平成25年 1月31日 木曜日
「ミニバスの指導者として…2013」
私自身、ミニバスの指導者として学ばなければいけないことは、まだまだ無尽にあります。
ただ、この14年間、子供達とミニバスを通じて接してきて、「理念」と言うにはおこがましいかもしれませんが…
自分としての姿勢をチョットだけ持つようになってきていると思っています。
その想いをつづらせていただきました。
『多くのミニバスの指導者の方を拝見していると、その情熱のすごさに驚かされます。
保護者の皆さんとの信頼関係を粘り強く築こうとし、
子供達にも全身全霊で接し、子供達との信頼関係を築こうと努力されています。
一方で、その情熱の方向が、「それでいいのかな?」…と私みたいな者が、生意気にも思ってしまうという方も、いないではありません。
大切なのは、常に自ら学び、他から学び、今の自分を、常に省みる姿勢だと思うのです。
コーチとしてのあるべき姿をイメージしながら、そのイメージさえも常に見直しながら、そこに自分を重ねていこうとすることだと思うのです。
そのためには、信念を持ちながらも謙虚に耳を傾けて、学ぶことの大切さを忘れないこと。
自分を振り返るときに思うことは、大人の技術やプレーの常識を単純に鵜呑みして、自分の検討や考察も加えることなく、子供達に押しつけていないだろうか?
バスケットボールでは、一般的に基本とされている技術ひとつをとってみても、
大人には適していても、ゴールデンエイジの子供達の神経系の発達途上にあることからいえば、出来ることと、出来ないことがあるかもしれません。
私は、バスケットのプレー経験はありませんが、
よくプレーの経験があるコーチの方に見受けられるのが…
自分の学生時代の体験や経験の知識だけを、子供達に有無も言わさず、「指導」という名で押しつけてしまうこと。
特に、今の子供達は、初めて習うバスケについては、指導者や親にはあまり反抗しません、というか…できません。
それをいいことに、旧態依然とした理論や技術を、自分の経験・知識だけに基づいて、子供達に押しつけていることはないでしょうか?
バスケの世界も変化しています。
大きく言えば世界のバスケの趨勢(すうせい)、それを確認して、ジャパンとして…日本のバスケの現状と、向かうべき将来のジャパンスタイルのあり方など
たとえミニバスのコーチであっても、いや…将来、バスケで輝く可能性がある子供達を指導する者だからこそ…
その世界やジャパンのバスケという視点で学び、それを子供達に噛み砕いて…分かりやすく理論だて、練習を工夫し創造するべきだと思うのです。
その大きな視点に依って立つことなく、自分なりの理論を子供達に押しつけて、一方的な指導をしていないかを、振り返ることは必要だと思います。
さらに言います。
子供達には、ひとりひとり、精神面と体力面で色々な個性があり、違いがあることを忘れてはならないと思います。
子供達はみな可能性を秘めています。
前にも書きましたが、その才能がどこで開花するかは、わからないのです。
いま上手だから、いま上手ではないからといって…子供達のバスケに対する、やる気をなくすような指導はすべきではないのです。
また子供達を指導する上で、そのプレーの結果を激昂して注意することは、子供達のやる気を、一瞬にしてなくす指導の仕方でしょう。
何故、そのプレーに至ったのか、その原因はどこにあるのか…
指導者は、その経緯をしっかりと把握しながら、子供達がしっかりと理解し、納得できるように語るべきなのです。
その答えは、本には書いていないかも知れません。
だからこそバスケは面白いのです。
だからこそミニバスの指導者は難しいけれども、やり甲斐があり…それとともに大きな責任を持っているのです。
指導者とは、求道者だと思います。
常に子供達を通じて成長させてもらっている…求道者なのです。
自分のためではなく、子供達のために、子供達の心を育むための追求心を忘れてはならないと思います。
ただし、子供達のため…と言いながら、自分の価値観の押し付けになるのも間違いです。
子供達自身に考えさせて、自分自身の価値観を育むように導くことが肝要だと思います。
そのためなには…大人の目線だけではなく、子供達の目線で見ることを忘れてはならないでしょう。
結局、子供達とそのように接することが、指導する者としての自分を成長させてくれているのです。』
