば東京の西に位置する天狗信仰の盛んな霊山で、都心からアクセスも良いことから新緑、紅葉シーズンは善男善女で溢れかえり、夏の夜になるとビアマウントで賑わう。
ミシュランガイドでは星何個かを頂いているそうである。

そんな高尾山であるが、標高は599m。
幼稚園児が気楽に遠足に行けてしまうような山でもある。

せっかくの聖地、人混みの中を歩きたくはないし、静かな夜に登ってみる。
夜の山は気分も空気も新鮮であろう。

そんなことで、ハイカーを募ると意外にも10人の男たちが集まった。






22時を過ぎた京王線新宿駅。
見慣れない白塗りの列車に乗って出発する。

土曜日であるから平日に比べると乗客は少ないが、乗車率は結構なものだ。
それぞれの人が家に帰る顔をしている中、こちらは準備万端といった顔をしている。
夜は長いとはこのことである。


特急は爽快に途中駅を飛ばして、いつか訪れた調布駅は地下駅に変わっていた。
このまま特急に乗っていると八王子まで輸送されてしまうので、北野駅で普通・高尾山口行きに乗り換える。

車両は同じなのだが、明らかにローカル線と言った雰囲気で、乗り換える乗客も少ない。
北野駅を出ると、列車はぽつぽつと人を降ろして、取り残されたように私たちが座っている。

車窓からは転々と散らばる住宅地と街灯の明かりが流れていく。
それ以外は暗闇であるから、日中の風景を知る由もない。

中央線との乗換駅である高尾駅に到着して、同行の何人かを乗せると次は終点の高尾山口駅だ。


 




新宿駅を出てから50分。 列車が停まって、ホームへと降り立つと涼しい風が吹いた。
都市部とは明らかに気温差があることがわかる。

からっぽのホームから降りて、自動改札を出ると静まり返った駅前ロータリー。
23時30分、いよいよ山に向かって歩き出す。

昼間であれば門前町のように賑わう遊歩道沿いも、すでに寝静まって物音さえしない。
護岸工事された川のせせらぎすらも心地よく感じる。


空を見上げると一見、その闇は山なのか空なのかわからない。

 




高尾山は低い山だが、途中まではケーブルとリフトが走っている。
ケーブルは日本一の急傾斜だと聞くので一度乗ってみたいと思っていた。
しかしこの時間はケーブルカーだって寝ている。

ケーブル清滝駅の手前の広場には小さな滝と池があってカジカガエルが鳴いている。
都会の気分が足をせかすから、ちょっと待てと蛙の鳴き声に耳を澄ましてみる。

簡単に頂上に登ることはできるはず。
ならば、夜の世界をじっくり堪能してから登りたい。

 

 
高尾山にはいくつもの登山道と散策路が整備されており、自らの気分と体力次第でコースを選ぶことができる。
昼間のビギナーさんは可愛らしいケーブルカーに乗って、薬王院を参拝するコースをとるだろう。
登山道は1号路から6号路まであるから、ケーブルを使わないコースでも1号路いちばん基本のコースなのだと思う。

以前に来たとき、1号路がほぼ舗装された道路であることを知っていたので、あえての6号路を選ぶことに。

6号路はお休み中のケーブルカーを横目に続いている。
しばらくは渓流沿いのなだらかな上り坂が続く。
道も舗装されていて、住宅がぽつりぽつりと建っている。

 




道中祈願のためか、道端に七福神とゆかいな仲間たちが静かに見守っている。
ライティングされているためか、少々気味が悪い。

ありがたい神様たちに、祈りをささげて先へと進む。

 




人家は見当たらなくなってきても、LEDの街灯が足元を照らしてくれているので心強い。
緩やかな坂道についついステップを踏んでしまいながら歩く。

 

