Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

富士山信仰の神社に行くこと。(2017.9.21 北口本宮冨士浅間神社)

2018-09-20 23:59:00 | 甲信越




富士山が世界文化遺産になって早幾年。

東京から中央高速道路で2時間弱、富士吉田市は今もむかしも富士登山の玄関口です。

ここは江戸時代に隆盛を迎えた富士山信仰の中心地ともいえます。

富士吉田市歴史民俗博物館は「ふじさんミュージアム」にへとリニューアルし、より歴史文化的側面から富士山に親しめるようになりました。

今回目指したのは北口本宮冨士浅間神社。
もちろん富士山文化遺産を構成する遺産のひとつ。 

この神社は河口湖と山中湖を結ぶ国道138号線沿いにあるため、目の前を何度か通る機会がありました。
車窓から見える荘厳な参道を眺めつつ、いつか訪れたいと思っていました。

なんといっても印象的なのはこの参道。
杉の大木に覆われた昼なお暗い雰囲気は、山奥の古刹を彷彿とさせます。
はたしてここは神社なのかお寺なのか、わからなくなります。 

それもそのはず、日本武尊の伝説を起源に持つこの神社は、古くは遥拝地、富士講などの隆盛により登山が一般的になると北口の信仰の中心地として栄えました。
かねてから信仰も篤く、権力者や講によって造立が重ねられた境内の建造物は神仏分離以前の雰囲気を色濃く残しています。

参道から随神門、神楽殿、本殿と建造物が一直線に並ぶ配置は見事で、そのどれもが指定文化財。
本殿をはじめ多くの建築物が近代以前のもので、国指定重要文化財。圧倒的な存在感があります。

存在感といえば、冨士太郎杉と呼ばれる杉のご神木。樹齢は1000年を超えるといいます。

境内の様々な摂社末社を抜けた先に登山門と呼ばれる鳥居が建っていて、富士吉田登山道の入口になっています。
麓から登ることのできる唯一の登山道。なるほど富士山頂と直接結ばれたこの神社は、まさに富士登山インフォメーションなのですね。
清々しい霊気に満ちていました。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 



 

国道138号線沿いに位置し、道路沿いからも杉並木の長い参道を眺めることができます。道路を挟んだ場所に無料駐車場もありました。

 

まっすぐに社殿へと続く参道。石灯籠と杉桧が整然と並んでいる様は荘厳な雰囲気。木々に遮られて、日差しはほとんど入ってきません。



苔むした石灯籠が社殿へと誘います。参道右手には富士講の開祖とされる長谷川角行ゆかりの角行石も。

 

250mほどの参道の先にある木造日本最大の大鳥居。社叢の緑とのコントラストが美しいです。




随身門をはじめ神楽殿や手水舎、拝殿、本殿など境内の多くの建造物が国重要文化財に指定されています。
江戸時代に建造された建築のため、神仏習合の名残が多く残っているのが特徴です。




 




 


 


 

 


清春芸術村

2015-05-09 00:11:45 | 甲信越

近年、書店の観光情報誌のコーナーに年に一度くらいは「美術館」を特集した雑誌が置かれているような気がします。
例えば、現代美術館や芸術祭で地域の活性化が成功していることも多く、「遠くとも訪れたい!」魅力的な美術館が日本にはたくさんあるのです。

私も、青森県の十和田市現代美術館や岐阜県のMIHO MUSEUMには是非とも行ってみたいと思っているところです。
遠いのでなかなか機会を見つけることができないでいるのですが・・・

関東からもほど近い山梨県の山間にも、魅力的な美術館がありました。





JR中央本線の長坂駅からバスで10分、駒ヶ岳を望むことのできる静かな場所にある清春芸術村は廃校になった小学校の敷地を利用した芸術空間です。
桜の木々に囲まれた敷地内には、美術館を中心として建築が集う空間となっています。

この芸術村を設立したのは吉井画廊のオーナー、吉井長三氏でした。
芸術家たちの創作活動の場として、この地を選んだ吉井氏は、1981年に中心となる施設「ラ・リューシュ」を建設。
現在は2つの美術館、6つの建築、5つのモニュメントがあります。


