バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

ミニバスの指導者として…2013

2013-01-31 05:48:08 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月31日 木曜日
 
「ミニバスの指導者として…2013」


私自身、ミニバスの指導者として学ばなければいけないことは、まだまだ無尽にあります。

ただ、この14年間、子供達とミニバスを通じて接してきて、「理念」と言うにはおこがましいかもしれませんが…

自分としての姿勢をチョットだけ持つようになってきていると思っています。

その想いをつづらせていただきました。


『多くのミニバスの指導者の方を拝見していると、その情熱のすごさに驚かされます。

保護者の皆さんとの信頼関係を粘り強く築こうとし、

子供達にも全身全霊で接し、子供達との信頼関係を築こうと努力されています。

一方で、その情熱の方向が、「それでいいのかな?」…と私みたいな者が、生意気にも思ってしまうという方も、いないではありません。

大切なのは、常に自ら学び、他から学び、今の自分を、常に省みる姿勢だと思うのです。

コーチとしてのあるべき姿をイメージしながら、そのイメージさえも常に見直しながら、そこに自分を重ねていこうとすることだと思うのです。

そのためには、信念を持ちながらも謙虚に耳を傾けて、学ぶことの大切さを忘れないこと。

自分を振り返るときに思うことは、大人の技術やプレーの常識を単純に鵜呑みして、自分の検討や考察も加えることなく、子供達に押しつけていないだろうか?

バスケットボールでは、一般的に基本とされている技術ひとつをとってみても、

大人には適していても、ゴールデンエイジの子供達の神経系の発達途上にあることからいえば、出来ることと、出来ないことがあるかもしれません。

私は、バスケットのプレー経験はありませんが、

よくプレーの経験があるコーチの方に見受けられるのが…

自分の学生時代の体験や経験の知識だけを、子供達に有無も言わさず、「指導」という名で押しつけてしまうこと。

特に、今の子供達は、初めて習うバスケについては、指導者や親にはあまり反抗しません、というか…できません。

それをいいことに、旧態依然とした理論や技術を、自分の経験・知識だけに基づいて、子供達に押しつけていることはないでしょうか?

バスケの世界も変化しています。

大きく言えば世界のバスケの趨勢(すうせい)、それを確認して、ジャパンとして…日本のバスケの現状と、向かうべき将来のジャパンスタイルのあり方など

たとえミニバスのコーチであっても、いや…将来、バスケで輝く可能性がある子供達を指導する者だからこそ…

その世界やジャパンのバスケという視点で学び、それを子供達に噛み砕いて…分かりやすく理論だて、練習を工夫し創造するべきだと思うのです。

その大きな視点に依って立つことなく、自分なりの理論を子供達に押しつけて、一方的な指導をしていないかを、振り返ることは必要だと思います。

さらに言います。

子供達には、ひとりひとり、精神面と体力面で色々な個性があり、違いがあることを忘れてはならないと思います。

子供達はみな可能性を秘めています。

前にも書きましたが、その才能がどこで開花するかは、わからないのです。

いま上手だから、いま上手ではないからといって…子供達のバスケに対する、やる気をなくすような指導はすべきではないのです。

また子供達を指導する上で、そのプレーの結果を激昂して注意することは、子供達のやる気を、一瞬にしてなくす指導の仕方でしょう。

何故、そのプレーに至ったのか、その原因はどこにあるのか…

指導者は、その経緯をしっかりと把握しながら、子供達がしっかりと理解し、納得できるように語るべきなのです。

その答えは、本には書いていないかも知れません。

だからこそバスケは面白いのです。

だからこそミニバスの指導者は難しいけれども、やり甲斐があり…それとともに大きな責任を持っているのです。

指導者とは、求道者だと思います。

常に子供達を通じて成長させてもらっている…求道者なのです。

自分のためではなく、子供達のために、子供達の心を育むための追求心を忘れてはならないと思います。

ただし、子供達のため…と言いながら、自分の価値観の押し付けになるのも間違いです。

子供達自身に考えさせて、自分自身の価値観を育むように導くことが肝要だと思います。

そのためなには…大人の目線だけではなく、子供達の目線で見ることを忘れてはならないでしょう。

結局、子供達とそのように接することが、指導する者としての自分を成長させてくれているのです。』

アグレッシブに!…2013

2013-01-30 08:25:16 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月31日 木曜日
 
