バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

愚直

2012-03-31 07:43:41 | やっぱりミニバス!
平成24年3月31日 土曜日
 
「愚直」


魂をアツくさせる名言・格言集から…勝海舟

『事を遂げるものは 愚直でなければならぬ ~ 勝海舟』


※コメントです。

『愚直』って…文字から言えば、他から見て、「愚かなほどに真っ直ぐ」なことだと思います。

…が、それは、「真摯に そしてひた向きに…」生きていることだと思います。

若者へ…2012

2012-03-31 04:48:42 | やっぱりミニバス!
平成24年3月31日 土曜日

「若者へ…2012」


ここでいう「若者」は、ある特定の誰かを言っているのではありません。

私が、私なりに感じていることを書きました。

熟年親父の説教です。
…だから、嫌われるんだろうなぁ〓

「今どきの若いモンは…」って言う親父ですね。

昔からの、世の常みたいなもんです…
(^-^)


ひょっとして、この「若者」は自分自身なのかもしれません。

若くはない自分ですが、自分に対する戒めの言葉だと思います。

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ひとつのことしか頭にない若者には、何も伝わらないんだろうな…

ひとつのことに信念はあっても、過信になることで…

謙虚に相手の立場に立って聞いたり、見たりすることは、

まだ無理な年なんだろうか?

わかってないのは相手の方で、自分は自分なりに悩んでいると言いたいなら言えばいいさ。

だけど、悩んで答えを出すためには、自分の立場で考えていてはだめだ。

身を自分の外に置くことが大事だろう。

それが出来ないから、自分以外を認めることができなくて、

自分だけが正しいと思い込むのさ。


悩んで答えを出すならば、

「でも…」、「だって…」という言い訳けではない答えを出すように悩むことだ。

そうすれば、ひとつのことに執着しながらも、

広い視野と高い視点で見つめることができる…

人間力を持った人として、少しはましな若者になれるだろう。

自立と自律…2012

2012-03-30 00:32:52 | やっぱりミニバス!
平成24年3月30日 金曜日

「自立と自律…2012」


『自立と自律』は、私がミニバスの子供達を育む目標としていることです。


ここに書いてある、「少年」とは、ミニバスの子供達のことではなく、

そういう架空の少年がいたならば…ということです。

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夢を語る前に、目標に向かって行動する前に、自分の身の回りのことに視野がいかない者は、

まず、自分の生活している足元を固めることこそが第一だろう。


バスケだけ真剣。

家に帰ればゲームして喰って、寝て…

そんな少年は、「自立」できないガキでしかない。

「自立」とは、他からの従属から離れて独り立ちすること…

他からの支配や援助を受けずに存在することをいう。

確かに少年は、親の援助なしには存在できない。

しかし、普段の生活の中で自分でやれることがあるだろう!

だから「自立」できない、そんな少年に、夢を目標にして、それに向かって歩む資格などない。

まず、第一に家庭は、少年の自由な振る舞いが認められる場所であるとともに、

家族として、やるべき事を行う責任がある。

特に、たかが少年のくせにバスケで疲れたといって、

いっちょまえに殿様振る舞い…親は働き、疲れて家に帰り、そして家のことをしている。

そのことが、当たり前と思っているから、

汚れた自分の衣類は、ほったらかし…

喰ったら、喰いっぱなし…

生活できていることに感謝をしているのなら、それを行動で示せ!

バスケ以外のことで自立できない、その少年は何様なのか?!


さて次に、少年は自分の身体能力の高さを自分でもよく知っている。

だからこそ、地道に自己管理ができて、体調を万全に整えて試合に臨む。

それこそが、スターティングに選ばれようとする者の責任ではないのか?

自分を活かすための体調管理という地道な努力をすることで、

チームを活かす責任を果たすことができる。

スターティングに選ばれた者、選ばれようとする者には、チームに対してその責任がある。

その責任とは、自分で自分の体調管理ができること、

その努力を継続していくこと、

その努力をする責任が少年にはある。

これを「自律」という。

「自律」とは、自分の考えに従って行動すること。

自分で、あるべき自分を創っていくことをいう。

もし体調管理のやり方が、少年なりにあるのなら、

それは、それで正しいだろう。

問題は、それを継続する努力を、自ら考えてやろうとしているのか?

