バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

熱いドラマが始まります。

2012-05-31 03:59:35 | やっぱりミニバス!
平成24年5月31日 木曜日

「熱いドラマが始まります。」


高校総合体育大会…高校総体が千葉県で始まります。

千葉県大会は、バスケでは、80校以上のチームが参加します。

負けたら、そこで3年生は引退…勝ち続ければ、全国制覇です。


毎年繰り返されるシナリオのない熱いドラマが、今年も始まります。


我が子達が歩んだ道を後輩達が行きます。

感動の涙がまた多くの感動を与えてくれます。

頑張れ!
少年、少女達!

自分を信じる! 仲間を信じる!

2012-05-30 02:57:30 | やっぱりミニバス!
平成24年5月30日 水曜日

「自分を信じる! 仲間を信じる!」


自分を信じる!

自分を信じるのは、自分しかいない。

信じ切ってプレーをすることで、信じる自分になれる。

仲間の信頼に応えるために、自分を信じる!

自分を活かして、仲間を活かす。

信じない心と闘うのは、自分でしかない。

信じられないと思い続ければ、信じる自分は実現しない。

信じる自分が実現しなければ、仲間の信頼に応えることが出来ない。

仲間の信頼に応えられなければ、チーム一丸にはなれない!


絶対的なエースなんていらない。

チームの全員で闘う…オンコート(プレーヤー)も、インベンチ(シックスメン)も、チアーリィングシート(応援席)も、全員で闘う。

そんなチームでありたい。

そのために、一人ひとりが自分を信じる強い気持ちを持つ!

自分を信じ、努力を継続する者が、信じる自分を実現できる。

信じる自分を実現させれば、チームは夢を掴(ツカ)むことができる。

顛末記~ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012

2012-05-29 14:43:33 | やっぱりミニバス!
平成24年5月29日 火曜日
 
「顛末記~ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012」


数年前のミニバス男子の合宿で、烈火のごとく叱りつけた男の子…

子供達が5年生の時の夏合宿でした。


今、その子供達は中学2年生…ミニバスをしていた12人の子供達は、それぞれの中学でバスケを続けています。

その時に叱りつけた男の子も、その12人の仲間のひとりです。

ただし、彼は6年生になり、家族とも話し合い、私立の中学受験を選択しました。

もともと勉強もできる子で、そしてバスケも好きで…、

両方を追求し、中高一貫の学校に進学して、バスケも勉強も頑張ることにしました。

ミニバスは、6年生の夏から休部し、昨年の2月に見事に受験に合格!

そして最後のミニバスの1ヶ月に、行われた公式戦に間に合いました。

しかし、チームの動きはわかりません。

だけど他の子供達にとって彼は仲間でした。

それぞれの試合で、4Q目に彼をコートに送り出すことができました。

彼が一本のシュートを決めた時は、保護者も子供達もひとつになって拍手喝采でした。


それから、一年余りが経ち、ひと月ほど前に、たまたまスーパーで彼のママさんにばったり出合い、

私から、『○○さん♪ お元気ですか!?』と声を掛けました。

ママさんは、驚いて振り向かれ…『コーチ!?』と絶句しながら目は笑っていました。

ママさんの話しでは、彼は今でもバスケを続けており、

進学校ではありますが、部活は朝練もあり、課外の部活もそれなりにハードで、

彼は、毎朝欠かさず朝練に参加し、課外の部活も休まず出ていて、

学校生活を一生懸命に過ごしているとのこと…

お話しを聞いていて、目頭が熱くなってきました。

彼に会いたいなぁ…との思いでいっぱいになりました。

まさに、感無量でした。

ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012

2012-05-29 01:09:32 | やっぱりミニバス!
平成24年5月29日 火曜日
 
「ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012」


数年前のミニバス男子の合宿でのことです。

日記やブログにもしました。また読み返し、少し編修しました。



バスケにしろ、バスケ以外のことにしろ、

仲間に対して、理不尽な行為に及ぶということは、

決してあってはならないことであり、許されるものではありません。


私は、烈火のごとく叱り付けました。

子供達全員を座らせて、みんなの前で、その子を叱りました。

子供同士のこととはいえ、ごみ箱を投げつけて仲間を傷つけておきながら…、

大人が間に入り、彼らから事情を聞き、

そういうことはしてはならないと、二人に話して聞かせ、握手をさせて一件落着…?


