バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

今年…それぞれの出会い

2011-12-31 00:04:27 | やっぱりミニバス!
平成23年12月31日 土曜日
 
「今年…それぞれの出会い」


また一年の締めの日を迎えることが出来ました。

特に今年は、そのことに心から感謝します。

今年は私達家族にとって、またこの国にとって未曾有の厄災の年でした。

私は多くのミクシイの方と出会い、支えていただきました。

本当にありがとうございました。

改めて出会いの不思議さと奇跡に感謝しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「自分が今を生きて、バスケができて、将来を夢見ることができるのは、父と母が生まれた不思議さと、その二人が出会った奇蹟があるから…」

まさに人との出会いは、どのような人と出会うかで、自分の人生に大きな影響を及ぼします。

それは自分が選べるものではありません。

うちの子供達の人生の歩みを見ていると、

「人との出会い」が娘や息子が歩んでいる道にちょっとした、違いが生じ、それが大きな変化になっています。

この地に住み始めて、子供達は同じ小学校、同じ中学校で学び、

中学校では同じように、バスケをしてきました。

ところが、そのバスケ人生は子供達が出会った人によって、大きく異なっています。


生前、長女は言っています。

「妹が中学校の時にバスケを学んだ、M先生という女性の体育教師である顧問の方に、

自分が中学生のときに出会い、学んでいれば、高校、大学でのバスケ人生は違ったものになっていたかもしれない。」と…


次女を大きく変えた出会いは、

中学でバスケを指導してくださったM先生であり、

ミニバスで出会った仲間、特にNさんとの出会いと別れ…

高校に入る前に、高校で共にバスケをした仲間達との出会い、

一方で悔やまれる出会いは、大学バスケでの、ある方との出会い、

そして、次女をもう一度、好きなバスケに導いてくださった、私と家内のマイミクさんとの出会い…


息子は次女の足跡をたどり得る、

バスケ道という人生を歩むことを決意した、K先生という恩師との出会い、

息子が、その恩師と出会っていなければ、今のバスケ道を行こうという、息子にはなっていなかったかもしれません。

もっといえば、息子がミニバスを始めて、そのときに同じ中学校に進んだ仲間達と出会わなければ、

今のバスケ道を行こうという息子にはなっていなかったかもしれません。


まさに、「誰と、いかなるタイミングで出会う」ことという奇蹟が、

その人の人生に大きく影響すると心から思いました。

しかし、出会うだけではだめなのでしょう。

出会った人が、出会ったすべての人の人生に影響するとは限らないのです。

その出会った人が持っている価値観や人生観が、

自分に影響するかどうかが大事なことなのでしょう。

私は、そういう意味で、出会いの不思議さを感じながら、

全力で、その出会いを大切にしたいと思っています。

無意味な出会いはないと思っています。

コーチとして語る一言は、子供達の心に大きく影響していると思っています。

子供達の心を育む一言になるようにしたいと思っています。

もし自分が気付かないうちに、子供達の心に傷をつけるような一言をしゃべっているときは、

保護者のみなさん、遠慮なく私に言ってください。

出会った子供達すべてが、この出会いをよかったと思ってくれるようにしたいのです。

我が子とミニバスの子供達は、これから多くの出会いを重ねていくでしょう。

その出会いが、実りあるものか、悔いあるものか定かではありませんが…

人生の糧になることは間違いないことだと思います。

古豪の伝統…戮力一心

2011-12-30 00:45:06 | やっぱりミニバス!
平成23年12月30日 金曜日
 
「古豪の伝統…戮力一心」


ウィンターカップも終わりました。

高校バスケの勢力図は少しづつ変化しているようですが、古豪と言われる強豪校は健在でした。


さて、高校スポーツ界で古豪と言われる、スポーツの強豪校にとって、

試合に勝つことは使命でしょうか?