自分以外の、誰かがそれをしてくれるのか?

自らやろうとしないのであるならば、

自律できない単なる部員でしかない…それはアスリートではないのだろう。

それ故、「自立」も「自律」もできない者に…、

夢を語ることも、目標に向かって行動する資格もない。

なぜなら、「自立」できなければ、社会という荒波で一人立ちできないからだ。

なぜなら、「自律」できなければ、体調を崩し、怪我をし、目標を手にすることなどできないからだ。

自分だけが特別だと思わないことだ。

不慮の事で、悔む想いをしたくないのであれば「自立」し、そして「自律」することだ。

人間力を養う

2012-03-29 03:01:42 | やっぱりミニバス!
平成24年3月29日 木曜日
 
「人間力を養う」


人間力という言葉は辞書にはありません。

人間力の礎(イシズエ)は知識ではありません。

多くの失敗と稀(マレ)な成功の体験が、人間を、存在感が滲(シ)み出る人物に練り上げていくのだと思います。


その人物は、知識、技能、教養、人間関係を作り維持する力、行動力、徳性といったものが、

餅のように、たたき練り上げられて…

酒のように発酵し、熟成し、結晶して滲み出るのでしょう。

このような人間力を養うには何が必要なのでしょうか?


まず、その根っ子になくてはならないのは、『憤(フン)』の一字だと言います。

物事に出会い、人に出会い、発憤し、感激し、自分の目指す自分に向かって行く…

その想いを人間力の根っ子として持っていることです。


次に大事なのは『志(ココロザシ)』だと言います。

『志』とは、忘れられつつある言葉ですね。

それは『夢』と言ってもいいかもしれません。

いかなる志、夢を持っているか。

それを実現させようとする あきらめない心の強さ、

しかし、あきらめるしかない状態になった時に、

絶望の想いから、再び歩き出すことのできる力…

そんな力を、一途に何かを求める人は持っているようです。

それは年令にかかわることがなく…、


少年や少女が持っている熱き情熱です。

老いれば老いるほど、経験すれば するほどに、馴れてしまうから…

年をとっても その情熱を持ち続ける、心の若さです。

年をとるにつれ、強欲になる、生きることに執着する。

少年や少女は、生きることに執着はしていません。

遺(ノコ)された時間はタップリとあることを無意識に知っているからです。

それが『若さ』です。

年をとると、遺された時間を感じてきます。

だから生きることに執着し、いかに生きるかを考えなくなっていく…

少年や少女は、いかに生きるかを考えることはありませんが、

何かに一途に向かっていく情熱こそが、いかに生きるかを体現していると思います。


練り上げられた人物は、少年や少女のような一途に向かう情熱を持ち続けていると思います。

それが人間力の原動力、エネルギーでしょう。

何でもいい、ひとつでもいい、たとえば…

ミニバスのコーチをして子供達の心を耕し、育むことに情熱を掛けること。

子供達によって、その人物は練られていくのでしょう。

出会った子供達、その子供達の言葉、その子供達の想いが自分を成長させてくれる。

そんな体験ができることに心から感謝します。

そして人間力を練り上げるのに大事なひとつは…

受容できる心だと思います。

信念を持ちながらも、しなやかに、相手を認める心です。

ぶれない心でありながら…、

素直な心、柔軟な心であること。


心に、『憤』があり、『夢』を持ち、それに一途に向かう『情熱』がある。

そして、信念を持ちながらも『受容』する心であること。

そんな心を持つことは難しいことだと思います。

しかし、そんな心を持ちたいと思います。

まず、そのように思うことから始めることです。

それが、人間力を養うことだと思うのです。

信念の力とは…

2012-03-28 00:06:31 | やっぱりミニバス!
平成24年3月28日 水曜日

「信念の力とは…」
(致知出版社刊行の『小さな人生論』から)