私は、そのことを電話で連絡を受けて、すぐさま、宿泊所に車で駆け付けました。


そして、現地に着いて、何事もなくミーティングしていた子供達のところに飛び込み…

部屋の外にすぐに集合するように指示しました。


とにかく、私の思いとして…

大人が、何事もなく納めようとすること…、

そうではなく、してはならぬことは、してはならないのです!

いかなる理由であれ、物を投げ付けて仲間を傷つけるなどということは、

投げられて傷ついた者の痛みがわからないからやるのです。

自分がやったことの痛さがわからないから、やってしまうのです。

だから同じことを繰り返すのです。

大人が訳知り顔をして、ナァナァで済ませてきたから…、

心が耕された子供に育たないのです。


その痛さを知るには、その痛さを受けてみて、はじめてわかるのです。

…投げられ傷つけられた仲間の痛みが、

そして、自分の身体でその痛みを知ることで、自分がした事の重大さを知るのです。

それを教えるのは大人の責任です。

互いに話しをさせて握手して終わり…ではないのです。

烈火のごとく、筋をとおして叱ること!

それが必要だと思います。

私は、ミニバスのコーチをして子供達を指導していますが、

子供達の心を耕すことは、子供達の立場に立って、事の善悪を真剣に全身全霊で叩き込むことが大事なのです。

法律のような論理ではないのです。

人として、してよいこと…、してはいけないことを知識ではなく、

してはならないことは、してはならない!…として、

なおかつ理解させるように、烈火のごとく叱る!

それが子供達の心を、人として、あるべき「かたち」に耕す導き方であると…

私は信念として確信し、子供達と向きあっています。


さて、その事の顛末(テンマツ)ですが…、

投げつけた子を、仲間の子供達の前に立たせて…、

ゴミ箱を投げつけられた子に、『彼にゴミ箱を投げて、お前が受けた痛みを、わからせるべきだろう!』と言い…。

投げつけられた子にゴミ箱を探させました。

実際は、私はゴミ箱を投げ付けさせてはいません。


そして烈火のごとく叱りつけました。

『お前には、どんな理由があるかは知らない!

しかし、相手を傷付けて、それで気持ちが納まるなら、

投げつけられ、傷付けられた仲間の気持ちはどうなる!?

自分がその痛さを知らないから、仲間を平気で傷付けることができるんだ!

