Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

終着駅からのはなし‐方南町から豪徳寺

2014-11-22 23:50:38 | とりっぷ!


中野坂上の駅から丸ノ内線に乗った。
丸ノ内線といえは荻窪から東京を経由して池袋を結ぶ地下鉄である。
この路線以外に中野坂上の駅からわずかだけ伸びた支線がある。距離は3キロ、乗車時間は6分程度の盲腸線だ。

終点は方南町と言って杉並区の小さな町。他の路線との接続もない小さな駅らしい。
今回はこの支線に乗って、旅をはじめようと思う。
行先も決めずに、行ってみよう。



中野坂上の駅で改札を済ませて階段を下ると、真ん中のホームに3両編成の小さな列車が止まっている。
赤のラインカラーは丸ノ内線と同じだ。

がらんとした車内に入ってシートに体をうずめると、間もなく列車は出発した。
低い音をシートに響かせながら、本線の軌道を逸れて進む。
ここからは未知の世界。暗い闇の中をゆっくりと走る。

地下を走っているから、何か変わった風景に出合う事もない。
ただ、ゆっくりと知らない街へと私を連れて行く。目的地までの景色を見ることのできない地下鉄はまさにワープそのものだと思う。6分間の長いようで短いワープだ。

 



終点の方南町駅に着くと、ホームは頭端式だった。軌道は数メートル先でぷつりと切れている。
終わりにしてはなんとも中途半端な、寂しい駅である。

私を乗せて来た列車はまもなく、「この先のことは君に任せるよ。」と私にこの先のすべてを託して、新たな乗客を乗せて去っていった。

この中途半端を先へと繋げるべく、私はさっそく改札を出て歩くことにした。 ここからは自分次第の旅。





地上に出ると、周辺には新宿のように巨大なビルもなく、上野のように観光地があるわけでもない。乗換駅があるわけでもない。
あるのは何の変哲もない商店街と住宅地。きっとこの機会がなければ訪れることのなかった町だろう。
私が一人この町で浮いているような気持ちになる。

きょろきょろしても知っているものは何も見つかるはずがないからとりあえず歩いてみる。
歩いたら何かに出会うはず。


※ 







しばらく歩いているとコンクリートに両岸を固められた小さな川に出合った。
どこにでもある様な川だが、川沿いには遊歩道が整備されている。あまりにもきれいな遊歩道だったからこの川沿いを上流に向かって歩くことにした。

川に架かる橋には「神田川」と表記されている。聞いたことのある川だ。きっと下流に進めば東京の中心部に辿り着くに違いない。

外はもう日が暮れてしまって、わずかに明るい西の空が切ない。
遊歩道にはたくさんの人が行き交っていて、買い物袋を提げて自転車を漕ぐ主婦や犬を連れた老人、皆帰り道の途中のようだ。

時間が経って、すっかり夜になると川沿いを歩く人がいなくなった。
周囲の景観は何も変わらないはずなのに。誰ともすれ違う事もない。誰もが家に帰ってしまったのだろうか。

もし季節が夏ならば虫の鳴き声が賑やかだったかもしれない。
しかし、今聞こえるのはわずかな川の流れと、遠くを走る車の音だけ。


日の暮れた時間に知らない場所にいるというのに、寂しくも少しだけ心地よいのは何故だろう。
川という存在が安心感を与えているのだろうか。それとも、日々の一定サイクルから逃れていることが気持ちを楽にしているのかもしれない。
難しい話は置いておいて、今は何も考えずに歩ける。

川は緩やかに蛇行し、どこまでも続く住宅地を抜けていく。
この川の始まりを見てみたいという気持ちでいっぱいだが、時間があれなので一時間程度歩いて帰ることにした。
しかし、同じ場所へ戻るのはつまらないので、神田川と別れを告げ空の明るい方向を目指して歩き始めた。