何かを成すためには、行動することです。

しかしその行動を為すためには、心に力がなくてはなりません。

その心の力が、信念の力だと思うのです。


以下は、「小さな人生論」から、一部編修したものです。


『四十数年も前のこと…京都で数百人の経営者を前に松下幸之助氏が講演をしました。

その趣旨は、人材も資金もダムのようにプールしておく経営…

つまり余裕を持った経営をしなければならない…ということです。

これが松下氏の持論の「ダム式経営論」です。

講演が終わり、聴衆のひとりが質問をしました。

「ダム式経営の秘訣は何か?」

松下氏は間をおいて、「わかりませんな」と答え、さらに言いました。

「ひとつ確かなことは、まずダム式経営をしようと思うことです。」

失笑が会場にあふれました。

「思うだけで できれば苦労はしない」

「馬鹿にするんじゃない」…そんな声も聞こえました。

そんな聴衆の中で、頬を紅潮させて松下氏を見つめる青年がいました。

京セラを創業して間もない、二十代の稲森和夫氏です。

稲森氏は心に熱いものを感じ…
「そうか! まず思うことなのか。」

稲森氏は脊髄の奥に火がついたような感動で心を熱くしました。

その心の火が信念となって凝固したのだと思います。

信念とは、信じ念じることでしょう。

稲森氏はダム式経営を信じ念じ続けました。

その信念は京セラの現在に結晶しています。』


『数多くの経営者の中で、一業を成した人には、突出して二つの共通した要素があるのを感じないわけにはいかない。

一つは、「価値を見出す力」です。

自分の置かれた環境、そこに結ばれる縁、携わる仕事などに、

多くの人はさしたる感動も、興味も覚えることもなく、

それらはたまたまのもの、ありきたりの事と見なしがちです。

ところが、一業を成した人は、何気ない出会いに見えることも、何気ない出来事にも必然を感じ、意志があると感じるセンスがあるのです。

そのセンスは、センサーです。

それは持って生まれたものもあれば、

持って生まれていないとしても…

それを先人の教えとして心に刻むことで、そのような心に練られるのでしょう。


さてもう一つは、「価値を信じる力」です。

稲森氏は、若い社員たちと仕事を終えてから、

一緒にラーメンをすすりながら、熱く語り続けました。

「自分達がやっているのは世界のだれもやっていない事だ。

自分達は世界の先頭を走っている。」

自分の行っていることに「価値」を見出し、

それを強烈に信じているのです。』


『価値を見出す力。
その価値を信じる力。

それが信念の力です。

信じ念じる力が、道のないところに道をつくり…、

人を偉大な高みに押し上げていくのです。』


『最後に、松下幸之助氏の言葉を紹介します。

「根無し草に花は咲かない。

信念がなければ人生に花は咲かない」』



何かを成すためには、行動することです。

しかしその行動を為すためには、心に力がなくてはなりません。

その心の力が、信念の力だと思うのです。

プロとアマ

2012-03-27 00:04:54 | やっぱりミニバス!
平成24年3月27日 火曜日
 
「プロとアマ」


ここに紹介するのは、ひとつの道を究めてきた人の言葉です。

これらの言葉は、人生を真剣に生きるすべての人が共感し、

しなやかに、強く生きるという力を与えてくれると思います。


さて、世の中では、よくプロとアマの違いが語られます。

道を究めた人の言葉の中で、プロとアマについて語ったものがあります。


『人間は間違いを犯すものだという前提には、プロとしては甘さがないでしょうか?

