バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

for the…who or what ?~ 2012

2012-05-25 04:07:16 | やっぱりミニバス!
平成24年5月25日 金曜日
 
「for the…who or what ? ~ 2012」


「The Govement, of the people, by the people, for the people. …」


誰の、誰による、誰のための…?

何の、何による、何のための…?


問題は、「for」なのでしょう。

誰のための…、ではなく。

何のための…、でもなく。


誰のために…、であり。

何のために…、なのでしょう。

それが行動する大義名分でしょう。

求めるべきは、「自分のために…」為すべきなのです。

しかしそれでは、オナー・コードにもとる行為だとも思うのです。


オナー…すなわち、「名誉」は、人のみが持つ価値観です。

「恥を知れ!」とは、まさに「誰のために…、何のために…」為したのか?

「自分のためだけに為したものは、恥なのです」

それでは、自分の夢を実現する行為は「名誉」あるものではないのでしょうか?

その行為は恥ずべきものなのでしょうか?


それも違うのです。

夢を実現するための過程における行為には「名誉」が伴わなければ、

自分であることが嫌になるはずです。

もしも嫌にならないのなら…夢を実現し、その手に掴むことができたとしても、実に虚しいことだと思うのです。

夢を目標に、自分の手に掴む過程においては、多くの人を負かしているのです。

それは仕方のないことなのです。

多くの人を負かすことによって、自分の夢は実現するのです。

自分が為していくことは、誰かの夢を預かりながら続いているのです。

それを知れば、それは自分のためだけではなく、夢を共有する人達のために為していることなのです。

そのことに思いを致しながら為していくことが、「名誉」であり…

その時に正々堂々と、その人達を負かす行為が「名誉」ある行為なだと思います。

自分のために、また同じ夢を共有する仲間のために為していくということです。


仲間を負かし、仲間に「勝つ」ことのみの結果を求めるのであれば、何を為してもいいというのは…

その結果を得たとしても、自己満足は満たされたとしても、「虚しい」だけでしょう。


それは負け犬の遠吠えかもしれません。

しかし、夢を実現させるということは、誰かを打ち負かしていることは確かだと思います。

その「虚しさ」を感じない者であるならば…やがて人心は離れていくのです。

人心が離れてしまえば、夢を実現させ手にした喜びははかなく消えていくのです。

それは結局、夢を実現できなかったことになるのです。

人がどう思うとも関係ないというのであれば、

その人は夢を実現させることは、結局できないでしょう。

自分のために、「名誉」を忘れず行うことで…仲間は共に夢に向かう者であり、

人心はあなたにつくのです。

負けた者の想いに心を向けることで、

あなたは人としての「名誉」を積み重ねていくのです。

仲間のために…とは、
結局、自分の夢を実現させるための当然の行為なのです。

仲間のために自分を活かすことこそ、自分のために…なのです。

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