現在中心となっているのは、小学校時代は校舎があったであろう高台に位置する「清春白樺美術館」。
設計は谷口吉生氏で、白樺派の作家たちの作品を展示しています。

芸術村の設立者であった吉井氏が、武者小路実篤や志賀直哉と親交があったため、彼らの夢であった美術館構想を実現させたのがこの美術館だそうです。
小規模ながらも、高低差のある回廊など谷口氏の凝ったデザインが随所に感じられます。

 



正門から、目の前にあるのは初期に建てられた「ラ・リューシュ」。
なんだかカルーセルのような円筒形をしていますが、これはフランスに実際にある建築の模造です。
パリ万博のパビリオンとして建てらた、ラ・リューシュは、その後多くの芸術家を輩出した集合アトリエとして利用されてきたそうです。
オリジナルの設計はギュスターフ・エッフェル。

創作活動の場としてふさわしい建築をこの地にも建てたのでしょう。
建物背後にはいくつかの建築が建つ、広々とした芝生が広がります。

 



ラ・リューシュの背後にはセザールによる「エッフェル像」とエッフェル塔階段です。
エッフェル塔完成100年を記念して、老朽化により取り替えられることになったエッフェル塔のらせん階段が24分割されて配られました。
そのひとつが、この芸術村に設置されています。
頂上にはフランス国旗がたなびいています。



 



この施設で最も新しい建築は「光の美術館」。
設計は安藤忠雄氏。打ち放しのコンクリートの仕様は安藤建築らしいです。
規模は一戸建て住宅くらいなもので、箱のような美術館です。

一見、面白みのない建築ですが、この美術館の個性は建物裏側に回ってみると分かります。



 



直方体の西南方向の角が、スパッと切り取られています。
この建物内部には照明は無く、自然光のみで作品を鑑賞することができるのです。
館内の雰囲気が、四季や時間の移ろいで表情が変わるという構造がおもしろいです。

コンクリートの静謐とした雰囲気と天井から射し込む温かみのある自然光の対比が素晴らしい・・・
館内ではスペインの画家 アントニ・クラベーの作品を展示しています。


 



桜の木に混ざって建っている「茶室 徹」は藤森照信氏の作品。
藤森氏の作品は独創的であって自然に近い作品が多いような気がします。
この茶室も、ムーミンに出てきそうな雰囲気があります。

作品を見るだけで、楽しくなってしまって登ることができないのが残念。

氏は生まれが長野県茅野市のため、同市に多くの作品を建てています。

 



白樺の木々の先にある小さな礼拝堂は、白樺美術館と同じ谷口吉生氏の設計。
題名は「礼拝堂」ですが、ジョルジュ・ルオー記念館と副題がついています。

20世紀の宗教画家であるジョルジュ・ルオーの遺族から寄贈された作品を展示しています。
この建築もコンクリート打ち放しで、宗教画家の作品展示にふさわしいシンプルかつ静かな空間をつくり出しています。

間接的に外光を取り込む天井も素敵です。






芸術家たちの創作の場としての芸術村。
都会の喧騒とはかけ離れたのどかな環境はまさしく桃源郷であり、その雰囲気の中で芸術鑑賞することができるのもまた贅沢なものです。

観光客も多くなく、日本でも有数の居心地の良い空間であると思います。




◆ひとことメモ◆
JR中央本線長坂駅からのバスは1日3本程度です。
高低差が大きく人気の少ない道ではありますが、徒歩40分程度で着きます。

小淵沢駅からもバスが1日3本出ています。


大日影トンネル遊歩道

2015-05-03 23:40:08 | 甲信越


山梨県甲州市には廃線となった鉄道用隧道を見学することのできる大日影トンネル遊歩道があります。
鉄道隧道を歩ける場所はなかなか珍しいです。


国鉄中央本線用の隧道として、大日影トンネルが掘られたのは1897年(明治30年)のこと。

東海道本線と中央本線は同じく首都圏と中京圏を結んでいる鉄道路線。
しかしに東海道に沿って海側の平野を中心に走行する東海道線とは対照的に、中央本線は甲州路・木曽路といった山間部を通る路線です。
そのため、いくつもの隧道が掘られました。
東京の高尾と山梨の甲府までの区間で、最も甲府側にある隧道が、大日影トンネルです。

5年の歳月をかけて貫通し、翌年の1903年に開通しました。
長きに亘って、首都から甲信地方への動脈を支えてきましたが、新トンネル開通のため現在はその役目を譲り、遊歩道となっています。