「アグレッシブに!…2013」


バスケにおけるフロントコートからのエントリープレーの原則は、まずボールマンはゴールを狙うことでしょう。

ボールをミートレシーブしたら、状況判断して…一瞬のパワーポジションをとり、必ずゴールを狙うことが大事です。

レシーブしてすぐ…ゴールを狙うことなくパッシングするのは、

パスを速く回し、局面で、ディフェンスに対するアウトナンバーを作為する…という戦術としてはあると思います。

しかし、まず基本はゴールサイドでボールを持ったらゴールを狙う!…でしょう。


ハーフコートエントリープレーの基本は…パッシングして、ギブ&ゴーでカットインかスクリーンで、

スペースを作りアウトナンバーを作為して、レシーバーは仕掛ける。

仕掛けることでカバーディフェンスがきたら、1対2の局面の状況が作為され、

逆サイドの局面でアウトナンバーが作られているところに合わせて、そこから…シュート!

さらにリバウンドルーズを取ってセカンドメイクでしょう。

例えば、外角の0度でボールをレシーブしたら、まず3Pシュートを狙うか、

しかしボールマンに対する、ディフェンスのクローズアウトが速く、3Pのシュートセレクションが取れない場合は、

パサーのオフボールがカットインして、アシストのリターンパスをもらおうとするか、

しかしカットインに対してコースチェックされて、リターンパスが入らない時は、そのままキレるか、

またはカットインがすぐに、チェックされると判断したら、

カットアウェイでスペースを作るか、ステイしてスクリーンから、ロールインかポップアウトか…

ボールマンは、パサーの動きを見極めつつ、リターンパスでアシストするか、

スペースのストロングサイドにペネトレイトして仕掛けるか、

行けたらシュートまで行くアグレッシブなプレーが必要だと思います。


「なぜ仕掛けない」のでしょうか?

仕掛けることで…ディフェンスは動き、その動きでディフェンスは中に押し込まれ…

行ければ1対1をブレイクスルーしてシュート!…か、

またはアウトサイドへのパスアウトからミドルシュートか3Pシュートのシューティングプレーで、

さらにシュートカバーからリバウンドルーズを制して…セカンドメイクでしょう。

とにかく、パスレシーブしたあとのアグレッシブなプレーがないのは、

私としては、納得がいかないプレーですね。

相手チームから、こいつにパスが入っても仕掛けてこないと…読まれた時点で、相手のディフェンスを楽にしているだけですからね。

しっかりと、まずは基本となる自分のプレーをするべきでしょう。

マッチアップした相手にフェイスでガチガチに抑えられているのでなければ、

攻め気…のアグレッシブなプレーであるべきだと思います。

夢を求めて…2013

2013-01-29 05:59:04 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月29日 火曜日
 
「夢を求めて…2013」


いつの時代も子供達は夢を求めて生きています。

子供達だけではなく、若者達も夢を求めて生きています。

子供達はサッカー選手、野球選手、バスケ選手、歌手、タレント、

勉強得意な子供達は…弁護士、政治家、総理大臣とか、こちらはすごく現実的な夢ですね。

現実的な夢って、夢だけれども、現実に成り得るものでしょう。

ということは…現実に成り得ない夢もあるのでしょうか?

現実に成り得ない夢って空しいですよね。

空しいけれど、それを考えてるときは幸せな想いですから、ダメなことではないと思います。

でも、その夢が現実になるかどうかは…その人の想いの強さにかかっていると思います。

夢を現実にしようと行動するから、それが生きていく原動力になるのでしょう。

しかし、高校生、大学生になるにつれ、自分は何に成りたいのか? 何をしたいのか?

まず仕事ですよね。

生活をしていかなくてはならない。

生活の手段として仕事を選択する。

それでも、高校、大学と学んできたことを生かした仕事をしたい。


それも夢の現実化です。

しかし、今の世の中…それも厳しいという現実です。

それでも、ニートになっても夢を追うのでしょう。

フリーターをしながら夢の実現に、もがきながら生きていくのでしょう。

なぜ、もがかなくてはならないのか?

誰が、何が原因なのでしょう?

