Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

春の中央線の旅 その5 勝沼

2015-04-28 23:50:28 | とりっぷ!



芸術村を出て、バス停に着いた。
それにしてもバスの本数は少なく、あと40分近く来ないらしい。

最寄りの長坂駅まで、芸術村の公式HPによれば徒歩30分。
バスだと10分弱だとしても歩いたほうが少し早そうだ。

情報が嘘じゃなければ、バスよりも到着が遅くなることはあるまい。
知らない街をゆっくり散策しながら歩いてみよう。

歩道のない、片側1車線道路を駅に向かってとぼとぼ歩きはじめる。

道には迷うことはない。
なにしろ、選ぶほど道がないからだ。




のどかな天気で、風も少ないから恐ろしいほど静かだ。
アスファルトをスニーカーで踏む、「ぱたっ ぱたっ」という音以外には何も聞こえない。

景色はあるのに音がない、不思議な感覚。
そういえば、私たちは日ごろとにかく様々な音を聞いて処理している。
聖徳太子は10人の人の話を同時に聞き分けたというが、我々は雑踏から自分の知りたい情報を上手に聞き取る。
現在の我々も聖徳太子のそれに勝るとも劣らない能力だと思う。

太子は置いておいて、こうも静かな空間に身を置くとなんとも不思議な感じがしてくる。
じっとしていられなくなるような感覚は、都会病と名付けようか。






それにしても富士山が綺麗である。
まるで銭湯のペンキ絵のような景色だ。

周囲の山をはるかに凌駕して、どっしりと構えている。
朝起きて、富士山が見えたらどんなにいい目覚めだろう。






道路はいよいよ谷間へと入った。
谷の先に駅へと続く道が見えたりして、橋を架けたらどんなに楽だろうなんて思ってしまう。

坂の入り口付近にはアフリカンアートミュージアムなんて、気になるミュージアムもあったが先を急ぐ。

ゆるやかな下り坂を500mほど下っていくと、ようやく谷底となる川を渡る。
なんとなく川に降りて水をひとすくいしてから、同じように500mほど坂を上る。

さすがに歩き続けていると、ぽかぽか陽気も暑く思えてきてしまう。
どうにか35分かけて長坂駅に到着。
ホームからの景色を眺めると、芸術村よりもかなり標高が高いことに気づく。
復路の方が登りが多かったようだ。



ベンチで休憩していると、間もなく甲府行きの列車が到着。
クロスシートに腰を下ろして、次はどこへ行こう。

芸術村では残念ながら桜は見ることができなかったから、桜を見るために勝沼まで戻ることにしよう。
一旦甲府駅で降りて、次の大月行きに乗り換え。
来た道を戻るようにして、勝沼ぶどう郷駅へ。







ホームへと降りると、線路に沿うように満開の桜が迎えてくれた。
桜の行列である。

ここ、勝沼ぶどう郷駅はもともと勝沼駅といってスイッチバック駅だった。
昔、山間を通る路線では、本線とは別に伸ばした引き込み線にホームを設置するスイッチバック駅が多かった。

もともと鉄道というのは傾斜に非常に弱い乗り物であり、斜面で停車すると発進ができなくなってしまう場合があった。
そのため、駅の部分だけは平行にするためにスイッチバックの方式を採用したのである。
中央本線には他にも、初雁や笹子、韮崎など多くの駅がこの方式を採っていた。

時代が移るにつれて、車両の性能も向上することでスイッチバック駅は廃止され、本線上に駅が造られるようになっていった。
この駅も、1968年に現在の位置に移動している。

不要となったスイッチバック駅時代の線路跡に植えられたものがこの桜らしい。
実に見事である。






旧線は現在整備されていて、電気機関車も静態保存されている。
地元の人々がお花見をしているのも和やかだ。

駅前は遮るものがなく、一方では桜、一方では甲府盆地が見渡せる景観に優れた場所。
少し歩けば、旧線のトンネルを開放した大日影トンネル遊歩道もある。

せっかく勝沼まで来たので、歩いて20分ほどのところにある「ぶどうの丘」に行ってみることにする。
バスも運行されているようだが、例の如く本数が少ないため話にならなかった。