私は、古豪ゆえに持つ伝統からいえば、それは果たすべき使命だと思います。

例えば、千葉県における高校男子バスケ部では、船橋市立船橋高校男子バスケ部があります。

市船男子バスケ部には、すばらしい「伝統」があります。

その「伝統」を単に「受け継ぐ」、「受け継がなければならない」と考えるから重いのです。

「伝統なき創造は空虚(その時だけのもの)、

創造なき伝統は陳腐(受け継ぐだけのもの)」と言います。

受け継いでいくものと、新たな伝統として受け渡していくもの、

この二つが「伝統」という意味だと思います。

受け継いでいくものとは、先輩達が継承し、先輩達が成し遂げた偉業の核となる「心」です。

すなわち、市立船橋男子バスケ部でいえば…

「市船男子バスケ部スピリット(精神)」としての、

「戮力一心(りくりょく・いっしん)」です。

「戮力一心」とは、(戮力:「力」を合わせること。協力する。仲間の力。)

「仲間の心を一つにして、仲間の力を合わせて事に臨むこと…

一人で困難なことでも仲間の力を合わせれば乗り越えられる。」ということです。

かたや現役の部員が、新たに創造して後輩に受け渡していくものとは、

それは現役男子バスケ部員が、その時の指導者たる先生の教えを理解し、納得し、そして自分達のものにし、生徒達自身で創り上げるものだと思います。

この先輩達が創り上げてきた伝統から言えば、古豪たる強豪校としての市船男子バスケ部にとって、

試合に勝つことは使命だと思います。

一方で試合に勝つことが最終的な目的ではないとも思ってもいます。

スポーツの本来の意味は、「楽しむ」ことです。

「遊ぶ」のではなく、真剣になって全力を出すことで「楽しむ」ということです。

私はミニバスのコーチとして、子供達にはこう言っています。

「バスケを楽しもう!
楽しむためには、勝つことをあきらめるな、負けることを恐れるな。

今まで練習でやってきたことを全力で出しきろう!」

「試合が終わったときに、自分達は悔いなく全力を出しきったと思えたら、それがスポーツを楽しんだ…ということだよ。」

私は試合後に必ず子供達に聞きます。

「君達は、全力を出しきったか?」と

しかし、古豪と言われる強豪校には、その伝統によって先輩達が受け継いできた、常に達成しなければならない高い目標があります。

部員達は、それを承知してその高校の部活の一員になったはずです。

その目標を成すために、古豪と言われる強豪校にとって、勝つことは果たすべき使命なのだと思います。

そして、その使命を成すことで、そのスポーツを「楽しむ」ことができるのだと思います。

「夢を目標に、目標に向かう努力、そして熱き思い、目標を成し遂げる喜び、目標を成し遂げることをあきらめない強い心」

これが古豪と言われる強豪校の精神的伝統だと思います。

そして部員達自身がそのことをしっかりと心に刻むこと、

現役部員達の責任は、自ら目標を成し遂げるために、

苦しくとも、辛くとも、スランプにあろうとも、行うべき事を為すことだと思います。

そして、その保護者は、子供に対して干渉しすぎてもいけませんし、

子供も干渉されることは好まないようです。

子供は、古豪と言われる強豪校の一員としての自覚を持っています。

それ故に、悩み、苦しみ、追い込まれるのです。

親としてできることは、言葉に出して励ますことではなく、

子供自身が、その壁を乗り越えていくための自信と信念が、心にまた芽生えてくるのを見守ることしかできないのです。

我が子が、その道を傷まみれになっても進もうとしているのであれば、信じて、支えることが大事だと思います。

それでも立ち上がれなくなったときは、

辛く、その傷ついた「心」を静かに受け止め、

黙して癒してあげることが、親としてできる最善のことだと思います。

心のかたち…情

2011-12-29 00:11:46 | やっぱりミニバス!
平成23年12月29日 木曜日
 
「心のかたち…情」


自分の心のかたち?

