バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

顛末記~ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012

2012-05-29 14:43:33 | やっぱりミニバス!
平成24年5月29日 火曜日
 
「顛末記~ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012」


数年前のミニバス男子の合宿で、烈火のごとく叱りつけた男の子…

子供達が5年生の時の夏合宿でした。


今、その子供達は中学2年生…ミニバスをしていた12人の子供達は、それぞれの中学でバスケを続けています。

その時に叱りつけた男の子も、その12人の仲間のひとりです。

ただし、彼は6年生になり、家族とも話し合い、私立の中学受験を選択しました。

もともと勉強もできる子で、そしてバスケも好きで…、

両方を追求し、中高一貫の学校に進学して、バスケも勉強も頑張ることにしました。

ミニバスは、6年生の夏から休部し、昨年の2月に見事に受験に合格!

そして最後のミニバスの1ヶ月に、行われた公式戦に間に合いました。

しかし、チームの動きはわかりません。

だけど他の子供達にとって彼は仲間でした。

それぞれの試合で、4Q目に彼をコートに送り出すことができました。

彼が一本のシュートを決めた時は、保護者も子供達もひとつになって拍手喝采でした。


それから、一年余りが経ち、ひと月ほど前に、たまたまスーパーで彼のママさんにばったり出合い、

私から、『○○さん♪ お元気ですか!?』と声を掛けました。

ママさんは、驚いて振り向かれ…『コーチ!?』と絶句しながら目は笑っていました。

ママさんの話しでは、彼は今でもバスケを続けており、

進学校ではありますが、部活は朝練もあり、課外の部活もそれなりにハードで、

彼は、毎朝欠かさず朝練に参加し、課外の部活も休まず出ていて、

学校生活を一生懸命に過ごしているとのこと…

お話しを聞いていて、目頭が熱くなってきました。

彼に会いたいなぁ…との思いでいっぱいになりました。

まさに、感無量でした。

ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012

2012-05-29 01:09:32 | やっぱりミニバス!
平成24年5月29日 火曜日
 
「ミニバス合宿にて、烈火のごとく叱る…2012」


数年前のミニバス男子の合宿でのことです。

日記やブログにもしました。また読み返し、少し編修しました。



バスケにしろ、バスケ以外のことにしろ、

仲間に対して、理不尽な行為に及ぶということは、

決してあってはならないことであり、許されるものではありません。


私は、烈火のごとく叱り付けました。

子供達全員を座らせて、みんなの前で、その子を叱りました。

子供同士のこととはいえ、ごみ箱を投げつけて仲間を傷つけておきながら…、

大人が間に入り、彼らから事情を聞き、

そういうことはしてはならないと、二人に話して聞かせ、握手をさせて一件落着…?


私は、そのことを電話で連絡を受けて、すぐさま、宿泊所に車で駆け付けました。


そして、現地に着いて、何事もなくミーティングしていた子供達のところに飛び込み…

部屋の外にすぐに集合するように指示しました。


とにかく、私の思いとして…

大人が、何事もなく納めようとすること…、

そうではなく、してはならぬことは、してはならないのです!

いかなる理由であれ、物を投げ付けて仲間を傷つけるなどということは、

投げられて傷ついた者の痛みがわからないからやるのです。

自分がやったことの痛さがわからないから、やってしまうのです。

だから同じことを繰り返すのです。

大人が訳知り顔をして、ナァナァで済ませてきたから…、

心が耕された子供に育たないのです。


その痛さを知るには、その痛さを受けてみて、はじめてわかるのです。

…投げられ傷つけられた仲間の痛みが、

そして、自分の身体でその痛みを知ることで、自分がした事の重大さを知るのです。

それを教えるのは大人の責任です。

互いに話しをさせて握手して終わり…ではないのです。

烈火のごとく、筋をとおして叱ること!

それが必要だと思います。

私は、ミニバスのコーチをして子供達を指導していますが、

子供達の心を耕すことは、子供達の立場に立って、事の善悪を真剣に全身全霊で叩き込むことが大事なのです。

法律のような論理ではないのです。

人として、してよいこと…、してはいけないことを知識ではなく、

してはならないことは、してはならない!…として、

なおかつ理解させるように、烈火のごとく叱る!

それが子供達の心を、人として、あるべき「かたち」に耕す導き方であると…

私は信念として確信し、子供達と向きあっています。


さて、その事の顛末(テンマツ)ですが…、

投げつけた子を、仲間の子供達の前に立たせて…、

ゴミ箱を投げつけられた子に、『彼にゴミ箱を投げて、お前が受けた痛みを、わからせるべきだろう!』と言い…。

投げつけられた子にゴミ箱を探させました。

実際は、私はゴミ箱を投げ付けさせてはいません。


そして烈火のごとく叱りつけました。

『お前には、どんな理由があるかは知らない!

しかし、相手を傷付けて、それで気持ちが納まるなら、

投げつけられ、傷付けられた仲間の気持ちはどうなる!?

自分がその痛さを知らないから、仲間を平気で傷付けることができるんだ!

それでいいのか!?』


そして同時に、他の子供達に、『そう思わないか!? やられた痛みを知らず、握手して終わり? それでいいと思うのか、お前達は!…』


驚いて、事の成り行きを見ているしかない子供達を前にして、

投げつけた子供に、『その痛みが…お前にわかっているのか?』 と叱り、

そして子供達みなに、

『よく考えてみることだ。

他人任せで、他人の事だから…

仲間のことを自分のこととして思えないから、それで終わらせようとする。

それは違うだろう!?』
…と語り、事を納めました。

この納め方が正しいものか、そうでないかは、それぞれの考え方があると思います。

私は、私の思いを持ってそのようにしました。

そして、それが間違いだったとは思っていません。

これからも、全身全霊をもって子供達と向き合っていこうと思います。