駅を出て、一度路地に入ると周囲はぶどう畑である。
盆地に果樹園とは中学の地理の時間に習った通りで、ぶどうと桃は山梨県の名産のひとつである。
勝沼駅(現:勝沼ぶどう郷駅)で貨物を取り扱っていた時代は、ここから鉄道で全国へ運ばれていたのだろう。

斜面に続くぶどう畑はまだ冬の名残があって寒々しい。






交差点に出ると、角には何やら丸いものが鎮座している。
これはもしかして噂に聞いていた丸石道祖神なのかもしれない。

行路安全の神だとか豊饒の神だとか言われ、利益・属性は多岐に亘り、謎が多い道祖神。

この地域では道端や辻(交差点)に丸石を道祖神として祀る信仰がある。
丸石を神として信仰する場所は全国的にも少なく、その事例は山梨県に集中していると聞いたことがある。
平安時代の絵巻などには丸石を信仰していたと思われる描写がいくつか出てくることからも、どうやら昔から丸石を信仰すること自体はあったらしい。
当時の人々は「まあるい」という形に神を見たのかもしれないし、神の憑代として考えられていた可能性もある。

それにしても、山梨などの一部の地域にだけ現在も残っていっるのは不思議なことである。

石の信仰については野本寛一『石の民俗』や五来重『石の宗教』に詳しい。






ぶどう畑の中を歩くこと20分、ようやく「ぶどうの丘」に到着。
駅よりも少し小高い丘の上に位置しているため、輪をかけて見晴らしが良い。
駅方面を眺めると、桜並木がミニチュアのように見えてくる。
その中心に位置する白い建物が駅舎だろう。

ぶどうの丘は宿泊所やホール、ワインカーブなどが集まる複合施設で、温泉もある。
『散歩の達人』の昨年12月号の特集で「ほんとうにいい日帰り温泉9選」にノミネートしていた天空の湯がある。

温泉に関してはまだまだミーハーなので、とりあえず「ほんとうにいい」なら入ってみるべしと、ここまで来てしまった。
料金は大人610円。平日ということもありだいぶ空いている印象。

ただでさえ高台に位置しているのに、温泉に入るには2階へ上がる。
室内風呂はシャンプーからぶどうの香りがするくらいで、他はそこらのスーパー銭湯とスペックは変わらない。

素晴らしいのは露天風呂。
扉を開ければ、甲府盆地が広がってが眼下に広がっている。
簡素な柵があるだけで、他に遮るものはないから遠く南アルプスまで見晴らせるのだ。

私は熱い湯が好きなのだが、景色をゆっくり眺めたいから、ぬるい湯がちょうどいい。
あと半月もすれば緑が茂って、もっと鮮やかな景色になりそう。
もちろん夜景も美しそうである。

T氏と語らいながら1時間近くは湯に浸かっていた。


春の中央線の旅 その4 清春芸術村

2015-04-26 01:55:36 | とりっぷ!


長坂の駅を出発したバスは、遠く富士山を横目に見ながら走る。
信号の少ない、広々とした道に、街灯は見当たらない。

やがてバスは深い谷に向かってゆっくりと下りていき、なんてことのない小川を渡ると次はまた上っていく。
芸術村のホームページには長坂の駅から徒歩30分などと、しれっと書いてあるが、どう考えたって人が歩いて通る道ではない。

坂を上りきると、また横から富士山が顔を出して、フロントガラスの先には南アルプスの山々が先程よりも近く見えるような気がする。

周囲を見渡すと、ぽつりぽつりと民家のような建物と、あとは広大な田畑である。
畑の土はまだ乾いた色をしているが、気温もだいぶ高くなってきたので、農作業をする老夫婦の姿も見える。

雪を載せた急峻な山に抱かれつつも、一日中日のあたる平野がある。
日本の隠れ里とはちょっと違うけれど、なんとも平和そうな場所である。

しばらくすると、バスが停まって、「芸術村です」と運転手さんが教えてくれた。
運賃の支払い方は、レジによくおいてある受け皿的なものに硬貨を置いていく方式らしい。
両替機も、運賃箱もないから、受け皿に載っている小銭で両替をする。
実にアットホームな雰囲気だ。

