Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

横浜人形の家

2015-03-24 01:10:30 | 神奈川

山下公園のすぐ隣に横浜人形の家があります。
「あなたと世界をつなぐドールワールド」と銘打ったこの施設は、世界各国から集められた人形を展示しています。

開国以降、世界からの玄関口であった横浜らしい博物館です。


施設自体は山下公園からフランス山やアメリカ山のふもとまで続く歩道橋に隣接していて、横浜観光の最中に何気なく横を通っていることがあるかもしれません。
建物の入り口に面した壁はガラス張りになっているため、内部が外からでもよく見えます。

以前はこの部分に人形の展示があり、夜間に通ると、真っ暗な館内に佇む人形が見えたりして少し怖かった記憶がありました。





入館料は大人400円。
館内には常設展示室は2階と3階、同じく3階には企画展示室もあります。

入り口のすぐ前にある展示室はノスタルジックハーバーと名付けられた導入部分。
横浜と人形の関わりを紹介しており、友情人形としてアメリカから日本へやって来た青い目の人形などが展示されています。

2階の中心展示はワールドフェスティバル。
世界141の国と地域の人形が一堂に会する空間は人形好きならずとも圧倒させられてしまいます。
中高の社会科で習ったような民族衣装を着た人形や、旅行先の土産屋で見たような郷土玩具も揃っています。

日本では博多人形や犬張子、土人形など地方別に並べられていて、その中で、こけしの占める割合は高い気がします。
東北地方に広く分布するこけしは子供用の玩具として温泉街で作られたのが始まりとされています、現在では10を超える系統に分けられ形状や表情が異なるらしい。
なるほど、よくよく見てみると髪型や瞳は系統によって様々であり好みも分かれるのでしょうね。

こけしを見つめていると、
凍てつく東北の畦道をこけしを胸に抱きながら帰路につく少女の姿を想像してしまいます。
その頬は寒さでりんごのように赤くなっていて・・・

そんな想像はさておき、振り返れば世界の民族人形が並びます。
人形は産地の風土を端的に表していますが、それぞれどのような経緯や目的で作られるようになったのか気になります。










続くドールメモリーは、20世紀以降の大衆と共にあった人形の歴史を展示。
人それぞれの記憶の片隅にある人形たちが展示されているはずです。
どいつの時代も変わらぬ人形への需要を伺うことができます。

ダッコちゃんやモンチッチなどは記憶がある人も多いことでしょう。
3階へと続く階段は年表になっており、ここ100年間の人と人形の関わりが写真で展示されています。



3階の展示はコレクションモール。
展示されているのは西洋と日本の人形の名品たちです。
先程の大衆人形とは異なって何処か気品の漂う人形ばかり。
端麗で芸術性に優れた人形たちは気品をも身にまとい、静かに佇んでいます。


当たり前ではあるが、人形は作り手の影響を非常に強く受けます。
いつも人のそばにあるものですから、より人間に近い姿をしており、仏像などの偶像とは異なります。

そのため、地域や時代といった差異をまとっていますし、また普遍性を見出すこともできます。

そんな人形を通しての歴史旅や世界旅行に出てみるのもいいかもしれません。

人形との出会いも一期一会。
きっと目が合って、お気に入りが見つかることでしょう。







翁萌え                                        稚児萌え



◆おまけ

階段の踊り場には展示ケースがあって、こけしが一体だけ展示されています。
照明も相まってラスボス感があります。


さらば在来線。 平成27年3月14日ダイヤ改正について

2015-03-14 01:00:49 | とりっぷ!


◆第三セクターへ移管となる魚津駅と廃止される475系(2014.8)

 



JR時刻表3月号を取り出して、おもむろにぺらぺらと眺めていると、いよいよだなと思う。

平成25年3月14日、今回のダイヤ改正は私の記憶する中では最も大きな改正である。


最も大きなことは、日ごろメディアで取り上げられている通り、北陸新幹線の開業であろう。

北陸新幹線は東京から上信越と北陸を経由して新大阪を結ぶ整備新幹線である
1997年に長野駅まで部分開業し一般的には長野新幹線と呼ばれていたが、いよいよ長野-金沢間が開業する。

今まで東京から北陸地方への主なルートは上越新幹線で越後湯沢駅もしくは長岡駅まで行き、そこから在来線特急で向かう形であった。
東京-金沢間の所要時間は4時間弱であった。

