バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

練習試合で語ったこと…2013

2013-04-30 07:44:23 | やっぱりミニバス!
平成25年4月30日 火曜日
 
「練習試合で語ったこと…2013」


昨日も、一昨日の交流戦に続いて練習試合でした。

私は喉をやられて風邪で体調が悪く家で休養するつもりでした。

…が、横になっていても子供達の課題をどのように捉え、どのように練っていこうかと、それが頭の中にいっぱいです。

結局、車で2時間かけて練習会場に行きました。

仕事だったら、一も二もなく休んでいると思います。


子供達は、2月の新人戦や、つい二週間前の練習試合から見てもチーム力、特にチームディフェンス力は向上しているようです。

男子の特性というか…理解力と応用力がありますね。

さらに、ここで選手起用の考え方について子供達全員に会話をするように語りました。

保護者の皆さんにも、その後ろで私と子供達の会話を聴いていただきました。

今のうちの上級生チームは、6年7人、5年は11人の18人います。

昨年は事情があり、年度の途中から6年10人でメンバーを組みました。

さて子供達に語ったことは…、

『コーチは全力のチーム力が発揮できるチームを作っていきたいと思う。

だから、6年生だというだけでオンコートに立つことはない。

5年だというだけでオンコートに立てないということはない。

試合に出たいのは誰も同じだ。

ただ試合に出る以上はオンコートのメンバーとしての責任に応えなければならない。

勝つことを狙わないが、勝つことをあきらめない…

一本のゴールを最後まであきらめない、

相手のシュートをゆるさない、最後まであきらめないディフェンス、

そんなバスケをして欲しい。

だから、自分だけがプレイできればいいと言うのではなく、

自分を活かし、仲間を活かす…そんなバスケをして欲しい。

だからそういう全力のチーム力が発揮できるメンバーで試合に臨んでいきたい、とコーチは考えている。』


子供達の視線に合うよに姿勢を低くし、子供達の目をひとりひとり見ながら語っていきました。

この話しの厳しさを、子供達は理解してくれたようです。

その話しをした後の試合では、6年生の子供の動きに気持ちが見えていました。

保護者、特に6年生の保護者さんにとっては、理解できても、我が子のことゆえ納得しきれない気持ちもあると思います。

私は6年生の7人は、やっぱりバスケが好きだ…という思いを持ってミニバスを卒業させてあげたいし、

そのように指導していきます。

コミュニケーション技術…2013

2013-04-29 06:39:50 | やっぱりミニバス!
平成25年4月29日 月曜日
 
「コミュニケーション技術…2013」
(“スポーツコーチング学”から一部抜粋編集)