車通りの少ない暗い道をしばらく進むと大きな道に突き当たった。
道路をオーバーパスする歩道橋には甲州街道と書かれている。暗い所に目が慣れていたので、道を照らすオレンジ色の明かりが眩しい。


甲州街道を渡ると、京王線の下高井戸駅に着いた。
商店街のある賑やかな街だ。駅前市場と言って駅から出てきた人々や自転車でやって来た主婦たちで賑わっている。色々な匂いがする。
この駅から京王線に乗って新宿に戻ることもできるが、もう少しだけ歩きたかったので通過する。

下高井戸の駅からは路面電車の様な世田谷線に導かれながら線路沿いを歩く。
静かな住宅街をカラフルな低床車両がゆっりと私を追い越していく。
またも、主要街道などがない静かな場所だ。







先程の神田川と一緒で、何かに寄り添って歩くのは安心感がある。
私は光に吸い寄せられる虫のように列車を追って三駅分歩いた。

「山下」と呼ばれるその駅の隣には小田急線の豪徳寺駅があった。
見覚えのある高架線には、いつもの青い列車が走っていて、いつもの混雑した列車が私を迎えてくれた。その車内へと足を踏み入れる。

まさか知らない街の終着駅から歩き始めて、こんな結末を迎えるとは思わなかった。何があるかわからないものだ。

小田急線の揺れが私を現実へと引き戻していく。

それは嬉しくもあったし、すこしだけ鬱陶しくもあった。



初出
紀行文「今日は歩こう」 武蔵大学文芸部2013年新歓号

横書きへの変更にあたり加筆訂正を行いました。


迷子を楽しむはなし‐池袋から雑司ヶ谷

2014-11-21 23:43:47 | とりっぷ!

 


ある秋の夕方に先輩と歩いた。

夕方の池袋の喧騒を逃れるように。

狭い商店街を抜けると、視界が開けて向こう側に森が見える。

雑司ケ谷霊園だ。

手前を横切る都電荒川線の踏み切りが境界の様に手前と先の雰囲気を二分している。

踏切からこちらはビルの街、踏切からあちらは墓の街。

 
小さな踏切を渡って、足を踏み入れるとまるで異界へ来てしまったようだ。
木々が生い茂って独特の景観を作り上げている。

どこまでも続く森、迷路のような空間。林立する墓石。
戻ることができるか心配になりながらも小路に入る。地面は土だ。

この霊園はこの地が「東京」として始まったころからあるという。

中には私でも知っているような人物の墓石もあるのだろうか。
でも、こんなに広くては、探すのも大変だ。


野良猫はすべてを知っているかのように、時折私たちの前に現れては墓地の間を華麗にすり抜けてゆく。

異様な静けさの中、涼しい風が流れて心地よい。
ぼんやりと頼りなさ気に光る街路灯もいい。

土を踏みしめた感覚、高さも広さも均等でない墓石もいい。
墓石の先に見える光り輝くビルの下では分刻みでモノやヒトが動いているというのにこの場所は時間が止まったように静かだ。

それは墓のせいだろうか。



霊園を出ても迷路は続いていく。

先輩は「迷子?」と囃し立てる。

迷っているわけではない。これは計画的迷子だ。

もう少しだけ。不思議な空間を楽しんでいよう。

最後には池袋という名の現実に帰らなくてはならなくても。


塔のはなし‐新江古田から落合南長崎

2014-11-20 19:47:38 | とりっぷ!