今回、新幹線が開業すると、速達タイプの「かがやき」は両都市間を2時間28分で結ぶ。
これは驚異的である。

どちらかというと関西との結びつきが強かった北陸地方との距離が格段と近くなる。





一方で、北陸新幹線が開業すると、並行するJR在来線はJRから分離し、第3セクターへと移管されることになる。

信越本線・長野-妙高高原間が「しなの鉄道」、
信越本線・妙高高原-直江津間および北陸本線・直江津‐市振間が「えちごトキめき鉄道」、
北陸本線・市振‐倶利伽羅間が「あいの風とやま鉄道」、
北陸本線・倶利伽羅-金沢間が「IRいしかわ鉄道」
といった具合である。

以前は高崎から分岐し、軽井沢-長野-直江津-長岡-新潟の長距離を結んでいた信越本線もぷつぷつと分断されて、
いよいよ高崎-横川間、直江津-新潟間のみとなってしまった。
北陸本線もこれから同じ運命をたどることになる。

かつて特急街道と呼ばれた両線は結びつきを持たない地方シャトル型の路線へと変わる。



新幹線では速く便利に目的地へ向かう。
それは現代社会において歓迎されることである。

だが、点と点を結ぶ都市偏重型の思想は確実に地方を歴史と記憶から忘れ去ろうとしている。

新幹線や高速道路は生活と同じ視点で景色を見ることができない。
どこか神のような視点で、下界をへいげいするように、瞬間的に通り過ぎていく。


鉄道は異なる地域を結んで人とモノを運ぶ。いわば様々な色が混ぜ合わさる公共空間だ。
景色は次第に変わっていき、乗っている人の言葉も変わっていく。
生活する人々に混じって、同じ視点で景色を眺めることもできる。

だからこそ鉄道は面白いのだ。


しかし、時代は変わった。
1964年以降、高速度幹線鉄道である新幹線は全国に枝を伸ばし、2015年、ついに日本海側に到達する。

新幹線とはその名の通り、在来線に取って代わる新しい幹線である。
ものの見方も、人とモノの流れも変わりつつある。
新幹線の時代が来た、といってもいいかもしれない。

それに伴って、旅のかたちも少しずつ変わっていくことだろう。

旅とは目的地へ行くことだけでは収まりきらないほど多くのものを与えてくれるはずである。
これからは改めて、旅の可能性を考えなくてはならないと思うのである。


新横浜ラーメン博物館

2015-03-13 21:20:37 | 神奈川



すっかり近代化された新横浜のビル街に溶け込むように、新横浜ラーメン博物館はあります。
ここは世界初のフードアミューズメントパークとして1994年に開館した博物館で、館内には所狭しとラーメン店がひしめき合っています。

ここの見どころは何と言っても昭和30年代を再現した町並。
入場料を支払って地下へ1階へ降りると、地下2階までの吹き抜け空間に昭和の町並が広がります。

私たちがはじめに到着する場所は駅をイメージしているらしく、看板は鳴門橋駅。
改札や料金案内板など、小さなところにも凝っていて面白いです。





駅の目の前からは地下2階部分に広がる街が一望できます。
ここからの景色はこの博物館のハイライトでしょう。

右手の階段から直接下の階に降りることもできます。






地下1階は主にロの字型の回廊になっていて、下町の路地裏を表現した世界は探検に最適。
路地裏というからには通路も狭く、人とすれ違う時に少し窮屈に感じるほど。

家々には明かりが灯って、室内の生活を夢想してしまいます。







民家やバー、銭湯に至るまで細やかに表現され、冒険心がくすぐられること間違いなし。
銭湯の女湯の暖簾の先に、他の階を結ぶ階段があったりと遊び心が随所にみられます。
この階にあるラーメン店舗は3店舗。どちらも駅側に集中しています。








階を降りた地下2階は、6つのラーメン店舗が中央の広場を囲っています。
館内地図を見たり、店舗を覗いたりしながら次に食べるラーメンを決めるのもいいかもしれません。

良くも悪くも、ラーメン博物館としての機能はこの階に集約されているため、相当賑わいです。
休日の昼ともなれば、各店舗に並ぶ列が伸びていき、広場を埋め尽くします。







長時間列に並ぶと、再現された家々の看板や洗濯物などを観察してしまいます。
東宝特撮映画の『地球防衛軍』の看板もあります。
モゲラとかいうモグラ型兵器の侵略に地球防衛軍が立ち向かう物語で、東宝特撮映画の全盛期に製作されたもので、私も映画自体は見たことがありません。