コーチングは対人的な仕事で、優れた指導者は人間から多くを学ぶ、

優れたリーダー…つまり優れた指導者として、

周囲の人間にやる気を起こさせる対人関係の技術を習得しなければならない。

話し、聴き、交渉し、励まし、慰める、叱咤するなどの周囲の人々とのコミュニケーション技術は指導者にとって不可欠なものである。

マラソンでコンディションづくりの技術が重要であるのと同じくらい、指導においてコミュニケーション技術は大切である。

優秀なチーム…優秀なチームがどのようなチームか?を考えなければならないが、

優秀なチームは、将来実現できるというビジョンを持ち、それを人に実現させる能力を持つという“特別な技術”を持った人のリーダーシップによってつくりあげられる。

“特別な技術”は、指導者自身が指導のために準備をし、一生懸命に指導することで培われる。

特に、指導するときは一方的に語るだけではなく、選手と会話し、理解を確認し、実際にやってみせ、実際にやらせて、

できなくても怒ることなく、かといって注意が散漫なら叱り、緩急をつけて忍耐強く繰り返しながら、少しでも出来たら、誉めて、やる気を持たせながら行っていく。

まさにこれが、指導者が持つべき選手との“コミュニケーション技術”の大事なひとつであろう。

大事なひとつということは、他にも大事なコミュニケーション技術がある。

技術以外のことでの選手とのコミュニケーション。

スタッフとのコーチングに関する理解、意志疎通を図るコミュニケーション。

ミニバスにおいては、保護者とのコミュニケーション。


これらのコミュニケーション技術を向上させることことで、指導者自身の個人的目的も達成させることができる。

そして選手の精神的、社会的成長という利他的目的も達成することができるのであろう。

家庭の約束ごと…2013

2013-04-28 07:46:29 | やっぱりミニバス!
平成25年4月28日 日曜日
 
「家庭の約束ごと…2013」


数年前のある方の記事です。

『昨年、「家庭の決まり事が守れず、成績も下がる一方なので、部活動(バスケ)は休部させます」 と(中学)1年の保護者から連絡が来た。

年明けに、その親から電話があり…

「家庭での決まり事を守る約束で、部に戻したいと思います…が、約束を守れなかった場合はその都度、練習は休ませます」という連絡が…。』

以下はそのときの、私のコメントです。

個人とチーム…どちらも等しく、その責任に応えなければならないと思います。
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家庭の約束ごとと言う理由…

私が小学生のころに、遊びで野球をしていて、家に帰る門限の時間が迫っていて、自分の都合で勝手に家に帰ったときに、

私は門限ギリギリで帰宅し、父親に野球を途中で抜けて帰ってきました…と言ったところ、

雷親父の父親が、「なんで帰ってきた! 戻れ! 」と一喝され、殴られて泣く泣く、友達が野球をしているところに戻ったことがあります。

その時は、なぜ怒鳴られ、殴られたのか…わかりませんでした。

チームで何かをやるための、個人の責任の大きさを知るためだったようです。

家庭の約束ごとも大切でしょうが…

それと、チームの一員としての立場の重さとを比べて教えることが違うと思います。

どちらも等しく学ばなければならないことだと思います。

家庭の約束ごとが出来ないなら、外に迷惑を掛けないように、家庭でペナルティーを課すべきです。

社会に出て、社会の一員として働いている時に、家庭の約束ごとを優先するから出来ないは…

社会人として失格であるのは間違いありません。

社会に対する責任を果たせる、そのような社会人に育てることは、家庭の…、親の務めだと思います。

得難きものと、会い難きもの…2 013

2013-04-27 05:43:04 | やっぱりミニバス!
平成25年4月27日 土曜日
 
「得難きものと、会い難きもの…2013」

『得難きは時、会い難きは友』
(「ことわざ」です)

