Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

太陽の塔 【再編集版】

2013-09-30 23:53:50 | 関西地方

 

タワーと言ってもちょっと変わった塔の話をしましょう。
大阪万博で有名な太陽の塔、岡本太郎氏の作品です。

大仏や新宗教団体の塔が高層化する中、その先駆けとも言えるのではないでしょうか。
なんたって70mもあるのですから。




1970年―
日本万国博覧会、通称・大阪万博が千里丘丘陵で開催されました。

その大阪のテーマは“人類の進歩と調和”。

その万博のテーマを伝えるテーマ館のプロデューサーを務めたのが岡本太郎氏。
そして誰も予想しなかった塔を建てたのです。

太陽の塔、万博の象徴として深く日本人の記憶に刻まれたことでしょう。


そして万博が終わった後も太陽の塔は残されました。


大阪万博会場の跡地は万博記念公園となっています。
訪れるには大阪モノレールが便利。
大阪空港と門真市を結ぶ営業区間の長いモノレールで万博記念公園下車。

改札を出て案内板通りに行くと左手に太陽の塔が見え始めます。
万博記念公園、自然文化園の入場は大人250円。







改札から入ると目の前で両手を広げ待っているのが太陽の塔です。

1970年からこの地に立つ全長70mの巨大建造物。

万博開催時もメインゲートから目の前のシンボルゾーンから観客を迎えました。








空に輝くのは黄金の顔。

未来を現しているようです。

不思議な避雷針が付いており、目玉は夜になると光ります。







中心の力強い顔が太陽の顔。

現在を表しております。

太郎氏はこの太陽の顔にはこだわっており、
1/20のマケットを多数造り、その中から選ばれた顔がコレだという。


万博時には太陽の塔には高さ40mの巨大な大屋根がかぶさっており、それを突き破った形で立っていた。

ゆえに黄金の顔は屋根上にあったので
太陽の塔の目の前に立った観客はこの太陽の顔と対峙したことでしょう。





背部には黒い太陽。

過去を表しています。

“黒い太陽”という言葉・作品はよく登場しており、
岡本太郎を知るキーワードのようになっています。

顔は信楽焼のタイル、緑のコロナはイタリア産のガラスモザイクタイルで出来ているそう。






園内にある大屋根の一部。


太陽の塔が大屋根を突き破って立っていたのには理由があります。

今となっては考えられないのですが内部は展示空間だったのです。

内部は万博の主軸となるテーマ館になっています。


太郎さんが頼まれたのはテーマ館のプロデューサーであり、
観客が注目しまた停滞させないような展示構成を考えた結果
三層の展示、地下・地上・空中を設けて地下展示と空中展示を太陽の塔でむすんだ。

観客は地上の待ちスペースから動く歩道に乗り地下へと進む。

地下には「いのち」「こころ」「ひと」「いのり」などといった
人類の過去―根源の展示があり、太郎作品の地底の太陽もありました。
地底の太陽は万博終了後、撤去作業中に紛失し幻の太陽となってしまっています。

地下展示から次に、エスカレーターで太陽の塔の内部を上がっていきます。

「生命の樹」と名付けられた、50mの大きな樹があり、生物の進化を上りながら体感できたといいます。

そして太陽の塔の腕の部分をつたって空中の大屋根に出ます。
太陽の塔の広げた手は観客を大屋根へと誘導する役割があったのです。

大屋根部分には空中・未来―進歩の展示があり、
最後はエスカレーターを下って現在―調和の広場に到着。

仏教でいう胎内くぐりのようでもあったのです。

 


太陽の塔とは、根源から噴き上げて未来に向かう生命力の象徴。

しかしこれは進歩とも調和とも思えません。
太郎さんはこの万博のテーマ、進歩と調和には反対でした。

「技術の発達で進歩と言えるだろうか。」
「馴れ合いは調和と呼べるか。」
などとテーマを疑問視した彼は各パビリオンが最新の科学技術を見せる中、
人類の根源的なもの「いのち」の展示で反発したのかもしれません。

人間のこころに訴えかけ、奥底に眠る人間としての誇りや尊厳を呼び覚ますために
ベラボーなもの、太陽の塔を立てたのです。







万博が終了し、その他のパビリオンが解体されても、太陽の塔だけはこの地に残りました。
大阪万博でもっとも万博的でないものが現在まで残されているとは不思議なことです。

閉園後に植えられた植物たちが成長して森となり、万博の面影は今はまったくありません。


太陽の塔は万博の遺産として、また個々の象徴として千里丘に立っています。

参考:平野暁臣編 『岡本太郎と太陽の塔』 小学館
万博記念公園内には大阪万博の記録を展示するEXPO'70パビリオンがあります。(有料)

 


京都探訪記29~ちぐはぐ迷路~

2013-09-09 22:00:02 | とらべる!