東京の夏は暑い。
照りつける太陽が去った後も地面が吸収した熱を放つ。
そうなると一日中暑くて、私は逃げ込むように地下鉄の駅へと入っていく。涼しい場所を求めて地下へと潜るのだ。


夏も終わりに近づいた八月下旬、大学を出ると日はすでに傾いていたが、吹く風がいくらか涼しく思える。
地下鉄の入り口に向かうまでの住宅街を歩いていると、意外にも心地よく、このまま帰ってしまうのは勿体なく感じられた。
真夏だとそんなことは思いもしないのに。


新江古田駅へと続く階段を今日は逸れて、一駅分歩くことにした。

帰るのが遅れたって困ることはない。



 

いつもの駅入り口を過ぎると全く知らない世界が広がっていた。
この先を歩くのは初めてだ。何ヶ月も同じように通っている街。知った気でいても私はただ地下鉄の駅と大学とを往復しているに過ぎなかったのだ。

目白通りはいつものように交通量が多く、眩いばかりの車のランプ。大きな道はやがて大きな街に着くだろう。
私は静かな場所が歩きたくなったので、適当な交差点を曲がって知らない住宅地へと入っていく。この道がどこへ続いているのかは分からない。

知らない住宅街は思ったよりも静かで暗い。道を歩いても人はいない。
寂しげに真下を照らす等間隔に並んだ街路灯、個々の家の窓から漏れた明かり。
この街の主役たちは皆、家に帰ってしまったのだろう。

人は普段、昼は外で夜は内で暮らす。
それは当たり前のことにだけれど、こんな機会に改めて気がつく。
では、夜の街の主役は誰だろう。もしかすると偶然迷い込んだ私かも知れない。そんなことを考えてみる。


道の左手に公園が現れた。暗い住宅街の中で見つけた公園はオアシスのよう。
野球までは出来そうもないが、木々が植わっていてそれなりに大きな公園だ。

休憩がてら入ってみると、園内には誰もいなくてちょっぴり寂しい。
貸し切りのブランコに座って揺られていると猫が急ぎ足で通り過ぎた。そうか、彼らは夜行性だから、夜の主役は猫たちでもあるのか。
猫たちは狭い所も通れるから私よりも通れる道は多かろう。これからこの街を気ままに歩き回るのかもしれない。

猫に負けないように、私も静かな住宅街をさらに奥へと進む。
時々大きな道を横切ったり、狭い路地を不安になりながら進んだりしながら、まるで迷路を歩いているような感覚だ。
日が沈んで方角も分からなっている。自分は今、地図の中のどのあたりにいるのだろう。

きっと、昼間に住宅街を歩いても面白くないだろう。
闇に包まれて見えるものが少なくなった夜だからこそ感覚が研ぎ澄まされて見るものが好奇心をくすぐる。余計なものは見えない。


路地を曲がると、すうっと前方に塔が現れた。

住宅の屋根を凌駕した巨大な塔だ。どこか違う世界に迷い込んだ感覚。思わぬ建造物の登場に心躍り、軽い足取りで塔のふもとを目指した。

しかし、住宅街は複雑で、塔は見えるのになかなか近づけない。
やっとの思いで遠回りしながらふもとに着いた。
そこは小さな公園になっていて、真下から塔を見上げてみる。
クリーム色に身を包んだ巨大な円筒型で、てっぺんはお洒落なドーム型になっている。小説に出てきそうなクラシックな雰囲気だ。

塔に沿って公園内を歩いていると、小さな案内板を見つけた。塔についてのことが書いてある。


塔の名は「野方配水塔」といって高さは三十三メートル。
昭和初期に完成した給水塔だという。給水塔としての役目は昭和中頃に終えて今に至っている。

歳を重ねた樹木に神々しさがあるように、建造物にも同じものを感じてしまう。
長期に渡ってその土地を見守り続けた塔はその自覚があるのか、堂々としている。

住宅街の真ん中で巨大な塔に出合うとは思ってもいなかった。




 

塔に別れを告げて、また歩き出す。
路地を抜けると賑やかな新青梅街道に出た。目の前にある森は哲学堂公園らしい。
哲学者・井上円了の造った摩訶不思議世界が広がっていると何処かの本で読んだことがあったので気になったが、あいにく夜間は立ち入り禁止だった。またの機会に来よう。


街道沿いを歩いていると、先ほどまで静かな住宅街を歩いていたことが嘘のような気持になった。
今度は人の流れに身を任せて歩いていくと、私は地下鉄の駅の前まで来ていた。落合南長崎。ちょうど一駅分歩いたことになる。

帰りの列車の中で今回の小さな散歩を思い返しても、突如現れた塔が頭から離れない。
今まで知らなかっただけであの街は塔の街なのかもしれない。次辿りつけるかは分からないけれど、またいつか塔に会いに行こう。




初出
紀行文「今日は歩こう」 武蔵大学文芸部2013年新歓号

横書きにするにあたり加筆訂正を行いました。


闇夜の高尾山.3

2014-11-19 00:00:29 | とりっぷ!