勝沼ぶどう郷駅から、鉄道遺産歴史公園を通って線路沿いに続く階段を登った先が大日影トンネル遊歩道の入り口です。
トンネルなので、勝沼寄りの出口が菱山口、反対側が深沢口と呼ばれています。

手前のポケットパークまでレールが伸びており、トンネル内へと誘います。
明治の風格を残すトンネルの隣には現役の新大日影第一・第二トンネルが口を開けています。
運が良ければ、振り子式のスーパーあずさ号が通ったりもするビュースポットでもあります。







トンネルは往時の雰囲気を保っており、レールもバラストもそのまま。
直線に掘られているため、遥か遠くに深沢口の外光が確認できます。
馬蹄形の狭いトンネルが1367.80mも続いていると、気が遠くなります。

1903年より94年間、列車が往来した歴史が煉瓦に染み込んでいるようです。

近代化に貢献した隧道は各地にありますが、その多くが遺産となる前に閉鎖されてしまうことが多いのですが、この大日影トンネルはJR東日本より甲州市に無償譲渡されました。
そうして今日、貴重な近代遺産に見て触れることができるのはありがたいことです。







菱山口から入って右手の壁には36か所の待避所が、定期的に設けられています。
このトンネルの歴史や遺産についてのパネル展示が設置されていましたが、最近ではアート作品が置かれたりして、展示スペースしても利用されているようです。
金属的な作品なので、トンネル内の雰囲気とも合っているような気がします。


左手には2か所、比較的大きな待避所があり、ベンチが設置されています。
どこかバス停のような不思議な雰囲気があって好きです。
写真家・丸田祥三氏の『東京幻風景』にも紹介されていました。






深沢口に近づくと、線路上に水路が出現します。
トンネルを掘る時には地形の特性上、湧水にも悩まされたようです。

そのため、トンネル内の深沢口寄りの約330mに水路が開削されました。
トンネル内に水路をつくることは珍しいようです。

近年でも漏水対策の大規模な工事を行っていることからも、本当に湧水の多い土地のようです。


私はさすがに音を上げて、反対側の深沢口に出ずに引き返してしまったのですが、トンネルを出るとワインカーブがあります。
このワインカーブは大日影トンネルと同じく廃線となった旧深沢トンネルを利用したトンネルワインカーブだそうで、利用には予約が必要とのこと。
少し気になります。

 








さすがに長時間トンネル内にいると、外の景色が恋しくもなったりしますが、煉瓦や鉄道標識など往時の姿をとどめた世界は一見の価値があります。
トンネル内は平均気温を保っているので、夏には涼しくて避暑にも最適。

通り抜けると約30分かかるので、往復で一時間。
歴史を感じながら歩いてみてはいかがでしょう。



地下駅Ⅲ 筒石駅

2011-03-07 13:47:44 | 甲信越

 

 

地下駅シリーズ最後は
日本海側、筒石駅です。
訪問は2009年の8月です。

K澤君にもついて来てもらいました。




新潟県の直江津駅から
日本海側をひたすら走る北陸本線に乗って
3つめ、名立駅を出るとすぐにトンネルに入る。







しばらく暗闇が続き、
明るくなることなく停車。

 


筒石駅に到着。


この駅も複線化する際に
地下化したことで
できちゃった地下駅だそうだ。




他の地下駅と違うところは
駅員がいるところ。

毎回列車が到着するたび
安全確認のためホームまで降りてくるらしい。

列車は私たちを下ろすと出発。




 





涼しく、みずみずしいホーム。

筒石駅は
少々離れているが、
上り線・下り線共に地下にホームがある。

 

 
奥に見えるのが
直江津方面のホーム

通過したら気づかない程
トンネルと一体化してしまっている。







ホームにある出口につながる扉。
スライドして開閉する。

この駅もやはり北陸方面の特急がすっ飛ばして通過するので扉が設けられているのだろう。



 
扉の中に入ると
小さな待合室にイスと時刻表がある。

列車が到着するまでここで待つことになる。

美佐島駅と違って
好きな時に好きなようにホームには出られるのが良いところ^^







出口へと続く階段。
無機質で飾らないところがたまらない。


ここから高低差約40m、
280段の階段を上って出口へと向かう。

 