そもそも見えない心にかたちなどあるのでしょうか。

丸い心、三角の心、四角い心…

確かにその人の人物の有り様から心のかたちを想像できるのは確かだと思います。

でも心のかたちは定まったものではなく、

その人がいる場所や、その人が感じる気持ちで常に変化するものでしょう。

それは心が座っていないから、そのかたちが変わるのでしょう。

心を座らせるとは、平常心と言ってもいいでしょうか。

泰然自若の心だと思います。

心を座らせることは難しいことです。

何故なら、人は論理ではなく感情に支配されやすいからでしょう。

それが、いいか悪いかではなく…悲しみ、怒り、喜び、安堵などの情は心が思うことです。

一方、論理は知識として頭で考えることです。

心が座っていないと頭も焦ります。

しかし、心が座り過ぎていると判断と行動のタイミングを逸してしまいます。

心を座らせながら、そこに向かう熱き思いをもって、冷静に判断し行動する…

それが、ホットハートとクールヘッドです。

それを可能にするのは経験です。

バスケでも新人と上級生との違いはそこにあると思います。

経験が心を造り、それが瞬間の最善の判断と行動になって表現されると思います。


バスケに係わらず、世の中、論理で割り切って判断できることがすべてではないでしょう。

情という観念があることで人として人らしい判断ができるのだと思います。

特に日本人は、そういう心を持っていると思います。

ある本に、人との接し方で、次のように書いてありました。

『お会いするまでは、キョロキョロしたり、ペチャクチャしゃべったりしないように心に決め…

座ったところを動かず、人から話しかけられても十言を一言ですますようにしなければならない。

八方を眺め回し、おしゃべりをしていると内にある心が外に散り、間抜けのように見える。

大切なのは、心の座りというものでしょう。

馴れ親しんでくればくるほど、その心の有様を忘れないことが肝要です。』

欧米人は小さいときから論理を学びます。

ですから豊富な言葉で、十言で語るのです。

日本人は感性で語ります、能楽や茶道や俳句や短歌などです。

十言を一言で納めるのです。

ですから心の座りという感性は欧米人には理解しにくいものでしょう。

物質的なものより、精神的なもの…

有形なものより、無形なものによりどころを求めた、

八百萬の自然物や仏像や手作りの物の中に意志があるとする日本人の心のかたちは、

忘れてはならない誇りあるものだと思います。

シューター

2011-12-28 02:24:20 | やっぱりミニバス!
平成23年12月28日 水曜日
 
「シューター」


バスケットで要(かなめ)になるのは、やはり「シュート」です。

シュートまで行けても、そのシュートが入らなければ得点にならない。

当たり前ですが全国レベルの強豪チームは、

そのシュート率(シュートの確率)が極めて高いのです。

チームとしても、プレーヤー個人としてもです。

特にペイントーゾーンの外から打つ…

いわゆるミドル・シュートや3ポイント・ライン前後から打つロング・シュートの確率です。

シュートが「上手い、へた」、「得意、不得意」というのは確実にあります。

もって生まれた資質というもので、

特にこれを「シュート・センス」もしくは…

ボールゲーム全般でいえば「ボール・センス」というものです。

例えばバレーボールでいえば、セッターが上げるトスです。

アタッカーが好みとする高さ、タイミングにドンピシャとマッチングするようにトスアップできるのは、

持って生まれた資質が大きく左右します。

これはトスを何万回上げる練習をしても、ある程度は体得できますが…

最後の一枚の違いは「勘」といわれる「感覚」です。

さてバスケットにおけるシュートです。

これはバレーボールのトスとは違い、アタッカーという人に合わせてボールを扱うことはないので、

シュート精度は何万回という練習で、ある程度は向上します。

ただし本数を多くこなすだけでは、腕が疲労するだけで練習の成果は得られません。

必要なのは、自分のシュートの特性を熟知することです。

科学的に考えてみましょう。

単純に考えるのです。

入らないことを悩むから、ただひたすらにシュートを打つ練習さえすればいいと思うのです。

これは練習方法としては合理的ではなく、効果的でもありません。

さてシュートとは、バスケットボールをゴールというリングを通過させることです。

ミドル・シュートのレンジで考えてみましょう。

ボールをリングに向かって綺麗なシュート・フォームで打っても入らない…

もしくは安定しないというのは、次の三つのことが同時にできていないからです。

①リングに正対しているか?(姿勢)

②リングに向かってボールは飛んでいるか?(方向性)

③リングのどこに当たっているか?奥か手前か?(距離感)

高校生以上になると、シュート・ボールの描く軌道は個人の特性により様々です。

高い軌道を描くもの、低くリングすれすれの軌道をえがくもの。

基本はリングの丸い面積を最大限に生かすような軌道でしょう。

高い放物線のような軌道を描くことが理想でしょうが…

これはシュートの正確性(確率)を理論的に高めるための考え方であるので、

「リングに正対」し、
「方向性の確保」「距離感の確保」ができていればボールの軌道は、高くても、低くても、個人の特性で決まります。

あなたはシュートを打つ時に、しっかりリングに正対していますか?

リングとあなたの胸を結ぶ線は直角になっていますか?

斜めに結ばれていませんか?

まずそこを矯正(きょうせい:なおす)してください。

次にシュートを打つたびにすべて、リングに当たっていますか?

当たったり、左右にずれたりしているのは方向性がばらついています。

原因はフォロースルーにあります。

フォロースルーの腕が外に開いていませんか?