↓前章
http://blog.goo.ne.jp/fujizero3/e/50916dfd8d56256e9e3f9fb2c32fc827






登っているというよりも、どんどんと山の奥に入っている気もする。
周囲に人工的なものは何もない。

ゆらゆらと揺れたいくつかの光線が木々や地面を照らし出す。
しばらくのあいだは同じよな道が続いて休憩スペースも見当たらない。

我々のように夜間に登山する物好きはいるにせよ、夜間に下山する物好きはもっと少ないだろうから人と出逢うことはまずない。
人の気配がしない夜の山中は意外にも怖くないが、人がいたら逆に怖いかもしれない。

そんなことを誰しも思うのか、山の怖い話を始める奴もいる。

こんな人数で歩いていれば、一人くらいいなくなってもおかしくないとか言う。


高い木々に囲まれた休憩場所に出た。
だいぶ長い距離を通して歩いたので、ベンチに腰を下ろして休憩をとる。

歩き疲れて黙ったまま過ごしていると、様々な音がする。

ぱきぱきと枝が折れる音、鳥の声。
低い鳴き声はフクロウだろうか。

巨大な自然の中で、ちっぽけな我々は飲み込まれてしまいそうだ。
賑やかに歩いているうちは不思議にも強気でいられるけれど、やはり自然は大きく底が見えない。
知らないことがまだまだたくさんありそうだ。

そんなことを考えているうちに、か細い足音と光線が麓の方から近づいてくる。
思わず身構えてしまう。人間じゃなかったらどうしよう。

目の前に現れたのは大人数の登山客だった。
「こんばんは」と交わす挨拶は、互いが人間であるかという確認の意味も兼ねている。

健脚そうな男女が目の前を通り過ぎていく。
姿が見えなくなってもしばらくは足音が聞こえてきた。



私たちもそろそろ先に進まなければならない。
山の雰囲気に飲み込まれて、休憩をしすぎたようだ。
先程の登山客を追うようにしてふたたび山道を登っていく。

山頂が近くなるといくつもの散策路が終結し始めて複雑である。
中にはコンクリートの道路もある。
周囲が開けてきて、いよいよ山頂が間近にまで迫っている。

 




4:00

あっけなく山頂に到着。
土曜日ということもあってか多くの若者たちがいる。
途中で人に会うことは少なかったから皆1号路から登ってきたか、相当早い時間から登っていたかのどちらかだろう。

賑やかすぎてしまうから、もう少し小仏方面へと歩みを進めてもみじ谷付近の茶屋の前で夜明けを待つことにする。
薄暗がりの中では茶屋も老婆の住む東北の一つ家のように怪しい雰囲気がある。

いざ、暗闇を歩いてみると森や動物と言った自然は怖くないのに、人工物が怖い。
自然畏怖ではなくて人気畏怖。



山麓に向けて置かれているであろうベンチに思い思いに腰をかけると、不眠と疲労が重なって眠気に襲われる。
気がつけば何人かベンチですやすやと眠っている。

だんだん眠くなってくるのと反比例して、周囲は徐々に明るくなってくる。






うっすらと夜が明けてくると山々のシルエットが見えきた。
朝もやがかかっていて、どこか深山幽谷の雰囲気がある。
先程までは真っ暗闇で何も見えなかったところに輪郭ができ、色が付く。
「夜のとばり」とはよくいくけれど、覆い隠すものがなくなって、いよいよ一日が幕を開けるわけだ。
鳥のさえずりがまさにPreludeのようだ。


朝は気持ちがよいが、夜を歩いてくきたあとの明るい世界は少し寂しくもある。
ゆっくりと深呼吸をして夜の旅を振り返ったら、山を下りることにしよう。

 


闇夜の高尾山.2

2014-11-08 00:08:19 | とりっぷ!