バスを降りると、桜の木々に囲まれるように芸術村がある。
甲府では満開だった桜も、ここではまだ咲いていない。
ずいぶん標高差があるのだろう。






さて、清春芸術村。
周辺には大きな看板も案内も何もない。
ただ静かに片方だけ開いた門が、私たちを迎えてくれた。


中へ入ると無造作に、建築や彫刻が置かれている。
予備知識なしに訪れたら、ここがどういう場所なのかわからないだろう。
私ものちほど知ったのだが、画廊オーナーが廃校になった小学校跡地を買い取り、創作活動の場として開いたのだとのこと。
吉井画廊オーナー・吉井長三は白洲正子、東山魁夷ら文化人と共にこの地を訪れ、芸術村を作ることを決めたのだという。
設立は1981年のこと。


入り口の目の前にあるカルーセルみたいな建物は「ラ・リューシュ」というらしい。
パリ万博のパビリオンとして建てらたものその後集合アトリエとして利用されてきた有名建築を模したもので、オリジナルの設計はギュスターブ・エッフェルである。

この邦版ラ・リューシュも内部はアトリエとして生活できるようになっているというが残念ながら、内部に入ることはできない。


小学校の校庭と思われる芝生空間に、いくつもの建築がある。
互いに遠慮するように隅の方にあって微笑ましい。
どこからでも見えるのは、桜の木々と、南アルプスだ。







T氏のお目当て、「光の美術館」も静かに佇んでいる。
一目見れば、すぐに安藤建築とわかってしまう打ち放しコンクリート仕様である。
でも、箱のような小ささが可愛らしくて、いい。

外観の印象はかなり小さい。
機械室と言われれば信じてしまうほどで、どうにも美術館であるとは考えにくいが中に入るとオシャレである。
二階へ続く半吹き抜け空間と、スパッと切られて外光の取り込める天井がおもしろい。

天井の一部がガラスになっていることから、自然光が館内に射し込み、時間によって表情を変える。
だから光の美術館なのか、と納得する。

展示品はスペインの作家のものであるが、建築見たさに訪れる人もいそうな気がする。








光の美術館のある芝生から、階段を少し上ると、同じく打ち放しコンクリートの建築がある。
安藤さんの作品かな、と思ったのだが違うらしい。

谷口吉生のジョルジュ・ルオー記念館(礼拝堂)である。

ホームページによれば「20世紀最高の宗教画家」ジョルジュ・ルオーを記念した礼拝堂だという。
そこで20世紀の芸術に疎い私は、ぴんと来なくて申し訳なく思うわけだが、瞑想にふけることができそうな内部空間は印象的である。

コンクリートの優しくない感じが、静謐な空間を作り出している。
西洋の教会も石造りであるから、キリスト教的聖域はこんな雰囲気なのかもしれない。

それにしても、出入口の木造扉が板チョコみたいで可愛らしい。
建築全体と対照的である。

 



芸術村は芸術家たちの創作活動の場として設けられているので、関連性のないいくつかの建築が一度に会していて興味深い。
他に、油絵画家の梅原龍三郎のアトリエや藤森照信の茶室もある。

様々な建築が集う芸術村の中でも、中心施設となるのは清春白樺美術館であるという。
この芸術村を設立した吉井長三が、交流のあった武者小路実篤の遺志を継いで建設した美術館で、建築は谷口吉生。

平面的な建築だが、内部の展示空間には高低差を設けており、作品と共に楽しめる。
展示作品は白樺派の作家作品を中心に、ジョルジュ・ルオーや東山魁夷の作品も多い。




ひと通り見学して、外へ出た。

こんな辺鄙な場所に、なぜ美術館があるのか疑問を抱いていたが、都心にはなくて、ここにしかないものはたくさんありそうだ。
きっとそれは私がバスの車窓を見ながら思ったことと同じであろう。

芸術家たちにとってもこの地は桃源郷であったに違いない。


春の中央線の旅 その3

2015-04-19 00:20:02 | とりっぷ!