機会は一瞬であり…
出会いは運命です…

よい機会や友に巡り会うことは、自分で望んで訪れてくれるものではありません。

それは一瞬の出来事であり…

それは自分の思ってもいないところで定められているようなものなのでしょう。

人生の転機となるようなことはめったにあるものではなく、

生涯付き合える、心を許せる友人も得られるかどうかも難しいでしょう。

ですから、よい機会や友人に出会ったときには、それを逃してはならないという、ことわざです。

しかし、それが自分にとってよい機会なのかどうか…

それによる結果からしか判断できませんが、とにかく結果を恐れていては、機会を逃すのは必然でしょう。

だから果敢に行動することも大事だと思います。

悔やんだり、辛い思いをすることもあるかもしれませんが、

その一瞬をチャンス!…という機会だと判断するのは自分自身なのですから。

また、出会った友人が、心の友になるかどうかもわかりません。

自分の心を傷つける人かもしれません。

しかし求めなければ心の友は得られません。

恐れていては、いつまでも心の友にはなれないでしょう。

誰でも傷つくことは嫌ですが…

たとえ、そうであったとしても、それは癒されるものと信じて、人との出会いは大切にするべきだと思います。

私は父母と出会い、
今の仕事と出会い、
心を許せる友と出会い、
人生の伴侶と出会い、
我が子達と出会い、
義父母、義兄夫婦と出会い、
その親族と出会い、

我が子を通じてバスケの保護者と出会い、

そして、我が子達のお陰でミニバスと出会い、

ミニバスの元気な子供達と出会い、

その保護者の皆さんと出会い、

他のチームのコーチの皆さんと出会い、

ソーシャル・ネットワークで皆さんとイメージで出会い、

これらの出会いを振り返ると…それは私の人生そのものだと思います。

出会いのひとつ、ひとつが、次の出会いのきっかけになっているのがわかります。

だから、人生という道が連なっていくのでしょう。

これからも出会いを大切にし、そこから生まれる機会を大事にしていきたいと思います

親愛なるコーチへ…2013

2013-04-26 05:03:23 | やっぱりミニバス!
平成25年4月26日 金曜日
 
「親愛なるコーチへ…2013」


『おそらくコーチは私を覚えていないでしょう。

あれは2,3年前のことでした。

私はフットボールのやり方も知らずに、1年生コースにやってくる者の一人でした。

私は背が高く、やせていて、ほかの選手より少しのろまでした。

まだ思い出しませんか?

私はコーチをよく覚えています。

コーチが両手をたたいて「ぶつかれ!」と叫ぶたびに、コーチのことがどれほど怖かったことか。

私や私のような選手がタックルで失敗したり、一対一の練習でやられたときにコーチが、私を見て笑っていたのも覚えています。

自分は本当に下手だったと、まず認めます。

例えばプレーの技術を教わっていたとしても、私は下手なフットボール選手であったと思います。

私は、仲間と比べて身体的な成熟度と体力が数年遅れていました。

そして私は成長しました。

4年生になったころには、6フィート5インチで220ポンドになっていました。

あのスポーツ不適格の1年生は、今では野球で州一番の速球を投げることができるようになりました。

だけど振り返ってみると、私はフットボールができなくて本当に残念に思います。

きっと楽しかっただろうと思います。

私はチームを助けることができたかもしれません。

しかし、コーチのおかげで私はフットボールに深入りする前に背を向けました。

コーチがもう少しよく教えてくださったら、

また、もう少し勇気づけてくださっていたら、

もしかしたら?…どうなっていたかわかりません。

コーチは多くの少年のためになることをしてあげられる立場にいます。

しかし、私はあなたがそうするとは思いません。

あなたはいつも威圧的でいなければならない人です。

それがフットボールのすべてであるとあなたは思っているのです。

でも、私にはそうではないとわかっています。』

この手紙は、アメリカのあるスポーツコーチング教本に記載されたものです。

内容はメジャーリーガーになった、ある選手から学生時代のフットボールのコーチに宛てた手紙の形式で書かれたものです。

ただし、この話しが実話かどうかは定かではありません。

これは、同誌の「コーチングへの提言」というタイトルの章に載せられていたものです。

コーチングへのひとつの提言…多様な選手の指導について

身体的に未発達の選手を見下すような言動をしてはならない。

それらの選手は怪我を避けるために、身体的成熟度に合わせて選手を組み合わせることに留意しなければならない。

一方で、ときには身体的能力が成熟している選手とパートナーを組ませ、成熟に関係なく、ある部分では対等に接することができることも学ばせなければならない。


特に、ミニバスという、発達途上にあるゴールデンエイジ期の子供達を指導する上で、欠かせない視点だと思います。

漫然と…2013

2013-04-25 05:48:06 | やっぱりミニバス!
平成25年4月25日 木曜日
 
「漫然と…2013」

“漫然と”…その意味は、

『とりとめのないさま。ぼんやりとして心にとめないさま』

心の状態を言うようです。

漫然と生きている…といった感覚でしょうか。

ミニバスの子供達には、“やる気”という心の状態を作ってくれるように、

言葉で語りかけながら、”気”を注いでいます。

かたや自分自身は、漫然と生きています。

そんな心の状態にあるのが、なぜなのか?