 
忽然と現れた病棟が見るころになると、登山道も本領発揮。
舗装道路も終わり、いよいよ渓谷の細道だ。

明かりを装備して、足元に気を付けながら進む。
先程まで呑気に写真を撮っていた私たちも、歩くことに集中する。

渓谷の先に見える病棟の明かりが不安を煽る。
左手は断崖、右手は渓谷の蛇行した道は方向感覚を失って、自分が今何処にいるのかわからなくなる。

明かりを消せば、夜の闇。
しばらくは目を開けているか、閉じているのか判断がつかない。

 

 
しばらく歩くと、渓谷に簡素な橋が架けられている場所に出る。
恐る恐る橋を渡ると、岩窟の中に何やら祀られている。

どうやらここは弘法大師を祀った場所らしい。
手入れも行き届いているので、現在でも信仰されているのだろう。

落ち着く場所でもないので、もとの道に戻って山登りを再開する。

するとすぐに6号路と琵琶滝方面の分岐点に到着。
案内板がしっかりと整備されているので、夜でも安心する。

 

 
結局、6号路は山頂付近まで他の登山道と交わることなく登っていくルートを採っているため、ここで逸れて琵琶滝方面へ向かう。
朱色の灯篭が照らし出す琵琶滝付近はなかなかの雰囲気があるが、肝心の琵琶滝は夜間立ち入りが禁止されており、鉄格子越しに拝むことしかできない。


ここからケーブル高尾山駅付近の1号路へと連絡する無名のショートカットコースを利用する。
地図では九十九折になった道が続くので、相当の高低差があると思われる。

予想通りに、登山道は琵琶滝を出てから急に牙を剥き始めることになる。
今までの渓流沿いの道は前座にすぎなかった。

樹木の根を利用した階段が続き、街灯など存在するはずがない。
しかし、開けたところに出ると、空が明るい方角があって、木々のシルエットが見えるほどに遠くの空がぼんやりとしている。
きっと見ているのは東の方角なんだな、と思う。

岩場のある別れ道に着くと小休止。
先程まで涼しいと感じていたはずが、今では汗がにじんでいる。

 

 
夜の山の中、明かりは必要最低限にして過ごす時間。
会話を楽しむもの、詩歌を詠むもの、闇を散策するもの、それぞれの思い思いである。

本来、深夜は時計という制約から最も逃れられる時間帯であると思う。
電車も走っていないし、テレビ放送も放置気味だからということからかもしれない。

時間という制約から解き放たれ、自然の中で過ごす時間に自分なら何をするだろう。
そんなことを思っていたが、いざとなるとしたいことが色々と思い浮かんでゆっくりしていられない。

ふらふらと歩いていると、地蔵様が向かい合う広々とした空間を見つけた。

昼間に見ればなんてことないのだろうが、地蔵様たちが談笑する空間のようでも何かの儀式をする空間のようでもあり想像が膨らむ。
夜の闇への想像は無限大だ。

 

つづく


名鉄小牧線と桃花台新交通跡

2014-09-21 20:20:50 | 駅と鉄路





名鉄小牧線は名鉄犬山線と接続する犬山駅から上飯田駅までの20.6kmを結ぶ郊外路線です。
上飯田駅から先は上飯田線と相互乗り入れを行い、地下鉄名城線と接続する平安通駅まで直通運転しています。

上飯田線は名古屋市営地下鉄を第二種鉄道事業者にして2003年に完成した地下鉄で上飯田-平安通間の0.8kmの路線です。
以前の小牧線は上飯田駅を終着としており、栄方面へは名古屋市電に乗り継ぐ形になっていましたが、1971年に廃止。
小牧線は名古屋主部に繋がっていない中途半端な路線になってしまいました。
800m先にある平安通駅まで徒歩で乗り継ぐ通勤客も多かったそうです。
他の路線との接続駅は上飯田とは反対側の終着点の犬山駅ひとつ。
こうなってしまっては都市と郊外を結ぶ鉄道としての役割を果たし切れず、平安通りまでの延伸を計画。上飯田連絡線が第三種鉄道事業者として路線建設し、上飯田-平安通間を市営地下鉄が
上飯田以北を小牧線が営業する事となりました。
この際に、当時地上駅だった上飯田駅を地下化、単線区間の味鋺‐上飯田間を複線高架線と地下線へと移すことになりました。
平安通まで直通することで小牧線の利便性は飛躍的に向上しました。