続いて、大月駅から乗車するのは甲府行きの普通列車。
重厚ながらも可愛らしい古参の車両に乗れるのも中央線の魅力である。

車内はボックスシート。
甲府までの区間は是非とも進行方向左側の座席に座っておきたい。

出発してもまだまだ山の中。
車両も、うんうんと唸りながら走っているから頑張っている感じが伝わってくる。
車内放送などは聞こえない。

ずいぶん長いトンネルに入った。
笹子峠の下を潜る笹子トンネルであろう。
全長4656kmもの長大トンネルで、並走する中央自動車道でトンネル天井崩落事故が起こったことは記憶に新しい。



眺めるものもなくなって、しばらく風を切る轟音を聞きながらぼんやりしていると不意に太陽光が射しこんできた。
目を細めつつ、車窓に目をやると、先程までのどんより空が嘘のように晴れ渡っている。

山を一つ越えただけで、こんなにも天候が変わるものなのかと驚いた。
陽ざしが暑いくらいに射しこんで、一気に春になった。


 




もう一度、新御日影トンネルと呼ばれる長いトンネルを抜ければ、いよいよ春景色も最高潮に達した。
甲府盆地の平野が目の前に広がり、その景色を邪魔するかのように満開の桜。


「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」とは有名な川端康成の小説の冒頭文だが、まさにトンネルを抜けると春なのである。

ぼんやりとしていても列車は進んでいることを実感せずにはいられない。

東京も3月下旬から悪天候が続いており、なんとも久々の青空だ。
目の前の桜に目を奪われていると、列車は勝沼ぶどう郷駅に停車した。

この区間は中央線沿線でも屈指の絶景区間で、次の塩山駅までの間に平野まで一気に駆け降りる。
この眺望を楽しむため、席はなるべく左側がいい。
それでも満開の桜と青空のサプライズはまったくの予想外であった。





さっきまで唸り続けていた車両も心地よさそうに坂を下っていく。
遠くには雪を載せた南アルプスの山脈が望める。
近景に目を移すと、たくさんのぶどう畑だ。「駅前足湯」なんて看板も見かける。

駅間隔が短くなって、多くの乗客が乗ってくると、いよいよ山梨県の中心部へとやって来た感じがする。


甲府城の城郭が見えたら、終点の甲府に到着。
といっても、一休みするまもなく、隣のホームに停車中の松本行きに乗り継ぎ。
次の車両は残念ながらロングシートだ。



甲府市も桜が満開で、車窓風景には事欠かない。
ついでに市街地を出ると、富士山も顔を出した。
富士と桜なんて、なんとも近代日本や日本好きの外国人が好みそうな日本風景である。

通勤車両から見る富士山もなかなか悪くない。
日常的に富士山が見えるっていうのは羨ましい限りだ。


列車はまたしても平野から山地へと向かうため、標高を上げている。
勝沼あたりで見た、雪を載せた山々も、もうすぐそこまで迫っている。
本当に日本は山ばかり。山に挟まれた小さな平地に人間がひしめき合って暮らしているのだ。

 


山梨県も北東のはしっこ、小淵沢駅の一つ手前の長坂駅で下車。
上り坂の途中に設けられた簡素な駅だ。

ホームからは爽快なほどのマウントビューである。

降りたのは私たちくらいなもので、列車が去ってしまうと、聴こえる音は鳥の鳴き声くらいなものだから驚いた。
はたして、なぜこんな自然豊かな途中駅で下車したかというと、今回共に旅しているT氏の目当ての美術館がこの地にあるからである。

清春芸術村――。
私も美術館特集の雑誌で、名前だけは知っていた。
T氏はその芸術村にある「光の美術館」を見てみたいという。

駅前の小さなロータリーから出る公共バスは1日に4本。
やって来たマイクロバスには「芸術村」の文字がないので、不安になったが運転手さんに聞けば確かに経由するという。
公共交通機関で、その芸術村を訪れる人は少ないと見た。

そして、バスは運賃表も案内放送もない。
なんだかタクシーのようである。

乗客は私たちと、あとひとり。
アットホームな雰囲気のバスは、私たちの知らない行先目指して進んでいく。

 


春の中央線の旅 その2

2015-04-18 18:40:16 | とりっぷ!