わかっています。

みなさんが前向きに、何かを目指しながら日々を過ごされている中で、私も前向きに行こう!と綴っていますが、

私は、まっすぐな地平線に伸びた一本の道を目標もなくたたずむように歩いているような想いでいます。

それでも生きていかなければならないと思っています。

じっとしていてはいけないと思います。

だから、漫然とでも歩いています。

この心の状態は自分のものですから、外から見えません。

あれから2年が経とうとしている…

2年も経ったから、心は戻っていると思われていることもあります。

笑顔でこたえることが出来る自分です。

しかし、時間ではありません。

あのときの場面は、映像として一瞬でよみがえります。

思い出したくて映像がでてくるのではありません。

突然、ふっと映像が回りだします。

止めても、また回りだします。

それは重たい心の状態です。

いつまで続くのかわかりません。

それでも、漫然と歩いて行きます。

親としての悼み、悔やみは薄れることや消えることはありません。
何があろうと生きていて欲しかった…

 
 産み育て
 二十の晴れ着に
 父誉れ
 その五つ歳のちに
 逝くやと知らず

 逆縁を絶てず
 悔やみの
 親ごころ
 娘の想い
 如何にあらなむ

 時を経て
 悼みし想い
 変わらねど
 何故に逝きしと
 叱る遺影に

 父として
 知らざることの
 多さゆえ
 親の悔やみぞ
 遅かりし
 逝かすことなく
 とどめしものを

成功する指導者とは…2013

2013-04-24 05:13:14 | やっぱりミニバス!
平成25年4月24日 水曜日
 
「成功する指導者とは…2013」
(“スポーツコーチング学”から一部抜粋編集)


成功する指導者は、競争の目的、選手を参加させるための目的、

そして、自分自身の個人的な目的の違いをよく知っている。

成功する指導者は、あらゆる試合に勝つように努める。

勝利を望めないとわかっていても、スポーツの規則に沿って、

選手を虐待せずに勝利することが競技の目的であることを理解している。

成功する指導者は、選手の身体的、精神的、社会的な成長を助ける。

さらに成功する指導者は、勝てるチームを持ち、

若者を楽しませ、選手の身体的、精神的、社会的成長を助けるという3つのすべての目的を達成する方法を見つけられるのである。

試合に勝つように努めることは大切であるが、

それがスポーツをすることの最も重要な目的ではないということを覚えて欲しい。

試合に勝つということは、短期的目的である。

一方、選手の身体的、精神的、社会的成長ということが長期的目的である。

短期的目的を、指導者自身の目的の中心に置くと、“選手の幸福実現”という長期的目的を容易に見失ってしまう。

世の中は色々言うが、勝利、もしくは勝つだけの努力が、選手の幸福に勝ることはない。

スポーツを楽しみ、成績を上げる努力をし、まちがいから進んで学び、

ほめ言葉と前向きの批判のいずれからでも成長できるような若者をスポーツは育てる

…ということを、指導者は心の根っこに置かなければならない。

確かに勝利を追求することは楽しいことである。

しかし、そのためだけの指導は適切な指導とは言えない。

適切な指導とは何か?…指導者は常に考えなければならない。

適切な指導により、責任感のある、他人を認め受け入れられることができ、

そして自分自身を、卑屈になることなく、また傲慢になることなく、

今ある自分を受け入れて、向上させようとする人間になれる。

それがスポーツであり、スポーツ指導者の務めであり、

そういう指導者が成功する指導者であると言えるのではないだろうか。

“Athletes First, Winning Second ”…2013

2013-04-23 05:43:58 | やっぱりミニバス!
平成25年4月23日 火曜日
 
「“Athletes First, Winning Second”…2013」
(“スポーツコーチング学”から一部抜粋編集)