それでいいのか!?』


そして同時に、他の子供達に、『そう思わないか!? やられた痛みを知らず、握手して終わり? それでいいと思うのか、お前達は!…』


驚いて、事の成り行きを見ているしかない子供達を前にして、

投げつけた子供に、『その痛みが…お前にわかっているのか?』 と叱り、

そして子供達みなに、

『よく考えてみることだ。

他人任せで、他人の事だから…

仲間のことを自分のこととして思えないから、それで終わらせようとする。

それは違うだろう!?』
…と語り、事を納めました。

この納め方が正しいものか、そうでないかは、それぞれの考え方があると思います。

私は、私の思いを持ってそのようにしました。

そして、それが間違いだったとは思っていません。

これからも、全身全霊をもって子供達と向き合っていこうと思います。

ミニバス男子…試合・戦績

2012-05-28 00:24:32 | やっぱりミニバス!
平成24年5月28日 月曜日
 
「ミニバス男子…試合・戦績」


ミニバス男子…昨日、一昨日の土日と練習試合でした。

チームの課題を子供達みなに伝え、やり切ることと、

それぞれの子供達、一人ひとりの課題を、一人ひとりに伝えて…

体験しながら、子供達は自分を越えて行こうとしているようです。

『コーチ、僕は何が足りないんでしょうか?』

『コーチ、ガツガツ行くというのは、どんな風に行けばいいんですか?』

…と真剣な眼差しで聴いてくる子供達。

まだまだ、チームとしては荒削りですが、その真剣さがあれば、

その真剣さで練習に臨めば必ず成長すると思います。

ただその真剣さが、空回りしていて安定感あるチーム力を発揮しきれない現状です。

歯がゆくもありますが、コーチがあきらめては話しになりません。

コーチには子供達の真剣さに応える責任があります。

その真剣さを信じて、応えていきます。


ちなみに、うちのチームの4月以降の戦績は…、

練習試合と公式戦も含めると、29戦して、24勝3敗2分けで、

勝率 約8割3分


それでも、肝心な試合で足下をすくわれるように、自滅します。

3敗2分けのうち、安定したチーム力の差で負けた試合はひとつです。

そのチームは、この1月からの戦績が、54戦して、54勝無敗で試合ごとにチーム力が増しています。


あとの2敗2分けは、うちが前半で点差をつけられ、後半で詰めながらも、

ゲーム途中で、焦り、プレーが雑になり、弱気になり、自滅するように崩れていく展開です。

それが全試合を通じて、ほぼ似たり寄ったりの共通したパターン。

だから、安定感を感じないし、

だから、安定感あるチーム力になっていない。


勝っているのに、チームファウルがかさむ、

それだけ攻めのディフェンスをしているのでは? と思われるでしょうが、違います。

手が出ます。カバーの入りが遅れます。

一本のシュートを決めきれない。

相手のスピードに合わせて、スピードで対向しようとして、プレーが雑になり…自滅する。

それを修正しきれれば、チーム力は安定し、またひとつ強くなるのでしょう。

一喜一憂しながら、行きたいと思います。

ファイト!
子供達!

教え…2012

2012-05-27 00:40:20 | やっぱりミニバス!
平成24年5月27日 日曜日
 
「教え…2012」


江戸時代、会津藩に日新館という藩の学校がありました。

有名な白虎隊も教えを受けていた藩校です。

この藩校に入る前に、子供達に対して、「什(ジュウ)の掟(オキテ)」というものがありました。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

三、虚言(キョゲン:ウソ)を言うことはなりませぬ

四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ

五、弱い者をいじめてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
(七つ目は、時代にそぐわないものですね。)


そして、この七か条の締めくくりの文言(モンゴン)が…、

「ならぬことはならぬものです」

要するに、これら七か条は、問答無用であり、いけないことはいけないと言っています。

論理ではないのです。

これは「情緒」として、「人の道」として、価値観として、守るべきものなのです。

今の世の中、大人が子供達から、明らかに「道」から外れていることについて、

「何故いけないの?」と聞かれたときに、一生懸命、説明しようとします。

「何故、戦争や死刑で人を殺しているのに、僕たちが人を殺してはいけないの?」

…と聞かれて、あなたはどう答えますか。

「人の命は尊い、人の命は地球より重い、人の命は人が奪ってはならない天から授けられたもの」等

しかし、人は合法的に「死刑」という罰によって、人を殺しているのです。

それは論理矛盾です。

ですから、「情」という観念ではわかるものを、論理で説明しようとするから…、

汗をかき、言い訳的な説明になるのです。

これは、その人が人生を歩んでいく上で持つべき、考え方…、

すなわち、人生観、主義、信仰、死生観、道義といった価値観によって述べられるものです。

野に咲く花が美しいということは、論理ではありません。

泣き歌も何故、涙するのか、論理ではありません。

卑怯なことはいけない、というのも論理で説明できるように思えますが…、

それは「情」という観念で述べられるものです。

子供達が論理だけで物事を説明できるようにするために、

論理性を育成する教育に重点を置いたが故に、現代の風潮を招いたと思います。

「人の道」としての「情の観念」は、その人の人生観等の価値観を育てる基礎となるものです。

その価値観は、大人が押しつけて良いのです。

もちろん子供は反発するでしょう。

それは、それでよいのです。

初めに何かの基準を示さなければ、子供の心に「情の観念」は芽吹かないでしょう。

それが芽吹かなければ、自分が生きていくための自分なりの人生観等の価値観が根付かないのです。

この「情の観念」たる価値観を持って、論理的に物事を考え、判断できる者こそが、

あるべき「人」だと思います。

心を耕す…2012

2012-05-26 05:47:16 | やっぱりミニバス!
平成24年5月26日 土曜日
 
「心を耕す…2012」


学校での教育、家庭での躾…

子供に手を挙げることは、今の世の中ではでき難いと思いますが…、

我が子であれば、躾のために愛のムチは必要なことだと思います。

いずれにしても、筋をとおして烈火のごとく叱り付けることは必要でしょう。

子供達に物事の考え方は教え育てなくてはいけないと思います。


子供達に人権はあるから尊重すべき?