高尾駅を出発すると大きく揺れて、勾配を登っていく。
山々が左右から迫って来て、今にもトンネルに入ってしまいそうだ。

山肌に沿うように近づいてきた中央自動車道と、高尾山の山塊を貫いた圏央道が上空で交わるのが見えると、いよいよ発車後最初のトンネルである「湯の花隧道」に入る。
昭和25年8月5日、満員の乗客を乗せた東京発長野行の下り列車がこのトンネルの手前で米軍による機銃掃射を受け、60人を超える死者を出した。
列車銃撃による国内最大の死者数を出した銃撃事件の慰霊碑が、盛土の下に立っているという。

そんな歴史を秘めた湯の花トンネルを抜けると、しばらくは進行方向左手に中央道が寄り添う。

中央本線と中央自動車道。
共に東京と愛知を山梨を経由して結ぶ、いわば兄弟のようでもありライバルでもある。
ここから長野県岡谷付近までの間は寄り添ったり、離れたりを繰り返しながら進んでいく。

車窓から高速道路を走る高速バスが見て取れるし、高速道路を走るときは水色の列車がよく見える。





最初の難所は小仏峠。
江戸時代以前は甲州街道の関所が置かれたと言われている。
中央線は長いトンネルで抜けていく。

トンネルを出れば神奈川県相模原市。
徐々に坂を下ると、相模湖駅に滑り込む。
車窓からも、ちらちらと湖の姿が見える。

京極夏彦『魍魎の匣』では14歳の少女、柚木加奈子と楠本頼子が夏休み3度目の金曜日の最終列車で目指そうとした夜の湖がこの相模湖であった。
東京都心からも難なく訪れることができる場所とはいえ、どことなく怪しげな雰囲気が漂う湖である。

しばらくの間、車窓には湖に堰き止められた流れのない川が寄り添っている。
山肌に寄り添うように集落が続いている。
相模湖もダム湖であるから、以前はもっと下方にも集落があったのかもしれない。




上野原駅に到着するころには山梨県に入って、もう一度山越え区間が始まる。
轟音を上げて勾配のあるトンネルを進んでいく。

しかし、次の四方津駅には斜行エレベーターで駅前と直結した高台に新興住宅街があるというから驚きである。
ここから東京へ通勤する人々もいるのだろう。
通勤時間は長くて大変そうだが、空気は良さそうだし健康的な生活ができる気もする。




幾つかのトンネルと駅を越えて、大月駅に到着。
乗車した列車は富士急行線に直通する河口湖行きのため、ここで途中下車。

大月駅は富士急行線の起点でもあり、富士山が世界遺産に登録されたこともあって休日には中央線からも特急などが直通したりする。
河口湖行の列車には学生グループが乗っていたが、きっと富士急ハイランドへ向かうのだろう。

それにしても富士急ハイランドは東京から遠くても人気は衰えることを知らない。


春の中央線の旅 その1

2015-04-18 00:29:35 | とりっぷ!



4月も始まって2日目の木曜日。
青春18きっぷで旅に出る。
今回は中央線途中下車で山梨県を巡る。



 




中央線の旅は高尾駅から始まる。

新宿駅でも見慣れたオレンジ色の帯をまとった車両に乗って、終点の高尾駅に降りると、大きな天狗が迎えてくれる。
高尾山の山岳信仰のちなんで、こんなにも大きな天狗がホームにいらっしゃる。

周囲を眺めると、高尾山をはじめとする東京西方の山々もすぐそこまで迫っていて、東京の最果ての空気を感じる。
この大きな天狗も「この先の道は険しいぞ」と私たちに忠告しているようにも思えてくる。

東京の終わりと、自然の始まり。


気温は都心よりもちょっとだけ寒い。
天気予報では晴れの予定であった空模様も、今はどんよりとしていて、つれない。
4月に入ってもまだまだ冬の名残があって、この先の旅路でも春を感じられるものか不安にもなってきた。
とりあえず、先を急ごう。







同じ中央線の路線でも、ここ高尾駅以西は列車の本数が減る。
多くは東京方面からは直通せず、この高尾駅で乗り継ぐのだ。


隣のホームで待っていた、見慣れない水色の帯の列車に腰を下ろして、山梨への旅へと出かけよう。