「ミニバスの指導者として…2013」
私自身、ミニバスの指導者として学ばなければいけないことは、まだまだ無尽にあります。
ただ、この14年間、子供達とミニバスを通じて接してきて、「理念」と言うにはおこがましいかもしれませんが…
自分としての姿勢をチョットだけ持つようになってきていると思っています。
その想いをつづらせていただきました。
『多くのミニバスの指導者の方を拝見していると、その情熱のすごさに驚かされます。
保護者の皆さんとの信頼関係を粘り強く築こうとし、
子供達にも全身全霊で接し、子供達との信頼関係を築こうと努力されています。
一方で、その情熱の方向が、「それでいいのかな?」…と私みたいな者が、生意気にも思ってしまうという方も、いないではありません。
大切なのは、常に自ら学び、他から学び、今の自分を、常に省みる姿勢だと思うのです。
コーチとしてのあるべき姿をイメージしながら、そのイメージさえも常に見直しながら、そこに自分を重ねていこうとすることだと思うのです。
そのためには、信念を持ちながらも謙虚に耳を傾けて、学ぶことの大切さを忘れないこと。
自分を振り返るときに思うことは、大人の技術やプレーの常識を単純に鵜呑みして、自分の検討や考察も加えることなく、子供達に押しつけていないだろうか?
バスケットボールでは、一般的に基本とされている技術ひとつをとってみても、
大人には適していても、ゴールデンエイジの子供達の神経系の発達途上にあることからいえば、出来ることと、出来ないことがあるかもしれません。
私は、バスケットのプレー経験はありませんが、
よくプレーの経験があるコーチの方に見受けられるのが…
自分の学生時代の体験や経験の知識だけを、子供達に有無も言わさず、「指導」という名で押しつけてしまうこと。
特に、今の子供達は、初めて習うバスケについては、指導者や親にはあまり反抗しません、というか…できません。
それをいいことに、旧態依然とした理論や技術を、自分の経験・知識だけに基づいて、子供達に押しつけていることはないでしょうか?
バスケの世界も変化しています。
大きく言えば世界のバスケの趨勢(すうせい)、それを確認して、ジャパンとして…日本のバスケの現状と、向かうべき将来のジャパンスタイルのあり方など
たとえミニバスのコーチであっても、いや…将来、バスケで輝く可能性がある子供達を指導する者だからこそ…
その世界やジャパンのバスケという視点で学び、それを子供達に噛み砕いて…分かりやすく理論だて、練習を工夫し創造するべきだと思うのです。
その大きな視点に依って立つことなく、自分なりの理論を子供達に押しつけて、一方的な指導をしていないかを、振り返ることは必要だと思います。
さらに言います。
子供達には、ひとりひとり、精神面と体力面で色々な個性があり、違いがあることを忘れてはならないと思います。
子供達はみな可能性を秘めています。
前にも書きましたが、その才能がどこで開花するかは、わからないのです。
いま上手だから、いま上手ではないからといって…子供達のバスケに対する、やる気をなくすような指導はすべきではないのです。
また子供達を指導する上で、そのプレーの結果を激昂して注意することは、子供達のやる気を、一瞬にしてなくす指導の仕方でしょう。
何故、そのプレーに至ったのか、その原因はどこにあるのか…
指導者は、その経緯をしっかりと把握しながら、子供達がしっかりと理解し、納得できるように語るべきなのです。
その答えは、本には書いていないかも知れません。
だからこそバスケは面白いのです。
だからこそミニバスの指導者は難しいけれども、やり甲斐があり…それとともに大きな責任を持っているのです。
指導者とは、求道者だと思います。
常に子供達を通じて成長させてもらっている…求道者なのです。
自分のためではなく、子供達のために、子供達の心を育むための追求心を忘れてはならないと思います。
ただし、子供達のため…と言いながら、自分の価値観の押し付けになるのも間違いです。
子供達自身に考えさせて、自分自身の価値観を育むように導くことが肝要だと思います。
そのためなには…大人の目線だけではなく、子供達の目線で見ることを忘れてはならないでしょう。
結局、子供達とそのように接することが、指導する者としての自分を成長させてくれているのです。』