人権は、義務と責任を果たすことができる…

ちゃんとした正統な価値観を持っている者が有するものだと思います。

子供達には、その正統な判断基準となる価値観を心に育むために、

ときに厳しく、ときに優しく…その心に水と太陽の温もりや、猛々しい嵐の激しさをもって、

その心を耕していくこと…それが教える者の責任だと思います。

「自分がされて嫌なことは、人にしてはならない!」

「嘘はついてはならない…やってしまったことから逃げてはならない!」

至極…単純なこと、この単純なことを徹底的に子供達の心にインプリメントすること

自分の心がしっかりと、「かたち」あるものとして創られていくことで…その価値観は創られていくと思います。

そのための厳しさが欠落しているから、子供は自分のことしか考えない心を持ってしまうのでしょう。

人に対する優しさは、人の痛みを感じることができなくては育むことはできません。

それはときとして、烈火のごとく叱ることでインプリメントすることができると思います。

思い知らせる激しさが、そこには必要なのでしょう。

教え育てる者は、冷静に烈火のごとく叱るのです。

子供達の心を正統な偏りのない「かたち」に創るために…

大人は臆することなく、断固たる信念をもって行うべきなのです。

今、再びの想い…

2012-05-25 07:38:57 | やっぱりミニバス!
平成24年5月25日 金曜日
 
「今、再びの想い…」


昨年の今日は、長女が逝って二日目…

通夜と葬儀のことに追われながら、

最後の長女の暮らしのことを何も知らずにいた自分…

その後、明らかになっていく長女の暮らしに愕然とし、親としての悔やみが溢れ、

もっと長女のことを知る務めを果たしていれば、逝かすことはなかった…

その悔やみは、どうしようもなく、それを抱えて生きていくしかないのです。


娘を導くことのできなかった、親としての自分を見つめていきます。

自分を責めても仕方がないことは、わかっています。

しかし、そう思わずにいられないのが親なのだと思います。

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「導くのは誰?」


砂漠を旅する人、海原を旅する人達は…

先に行く人の跡を追うことはできません。


砂漠では先人の足跡は、砂漠を舞う風で消されるからです。

海原では先に行く人の航跡をたどることはできません。


先人が素晴らしい人生を歩んだからといって、その跡を行くことはできないのです。

今から歩む道は、自分で軌跡を造るしかないのです。


『僕の後に道は出来る
。僕の前に道はない。』のです。


どこに進めばいいのでしょうか?

自分が今どこにいるのかわからない…

だから、歩み出す一歩をどちらに踏み出していいかわからない。


これほどの虚無感はないでしょう。

またそこが砂漠のオアシスだと思ったり、海原の陸の楽園だと思ったら、

その人は、そこに留まっていたいと思ってしまうかもしれない。

娘がそうであったように、その時の暮らしに、今まで生きてきて、一番の幸せを感じていたのでしょう。

それは夢想の世界だと知ったとしても、歩み出すところがわからなければ、

そこに留まってしまうのでしょう。

歩み出さなくてはいけないと思っても、

自分が今、どこにいるのかわからないから

向かうべきところが、心のどこかでわかっていても、それがどの方向かわからない。


そんな彼女を導くのは、天上に輝く星、北極星です。

北極星を見つければ、自分が今どこにいて、進みたい方向がわかるのです。

しかし、その星を見つけようとしなければ、その星は見つかりません。

その星を見つけることを教えるのは誰なのでしょうか?

道を導くその星は誰なのでしょうか?

私は、それを教える者にもなれず…

道を導く星にもなれませんでした。

何も知らずに、彼女を見ていただけでした。

それが彼女が歩んでいる道だと思い込んだから、彼女は逝ってしまったのです。

それで始めて我が身の誤りに気付いた私は…

心に広がる虚無感に、茫然とし、長女を思い涙するしかないのです。


彼女に星を教え、星となって導いてやることができなかったこと…


いっぱいの悔やみが心を満たしています。


ふと、まどろんだ時に思い出す光景に…

彼女が、風邪で寝込んでいた私を優しい笑顔で見ていてくれる姿があります。


そんな想いを抱えて生きていきます。


忘れることなどできないし、乗り越えることなどできないでしょう。


彼女を心にいつも置いていたいから、そうして生きていきます。


今までの自分に戻ることは難しいかもしれませんが、


私と想いを同じくする、妻とこれからの道を歩んで行きます。

我が子達を支えとし、そして私達を支えてくださる方々に感謝をしながら生きて行きます。

for the…who or what ?~ 2012

2012-05-25 04:07:16 | やっぱりミニバス!
平成24年5月25日 金曜日
 
「for the…who or what ? ~ 2012」


「The Govement, of the people, by the people, for the people. …」


誰の、誰による、誰のための…?