前章↓
http://blog.goo.ne.jp/fujizero3/e/16e2c310e7260d3aad99c10d76d91b41





高村光太郎は「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と言っていたが、闇の中では後にも先にも道はない。
右手に持った小さなライトで照らした小さな未来が目の前に広がっている。

手探りで木の根を伝って上を目指す。
幾度も休憩を繰り返して進めど、一向に進んだ気がしない。
しかし標高は着々と上がっている。

しばらくすると、木々の隙間から街灯の光が見えた。
虫けらのように吸い寄せられて、階段を登っていくと広い場所に出た。





1:00

舗装された道路に出た。
街灯も整備されており、ひたすら闇の中の山道を登っていた私たちは狐につままれたようになる。
ここで険しい山道は終わりを告げ、高尾山1号路の合流地点と合流したらしい。
1号路はもっとも使われる登山道のため、自動車も通れるように舗装されている。


木々の中をひたすら歩いていたので、気付かなかったが相当高いところまで登って来ていたようだ。
ふと振り返ると、遠く下界の夜景が見下ろせる。

こんなに静かな夜景は初めてかもしれない。
ゴタゴタした街の明かりがきらめいて実に美しい。

実際にあの夜景の中で過ごしていたら、そんなことは絶対に思わないはずなのに。


山麓が見下ろせる位置にはベンチも用意されており、休憩にはちょうどいい。






近くにはケーブルカーの高尾山駅などがあって夏はビアガーデンで賑わうところだ。
周囲は公園のようになっていて昼間には茶屋も営業している。

真っ暗な高尾山駅には昼間の面影は見られず、廃線跡のようにひっそりと静まり返っている。

駅前にはコインを入れて動く乗り物が整然と並んでいて、屋上園地のようだ。
こんな山奥に置き去りにされてどこか寂しそうである。
昼になって、たくさんの人がケーブルカーで上って来てくれるのを待っていることだろう。






1号路は舗装もされているし、街灯もあるから安全すぎて面白くない。
しかし、史跡や名所はたくさんあるので飽きることもない。

うねうねと左右に蛇行した道を進むとタコ杉が現れる。
樹齢450年の大杉で、根本がタコに似ているからタコ杉だと書いてあるが軟体動物のタコなのか足にできるタコなのかわからない。
どちらのタコにも見えなくもない。

道端には他にも石造やモニュメントが多くある。






2:00

ゆっくりと歩みを進めると、暗闇にどっしりと門が現れた。
この先にある薬王院の聖域を示すものだろう。
門というのは俗と聖の境界を示し、気持ちを切り替える路上の節目でもある。

道は舗装されても、電気が通っても天狗がいるような気さえする。


門の前からは散策路が分岐しており、近辺を周遊する2号路・「植物コース」の異名を持つ3号路・「森と動物コース」と名付けられた4号路に分かれている。
このままメイン街道を歩いていても面白くないので右手に折れて4号路を歩いてみることにする。
3号路と4号路は山頂へと繋がっている。


ふたたび暗闇の中へと足を踏み入れることになった。
明かりに馴れるとやっぱり暗い。
そして下り坂が続くので少しばかり不安になる。







落ち葉を踏む音、枝が折れる音
静かな森に音を散らかして歩く。

自分たちの出した音ではない音が時々遠くから聞こえてくる。
何の音なのかはわからない。
でもたしかに聞こえる。

散策路をぐいぐい進めばいよいよ暗い。
木々の合間から夜景を見ることもできず、山の裏側を歩いているのだなと気付く。