 
ひとまず階段を上ると
通路に出る。

糸魚川方面の方が出口から遠いので
途中で直江津方面の連絡階段と合流。

 

 
意外と長く、静かなので
とても落ちつく。

湿度が高く、潤いがあり涼しい洞内。

 
壁に書かれた案内板。




突き当りから振り返る。

 

 
ここから一気に階段を上がる。
出口の光が先に見える。


土合駅より傾斜角度が低いので上りやすい。

 

 

 

地上の駅舎。
プレハブで簡素なもの。

この駅舎に
あんな地下空間が潜んでいるとは
駅も見かけによらない。



駅の周辺に人家はなく
集落までたどり着くまでは時間がかかりそう。


 


富山行きの列車到着まで時間があったが
外にいるより地下にいた方が落ち着くので
次はまた長い階段を下りる。


ホームで待っていると直江津方面に特急が走り去った。
反対側ホームにいたもののすごい迫力・・・!



 

しばらくして
暗闇から現れた富山行き列車。

闇から現れた2つの光はとても眩しい。
 

 


 

 


地下駅Ⅱ 美佐島駅

2011-03-04 13:37:37 | 甲信越

 

上越線の新清水トンネルをぬけると
川端康成の小説の如く雪国だ。

スキー場を横目に眺めながら
越後湯沢を過ぎる。




六日町という駅で
私鉄の“ほくほく線”に乗り換える。

新潟県の六日町から日本海側の犀潟結ぶ路線。
JRの越後湯沢と直江津まで乗り入れる列車もある。

普通列車のほかに北陸に向かうJR列車がこの路線を通過するらしい・・

やたら綺麗な車両に乗って出発。

 

 




六日町を出るとJR線と分かれ、
爽快に平野を走る。

列車最後尾に乗っていたが、その速さに驚いた。


しばらく平野を走るとトンネルに吸い込まれ
外の光が見えなくなった。

すると美佐島駅到着した。

 





トンネルに取って付けたような小さなホーム、
地下世界を堪能する間もなく
運転手に「後から特急が来ますので危ないですから待合室にお入りください」
とお願いされた。






待合室はちょっと無機質で怖い感じ。
私がホームから出るとすぐに頑丈な扉が音をたてて閉まった。

こんな駅は初めてだ。




次の列車が止まるまで、ホームには出られい。

トンネル内を特急が猛スピードで走り抜けるため、風圧を抑えるためにドアを締め切っているとのことだ。

待合室の外にももう一つ頑丈そうな自動ドアがある。
特急の速度が半端ないと見えて二重の扉を使っている。

 





2枚目の扉を出ると
出口に向かう階段が出現。


土合駅と比べてはものすごく小さいものの
新しくて面白い。

上がって外へ出る。




駅舎全景。
森の中にポツリと建つ駅舎。
背後には変電所があるのみ。

前の道路になかなか車は通らず、
利用者はいるのだろうか・・・


地下駅なので
知らない人はこれだけ見ても駅とは思うまい。

 




なんだか新興宗教の教祖の誕生地らしい。

駅構内の観光紹介にも載っていたが、
そんなものあってもぎゃくに怖くなる^^

 




駅1Fからホームに伸びる階段。

こんな場所の地下にホームがあるなんてワンダーですな。



1Fには畳の広い待合室があり、
中には誰もおらず荷物を下ろし、寝っころがりながら
次の列車を待った。


待合室にある訪問ノートに記録を書いていると
どこからともなく

うぅぅぅう・・・・

きゅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・

と奇怪な音がして

きゅるるるるるるる・・・・・

きぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいい!!



どんどんと近づいてくる。


ひと気がない森の中にある建物に一人でいるから余計に怖い。
やだなぁ、こわいなあ
と思いながら待合室を出るとすべてを了解した。


地下へ続く階段の下から音が出てきている。

特急が近づいてきているのだ!