小牧線の沿線には小牧や犬山と言った中規模都市が存在しますが、都市部のアクセスが悪いことから他の名鉄路線とは異なる印象を受けます。
路線のイメージカラーや車両も他の名鉄線のスカーレットとは異なるピンク色。また、急行などは存在せず、各駅停車の設定しかありません。
各駅は名鉄の駅集中管理システムを導入しており、駅員は不在で自動券売機のみの無人駅となっています。


沿線の利用者は増加傾向にあるため、幾度か改良工事が行われた結果、沿線風景は地下区間や高架区間、複線と単線が混在して目まぐるしく変わります。
ラッシュ時には小牧始発、小牧止まりの列車が設定されていることからも小牧駅までの利用者が多いと思われます。
そのため、小牧駅以北は未だ単線となっています。




名城線のホームより深い場所に位置する地下鉄上飯田線のホームから犬山駅の列車は発車します。
日中は毎時4本の運転本数で、すべて普通列車犬山行きでして運行されています。

ピンク色のラインをまとった通勤型の名鉄らしくない4両編成の車両に乗り込むと、車内はセミクロスシート。
車両は地下鉄上飯田線との直通運転開始時に一新されたようです。

転換クロスシートに腰を下ろして出発を待っていると、日中の下り線はさほど混雑していないものの、名城線からの乗換え客と思われる人々が定期的に乗って来ます。


平安通駅を発車して次の上飯田駅までが地下鉄上飯田線。上飯田から先が名鉄小牧線です。
しばらくは地下区間を走り、外に出ると味鋺駅に着きます。

味鋺駅から味美駅の直前までは高架線を走ります。
途中、名古屋第二環状自動車道と城北線がさらに高い高架橋でオーバークロス。
緩やかに地平に降り立つと味美駅です。

味美駅から間内駅までは平地を走ります。この区間、左手には県営名古屋空港(小牧空港)があります。
車窓からは見ることはできませんが、味美駅上空ではジェット機が低空を飛んでいる姿を目にします。

間内駅を過ぎると架線の新しい高架へと変わり、いくつかの道路と立体交差した後、小牧口駅に向けて切通しに入ります。
工事時期が異なるためか、地下にもぐったり、高架を走ったり目まぐるしいですが、名古屋都市圏にこのような鉄道路線が多いのは鉄道本位ではなく自動車本位だからでしょう。
路線が道路を避けて走っているような気がします。

切通しにある小牧口駅を過ぎると、天井に蓋がされてトンネルに変わります。
しばらく進むと小牧駅に到着します。 


 



小牧駅は小牧線の中心駅のひとつで、当駅発着の列車の設定もあります。
大半の乗客がこの駅で降車しました。

小牧駅は桃花台交通桃花台線との乗換駅でしたが、2006年に桃花台線は廃線となり、名鉄の単独駅となりました。
東口出口の前には現在でも桃花台線の駅舎が残されています。






駅前一等地に駅の廃墟という好ましくない環境です。
入り口は完全に閉鎖され、「当面の間、閉鎖いたします」との張り紙が目に付きます。

看板や表記などは最低限取り払われていますが、かつて駅があったことは明らかです。
小牧駅は桃花台線の起点駅でした。






桃花台線交通桃花台線は小牧市東部の丘陵地帯に開発された桃花台ニュータウンへの足として建設されました。
小牧駅と桃花台東駅を結ぶ7.4kmの路線は1991年に開業し、ピーチライナーの愛称で親しまれていたそうです。
路線は全線高架(一部地下)線で建設されたゴムタイヤ式の新交通システムです。

しかし、ニュータウン開発は入居者が予想を下回ったため規模を縮小、桃花台線は開業当初から利用者に伸び悩むことになります。
JR中央線・高蔵寺駅への延伸計画もありましたが、赤字が累積し15年目の2006年に廃止されました。