もしくは顔の前を斜めに交差していませんか?

フォロースルーはグーンと腕を伸ばしきるような感じか、

もしくはヒョイという感じでもいいですが、

まっすぐにリングに向かって延びることと、

最後にリングにフタをする感じで手首のスナップをきかせ、

リリースする瞬間に、中指か人差し指でボールをひっかけて、

バックスピンをボールにかけることです。

このスピンでボールは空気抵抗を受けることなく、まっすぐの方向性を確実にできます。

次は距離感です。

シュートはリングの手前に当たりますか?

リングの奥に当たりますか?

どちらの傾向が強いですか?

いずれにしても距離感が正しくとれていないのが原因です。

問題は、あなたの効き目にあります。

右利き、左利きと同じで個人によって、どちらの目でものを見ているのか違いがあります。

シュートセットをした時に、どちらか片方の目をつぶってみてください。

その時にリング全体が見えている眼があなたの効き目です。

そして片目をつぶってリング全体が隠れてしまっているときは、

あなたは効き目のみの片目でリングを狙っていることになります。

正確な距離感を得るには両目でものを見ることです。

つまり両目でリングを見ることです。

そのためには片方ずつ目をつぶってリングを見ます。

それを繰り返して片方ずつ目をつぶってもリングが見えるシュートセットの位置が、

リングとボールの正しい距離感の位置なのです。

この距離感が出来ていないことが、シュートを外す最大の原因です。

シュートが持って生まれて上手いと思われている選手は、

間違いなく両目でリングを捉えています。

シュートが苦手だと思っているバスケージャー達、

悩まずに苦手意識を持たず、

単純に「リングに正対して」「リングへのまっすぐの方向性を確保し」「リングを両目でねらう正確な距離感を保って」…

そして、ひたすらに打つべし!

そうすれば間違いなくシューターへの道は開かれる!

信じて打て!

インターバルはキツい!?

2011-12-27 00:20:44 | やっぱりミニバス!
平成23年12月27日 火曜日
 
「インターバルはキツい!?」


これは今、中学1年男子が小5年の時にあった話しです。

今もインターバルは練習として続けるように努めていますが…

チーム作りに時間が取られて機会が少なくなっています。

今の小5年以下男子は『やりたい!』という子供達と、苦手意識から『えーっ!?』という子供達がいます。

練習時間的に、インターバルが出来ない時は、3分間走にしています。

これならば、子供達から『えーっ!?』という声は出ません…

何故か?

3分間走の方がインターバルよりキツくないからでしょう。


さて、二年前の小5年男子とコーチの私とのやり取りです。


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小5年以下男子のミニバス練習では、

最後の1時間足らずの時間で総合練習として5対5のスクリメイジをしています。

そしてその後に練習の仕上げとして、

ラントレを行っています。

1分(1分)2分(1分)3分(1分)1分のインターバルです。

子供達には一番キツイ練習です。

子供達は練習が始まる前に…

必ず私に聞いてきます。

「コーチ!今日もインターバルやりますか?」と…

私が「当然!」と応えると、

子供達は必ず「えー!」と反応して…

いろいろと楽な方法を提案してきます。

私はニコニコと笑顔で聞き流してます。

先日さすがにインターバル前に露骨に嫌そうな顔をした子供達が数名見られたので…

「そりゃ、この練習はキツイ!