階段を下るにつれて音は大きくなり、最後の一段を降りると
重い扉が開いた。
その時扉に抑えられていた爆音が解き放たれ
私は飛び跳ねんばかりに階段を駆け上った。

やはり特急の威力はすさまじい。
ホームにいたらどうなるのだろうか(笑

また少しすると
列車が到着するという自動アナウンスが流れ、
風が先ほどよりは小さい音をたてて列車が到着。

扉が自動で開き、私は列車に乗り込んだ。






その後、終点の直江津を目指した。
このほくほく線の路線の大半はトンネルになっており
外に出たかと思うと駅に停まり、出発するとまたトンネルという繰り返し!
興味深い駅や町が多くあり、またいつか行ってみたくなった。





美佐島駅から約1時間で直江津駅に到着。


土合駅

2011-02-28 15:58:43 | 甲信越


「日本一のモグラ駅」として有名な土合駅は、鉄道のことを少しかじったことがある人と登山好きには良く知れた珍駅。
2009年3月、中学3年生の春。初めての青春18きっぷで憧れの土合駅を訪れました。





上野駅から高崎線で1時間半強、終点の高崎駅でその先の上越線水上行きに乗り換えて1時間。
晴天の関東平野も上越の境が近くなると雨雲に変わります。







水上駅に着く頃に雨は雪に変わります。
この駅で、先の上越線長岡行に乗り換え。

列車は揺れながら水上駅出発すると、上越の国境越えの区間です。
長らくの間ループ線を走る単線区間でしたが、昭和42年に下り列車専用の新清水トンネルが完成しました。
新清水トンネルは全長13500mの長大トンネルで、峠を越えることなく上越を結びます。

トンネルに入るとすぐに湯檜曽駅に到着。
この駅もホームは上下線で離れおり、下り線のみトンネル内にホームがあります。
トンネルに入ってすぐのため、トンネル出口から外光が射しこんでおり、そこまでの閉塞感はありません。

湯檜曽駅を出発すると、いよいよ新清水トンネルを進んでいきます。
窓ガラスの揺れる音が響く車内に、心もとないアナウンスが流れて減速すると、トンネルがさらに大きな空洞になって、右手にホームが現れます。





土合駅に到着。
まだ寒いこのシーズンに、私の他数人が下車。
何処へ向かうのか、さっそく出口へ向かっていきます。

すぐに電車は、トンネルに消えて、轟音も遠ざかると何もない駅は少し寂しいものです。





ホームは近年線路側に移設されたようで、壁面に沿って昔のホームが残っています。
あとは簡単な待合室があるのみ。

新しいホームの下には待避線の跡があり、以前は通過待ちなどを行っていたようです。





ホーム中ほどに地上へ続く通路が設けられており、かまぼこ上の通路が遠く地上まで続いています。
谷川岳の最寄駅のため、夏期には登山客の利用が多いと考えられますが、もはや地上に着くまでも登山です。
登山好きには前座的な役割なのかもしれません。





このホームは、地上にある上り線ホームから高低差70mほど離れた地下深くにあります。
地上に出るまでに462段の階段を登らなければならず、日本一のモグラ駅とも呼ばれています。

なぜこんな地底に駅があるのでしょうか。

山地を長大トンネルで抜ける新ルートでは地中深くを走行するため、地上に出ることはできません。
しかし上越線の峠越え区間に以前からある土合駅を下り線のみ廃止することはできず、無理やりトンネル内に造られることになりました。






もちろんエレベーターなど便利なものはあるはずもなく、長い長い階段を登るほかに地上に出ることはできません。

階段の横にある余剰スペースはエスカレーター設置のためとも言われているが、果たされぬままです。


階段は数段ずつに踊り場がありベンチで休憩しながら上ることもできます。
ちなみに階段左端には時たま段数が書いてあるので参考になります。

単調な中にもすこしだけアクセントがあって観光気分も味わう事ができます。


 



階段が終わり、地上まで到達。
地上と言っても野外に出るわけではなく、かまぼこ型の通路がまだまだ続きます。





「ようこそ土合駅へ」と歓迎されるもまだまだ駅舎は遠いようです。
窓から外を覗くと、地上2階ほどの高さになっており、河川や自動車道路をの上を通っていることがわかります。

突き当りには風よけの屏風のようなものが設けられています。
地下ホームに列車が入線するとその風が地上まで来るのでしょうか。





次はコンクリートの暗い通路。

小学校の頃、体育館に向かう通路がこんな雰囲気だったのを思い出します。
昼なお暗く、夜間は少し気味が悪そうです。




最後に少しだけ階段を登ると、到着を示す486段目の文字が現れます。
角を右に曲がれば、出口はすぐそこ。








無人駅のため、駅舎には閑散とした待合室があります。
往時には駅員が常駐していたのでしょうか、ずいぶん立派な駅舎です。

列車は上下線で各7本ずつしか来ないので、列車の到着しない時間に人の姿はありません。






駅舎は三角形が印象的な建築です。
山間部にあるこの駅は冬の激しい雪にも耐えています。

 