子供は成長し、やがて家を巣立ち、少しづつ自由を手にしていきます。

そして、市民として個人の自由を手にするとともに、義務と責任を負うのです。

そして、その自由の身になって…夢を、理想を求めて生きていくのでしょう。

理想の実現こそが人達の関心あることでしょう。

理想の結婚、理想の仕事…これは、理想を実現可能なものと捉えているのです。

理想が現実になったときに、次はあるのでしょうか?

次がなければ、そこから空しい人生が始まるだけです。

ですから…また、次の理想が生まれるのでしょう。

そして理想を求めて、まず現実からスタートするのです。

夢を求めて、現実からスタートするのです。

夢を持たない人はいないし、現実に生きない人もいないのです。

夢とは、ここにはなく求めるものです。

現実とは、ここにあって、自分の意志にかかわらず、与えられた場所です。

その現実から抜け出したいために、夢を求めて前に進んで行くのです。

一方で、現実に留まり、今いる場所を受け入れて生きていくことも自由です。

あなたは、夢を求めて前に進んで行きますか?

それとも、達成した夢を現実にして、そこに留まり生きていきますか?

その選択は、あなたの自由なのです。

指導の要訣( ヨウケツ) …2013

2013-01-28 07:10:11 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月28日 月曜日
 
「指導の要訣(ヨウケツ)…2013」

要訣(ヨウケツ)とは
①肝要な秘訣。
②大事な奥の手。 
③奥義。

もっと分かりやすい意味は、「それを行う要領(やり方)のうち、最も重要な事項をいう。」とあります。

特に私の仕事がら…指揮官が肝に銘じるべき指揮の要訣があります。


それは以下のように書かれています。

『指揮の要訣は…、●部下を確実に掌握し、●明確な企図のもと、●適時適切な命令を与え、その行動を律することにある。

この際、部下に対し、その能力を十分に発揮できる余地を与えることが必要である。』

この解説として、以下のように述べています。

『これは、指揮の要訣を簡明に記述したものである。

「部下に対し、その能力を十分に発揮できる余地を与えることが必要である。」とあるが、

そこには、部下の地位・能力及び状況に応じてという前提があることはもちろんである。

ここでいう、余地とは...部下が与えられた命令の範ちゅうで、

部下に、行動できる自由裁量の余地を与えること、

それによって、組織の硬直性を避けるもの…

ただし、細事に拘でいせずとして...部下まかせの行動を意味するものではない。

その結果の責任は、あくまでも指揮官にあることは申すまでもない。』


さてこの指揮を指導に読み替えて、『指導の要訣』とした場合には、以下のような事項になるのでしょう。

●部下を確実に掌握し、

選手の身体能力、 理解力、耐久力、向上心、性質、生活態度、育った家庭環境、生い立ち、バスケへの想い…これらをノートにして

最終的にはコーチの知識として、ひとりひとりを掌握すること

●明確な企図のもと

指導したいことを選手に明確に伝える。

技術のこと、メンタル、教養、モラルなどまで...コーチの考え、コーチの価値観、コーチが求める人としてのあり方など

これらを、具体的にわかりやすい言葉にして、しかも簡明に表現して選手に伝えること。

コーチは多くの経験から、抽象的な表現をしがちだが、

それでは、選手達の理解の仕方が異なってしまう。

そのため、語る言葉は選手の立場に立って 全員が同じ意味として理解できるものでなければならない。

練習の目的、今回の試合の目的など、選手がしっかりと理解できるように伝えることをしなければ…指導する者としては失格であろう。

●適時適切な命令を与える

このためには、まず指導する者が、指導する能力を磨かなければならない。

それは、常に敏感に選手の気持ちや、身体の異常などに心を配り、

誰よりも早く感じるくらいの心懸けが必要であろう。

また、たくさんの知識を持ち、その知識をひけらすことなく、チームや選手の適性にあったことを取捨選択して指導し、

それ以外は、自分の引き出しにしまっておくことが大切であろう。

さらに、常に集中させることは…もちろんだが、そのような中で、激励する、指導者自身が熱中することが大事だろう。

そして、選手に希望を持たせること…、希望があれば多少の苦しみも耐えられる。

指導者として選手達に、ハッキリと目標を示し、それを持たせて、やる気の出るような助言をすること。

選手を信じること…、選手は「信じられている」と思えば、その想いに必ず応える努力をする。

それは、必ず結果となることを信じてやること。

忍耐強く指導し、あきらめることなく信じることが、選手を成長させる。

最後に、『最後まで絶対にあきらめない』ということを徹底すること。

ひとつくらい、集中できないプレーがあっても仕方ないと思わせない。

自分を越えて行こうとする…自分に対する厳しさ。

同じ目標を共有する仲間に対する熱い想い。

それを求めた指導に心懸けなければならない。

以上が、私が想う指導の要訣です。

準決勝…2013

2013-01-27 14:04:10 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月27日 日曜日
 