昭和を生きた人々は話に花が咲くかもしれませんね。







バブルがはじけ、昭和という時代がやや遠ざかりつつあった1990年代。
古き良き時代として人々が懐かしむことの出来る昭和レトロは人気を博し始め、ここ10年から20年くらいは一定の人気があるように思えます。

お台場のデックス東京ビーチ内にある「台場1丁目商店街」や、居酒屋の半兵ヱなどは評判もいいようです。



そんな昭和レトロの世界観を踏まえたフードパークとしての性格を持つこの博物館は、オープン当時はかなり斬新なテーマパークだったでしょう。

しかし現在、東京立川のラーメンスクエアや大阪のなにわ食いしんぼ横丁など、テーマに沿った世界観を演出しているフードパークが増え、かつそのほとんどが入場無料という現実があります。
規模は未だにラーメン博物館に超えることはないものの、肉迫せんばかりの発展ぶりです。

入館料を支払い、館内でいくつかの店舗を梯子するのは経済的ではなく、家族連れなどは特に出費がかさんでしまいます。


また、ラーメン博物館と銘打っているわりに、博物館としての要素が欠けているようにも思えます。
以前にはラーメンの歴史やご当地ラーメンの紹介などを行うラーメンギャラリーなるものがあったようですが、現在はショップの片隅に追いやられてしまっています。

博物館というからには、単に食欲を満たす場所や、感覚的に楽しむテーマパークだけでは物足りないような・・・
以前のように企画展を行うなど、単なるラーメンフードパークとは異なる魅力を是非提供していただきたいです。


オープンから20年、多くの観光客に受け入れられて関東圏では定着したラーメン博物館。
これからの進化に期待しています。

 


新宿の目

2015-03-09 21:39:27 | 東京都






新宿副都心、スバルビルの地下1階に「新宿の目」はある。

新宿西口から都庁方面へ向かう地下街沿いにあるから、人並は絶えることがない。


目まぐるしい新宿の1日を見つめる巨大な目。
これはスバルビル竣工と共に、1969年に芸術家・宮下芳子氏によって製作された作品である。
すでに40年以上経った現在でもその存在感は薄れない。





新宿に目は巨大なガラスアートであり、かつては薄暗い地下街で発光していた。
眼球部分は万華鏡のようにくるくると回る。


しかしながら、近年は消灯して正気を失ってしまっていた。
どうやら、震災以降は節電のため点灯を休止していたらしい。


そんなある日、西口地下街を歩いていると新宿の目がらんらんと輝いている。
つい最近に、再点灯下らしい。(ちなみに内部電球もLEDに交換されたという)








灰色の景色の中で、久しぶりに生気を取り戻したその目は美しく、また怖ろしかった。

妖美的な雰囲気を放つ目の前を、スーツの人たちがせわしなく通り過ぎていく。

新宿の目が光ったって光らなくたって、新宿の人たちにとってどうでもいいことなのだろう。
それが新宿という街である。


そんな人々を新宿の目は見つめている。

 


春の色 新宿御苑

2015-03-07 00:30:17 | とりっぷ!


新宿御苑は不思議な場所である。
新宿駅から徒歩圏内というのに、広大な敷地を公園として開放している。

これが単なる公園としての歴史を歩んできていないことは容易に想像がつく。


そもそも新宿という地名は、江戸時代に甲州街道の第一宿駅として新たに設置された内藤新宿に始まる。
それ以前の新宿には信州高遠藩主、内藤家の広大な下屋敷があった。

この内藤家の屋敷の一部を用いて新しい宿場を作ったことから、内藤新宿と言われたのである。

その後、幕府が崩壊し大蔵省に管理が移った旧内藤家屋敷地は初めは農業試験場となり、明治13年には宮内庁の管轄となり皇室庭園としての道を歩むことになる。
服羽逸人を中心として大掛かりな造園が始まり、明治39年に新宿御苑が完成した。

空襲により甚大な被害を受けた御苑は戦後、皇室庭園から国民公園へと変わり、現在へと至っている。


戦後は繁華街として発展し、高度経済成長後は副都心が形成された新宿の街で、広大な自然が残されているのは奇跡に近い。

皇室から愛された庭園を、国民が賜ったということが何より現在まで新宿御苑を残し続けられた一番の理由であるような気がする。






友人知人の間でも評判の良い新宿御苑。
外国人観光客からも人気なのだと聞く。

新宿は乗り換えにほぼ毎日利用しているというのに、まだ一度も訪れたことがない。

「御苑に梅を見にいく」という社会人1年生に同行するかたちで、初の御苑散策を楽しんだ。


新宿御苑は今の今まで地下鉄丸ノ内線・新宿御苑前駅が最寄駅だと思い込んでいたが、
実は新宿門という入口はJR新宿駅東南口から10分弱で行ける。

入園料は200円。
閉園は16時30分までなので早めに訪れたい。


園内地図を手にとり、その敷地の広大さを再確認する。
千駄ヶ谷門から出れば、千駄ヶ谷駅も近いらしい。


園内は主に「母と子の森」、「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」に分かれる。
どれも趣が異なっていて、飽きることはなさそうだ。