手を抜いて楽に走ろうと思えばいくらでもそうできるよ…

コーチは走れ!とは言わない。

今はキツイよ…確かに。

でも今のために走ってるんじゃないよ。

みんなが憧れているK先輩は高校の部活の3㌔走で苦しいと言いながら、

常にトップで走ってる…それは一試合40分を走れる体力をつけるためなんだよ。

その体力を持ちつづけることでレギュラーでいられることをK先輩はわかっているんだ。」

子供達は「えー、K先輩が!?」と驚いてました。

子供達は、そんなキツいトレーニングをK先輩がしていることなど思いもよらなかっようです。

その日のインターバルは、いつもの嫌そうな顔ではなく…

みんな眼の色が真剣色に変わってました。

だからといって急に早く走れるようにはなりませんが、

取り組む姿勢が真剣モードでしたね。

私はこんな子供達が大好きです。

努力は幸せの種

2011-12-26 03:21:24 | やっぱりミニバス!
平成23年12月26日 月曜日
 
「努力は幸せの種」


何か出来ないことがあると無理にやらそうとはしない…

「別に出来なくてもいいんだよ。

人の能力はそれぞれだから自分らしく生きればいいんだよ」と、

これは甘え以外の何物でもないと思います。

もちろん人の能力はさまざまです。

出来ることもあれば、出来ないこともある。

ただし、やりもしない前から出来ないと決めつけることほど不幸なことはないでしょう。

彼らは必ず言います。
「めんどうくせぇ…
うざったい」と、

そして群れをなし、同じ仲間がいることに安堵するのです。

生きることに、「めんどうくさい」とか「うざい」とか言っているのは…

自分達を認めたくないから、そして何をしてよいか迷っているから、群れをなしているのでしょう。

荒野を一人で歩み出す青年として旅立つことができるかは…

今の自分の弱さを認めることから始めるしかないのでしょう。

とにかく必死でやってみる。

結果としてできなくてもいいと思うのです。
必死でやってみる…その努力にこそ、

人としての幸福が宿っていると思うのです。

群れをなしている若者達。

努力することもなく、「どうせ俺たちにはできないんだ」と諦めている。

そこには幸せのかけらも落ちていないのです。

「とにかく立て!」と言いたい。

立って歩き出さなければ何も始まらない。

じっと群れをなし、しゃがんでいても幸せの種は撒かれないのです。

人生を悔いなく生きること、その願いが幸せの種であり…

そのように行動することで、幸せの種は芽吹くのだと思います。

真似ることから始めるコーチ像

2011-12-25 01:14:37 | やっぱりミニバス!
平成23年12月25日 日曜日
 
「真似ることから始めるコーチ像」


コーチという指導者は、自分が指導する者としてどうあるべきか考えると思います。

ミニバスのコーチも同じです。

私が考えているコーチのあり方ですが…

①自分の性格を知り、コントーロールして、子供達と接する。


コーチの顔色を見ながら、選手がプレーすることは避けるべきだと思います。

…と言いながら、自分の性格が、コーチとして適正かどうかは、わかりません。

そのために他のコーチから学びます。

自分がプレーヤーになったつもりで、

このコーチなら、この指導なら、やる気になるだろうな…

というコーチの性格を見聞しながら、

その態度や、言葉、しゃべり方を盗み…

真似て、学び取りたいと思っています。


②具体的モデルとして自分自身が目指すものを想像する。


目指す像をイメージし、具体的なコーチの真似をするくらいに、その人物の生き方を参考にする。

基準とするコーチ像は、自分自身の価値観をもって判断するのでしょう。

それが正解か否かは、プレーヤーが応えるのだと思います。

といって、プレーヤーに迎合する必要はないのです。

チームを造るのは、指導者たるコーチの責任ですから


③何が魅力か?