「準決勝…2013」


今日は、ミニバス県大会準決勝…相手は優勝候補のM.I

昨日の試合から、自分達の試合でいければ…ひょっとして 行けるかも?

結果は負けましたが、子供達は諦めないバスケをやってくれました。

私の指示が適切でなかったことが敗因です。

子供達は昨年の市内の新人戦から、確実に成長して行きました。

そして県大会最終日まで私を連れて来てくれました。

こんな素晴らしい体験をさせてくれた子供達に心から感謝です。

さて、本来ならばこれで6年男子は引退ですが…今日の試合展開を県連で評価いただき、

3月始めに行われる関東大会に推薦していただけることになりました。

6年と5年男子でこの試合に臨み、6年は気持ちを締めてミニバスを終えて、次に向かって欲しいと思います。

このネットで応援していただきました多くの方々に心からお礼申し上げます。

保護者の方へ~ミニバス応援団( その3)…2 013

2013-01-27 07:06:40 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月27日 日曜日
 
「保護者の方へ~ミニバス応援団(その3)…2013」

昨日に引き続き、その3...です。

最終章です。

●保護者の協力

子どもたちが活動していくには、保護者のみなさんの協力が必要です。

保護者の一生懸命な応援や協力が、子供達への励ましとなります。

毎日の練習や、大会等への送迎や、引率・お世話等の協力は必要であり、ありがたいものです。

しかし大事なことは、活動団体の考え、指導方針と合うことが大切です。

重要なことは、「子どもたちの成長に一番いいこと」をしてあげることです。

保護者の自己満足のためや、大人同士のつながりのためにするのではありません。

当番制にしたり、必ず一役を押しつけたりしていることはないでしょうか。

保護者の中には、積極的に活動に関わりたいと思っていても、いろいろな事情でできないばかりに、子どもを辞めさせてしまうことがあります。

子どもが犠牲になってしまうことがあっては本末転倒です。

子どもが主体であり、あくまでもサポーターであることを忘れてはなりません。

大人同士で考え、話し合い,お互いにカバーできる組織にしていくことが大切です。

ただし忙しいから、余裕がないからといって無関心では…子どもがかわいそうです。

機会を見つけ、子どもに…

「気にかけているよ」、「関心を持っているよ」ということを表現してあげることは必要です。

表現のしかたは、いろいろな方法があると思いますので、

今できるやり方から はじめてください。

共通の話題として聞いてあげる姿勢を取ることは、子どもにとって気にかけてもらっているということがわかり、大いな励みとなり、喜びにつながります。

●活動組織と指導者

<活動組織>

1 指導理念がしっかりしている

2 子どもたちへの指導方針がしっかりしている

3 子どもたちが楽しく活動している

4 子どもたち主体の活動運営である

5 指導者間での考え方が一致している

6 指導者・子ども・保護者でコミュニケーションがとれている

<指導者>

1 子どもが好きである

2 情熱がある

3 子どもの良さを賞賛できる

4 礼儀正しく、モラルを持っている

5 忍耐力があり、子どもの目線でみれる

6 子どものレベルを知っている

7 寛容である

●指導者との信頼関係

自分の子どもをゲームに出してもらえない、

正しく評価されていないことに対し、指導者の考えや評価がおかしいと不満に思ったことがありますか。

親であるからこそ、自分の子どもの可能性を信じ、そのような気持ちになると思います。

所属する前に、指導方針や考え方等を確認することが大切です。

また活動団体側も、説明会のような機会を持つべきです。

その時に、疑問や不安があれば質問し、納得した上で所属した方がよいと思います。

また、必要に応じ指導者等とコミュニケーションをとることをお勧めします。

一方的に判断するのではなく、指導者の考えにも耳を傾けてみるようにしましょう。