スポーツの指導者は、指導やスポーツそのものの目的だけではなく、

自分自身が指導することに何を望んでいるかを考える必要がある。

『なぜ指導者になりたいのか?』

それは、

『スポーツを通して若者の助けをしたいからか?』

それとも

『生活のため?』

『スポーツについての知識を誇示するため?』

『世間で認められて、名声を得るため?』

『スポーツが好きだから、スポーツに関わっていたいから?』

これらの目的は、指導者自身の個人的目的として、非難されるものではないであろう。

なぜなら、その目的のいくつかを達成したいがために、指導者をやっているのだから、その目的を否定されると指導者を辞めなければならない。

一方で社会的通念として、利己的目的は受け入れ難いものである。

だから指導者は、ときにその個人的目的を否定する。

指導目的として唯一社会的に認められる理由は、“選手を助け、育成する”という利他的なものである…と信じているかもしれない。

もちろん、指導者の目的が利己的なものだけであることは、現実的にはありえないであろう。

利己的な目的と利他的な目的を併せ持っていることがあるべき姿かもしれない。

しかし、“選手の幸福”を犠牲にしない限り、指導者が個人の目的を追求することは、不当なことではない。

ここで考えなくてはならないのは、“選手の幸福”とはなにか?…ということであろう。

例えば指導者の個人的な目的について、次のようなの理由が考えられる。

●好きなスポーツに関わりたいため
●生計のため
●他の仕事に役立てたいから
●権力を持ちたいため
●人が好きなため
●スポーツに恩返しがしたいため
●世の中の認知を得たいため
●名声と権威を得たいため
●楽しみたいため
●知識と技術を示したいため
●自分がよい選手なかったので、良い選手をつくりたいため
●遠征によって旅行がしたいため
●選手が身体的に、精神的に、そして社会的に成長するのを助けたいため

これらの理由について、指導者の自分が自分自身を評価してみて、

自分自身の指導目的と、選手の成長を助ける目的との間に矛盾が存在しないか考えてみよう。

たとえば、世の中に認められることや、権威権力の獲得などが指導の目的の中に少しでも存在しているとする。

そのときには、その目的が“選手の幸福”実現より上位にならないことを意識する必要がある。

特に、熾烈な競争の最中では、選手のことを自分の目的実現のための手段にしか考えられない言動を取り始める。

この危険に対処するために、自分自身を自省するように、よく知り、

“Athletes First, Winning Second”(アスリートファースト ウィニングセカンド)の哲学を心に深く刻み込んでおかなければならない。

勇気の心…2013

2013-04-22 06:17:36 | やっぱりミニバス!
平成25年4月22日 月曜日
 
「勇気の心…2013」


バスケは、10人の、5人2チームのプレイヤーが、

ひとつのボールを互いにマイボールにするために奪い合い、

互いのリングというゴールに向かってシュートを打ち込み、

またそれを防ぎながら、連続した攻防を繰り返し…

シュートを決めた本数による得点で勝敗を争うスポーツ。

互いのチームの選手は、同じコートで身体の持てる運動能力を駆使して、

接触しないルールの中で、接触する怖さを怖れず、

ゴールを攻め、ゴールを死守する…

そのために、“勇気の心”という強いメンタリティーを切らせてはならない。

接触を嫌がるプレーヤーは、そのメンタルを自分で造っていくしかない。

それが出来ないならば、ひとりでバスケをするしかない。

しかし、ひとりではチームにならない。

だから、ひとりではバスケはできない。

ディフェンスが死守するゴールに向かって逃げずに打ち切るシュート!

オフェンスの果敢なドライブインのコースに入り身体を挺して止めきるディフェンス!

そのプレーは、“勇気の心…ブレイブハート”の証し。

そのプレーは、チームのモチベーションを高揚させる。

それをやり切るプレイヤーのハートを“勇気の心…ブレイブハート”という。

それは勇気の心。

その心は、ボールを奪い合うスポーツには欠かせない心だ。

そのブレイブハートのプレーが観る者を魅了する。

指導者は、『逃げるな!』と叫びながら言う。

それはメンタリティだから…

互いに気心を知り合った仲間同士の練習では出し切れない。

試合という真剣勝負だからこそ、秘めたブレイブハートは目覚めることができる。

それを目覚めさせるのはコーチの檄ではなく、

その檄を受け入れて、自らの心にスイッチを入れる自分自身だろう。

何故、そこまでやらなければならないのか?