何の、何による、何のための…?


問題は、「for」なのでしょう。

誰のための…、ではなく。

何のための…、でもなく。


誰のために…、であり。

何のために…、なのでしょう。

それが行動する大義名分でしょう。

求めるべきは、「自分のために…」為すべきなのです。

しかしそれでは、オナー・コードにもとる行為だとも思うのです。


オナー…すなわち、「名誉」は、人のみが持つ価値観です。

「恥を知れ!」とは、まさに「誰のために…、何のために…」為したのか?

「自分のためだけに為したものは、恥なのです」

それでは、自分の夢を実現する行為は「名誉」あるものではないのでしょうか?

その行為は恥ずべきものなのでしょうか?


それも違うのです。

夢を実現するための過程における行為には「名誉」が伴わなければ、

自分であることが嫌になるはずです。

もしも嫌にならないのなら…夢を実現し、その手に掴むことができたとしても、実に虚しいことだと思うのです。

夢を目標に、自分の手に掴む過程においては、多くの人を負かしているのです。

それは仕方のないことなのです。

多くの人を負かすことによって、自分の夢は実現するのです。

自分が為していくことは、誰かの夢を預かりながら続いているのです。

それを知れば、それは自分のためだけではなく、夢を共有する人達のために為していることなのです。

そのことに思いを致しながら為していくことが、「名誉」であり…

その時に正々堂々と、その人達を負かす行為が「名誉」ある行為なだと思います。

自分のために、また同じ夢を共有する仲間のために為していくということです。


仲間を負かし、仲間に「勝つ」ことのみの結果を求めるのであれば、何を為してもいいというのは…

その結果を得たとしても、自己満足は満たされたとしても、「虚しい」だけでしょう。


それは負け犬の遠吠えかもしれません。

しかし、夢を実現させるということは、誰かを打ち負かしていることは確かだと思います。

その「虚しさ」を感じない者であるならば…やがて人心は離れていくのです。

人心が離れてしまえば、夢を実現させ手にした喜びははかなく消えていくのです。

それは結局、夢を実現できなかったことになるのです。

人がどう思うとも関係ないというのであれば、

その人は夢を実現させることは、結局できないでしょう。

自分のために、「名誉」を忘れず行うことで…仲間は共に夢に向かう者であり、

人心はあなたにつくのです。

負けた者の想いに心を向けることで、

あなたは人としての「名誉」を積み重ねていくのです。

仲間のために…とは、
結局、自分の夢を実現させるための当然の行為なのです。

仲間のために自分を活かすことこそ、自分のために…なのです。

サンドイッチ・テクニク…2012

2012-05-24 11:28:04 | やっぱりミニバス!
平成24年5月24日 木曜日

「サンドイッチ・テクニク…2012」


コートにいるプレーヤーである子供達と、コミュニケーションを図るときには、

まず励ましの言葉を先に言って、

つぎにやる気が起こるアドバイスをすると、

本人のモチベーションを上げるのに効果的だと言われています。


これは、「サンドイッチ・テクニック」と呼ばれる指導方法です。

例えば、まず最初に、プレーをほめ、そして注意点を指摘し、

また、ほめなおすのです。

「OK! OK!  ○○(君)、いいリバウンドだった!

でも、ボールを取ってから肩越しに前をみていなかったろう。

あそこは、速攻が出せたところだ。

しかし、よく攻め勝ってボールをマイボールにした!

その攻める気持ちが大事だ。

相手に取られていたら、相手に得点されていたからな。」


このように最後にもう一度ほめてしめくくる。

この語りかけで、子供達のやる気を高めるポイントが二つあります。

それは、その子供の名前と、ほめことばをはっきりと言うことです。

できれば、この二つを同時に言葉にする方がよいです。

ですから、プレーヤーの子供達の名前を呼んでからほめることです。

そうすれば、言われているのが自分であると自覚でき、

コーチの言っていることを一言一句聞き漏らすまいとして、集中します。

これこそ指導の方法論、テクニックではありますが…、

子供達と一体となることができる、立派なコミュニケーションであると思います。


かくいう私自身、そこができません…

気持ちが入っていないプレーには、

『なにやってんだー! そんなプレーを誰がやれって言った!? 

気持ちが入っていないプレーが出来ないなら、やめてしまえ!』

…というのが現実ですね〓

とにかく、そういう指導方法があり、効果的であると知っておくことは意義あることだと思います。