平らな芝生の中、ひとりぼっちでもっさりと繁る草。
なんだか可愛らしい。






新宿駅寄りには回遊式の日本庭園がある。
丘陵に沿って梅が咲き、新宿副都心の超高層ビルを借景として上の池が広がる。

まだ風景の中に緑は少ないけれど、少しずつ彩りが戻って来ているよう。

あずまやでは老人たちが会話に花を咲かす。





花がぼてぼてとしているので桜の仲間であろうとは予測できたが、相方に「カンザクラ」だよと紹介された。
植物には疎いので詳しい人が隣にいると嬉しい。

入口でもらえる園内地図にもしっかりと書いてあった。






中央休憩所付近の丘陵地帯は絶好のひなたぼっこ場所。

外国人観光客が、芝生に寝転んで太陽光線を浴びている光景が実にのどかだ。

ここにもカンザクラは咲いていて、中高年の方々は撮影に夢中。
キャンバスを立てて、水彩画を楽しんでいる人もいる。






芝生の中でお気に入りの場所を探して、お昼を食べていると、ハクセキレイが小走りで駆けていく。

決して近づいては来ないが、動きを肉眼で観察できるほどには近い。

街中で見かけることも多いけれど、お互いこんな場所で会えれば距離も縮まりそう。






境界林を越えると、イギリス風景式庭園に変わる。
平坦な風景は日本庭園とは少し異なっている。

巨大な針葉樹は日本の樹木にはない異様さがあってちょっと怖い。





最奥はフランス式整形庭園になっている。
バラ花壇を中心にして、左右にプラタナス並木が続いている。

プラタナス並木は、よく広告などで見かける西洋の街角の光景を彷彿とさせる。

園内の端に位置するので、人通りが少なく活気がないのが残念だが、等間隔に置かれたベンチに座って物思いにふける場所としては最高だと思う。






新宿御苑のルーツとなる玉藻池。
江戸時代の内藤家屋敷時代からあったという。

日影の枯色と、日当の緑のコントラストが良い感じ。

ひっそりとした雰囲気が園内の他の場所とは異なっている。






大木戸門のすぐそばにはガラス張りの大温室が建つ。
温室があることすら知らなかったので驚き。

天井の換気用窓が猫耳のように見えてしまう。

建物自体は比較的新しいようで、開放的。
自由に入館できるのも嬉しい。

入口から中に入ると、大きなバナナの木が繁っている。




館内は立体的な構造で、植物繁る散策路を1階から2階へと進んでいく。

植物園にはお決まりの滝や池もあって植物好きでなくとも楽しめそう。






ちょっと気になるモケモケした花。
触ってみたい。





2階からブリッジから見た蓮池。
蓮の葉の形が可愛らしい。

2階にはバニラなどの香料となる木やマンゴーなどの果実の生る木も栽培されている。





温室の隣の古めかしくお洒落な建物は旧洋館御休所。
重要文化財に指定されている。

明治29年に天皇や皇室の休憩所として建てられ、現在は月2回ほどの特別公開時に限り内部を見学できるという。

玄関と張り出した庇などが、駅舎のようでもある。





帰り際にもう一度梅。
日のあたる場所にはちらほらと咲き始めている。

梅の花は小ぶりで上品な可愛さがあって好き。







初めて新宿御苑を訪れて、満足度が高い理由も理解できた。
大まかに園内を散策すると、「次に来たときは何をしよう」といった再来の動機を見つけることができる。

気ままに歩くのもよし、芸術活動をするもよし、デートをするもよし。
広い園内に様々な可能性が潜んでいて、楽しみが増える。


都市でも郊外でも、公共空間では様々なことが規制され、羽を伸ばせる場所は少ない。
だからこそ、新宿のような大都市で、超高層ビルを横目に見ながら自由に活動できるのは実に気分がいい。

普段は動かされてる人間が、自ら動くことができる場所。

都会のオアシスとは、新宿御苑のことである。