バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012

2012-05-29 01:09:32 | やっぱりミニバス!
平成24年5月29日 火曜日
 
「ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012」


数年前のミニバス男子の合宿でのことです。

日記やブログにもしました。また読み返し、少し編修しました。



バスケにしろ、バスケ以外のことにしろ、

仲間に対して、理不尽な行為に及ぶということは、

決してあってはならないことであり、許されるものではありません。


私は、烈火のごとく叱り付けました。

子供達全員を座らせて、みんなの前で、その子を叱りました。

子供同士のこととはいえ、ごみ箱を投げつけて仲間を傷つけておきながら…、

大人が間に入り、彼らから事情を聞き、

そういうことはしてはならないと、二人に話して聞かせ、握手をさせて一件落着…?


私は、そのことを電話で連絡を受けて、すぐさま、宿泊所に車で駆け付けました。


そして、現地に着いて、何事もなくミーティングしていた子供達のところに飛び込み…

部屋の外にすぐに集合するように指示しました。


とにかく、私の思いとして…

大人が、何事もなく納めようとすること…、

そうではなく、してはならぬことは、してはならないのです!

いかなる理由であれ、物を投げ付けて仲間を傷つけるなどということは、

投げられて傷ついた者の痛みがわからないからやるのです。

自分がやったことの痛さがわからないから、やってしまうのです。

だから同じことを繰り返すのです。

大人が訳知り顔をして、ナァナァで済ませてきたから…、

心が耕された子供に育たないのです。


その痛さを知るには、その痛さを受けてみて、はじめてわかるのです。

…投げられ傷つけられた仲間の痛みが、

そして、自分の身体でその痛みを知ることで、自分がした事の重大さを知るのです。

それを教えるのは大人の責任です。

互いに話しをさせて握手して終わり…ではないのです。

烈火のごとく、筋をとおして叱ること!

それが必要だと思います。

私は、ミニバスのコーチをして子供達を指導していますが、

子供達の心を耕すことは、子供達の立場に立って、事の善悪を真剣に全身全霊で叩き込むことが大事なのです。

法律のような論理ではないのです。

人として、してよいこと…、してはいけないことを知識ではなく、

してはならないことは、してはならない!…として、

なおかつ理解させるように、烈火のごとく叱る!

それが子供達の心を、人として、あるべき「かたち」に耕す導き方であると…

私は信念として確信し、子供達と向きあっています。


さて、その事の顛末(テンマツ)ですが…、

投げつけた子を、仲間の子供達の前に立たせて…、

ゴミ箱を投げつけられた子に、『彼にゴミ箱を投げて、お前が受けた痛みを、わからせるべきだろう!』と言い…。

投げつけられた子にゴミ箱を探させました。

実際は、私はゴミ箱を投げ付けさせてはいません。


そして烈火のごとく叱りつけました。

『お前には、どんな理由があるかは知らない!

しかし、相手を傷付けて、それで気持ちが納まるなら、

投げつけられ、傷付けられた仲間の気持ちはどうなる!?

自分がその痛さを知らないから、仲間を平気で傷付けることができるんだ!

それでいいのか!?』


そして同時に、他の子供達に、『そう思わないか!? やられた痛みを知らず、握手して終わり? それでいいと思うのか、お前達は!…』


驚いて、事の成り行きを見ているしかない子供達を前にして、

投げつけた子供に、『その痛みが…お前にわかっているのか?』 と叱り、

そして子供達みなに、

『よく考えてみることだ。

他人任せで、他人の事だから…

仲間のことを自分のこととして思えないから、それで終わらせようとする。

それは違うだろう!?』
…と語り、事を納めました。

この納め方が正しいものか、そうでないかは、それぞれの考え方があると思います。

私は、私の思いを持ってそのようにしました。

そして、それが間違いだったとは思っていません。

これからも、全身全霊をもって子供達と向き合っていこうと思います。

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