以上です。


ここに書かれていることは、あるべき姿だと思います…

現実的には厳しいことかもしれません。

しかし、ミニバスは子供達が主役であることに間違いないことです。

子供達が、頑張る自分のために、チームの仲間のために、

そして礼節ある人となるために、行っていることなのです。

保護者の方へ~ミニバス応援団(その2)…2013

2013-01-26 03:20:31 | やっぱりミニバス!
平成24年 1月26日 土曜日
 
「保護者の方へ~ミニバス応援団(その2)…2013」


昨日に引き続き、その2です。

●バスケット大好き

親ならだれでもが、自分の子どもに大きな期待を持つのは当たり前のことです。

また、自分ができなかった夢を つい子どもに託してしまうこともあります。

しかし子どもには、子どもの夢があります。

元気に熱中している子どもたちも、時には…

「やりたくない」、「休みたい」という気持ちになることもあります。

それをなかなか言い出せず、悩んでいる子どももいます。

親として、我が子の気持ちが弱っているときに、励まして…やらせることや、少しがんばって乗り越えさせる試練も大切ですが、

無理が重なり、結局やめてしまうことになっては残念です。

やりたくなるまで休んでもいい、他のことをやってみるのもいい、

またミニバスをやりたくなったら戻ってくればいい…という、

気持ちに余裕を持って、子どもをみてください。

最終的にバスケが好きで、長く続けていけることを大切にし、

生涯にわたってバスケットボールを楽しみ、関わり続けていける人を増やしていくことが大きな願いです。


●大切なこと

自分の子どものチームに勝ってほしい…という気持ちは、親ならだれでもが持っているものです。

しかし、つい応援に熱が入ってしまい、子どもたち以上に勝てば喜び、負ければ悔しがり、

つい審判や相手チームに対して、野次や文句を言う大人の姿がややもすると見受けられます。

そしてそんな親達の姿を、子どもたちが決まり悪そうにしている光景があります。

大人は、つい感情にまかせ興奮するのではなく、冷静に、コントロールされた気持ちでいることが大切です。

勝利至上主義になって、手段を選ばず、勝とうと思えばいろいろな方法があると思います。

しかし、子どもたちが勝敗をうまく自分の中で消化し、処理できるようにさせてあげることが大切です。

子どもたちには、勝って嬉しい、負けて悔しいという気持ちを持ち…

次の目標に向かっていってほしいと思います。

勝ちは成功経験につながり、子どもが伸びる力となります。

ただし、成功経験というのは、ゲームでの勝利だけでしか得られない…ものではありません。

いろいろなことからも学ぶことができます。

それ以上に、負けたときにこそ学ぶことがたくさんあるはずです。

勝っても負けても、次の目標へ向かっていく糧にできるように、大人はその手助けをしてあげることが必要です。

もし指導者の中に、勝利至上主義に走り、勝敗だけにこだわっているようであれば、

保護者の方がしっかりした考えを持ち、指導者と話し合える場を持ってください。


その2…は以上です。

明日も続きます。

明日は最終章で…
●保護者の協力
●活動組織と指導者
●指導者との信頼関係 です 

保護者の方へ~ミニバス応援団…2 013

2013-01-25 06:00:16 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月 25日 金曜日
 
「保護者の方へ~ミニバス応援団…2013」


以下の内容は以前にも書いたものです。

改めてそういう思いを忘れずにしたいと思いました。


千葉県ミニバス連盟から…保護者の皆さんへ、『ミニバス応援団』と題して配布しているパンフレットに書かれているものです。

そこから、大事だと思うところを抜き書きしてみました。

特に、ミニバスの保護者の方にかかわらず、保護者の方みなさんにも参考になると思います。

●自立をさせよう!