尊敬する人物の何が魅力なのかを、自分なりに考えて…

惹きつけるものを自分の身に付けていくことを考え、実際に行動してみることです。


④自分以外の人にならない。

理想像を描いて、そこに近づくように言いましたが、

結局、自分は自分以外のものになることはできません。

自分にないものを真似ようとしても真似することができないでしょう。

それを意識しすぎると、自分を見失うことになってしまいます。

真似をしながら、自分のスタイルを造っていくのです。


⑤真似るものを選ぶ。


想像する、その人物を理想像としても人間である限り、

長所、短所を持っています。

指導する上で何が長所で、何が短所かは判断は難しいでしょう。

惚れてしまえば、アバタもエクボと同じですから…

そこは自分のキャリアによって、積み重ねてきた感覚や知識を信じ…

短所と判断するところは真似しないことも大切でしょう。

ただし、臆病になり過ぎて新しいものにトライしないということも、よくないことでしょう。

多くの経験と知識によって、いい判断基準を自分の中に作ることが出来るからです。


⑥本質を学ぶ。


外見や、しゃべり方まで傾倒し真似する人もいますが…

格好を真似ても仕方ないのです。

それは求めるべき本質ではないでしょう。

それは、その人の理念なり、哲学を学び…

自分のものとしてソシャクすることが大事だと思います。

以上です。

真似る…しかし自分のコーチ像を想像し、オリジナリティを求めて行くことですが…

オリジナリティを意識する必要はありません。

構えることなく、自然に醸し出すものが自分自身だからです。

構えてもメッキはすぐに剥がれます。

真似をして、その本質を理解し、自分が学んだ知識で自分の経験を積み…

指導者としての自分のスタイルを確立していくことが大事だと思います。

人生の中心に置くもの…娘と息子へ

2011-12-24 04:11:29 | やっぱりミニバス!
平成23年12月24日 土曜日
 
「人生の中心に置くもの…娘と息子へ」


自分が本当にしたいことを仕事にできる人は幸せだよ。

楽しくてお金が稼げて、しかも自分の能力を伸ばすことができる仕事だからね。

でもそれを仕事にすることは覚悟がいることなんだ。

何故なら、学生スポーツとは違い、それを生きるための生業にするから…

簡単に休むことや、手を抜いて行うことはできないものになる。

特にスポーツを生業にすることは、能力や体力が問題になる。

その能力や体力が無限のものと誰が保障してくれるだろうか?

例えばバスケの能力が他の人より優れていて、

それを周りの人たちからも認められている。

例えばその能力や体力に限界があることを知っていて…

それでもそれを生業として自分の人生の中心に置き、

それを自分が生きる糧にすることは、

すごく勇気がいることだと思うよ。

その能力を仕事にして生きていくことと、

その能力を仕事ではないところで発揮することとは、まったく違うことだから…

それを仕事にするということは…

どんなに苦しくとも、どんなに辛くとも、自分のためだけではなく、

その仕事にかかわっている人達のために簡単にやめるわけにはいかないんだ。

能力の限界!だから、自分がやめたいから、

「や~めた」と放り出すことはできない。

それは君の仕事によって生きている人達もいるから、

人に夢を与える仕事だから、

世の中というのは、そういう仕組みになっている。

お互いがお互いを支えて成り立っているのが「社会」だから。

いったんそれを仕事にしたのなら、それを極限まで求め続ける覚悟がなければならない。

なぜそれを仕事にしたのか?

それは生きるためではなく、それ自体を君の人生の中心に置いたから…

最初は置いていなくても、それが君の夢であり、

それが誰かの夢になっていくなら、

それは君の人生の中心になっていく。

そうならないのなら、君は何を夢にしているの?

もしくは夢を持つことを望まないの?

そして君は、夢を実現するために…

人生の中心に置いたものを追求するために生きるんだ。

何を自分の人生の中心に置くのか?

なんのために生きるのか?

なんのために自分の人生をまっとうするのか?

「心」の自由を得たすべての若者達は、それを捜すために生き…

いずれ、捜し当てたものを人生の中心に置いて生きて行く。

そしてそんな君の人生を、君のお父さんやお母さんは、

君の生きざまを最後まで見守ることを、人生の中心に置いて生きているのだろう。

それが血をわけた親としての当然の思いなんだ。

さらに親は、愛するすべての人のために生きている。

そしてそれを人生の中心に置いているんだ。

それは絶対に間違いない!

サンドイッチ・テクニック

2011-12-23 02:52:44 | やっぱりミニバス!
平成23年12月23日 金曜日
 
「サンドイッチ・テクニック」


これは2年前の5月に書いた指導方法についてです。

改めて読み返し、実践していこうと思います。

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コートにいるプレーヤーである子供達とコミュニケーションを図るときには…

まず励ましの言葉を先に言って、

次にやる気が起こるアドバイスをすると効果的です。

これは「サンドイッチ・テクニック」と呼ばれる指導方法です。

例えばまず最初に、プレーを誉め、

そして注意点を指摘し、また、誉めなおすのです。

「OK! OK! 
 ○○(君)
いいリバウンドだったね!

でもボールを取ってから肩越しに前をみていなかったかな。

あそこは速攻が出せたところだよ。

しかしよく攻め勝ってボールをマイボールにできた!

相手に取られていたら、得点されていたからな。」

このように最後にもう一度誉めてしめくくる。

この語りかけで、子供達のやる気を高めるポイントが二つあります。

それは、その子供の名前と誉め言葉をはっきりと言うことです。

できればこの二つを同時に言葉にする方がよいです。

ですからプレーヤーの子供達の名前を呼んでから誉めることです。

そうすれば言われているのが自分であると自覚でき…

コーチの言っていることを一言一句聞き漏らすまいとして、集中します。

これは指導の方法論…テクニックではありますが、

子供達と一体となることができる、立派なコミュニケーションであると思います。

自分達の試合にする…編修

2011-12-21 05:22:43 | やっぱりミニバス!
平成23年12月21日 水曜日
 
「自分達の試合にする…編修」


これは昨年の6月に、「自分達の試合にする」の題で書いたもので…

今の中学1年男子が小6の時にコーチしていて、

彼等のチキンハートを強くするために考えたことです。

それを今指導している子供達も、

気持ちが見えるプレーをするために必要だと思い編修して書いたものです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