プロなのだから間違いは許されない、という考え方に立つのが、本物の一流という気がします。~ 野村克也』


『プロというのは、寝ても覚めても、仕事のことを考えている。

生活すべてが仕事。

そこがアマチュアとの絶対差だ。 ~ 相田みつを』


アマチュアは、それが好きだからという想いのみでやれると思います。


プロは、それを生業とするわけですから、好きだという想いがベースにありながら…

自分のためだけではなく、

自分のプレーを観ることで…、

喜び、元気をもらい、感動してくれる、

そういう誰かのためにそれをする。

そして、それを仕事として生計をたてるのです。


だから、自分の都合で簡単に投げ出すことができない厳しさを求められます。


またプロは、自分はやり続けたいと思っていても、

ある日突然に突き放され、見限られる冷徹さ…辞めさせられる冷厳な現実があります。


その危うさの中で、そのことを人生の中心に置かなければならないのです。


その崖っぷちの覚悟がプロには必要なのだと思います。

その覚悟の有り無しが、プロとアマの厳然とした違いだと思います。

スポーツ…楽しむとは

2012-03-26 01:44:40 | やっぱりミニバス!
平成24年3月26日 月曜日
 
「スポーツ…楽しむとは」


スポーツは前にも書いたように、そもそもの意味は…

「楽しむ」ということです。

これは「楽をする」ということとは違います。

例えば高齢者の方がやられているゲートボール。

これも明らかにスポーツです。

私もゲートボールをやったことがありますが…

「楽しむ」ために、やはり「真剣」になります。

相手がいるわけですから、「負けたくない」と思うのは当然であり、自然の気持ちです。

「勝ち負けは関係ないよ。楽しめればいいよ。」

…という「楽しむ」とは、なにをもって楽しむのでしょうか?


スポーツは相手と真剣に競い合うことで、その真剣さ、

夢中になる真剣さを楽しむものと思います。

だから、ひとつひとつのプレーに対して、自分の感情を表に出すのです。

「よし!」、「よっしゃー!」、ガッツポーズ!などです。

これは、自分で自分を鼓舞するもので、

真剣になればなるほど自然に出るものだと思います。

(ただし、これもあまりに過ぎるとフェアでない…

嫌な感じを他に与えますので、適度がいいでしょう。

そこをコントロールすることもスポーツマンとしての大事な姿勢のひとつだと思います。)

さて、スポーツを楽しむとは、達成感でしょうか?

それを実感することが、スポーツを「楽しむ」ということなのだと思います。

その達成感を感じたいために努力をするのです。

それはやらされる努力ではなく、自らやる努力でなければならないと思います。

そのためには、常に前に出ることが大事です。

後ろに下がってはだめです。

体力的にきついときこそ、気持ちで向かっていく強さが必要なのです。

言うことは簡単ですが、それを行うことは、とても難しいことでしょう。

そのきつさを理解してあげることは、コーチの務めのひとつです。


みんな! 

スポーツをやる者として…

自分自身で、その姿勢をあきらめないで表現して下さい。

そして達成感を実感するために、楽しむために、あきらめないで下さい。

凹んだ時に掛けた言葉

2012-03-25 07:29:55 | やっぱりミニバス!
平成24年3月25日 日曜日

「凹んだ時に掛けた言葉」


うちの息子もバスケで一喜一憂して歩んでいます。

バスケを辞めたいと言ったこともありました。


15才でトップエンデバーに選ばれて、鳴り物入りで市立船橋のバスケ部にスポーツ推薦で入り…

1年生でベンチ入りしたものの、大したことないと言われて…

だんだん使われなくなり、凹みながらも…復活し、見事に花を咲かせて高校バスケを引退。

関東1部リーグの大学にスポーツ推薦で入り、1年でベンチ入りしながらも…スターティング・5には入れず、

選手起用では監督から干され、ベンチに入ってもプレータイムがノータイムのこともしばしばで…大学2年の昨年には、バスケを止めたいと言いました。

私が息子に言ったのは、

『お前さぁ 本当にバスケ辞めれるの?

辞めてどうしたいの?

出されないからバスケ辞めるの?

お前、なんでバスケやってんの?

バスケが好きだからやってんじゃないの?

だったら、出されないから、干されているからといって、好きなバスケを辞めてしまうの?

バスケが好きなら続けられるんじゃないの?

干されているとか、いないとか、だから辞めたいって…

それが好きなバスケを辞める理由で、その理由で納得できるの?

好きだから続けることができて来たんじゃないの?』

…この4月から大学3年になりますが、本人は相変わらず、一喜一憂しながらバスケを続けています。

今年が勝負年です。

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追伸です…息子が昨年、バスケを辞めたいと言った時に書いた日記です。

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平成23年9月29日 木曜日
 
「辞めたいときは…」


何かを辞めたくなった時は、冷静に考えることだと思います。

今はドン底の時かもしれません。

何をしても報われないし、無視され続けては…

辞めたくなるのは自然の想いです。

ならば、辞めてしまってもいいのかもしれません。

辞めてしまって、次の何かを見つけてもいいのかもしれません。

でも、次の何かってなんでしょうか?

