Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

赤い電車に乗って。

2015-07-11 23:30:53 | とりっぷ!




私を乗せた赤い列車は、薄暗い地下駅を出発して地上へと放たれる。
大動脈を横目に、家路を縫うように、車体を傾けたりしながら予想もしない速さで進んでいく。

立派なクロスシートに腰を下ろして、向かうのは果ての海である。
赤い列車が、何処か知らない場所へと連れてってくれる。


車窓から見える日常的風景は目まぐるしく過ぎ去っていく。
まるで見慣れた光景を振り払うかのように走り去る。


列車はいくつかの大きな都市で乗客を吐き出して、同じくらい飲み込んでいく。

次第に隧道が増えてくると、地上に顔を出すたびにあたりの情景が変わっていくようだ。
迫り来る山稜と、狭く入り込んだ住宅地。
見慣れた巨大なビルは、もう遠くの方に霞んでしまっている。

さようなら日常。


観音崎トンネル巡り【増補版】

2015-07-01 00:23:31 | 神奈川

 

明治以降、急速に各地に普及していった隧道。
その初期を飾る隧道遺産が横須賀には残されています。
もともと山の多い地形であったことと、明治期に横須賀に軍港が整備され、千葉や三浦半島の沿岸部は要塞としての性格を帯びていったことが挙げられます。

また、隧道の建設時期も様々なため、多種多様な隧道が残されています。

東京湾に突き出た観音崎には江戸時代後期から東京湾の要として砲台が整備されたことに始まり、明治期には海軍施設も隣接する軍事色の濃い場所でした。
自然豊かな場所のため、現在では県立観音崎公園として整備されていますが、公園の中には多くの軍事遺跡がひっそりと残されています。

この地に残る近代遺産を隧道を中心にして紹介しましょう。









観音崎公園内の隧道①
通称:3分間トンネル


観音崎公園中央を横断する県道から園内の東京湾海上交通センターの施設を結ぶトンネル。
入口は観音崎トンネル(自然博物館側)のそば、出口は公園内の第二砲台近くにあります。

隧道は関係者以外は通行禁止との看板があります。
よく見ると隧道内は素掘りになっており、壁面剥落のためか、天井にはネットがかかっています。

県道と砲台跡には高低差があるため、トンネルは勾配になっています。
どうやら聞いた情報によると、この隧道は「押しボタン式トンネル」ともいうべきか、常に洞内の電気は点灯しておらず、入り口のスイッチを押すと3分間だけ点灯する仕組みらしいです。
その特異性から「3分間トンネル」の名で通用し、WEB検索すると心霊の類が多め。

内部には地下弾薬庫と思われる小部屋が存在しており、隧道内から入る扉はコンクリートで塗り込められていますが、砲台跡にある隙間から入ることができるようです。
水が溜まり、枯葉に覆われた狭い通路は小部屋に続いているようですが、非常に暗く色々な意味で怖いそうです。


 



 
観音崎公園内の隧道②
通称:28サンチ砲台への隧道

園内散策路と海の見晴台を結ぶ盲腸園路にあるトンネル。
隧道の先には第三砲台跡が残されており、詳しくは28サンチ榴弾砲の砲座だそうです。
倉庫跡なども確認でき、砲台に弾薬などを運搬する目的で建設されたのでしょう。

内壁は煉瓦(イギリス積み)になっており、内部に煉瓦積みを残す隧道は横須賀でも珍しいです。
多くの隧道は拡張されたり、塗り込められたりしています。

園内にあり、トンネルの先が行き止まりであるため当時のまま残されているのだと思います。










観音崎公園内の隧道③

観音崎灯台へ至る道には第一砲台跡が残されています。
砲台は2つあり、互いを結ぶ小さな隧道が設けられています。
専門的には横墻(おうしょう)というそうで、地下には倉庫があったそうですが、現在は埋められしまいました。

隧道は補強のためか、外壁をコンクリートで塗られていますが、一部が剥落して煉瓦が顔を出しています。


 

 
観音崎公園内の隧道④


海岸沿いの散策路にある素掘りのトンネル。
荒々しい壁が物語っているように、横須賀市最古のトンネルと言われています。

その歴史は明治以前、幕府の対外政策の一環として台場が築かれたときまで遡ります。
黒船襲来に備え、ここ観音崎が要塞としての役割を担い始めたころの話です。

県道側の出口は綺麗にコンクリ-トで塗り直されているので、一見普通のトンネルに見えますが、内部は素掘り。
不思議なほど天井が高いのも特徴的です。

 

 
権現洞


海岸の散策路に口を開ける行基伝説の地。
むかし、この洞窟に大蛇が住み人々を苦しめていましたが、741年に行基菩薩がこれを退治し鵜羽山権現として祀ったといいます。

また、日本武尊の妃である弟橘媛命がこの観音崎の沖で入水した伝説に基づき、弟橘媛命を十一面観音として安置したとも言われています。

海蝕洞窟のため、奥行きはありません。

 

訪問日:2013.8.31
再訪日:2015.6.27