オフェンスのチームスタイルが、ある程度出来上がってくると、

これをさらに向上させなければならない。

しかし、同じチーム内でAチームとBチームに分かれて…

5対5のスクリメイジでは、チームスタイルの確認で終わってしまう。

自分達のチームスタイルがあるのであれば、

他のチームも独自のチームスタイルを持っている。

問題は他のチームとゲームをしたときに、

いかに自分達のチームスタイルでプレーできるかにある。

何回も対戦しているチームは、お互いのチームスタイルがわかっているので、

そこのプレーの特徴を研究し、対応策を練ってくる。

その対応策をやられて自分達のチームスタイルを崩されるのは…

まさに相手チームの
思うつぼであろう。

自分達のチームスタイルが崩されたからといって、パニックに陥ることはない。

バスケのオフェンスのプレースタイルには、フリーランスとしての原則がある。

●5人のプレーヤーの
 コンビネーション
(コミュニケーション)
●連続性
 …ボールも人も川の流れのごとく動き続ける。
●スペースィング
●パッシングとパス&ラン
●ゴールに向かう姿勢と気持ち


フォーメーションにこだわり続ければ、相手の思うつぼのままゲームは流れていく、そんなときは、

フリーランスの原則に立ち返ることだろう。

特に、強引ではなく、
強い気持ちを持ってゴールに向かう姿勢と

実際のプレーとして、カッティング、ドライブイン、インサイドでのポストプレーなどを…

5人がひとつになって行うことだろう。

このときに注意しなければならないのは、

5人の個人がバラバラになっていないこと、

5人で何をやるのか意思が通じていなければ、チームとしては、まとまらない。

ひとりが勝手に突っ込んでもダメだし、

ひとりが勝手に入らないシュートを打ってもダメだろう。

そんなプレーは練習でも教えていない…

仲間を活かすものではない。

そこで自分は何をするべきか考え判断し、仲間のために行うことだ。

そこに必要なのはコミュニケーションであり、

その意思を通じ合わせる司令塔となるプレーヤーがいなければならない。

チームスタイルを造る前の段階では、この原則によるプレースタイルの習得をねらいとして練習したはずだろう。

まずそこに立ち返りプレーすることを意識すること。

焦ることなく、冷静になって、

しかし心は熱くゴールに向かい、そのために広い視野を持つこと。

ディフェンスは、基本はマンツーマン・ディフェンスにある。

ひとりひとりの1線のディフェンスが、しっかりとできること、

負けないゲームをまず意識すること

それにはディフェンスから、

そしてチームディフェンスで攻勢的にゴールを死守すること。

自分達が練習で習得したものを、相手がじゃましようとするときには原則の基本に立ち返ること

そこから自分達のペースをつかんでいくこと
その気持ちを常にもって試合に臨めば…

自分達の試合をすることができるだろう。

相手チームのチームスタイルにあわせたプレーは、

ゲームは相手の流れになっていく…

そうすると、焦る、何をしていいかわからなくなる。

自分達のチームスタイルでプレーできないから結果はついてこない。

結局はオフェンスもディフェンスも、まず基本に立ち返って自分達のプレーに集中すること。

強い気持ちで5人がゴールを死守して…

5人がゴールに向かうこと!

それを忘れずに出し切ること!

今は自分たち同士でスクリメイジをしている。

だから自分たちのプレーができる。当たり前だろう。

違うチームとやったとき少し思うとおりにいかないと…

相手のリズム、相手のペースにはまってしまう。

そんな時こそ、原則という基本に戻り、

相手のペースをブレイクして自分達の流れに引き戻す。

今はそれが出来ない、そんなメンタルな弱さ…チキンハートにあふれている。

これを強くしていかない限り、今のままで終わるだろう。

それでいいのか?
ではどうすればいい?
とにかくコーチとしては…これを乗り越えるために、

多くの他流試合をこなすことだと思っている。

経験を積んで、自分達のペースで試合ができる冷静さと、熱き気持ちが必要なのだから。

子供達自身はどう思っているのだろうか?