 

 前回


南禅寺の静けさを堪能した後は東山沿いを歩いて永観堂へ。

永観堂は禅林寺とも言って浄土宗の寺院。
本尊のみかえり阿弥陀像の逸話で知られる永観律師に由来する。

拝観料を支払い、大玄関から靴を脱ぎ、各堂を参拝して回る。 

 

 
山肌に張り付く境内は起伏が多い。
御堂を結ぶ廊下は各所で階段またはエレベータとなる。

ちぐはぐした感じが迷路っぽい。

パタパタと足音を立てながら廊下を歩くのも楽しい。

永観律師の逸話が残る悲田梅や葉先が3つに分かれる三鈷の松、水琴窟などを見つつ階段を上がっていく。




ちぐはぐした永観堂の中でも
いくらなんでも無理やりすぎる不思議な階段がある。

臥龍廊といって山肌に沿いねじれた急な階段。
いっそすべり台にでもしてしまいたいくらいの急斜面でその名の通り龍の姿を彷彿とさせる。

 



参拝ルートのもっとも奥にあるのが阿弥陀堂。

ここに安置される阿弥陀如来像はちょっと変わっている。

一般的に「みかえり阿弥陀」と呼ばれ、お顔だけが横を向く他に例の少ない像。

薄暗い御堂の中、遠くに見える阿弥陀様は思ったより小さい。
身体はこちらに向かって来迎印をしているのに顔がそっぽを向いてしまっている。

仏様に会いに来て、顔が合わないのは寂しい。

しかし、御堂の中を歩いていくと阿弥陀様のお顔の向く方向へ行く事ができた。

いちばん近いところに立って、じっと見つめると繊細な造形に神々しさを感じずにはいられない。
すーっとこちらを向いて何かを囁いてくれるような優しい雰囲気。

御堂の中の匂いと音と光の中、阿弥陀様を拝んでいるとふわふわと夢に中へ行ってしまいそうだ。
極楽浄土に導いてくださるかもしれない。

 


京都探訪記28~水路閣~

2013-09-09 21:20:29 | とらべる!



前回


拝観料を支払い、南禅寺三門に登る。

靴を脱ぐとまずは壁のように急な階段である。
綱でできた手すりにつかまって一気に登る。

スリッパを履いているが冷え冷えとした空気が足から伝わってくる。
今日はだいぶ冷え込んでいる。


階段を登り終えると目の前には京都市街の風景。

手前には南禅寺境内の林が広がって、その奥に京都の街並みが見える。
例えるなら天にいるような感じ。

木々を雲に見立てて、遥か遠くに私たちの住む世界がある。

五右衛門の逸話がよみがえる。

でも三門から眺める冬の景色は少し寂しい。
紅葉の季節にも来てみたい。

でもこの静けさも好き。


 

 静かに澄み渡った境内を歩くと、木々の隙間をかさかさと風が吹き抜ける。

木々の根元に生えた苔たちが木漏れ日にあたってきらめいている。

きっと緑の繁る季節に来たら、違う雰囲気なんだろうなと思いながら、法堂を参拝し、水路閣へと迷い込む。

 





明治時代、京都に琵琶湖の水を導くべく大規模な工事が行われた。
琵琶湖疏水と呼ばれるその水道は南禅寺の境内を通すことになったのである。


石造りの橋じゃ景観を損なうからこの形になったというが
京都随一の禅寺にローマ風アーチ橋の水路を建ててしまうとは明治の人もなかなかのアヴァンギャルドである。

本当に同化してしまっているからすごい。

交わることのないであろう禅寺と煉瓦造りが結びついてしまった。