平成26年3月31日 月曜日
「昭和一桁生まれと戦後生まれの差?…2014」
昭和一桁生まれの方々は、儒教の教えを基本とし、武士道の精神を修身の基本とした教育勅語によって育った世代です。
戦後の偏重した自由主義教育に毒されなかった最後の世代です。
『恥の教え』 、『長幼の序』、『修身斉家治国平天下』 、『公に尽くす心』
これらの教えが精神の基盤となっていた日本人です。
この方々はまさに、『気骨、頑固、慈愛』の精神に溢れていました。
この人達が戦後の焼け野原の日本を復興させた若き原動力となった人達です。
そういう日本人がいない現在の社会…日本の行く末に不安を感じざる得ません。
さて、コンプライアンスですが…今、テレビニュースなどでよく耳にする言葉ですね。
・雪印乳牛事件、・ミートホープ事件、・船場吉兆事件、・三菱自動車リコール事件、・オリンパス損失隠し事件 など社会的に影響を与えた各事件がありました。
これらの事件からコンプライアンスの言葉が脚光を浴びたきっかけです。
コンプライアンスとは一般的には、『法令・規則遵守』のことを言いますが、さらに、法令や規則だけでなく社会的な規範や倫理観を守ることを言います。
法治国家では法令・規則を遵守することで社会秩序が保たれます。
しかし、これらの事件では法令・規則を遵守はしていても、 社会的な規範や倫理観に反する行動をしたことで、
社会からの信用を失い、結果的に船場吉兆のように老舗の信頼を一気に失い、のれんをたたむ…潰れてしまうことにもなったものもあります。
問題は、個人レベルの贈収賄による癒着による便宜供与ではなく、
組織レベルの隠蔽行為であるということです。
組織全体が社会的に後ろめたいことをしていると、
組織のトップから現場の従業員まで知りながら、 バレることはないし、
たかだか、少し消費期限が切れているだけだし… 棄てるのは損失になるし、
もったいないという感覚がまん延したものだと思います。
その感覚を組織トップまで持っていた本質的な原因はなんでしょうか?
組織トップの人達は五十代後半から六十代半ばの年代の方でしょう。
この方達が新入の社会人として組織に入ったのは、1970年から1980年代です。
さらに、この方達が生まれ教育を受けたのは、1950年代以降です。
1950年代以降の教育といえば、戦前の日本文化を継承する精神基盤を育てた修身教育を否定し、
個人の無制限な自由、『公の秩序』に縛られない自由を享受する権利を強調した… 戦前の社会秩序を反動的に否定した学校教育で育った人達です。
日本の戦前の歴史を自虐的に否定し、日本文化を教えられることもなく、
『赤信号みんなでわたれば怖くない』…悪いということがわかっていながら、他人に知られなければいいし、
とにかく組織を守ることが優先されるという、
そういう価値観に染まった人達の集団があちこちに乱立していったのではないでしょうか?
日本人としての誇りや、日本の優れた文化や歴史を語れない人達が、矜持を忘れ、
日本の捻れた社会秩序を造った結果がコンプライアンスなるカタカナ語で呼ばれていると思うのです。
だからその原因の根本が、個人重視の戦後教育によって育った日本人で、
さらに、その価値観に染まった組織のトップだということです。 だから日本の行く末に不安を感じざる得ないのです。
「昭和一桁生まれと戦後生まれの差?…2014」
昭和一桁生まれの方々は、儒教の教えを基本とし、武士道の精神を修身の基本とした教育勅語によって育った世代です。
戦後の偏重した自由主義教育に毒されなかった最後の世代です。
『恥の教え』 、『長幼の序』、『修身斉家治国平天下』 、『公に尽くす心』
これらの教えが精神の基盤となっていた日本人です。
この方々はまさに、『気骨、頑固、慈愛』の精神に溢れていました。
この人達が戦後の焼け野原の日本を復興させた若き原動力となった人達です。
そういう日本人がいない現在の社会…日本の行く末に不安を感じざる得ません。
さて、コンプライアンスですが…今、テレビニュースなどでよく耳にする言葉ですね。
・雪印乳牛事件、・ミートホープ事件、・船場吉兆事件、・三菱自動車リコール事件、・オリンパス損失隠し事件 など社会的に影響を与えた各事件がありました。
これらの事件からコンプライアンスの言葉が脚光を浴びたきっかけです。
コンプライアンスとは一般的には、『法令・規則遵守』のことを言いますが、さらに、法令や規則だけでなく社会的な規範や倫理観を守ることを言います。
法治国家では法令・規則を遵守することで社会秩序が保たれます。
しかし、これらの事件では法令・規則を遵守はしていても、 社会的な規範や倫理観に反する行動をしたことで、
社会からの信用を失い、結果的に船場吉兆のように老舗の信頼を一気に失い、のれんをたたむ…潰れてしまうことにもなったものもあります。
問題は、個人レベルの贈収賄による癒着による便宜供与ではなく、
組織レベルの隠蔽行為であるということです。
組織全体が社会的に後ろめたいことをしていると、
組織のトップから現場の従業員まで知りながら、 バレることはないし、
たかだか、少し消費期限が切れているだけだし… 棄てるのは損失になるし、
もったいないという感覚がまん延したものだと思います。
その感覚を組織トップまで持っていた本質的な原因はなんでしょうか?
組織トップの人達は五十代後半から六十代半ばの年代の方でしょう。
この方達が新入の社会人として組織に入ったのは、1970年から1980年代です。
さらに、この方達が生まれ教育を受けたのは、1950年代以降です。
1950年代以降の教育といえば、戦前の日本文化を継承する精神基盤を育てた修身教育を否定し、
個人の無制限な自由、『公の秩序』に縛られない自由を享受する権利を強調した… 戦前の社会秩序を反動的に否定した学校教育で育った人達です。
日本の戦前の歴史を自虐的に否定し、日本文化を教えられることもなく、
『赤信号みんなでわたれば怖くない』…悪いということがわかっていながら、他人に知られなければいいし、
とにかく組織を守ることが優先されるという、
そういう価値観に染まった人達の集団があちこちに乱立していったのではないでしょうか?
日本人としての誇りや、日本の優れた文化や歴史を語れない人達が、矜持を忘れ、
日本の捻れた社会秩序を造った結果がコンプライアンスなるカタカナ語で呼ばれていると思うのです。
だからその原因の根本が、個人重視の戦後教育によって育った日本人で、
さらに、その価値観に染まった組織のトップだということです。 だから日本の行く末に不安を感じざる得ないのです。