試合会場に行くとよく見かける光景ですが、チームの応援の場所取りや飲み物、着替えなど、何から何まで親が準備をしてあげ…

子どもたちは言われるまま,準備をされたものを使うだけです。

いつも準備されているから…感謝の心が育たず、

それが当たり前と思い「ありがとう」のことばさえ言えない子どもがいます。

手助けが子どもたちができる能力を育てず、奪ってしまっている場合があることに気づいてください。

ミニバスケットボールでは自分で考え、判断し、責任をもって行動できる自立したプレイヤーを育成しようとしています。

誰かにやるように言われたからやるのではなく、

自分自身が「やった方がよい」「やりたい」と思い、行動することが大切なのです。

●ゆっくり成長を見守ろう

親として自分の子どもが、ミニバスケットボールに向いているのかどうか、見込みがあるのかどうかなど、気になるのは当然です。

しかし、低い年齢であればあるほど、その先の可能性は不確定なものです。

可能性のある子どもはたくさんいます。

よい指導、よい環境をいかに子どもたちに与えていくかが大切です。

それを大人が勝手に、子どもの将来を決めつけてしまい、やめさせたりしてしまうようなことがあります。

やるのは子ども、主人公は子どもであり、  スタープレイヤーになるだけが価値があるのではありません。

子どもたちがミニバスケットボールを…やりたいという気持ちが一番大切です。

大人だけの考え方で決めつけるのではなく、長い目でゆっくりと子どもたちの成長を見守りましょう。

ミニバスケットボールの技術や技能を身につけるのが目的ではなく、

ミニバスケットボールを通して、人間づくりをすることが目的であることを認識し、

子供達がミニバスケットボールを楽しみ、生涯にわたってバスケットボールが好きであってほしいと願っています。

そこで仲間を一生の友という財産にして欲しいと思います。

“永遠の0 (ゼロ)”…2013

2013-01-24 06:58:20 | やっぱりミニバス!
平成25年 1月 24日 木曜日
 
「“永遠の0(ゼロ)”…2013」(小説“永遠の0”より)


今日はバスケの話しではありません。


『永遠の0(ゼロ)』(えいえんのゼロ)は、 講談社から出版された百田尚樹 氏による小説です。

著者のデビュー作であり、売上は100万部を突破 、文庫部門では13 作目のミリオンヒットとなりました 。

今年の12月に岡田准一主演で映画化が決定されています。

2010 年から2012年にかけて須本壮一作画で漫画化もされました。


終戦間際に特攻により亡くなった主人公 宮部久蔵の足取りを孫である佐伯慶子と健太郎の姉弟が追って行き、宮部久蔵の記憶をさまざまな人間関係の視点から描いたものです。

私は三年前にこの文庫本を読み、今…改めて読み返して、感じたところを書いてみました。


平和な時にあって日本人が忘れてはならないのは…日本が体験した戦争のことでしょう。

先の戦争…支那事変から太平洋戦争に至る戦争が昭和20年に終結してから、68年の時間が経ちます。

時間は事実を風化させていきます。

しかし、この事実は風化させてはならないものと思います。

何故なら、二度と繰り返してはならない事実だからです。

この事実をフィクションとして描いた読み物が「永遠の0(ゼロ)」という小説です。

ここに言う「0」とは零戦のことです。

以下は、この小説の解説の一部をばっすいしたものです。

『仲間から「臆病者」とさげすまされた祖父の宮部久蔵…、絶対に妻と子のために生きて帰るのだと宣言し、

必死で生き残りをかけて空戦に臨んでいた彼が、いったいなぜ終戦直前に特攻を志願し散ったのか、

読み進むほどに宮部久蔵の真の姿が浮かび上がってくる。

男として、人として、いかに彼が魅力にあふれた者であったか、

彼は決して臆病者でもなければ、ましてや卑怯者では絶対に無いことことがわかってくる。

彼は戦争から逃げようとしたのでは断じてない。

むしろ逆に、敢然として闘いながら、全能力を駆使して、この戦争に生き残ることを決意したのだ。

周囲からどう見られようと、どう思われようとかまわない。

肝心なのは なりふりかまわず

どんな手段をとろうが、愛する人のために絶対に死んではならないということだ。』

さて、この小説を読んで感動を覚えたのは、ふたつあります。

ひとつは、主人公の孫が、自分達のルーツである祖父の生い立ちを知っていくことで、自分達が今を生き、生かされていることを知ること


ひとつは、宮部久蔵が語る…十死零生について語るところです。

『特攻機を特攻まで、直接守る役目を担った直援機がありました。

この直援機も未帰還機があり、特攻機でなくとも特攻のようなものでした。

しかし、宮部久蔵は言うのです。

「直援機は特攻機とは全然違います。

直援機は、九死に一生ということがあります。

たとえ絶望的であろうと、生き残るために戦うことができます。

しかし、特攻員は十死零生なのです。」

十死零生は、死ぬことが決まった任務なのです。』

なぜこのような愚かな任務をエリート将校は思いつき実行させたのでしょうか?