現在でも桃花台線の高架線は解体に巨額の費用がかかることから残されたままになっています。
桃花台線は無計画なニュータウン開発な例として現在へ遺産を残す結果となりました。

路線の利用者の伸び悩みには開発の縮小の他にもあります。
桃花台線は小牧市内で完結した路線で、都市部へ向かう際には乗り換えが必要なこと。
また、唯一の乗り換え路線であった小牧線が名古屋駅や栄駅に直結していない郊外路線だったことが挙げられるでしょう。

高架線とは近未来的ではありますが、乗降りに手間がかかり、なおかつ有人駅以外ではエレベーターが設置されていなかったことも利用者を選ぶ結果となったでしょう。

 



桃花台線の特徴は折り返し運転がなかったことです。
運転席と乗降用扉は一方向にしか無く、終点で乗客を降ろすとループ線を用いて方向転換していました。
このような手法を用いる路線は日本には現在ありません。



高速道路のJCTのような急カーブの橋が残されています。
何も知らずに見つけたら何の橋なのか気になってしまいそうです。
建設中の道路か鉄道路線と見間違っても不思議ではないほど立派なつくりをしています。

時代に適応することができずに姿を消していく路線とは異なり、近未来的な交通機関が短命に終わり廃墟と化してしまう姿は皮肉なものです。
何らかの形で利用できないものでしょうか。

現在、桃花台線の代行として駅前からはピーチバスが運行しているとのことです。
路線バスで足りるのであれば、当初からバス運行でよかったのでは、という疑問が生じます。



小牧線で小牧駅から再び犬山行きに乗車し、次の小牧原駅に向かいます。
小牧駅から先は終点に犬山駅まで単線になっています。
トンネルを出ると単線の狭い切通しをカーブで抜けて、高架線へと変わると小牧原駅です。

降車すると、駅ホームの真上に桃花台線の高架橋が跨いでいます。
以前は桃花台線にも小牧原駅が存在していました。



小牧線小牧原駅上空でカーブした高架橋は桃花台に向けて伸びています。
営業運転している小牧線が単線であるのに対し、桃花台線は複線あります。

小牧線も路線脇に複線用の用地は残っていますが、過去に利用されていたものなのか今後利用されるものなのかはわかりません。





駅前には道路とバス停があるだけの小さな駅。
無人駅のため、ひっそりとした印象です。

人気も少なく、立派なコンクリートの高架橋も寒々しいものがあります。
駅を軸として生活する東京郊外と異なって、乗降するだけの機能としての駅です。

 



小牧線の小牧原駅から歩道を少し南下すると、桃花台線の小牧原駅跡があります。
この駅も入り口のシャッターは閉められているものの、往時の姿を今に留めています。

 新交通システムの利点は路線用地が確保されていえば高架下に駅舎がつくれるためコンパクトで済むことでしょうか。

 

高架橋の下にすっぽりと収まる駅舎の前は今や無料駐輪場と化しています。
入り口付近には始発と終電の表記された掲示板が今も残っています。

これらの遺構はいったいいつごろまで放置され続けるのでしょうか。


歩道橋の上から眺めると、巨大な複線の軌道上には不法投棄されたソファや自転車が寝ころび、今はもう列車も通ることのない空虚な場所だということ知らされます。
高度経済成長以降、郊外の開発は積極的に行われてきましたが、一斉開発が生んだ建造物の老朽化と入居者の高齢化が問題となっています。
それに伴った郊外の過疎化問題なども懸念されます。

この桃花台線の廃墟のような戦後の文化の生んだ現代遺産が増えてくる日も遠くはないのかもしれません。

桃花台線跡が示してくれているのはくら新しい技術を導入したところで利用者の需要に柔軟に適応することができなければいけないということ。
どんなものでも時代と共に古びていくことは世の常ですから、いかに利用者に寄り添っていけるかということが大切です。

自動車中心の社会が浸透した名古屋都市圏で、公共交通はどのように変わっていかなければならないのでしょうか。