よく言われることは…

辞めることは簡単、投げ出すことは簡単です。

辞めようとしている自分自身、

投げ出そうとしている自分自身…

そんな自分自身と向き合ってみてください。

冷静になって向き合ってみてください。

そんな自分自身と話してみてください。

『お前は、それでいいのか?』…と


辞めたいと思っていることは、あなたが嫌いだと思っていることですか?

それを何故、今まで続けてこれたのでしょうか?

ずっと好きでいられることなどないのでしょう。

自らやりたいと思ってやらなければ…、

いずれ何かのきっかで辞めたいという時が訪れるのでしょう。

それが今なのでしょうか?

その辞めたいという想いは…

一時的なものもあれば、

終わりが見えない、永遠に抜け出ることの出来ないトンネルに入り込んだようなものだと思うものもあるでしょう。

『もういい、もうやってられない!』とは…

先の見えない砂漠を歩き続けているようです。

いつまでも、砂漠をさ迷っていれば…

さ迷うことは辞めたいでしょう。

しかし考えてみてください。

辞めたいのは砂漠をさ迷うことであって、

自分がやり続けてきたことを辞めたいのではないでしょう。

さ迷うことが辛いから、無視されることが辛いから…

やり続けてきたことを辞めたいというのは違うと思うのです。

確かに辞めてしまえば、楽になるでしょうね。

気持が、精神が…楽になるでしょう。

でも、やり続けてきたことを嫌いになったのではないでしょう?

…であるならば、今は、さ迷う辛さを辞めることなく、

さ迷うことを続けるしかないのではありませんか?

その辛さは私には想像できますが…

本当に辛いと思っている、あなたの心を感じることは出来ません。

そんな私が、あなたに言えることは…

さ迷う辛さに負けないでください…ということだけです。


そのドン底の砂漠も果てはあるのです。

やり続けてきたことを投げないで…

今できることをやり続けて欲しいと願います。

『もう嫌だ、辞めてやる!』

そうであれば、その時が来た時に辞めることです。

今がその時なのかどうか…自分自身の心と、しっかり話してみてください。

夢をあきらめないで欲しいと願います。

そして歩き続けてください…

あなたの辛さはしっかりと受けとめています。

この道を行く

2012-03-25 00:01:09 | やっぱりミニバス!
平成24年3月25日 日曜日

「この道を行く」


以下の内容は、致知(チチ)出版社刊行の『小さな人生論』という本から抜粋し、私なりに編集したのものです。


『ひとつの道を究めた、人生の覚者(カクシャ)と言われる人達の心境・境地には共通点があります。


その第一は、「楽観的」ということです。

それは単に「物事をよいほうに考える」とか、「くよくよしない」ということではありません。

誰もが絶望するような状況の中でも、わずかで、かすかな光を探し、その光が見えたなら、

その光を信じて、明るいほうへ進んでいくという精神を言います。


第二は、「感謝の念が強い」ということです。

それは自分にプラスになるから感謝するのではなく、

自分にとってマイナスと思える出来事にも、それを天与の機会と捉えて感謝して受け容れる心です。

そのような心を、生まれながらにして持っている人はいないでしょう。

人生を歩んでいくことで、そのような心に練られるのでしょう。


第三は、「感動する」ということです。

普通、人は四十、五十になり人生体験を経てくると、物事に慣れて、多少のことでは感動しなくなってくると思います。

しかし、人生の覚者と言われる人達は皆、八十になっても九十になっても感動する心を失うことなく、

その姿勢はそのまま、人に感動を与える力になります。


最後の共通点は、「神を信じている」ということです。

ここでいう「神」とは、なんらかの特定の存在ではありません。

それは、この世には人智を超えた大いなるものが存在していて、

そういう大いなるものに対する敬虔(ケイケン)の念、畏敬(イケイ)の念を、

その人生経験から芽生え、実となって持ち続けているということです。』


私達が人生という道を歩む上で大事なもの、

心構えとして大事なものが何であるかを、これらの共通点は教えてくれていると思うのです。