これで散っていった者は、ほとんどが当時、学徒出陣で出兵した大学生の若者達です。

まさに、次代を担う若者達を消耗品のように扱ったのは…

陸士、海兵や陸軍大学、海軍大学を出たエリート士官と呼ばれた職業軍人なのです。

学徒出陣された方達は、十死零生を自ら受け入れたのではないのです。


この人たちが残していった手紙の行間には、生きて帰りたいという強烈な想いがあると言います。

十死零生は「必ず死ぬ」と書く「必死」とも違います。

必死とは、生きることなのです。死ぬ思いをもって生き抜くことなのです。


戦争という悲惨で、理不尽なことも…、“国”という立場ではあり得るのです。

戦争などしてはならない。

そのためには、この事実を忘れない、この事実の悲しみを二度と繰り返してはならない…

その想いを、小説「永遠の0(ゼロ)」は心に染み込ませてくれました。

言葉の価値…2013

2013-01-23 06:07:09 | やっぱりミニバス!
平成24年 1月23日 水曜日
 
「言葉の価値…2013」


人は物の値段が安いほど、得したと思うでしょう。

しかし、その物の価値とは…得したと思うことにあるのでしょうか?

その物の価値の基準って何でしょうか?

得したと思うことは、思うことであって、

思うことは人により違うから、すべての人にとって同じ価値があるという基準にはならないと思います。

その人にとって、何を価値とするのかは、その人が欲する物によって異なるものです。

だから、ある人にとって、大金を払ってまで手に入れたいと思はない物であっても、

別の人には、大金を払う価値ある物なのかもしれないのも、真実でしょう。

値段が安いか高いかは、人に共通した絶対的な価値ではないということです。

しかし、その物の値段は、その物の価値をはかるひとつの基準にはなるものです。

ですから値段は、その物の価値を表すものには違いはないとは思います。


それでは、値段がついていないもの、金のいらないタダのものを、価値あるものと思うことはないのでしょうか?

値打ちという値段がつかないタダのものにも、価値を見いだすというのも人間にはあります。

いろんな物に価値という重みを感じ、理解できるのは人間だけだと思います。

そして言葉… 人が喋る言葉、人が話す言葉、人が語る言葉など

いろんな言葉があります。

講話で話す言葉には、人によっては対価を払う価値あるものもありますが…

普段の生活で、その言葉によって、自分の生き方や、行動の考え方に影響する言葉というのもあるはずです。

誰しも、そういう言葉に出会ったことはあるはずです。

そんな言葉に出会ったことなどないという人は…

その人生で、人生について語り合う人と出会ったことのない人か、そういう語り合いを避けてきた、空虚な人なのだと思います。

相手の心を揺さぶるのは、真摯な想いを込めた言葉か…、無言の行動でしかないのでしょう。

直接的に伝わるのは言葉でしょう。

想いを込めて語る言葉でしょう。

言葉は、対価という値段で交換する価値ではなく、価値そのものです。

誰でも使えるタダのものだからこそ、言葉は人間だけが持つ大きな価値なのです。

安く卑しく、ごう慢な言葉が安い人間を示すことは、誰もが直感できるものということは真実だと思います。

熱く想いを語る言葉…自分のためではなく、相手の心を育もうとする言葉。

自分の価値観を押し付けるものではなく、論理ではなく、情として訴える言葉には嘘はありません。

その人の歩んだ人生から生まれた言葉だから…

そういう言葉ならば、子供達の心にも届くはずだと思うのです。

だから、人は言葉を大事にするべきなのです。

口をついて出た言葉は、呑み込むことはできません。

その言葉ひとつで、相手の心に一生の傷になることもあるのです。

だから、言葉には重みがある…その言葉が自分という人間の価値を造り出しているのでしょう。

だから、子供達の想いをしっかりと受けとめて、過ちのない言葉を選んで語らなければならないのです。

特に、子供達の心を育む…子供達を指導する者は、自覚しなければならないのです。