自分のためか?

仲間のためか?

チームのためか?

それは、その場面での相手との真剣勝負だから、絶対にシュートを決める!絶対にゴールを守る!

その必死の思いがブレイブハートを生む。

必死の気持ちは、ブレイブハートの根っ子になるもの。

必死とは、『必ず死する…』と書くが、

それはお互いが…自分を活かし、仲間を活かすために、自分の全力を出し尽くす心。

その心が行動になったとき、ブレイブハートは実現する。

そのプレーは観る者を魅了し、感動与えるプレーとなる。

ブレイブハートは勇気の心!

バーンアウトとコーチの役割…2 013

2013-04-21 04:57:31 | やっぱりミニバス!
平成25年4月21日 日曜日
 
「バーンアウトとコーチの役割…2013」


『バーンアウト』…別名、燃え尽き症候群。


これは精神的にも、肉体的にも疲労が重なり、耐え切れない状態に陥り、

その競技からリタイアしてしまうことを言います。

バーンアウトを理由とした、選手に対する「戦力外通告」は、

選手自身を燃え尽き症候群の状態に陥らせた…指導側の責任も大きいのです。

バーンアウトの状態とは、選手が…

『バスケを続けるのはなぜ?

その目的はなに?

なんのためにバスケを行っているのか?

別にバスケである必要はないのでは?』

…という疑問を抱え、悩みに追い込まれた状態です。

それは、自分の親や、学校、コーチなどの自分以外からの、

自分に対する過ぎた、『勝つためのプレイヤーになる』という欲求に応えるプレッシャーが考えられます。

自分のためではなく、『その欲求に応えなければならない』との想いが心を占めています。

そんな状態でバスケをしても、楽しくもないし、追い込まれていき、バーンアウトするのでしょう。


さてコーチは、勝利に貢献する選手や、

勝利するチームを造ることを目的とするのは当然でしょう。

勝利を追求する過程で得られる成長は、意義あることですし、

それに結果が伴えば、さらに選手とチームは向上していくでしょう。

しかし、それが続くと、単なる勝利至上主義になり、

『なぜ出来ない!』という叱責ばかりが目立ち、

勝利という絶対的価値のために、常に追い込んだトレーニングになっていきます。


コーチの役割は、チームを勝利に導くことだけではなく、

選手を楽しませること、『こうすれば出来る』という過程を創造し、忍耐強く指導すること…

それによって、出来ることを体験した選手は、技術的な一歩より、精神的な成長が大きいと思います。

ですから、選手のフィジカル面だけでなく、メンタル面での成長を助けることでしょう。

試合に負けたときにこそ、コーチが選手達に語る言葉が、次に進むための貴重なものになると思います。

勝利するために、全力を出し切って負けたのならば、

もしくは、全力を出し切れずに負けたとしても…

勝利しなかったことに、選手達を叱ることは誤りでしょう。

それだけの勝利にこだわる選手や、チームならば、

負けた悔しさを一番に感じているのは、プレーした選手達自身なのです。

コーチも悔しい思いは同じでしょうが…

コーチ以上に選手達は悔しいのです。

茫然とするほど悔しいのです。

そのときに、コーチは、その悔しさを認めて飲み込んで、

選手達を、それをバネにして次に向かわせなければいけないのです。

ゲームスタッツの分析などは、二の次でよいのです。

特に、指導にあたっては、選手達のフィジカル面では…

●スポーツ技術を学び
●コンディショニングを考え
●怪我を避けて
●健康維持管理を指導する


メンタル面では…

●選手自身が勝利のためではなく
●勝利することを、あきらめない気持ちを育てること
●自分達はできる!という自信を持たせること
●スポーツ・一辺倒ではない社会性を学ばせること

そして、スポーツの楽しさを常に頭に置いて指導することだと思います。

たかがバスケ、されどバスケ…バスケというスポーツを通じて、

多くの価値観を学ばせることがコーチの役割だと思うのです。