バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

やり甲斐と生き甲斐…思いと現実

2012-05-04 06:12:58 | やっぱりミニバス!
平成24年5月4日 木曜日
 
「やり甲斐と生き甲斐…思いと現実」


今日はバスケの話しではありません。

生きることの話しです。


自分は生きています。
これは現実です。

私は死んではいませんから…

しかし、寿命をまっとうすれば、人はみな同じ結果を迎えます。

これは暗い話しではなく、真実を言っているのです。

同じ結果、つまり、死ぬことは…現実に自分にも訪れることですが、

死ぬことが、どういうことかは…わかりません。

どういうことか、わからないことを知っているのです。

頭でわかっていますが…現実に体験していないことですから、

それが観念という思いなのです。

自分がわからないものを、心では知っていること。

これが観念です。



さて、『死』というのは、誰にもいずれ訪れる現実です…といいながら、

結果という現実に自分から飛び込むことは、生きることを放棄することです。

私達は、生きるために産まれてきたのだと思います。

自ら死ぬために、産まれてきたのではなく、

この命を次に繋いでいくために…

そして、次に繋いだ命が豊かに生きるために、私達は全力で生きなければならないと思います。


ひとつの生き方として、大義のために生きることがあります。

この大義も観念という思いですが…

大義のために生きる、というのは現実です。

生きている自分が、生きるための拠り所ですから、

しかし、この大義という観念を、現実にしようとすることで多くの人達が巻き込まれるのです。

その巻き込み方には、いろいろあります。

その中でも、やめてもらいたいものがあります。

自分の大義で、人々を巻き込むもので、その最悪なものが…自爆テロでしょう。

自分が理想だと思い込んでいる観念を、他の人に伝えるために行動する。

その考え方は納得できます。

行動しなければ…何も始まらないのですから、

その行動は、心の思いを現実にするために為されるべきでしょう。

しかし…それが、他の人々の人生を終わらせるのは、

その人の心の思いを、現実にするための身勝手な行動でしかありません。

心の思いという観念を、現実にしようとする…

例えば、勝海舟と坂本龍馬が日本海軍をつくり、

日本を守る!…という大義を現実にするために、

他の人々に、その思いを熱きものとして、語り伝え、

それを現実にするために、それに向かわせたことは、

その思いに共感した…生きている人々にとって、

生きる意味が明らかになった、意義あることだと思います。

坂本龍馬は、生きている限り…必死に行動したのです。

『必死とは、必ず死するをもって真と成す…これすなわち生くるなり!』

いずれ必ず死ぬ、という現実を受け入れて、全力で生きる!

「死」という観念が現実に自分に訪れるまで…

成すべきことを求めるために生きる。

成すことが明らかになったなら、それを成すために生きる。


だから、生きることとは成すために為す…行動することだと思います。

「死」は自分から招くものではなく、

自分から現実にするものではないのです。

私は、仕事をしていますが、それは死ぬまで続けるものではないと思っています。

人生のひと区切りまでで行っているものです。

しかし、その仕事で得た信念や価値観は…そこから続く人生に活かすことができるものです。

いってみれば、そのために、今…仕事をしているのでしょう。

次に生きるために描いている、成したいという思いを、現実のものにするために…

今、行動し、やがて次に向かって行動していくのです。

死という観念が現実のものになるまで、そうやって…生き続けるのです。

私が、今の仕事をしているという現実は…やり甲斐です。

一方で、ミニバスのコーチであるという現実は…

子供達の心を育むという思いを、現実にするための…生き甲斐なのです。