 



上り線は普通の地上ホーム。
雪に覆われて停車位置も釈然としません。

土合駅を出た上り線はすぐにトンネルに入り、トンネル内でループをして湯檜曽駅に到着します。





次の長岡行の到着時間が近づいたので
急いでまた先ほどの下り線ホームに向かいます。

貼ってある紙には道路の案内標識のように説明がされています。





誰もいないので462段を一気に駆け降りる・・!!
地底へと進む不思議な感覚が楽しいです。

自分の足音だけがトンネルに響きます。






外と比べて暖かい地下ホーム。
無音の地下で、次第に奥から列車の音が近づいて来のがわかります。





眩しいほどの光を放って列車が到着です。
この列車で越後湯沢方面へ向かいます。



松代象山地下壕

2011-02-11 18:51:22 | 甲信越



長野電鉄屋代線・松代駅から歩くこと20分。
右手に現れた象山という山の下にそれはあった。


地下壕と言っても何の地下壕なのか-

 


太平洋戦争末期
政府は東京の皇居・大本営・政府主要機関等を
移転する計画があった。

海から近い平野の東京は本土決戦があった時、
防衛には不利だからである。

その移転場所に選ばれたのがこの松代だった。

松代の地盤は固く、
本州の中央に位置するからだ。

極秘のうちに工事は始まった。

工事には地元住民や朝鮮人が強制的に動員された。

この松代の3つの山の下に地下壕が掘られたが、

終戦で工事が中断されるまでの
わずか9か月の間に全体の約7割が完成したのだという。

工事はダイナマイトで爆破し、破片をトロッコで運ぶという旧式の方法で行われていた。

むろん、事故・自殺・栄養失調などで
死傷者も多く出たと言われている。

そんな場所も戦後は歴史の闇に消えかけていたが
平成元年からこの松代象山地下壕が見学用に整備され
公開された。

見学路の約500mを歩くことができる。

 

入口にある看板。







ぽっかりと口を開けた地下壕・・・・・

ヘルメットを付けて入る。


地下壕の中は暗い、暖かい。
そして誰もいない。

冬休み期間とはいえ平日の昼間なので
あまり訪れる人も少ないのかもしれない。



 




壕内は碁盤の目のように掘られていて
見学路は2回曲がることになる。

通れない通路には柵がしてあり
明かりもないので何だか不気味。

思ったより高さも幅も広いので驚いた。




 


1つ目の角を曲がると急に道が狭くなり
先が見えなくなった。

落石の危険がある箇所は
補強してある。

 

 

すこし進むと広い場所に出た。

ずっと先に外の光が見える。
出ることはできないが、外と繋がった通路もあるらしい。


柵が立ちはだかったら
次は左に曲がる。



その先、
地下壕はどこまでも続いているようだった。

外の音は何も聞こえず
聞こえる音は
自分が地面を踏む音のみ。


地下壕の中には私一人。

前にも後ろにも誰もいない。






不思議な世界だ。

外からすべてが遮断された場所、異空間。


60数年前の現実を
簡単に受け入れることが難しかった。




見学路の最後にあったのは
沢山の千羽鶴。

寂しげな雰囲気でかかった千羽鶴の先には
地下壕が続いている・・・

私は一礼をして折り返した。


この地下壕はあの頃の人々が眠っているのだ。
静かに。

でも何かを伝えている。
この地下壕を通して。



深く考えさせれられる。




急に外の世界に帰りたくなって、
出口を目指す。


 

また2回曲がると外の光が見えた。

私はその光に包み込まれるようにこの地下壕を後にした。


でもこの光のある世界に帰ってこれなかった者たち
見ることが許されなかった者たちがいたこと
それはこれからも忘れてはいけない。



この地下壕・大本営建設についての当時の資料は
残ってないという。


そしてこの壕だけが残った。
だからこそこの地下壕はあの頃のことを語るものとして
これからもあり続けてほしいと思う。