バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

教え…2012

2012-05-27 00:40:20 | やっぱりミニバス!
平成24年5月27日 日曜日
 
「教え…2012」


江戸時代、会津藩に日新館という藩の学校がありました。

有名な白虎隊も教えを受けていた藩校です。

この藩校に入る前に、子供達に対して、「什(ジュウ)の掟(オキテ)」というものがありました。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

三、虚言(キョゲン:ウソ)を言うことはなりませぬ

四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ

五、弱い者をいじめてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
(七つ目は、時代にそぐわないものですね。)


そして、この七か条の締めくくりの文言(モンゴン)が…、

「ならぬことはならぬものです」

要するに、これら七か条は、問答無用であり、いけないことはいけないと言っています。

論理ではないのです。

これは「情緒」として、「人の道」として、価値観として、守るべきものなのです。

今の世の中、大人が子供達から、明らかに「道」から外れていることについて、

「何故いけないの?」と聞かれたときに、一生懸命、説明しようとします。

「何故、戦争や死刑で人を殺しているのに、僕たちが人を殺してはいけないの?」

…と聞かれて、あなたはどう答えますか。

「人の命は尊い、人の命は地球より重い、人の命は人が奪ってはならない天から授けられたもの」等

しかし、人は合法的に「死刑」という罰によって、人を殺しているのです。

それは論理矛盾です。

ですから、「情」という観念ではわかるものを、論理で説明しようとするから…、

汗をかき、言い訳的な説明になるのです。

これは、その人が人生を歩んでいく上で持つべき、考え方…、

すなわち、人生観、主義、信仰、死生観、道義といった価値観によって述べられるものです。

野に咲く花が美しいということは、論理ではありません。

泣き歌も何故、涙するのか、論理ではありません。

卑怯なことはいけない、というのも論理で説明できるように思えますが…、

それは「情」という観念で述べられるものです。

子供達が論理だけで物事を説明できるようにするために、

論理性を育成する教育に重点を置いたが故に、現代の風潮を招いたと思います。

「人の道」としての「情の観念」は、その人の人生観等の価値観を育てる基礎となるものです。

その価値観は、大人が押しつけて良いのです。

もちろん子供は反発するでしょう。

それは、それでよいのです。

初めに何かの基準を示さなければ、子供の心に「情の観念」は芽吹かないでしょう。

それが芽吹かなければ、自分が生きていくための自分なりの人生観等の価値観が根付かないのです。

この「情の観念」たる価値観を持って、論理的に物事を考え、判断できる者こそが、

あるべき「人」だと思います。