バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

親ってなに?…2014

2014-04-30 06:39:03 | やっぱりミニバス!
平成26年4月30日 水曜日
 
「親ってなに?…2014」


世の中にはたくさんの他人がいます。

一番近い他人は家族?

家族を他人というのは、君の「心」の思いを自分のものとして、わかることができない、という意味では他人と同じだからです。

「お母さんにはわかんないよ」ってよく言うよね。

お母さんは、「あなたのことは、ちゃんとすべてわかってます!」って言うよね。

そんなとき、君は、心の中で叫ぶんだ。

『僕の、私の、なにをわかっているの!』ってね。

『ああ、親って勝手で、めんどうくさい』って思うんだろう。

親の側から考えてみよう。

親は君が生まれたから、親になったのであって、君が生まれて来ていなければ、君の親ではあり得ない。

君が生まれて来てくれたという

その人生の不思議さ、その出会いがあったから親になれたんだ。

親になれた喜び、感動があったんだ。

そして、親は君の「心」を育んでいき、親自身の「心」も君によって育まれてきたんだ。

しっかりと自分の「心」を持った君は、もう、親の思うものではなく、君は君自身なんだ。

でも、親が子供の心配をして当然なんだ。

だって、両親がいるから君は生まれ、

特に母親は、君を自分の体内で慈しんで、慈しんで、君を生んだのだから。

親にとってみれば、 いつまでも君は親の子供なんだ。

だけど「心」を持つひとりの人としてみれば、君は、誰にも束縛されない君自身なんだ。

だけど親は、子供よりも先に人生を生きている者として、何が大事か、人はどのように生きるべきか、を君に教えてくれる。

それは、親にしかできない。

他人の子供にそんなことを教えることはできないし、親としても他人の子供に教えるつもりもない。

それを教えるのが親の役割だから。

でも「いかに生きるか」ということ、

「人生の生き方」は人の「心」が決めていくものだから、それは、親にも教えられないことだと思う。

それは、君の人生だから。

実際、完全な親なんかいない。

子供に「心」を助けられて生きている親もいる。

人生をいかに生きるべきかと完璧に、応えられる親たる者などいない。

だから、両親の気に入らないところ、ダメだなと思うところを、

「ああ、そういう人なんだ」と思って受け容れてみればいい。

そして、どうしてそうなったのか彼らの生き様を想像してみるんだ。

それこそが、子供が親から学ぶことができる、「自分が生きる」ということなのだと思う。

筋…2014

2014-04-29 18:16:26 | やっぱりミニバス!
平成26年5月1日 木曜日
 
「風薫る…2014」


今日から皐月(さつき)…風薫る五月です。

新緑の香りが薫風となり、顔を凪いでいきます。

そんなひと時を感じながら出勤しています。

といいつつ今日の天気は雨模様。

気分も相変わらず今一つですが…

いつまで続けられるかというところですが、

辞める思い切りもつかない自分です。

過去を振り返って悔やんでもしかたないですが、

あのときもっと頑張っていれば…と思う今日この頃です。

それでも淡々といくしかない、他の視線を気にしていても仕方ないこと。

じっと耐えて、時間をやり過ごして行こうと思います。

筋…2014

2014-04-29 06:37:40 | やっぱりミニバス!
平成26年4月29日 火曜日
 
「筋…2014」


「無理をとおせば、道理が引っ込む」と言います。

これは、「道理に外れたことが世の中に行われれば、正しいことがなされなくなる。」ということです。

「無理」とは、「①道理のないこと。理由の立たないこと。②強いて行うこと。行うのが困難なこと。」を言います。

「道理」とは、「①物事のそうあるべき筋道。ことわり。②人の行うべき正しい道。道義。」を言います。

いいたいのは、「筋」や「筋道」のとおらない事や、話しは第三者を説得できないということです。


自然界においてみた場合、樹木には、毎年、創られていく「年輪」という「筋」があります。

石や岩にも、気の遠くなるような年月を経て、形成された「筋」があります。

この「筋」にそって、打撃を加えれば、苔むす岩も、その「筋」のとおりに裂けるのです。

「筋」を読まなければ、「筋」を見つけられません。

「筋」以外のところを打撃しても、さっくりと見事に割れないでしょう。

多分、石や樹木は無惨な形でバラバラになるだけでしょう。

それは、「無理」という「圧力」を強引にかけたがゆえの結果です。

ある物事、たとえば、バスケットの練習について考えてみたとき、

その練習を行う「筋」が明確でなければ、選手達はその練習の意味が理解できなくて、練習させられても、身につくことは無理ですから、その練習は意味がないのです。

コーチ自身が、第三者の立場で、その「筋」を明確に理解できていなければ、選手に対してその練習をやらせることはできないのです。

コーチ自身が、単なる受け売りで、強引に選手に圧力をかけても、選手は、やる気を無くすだけです。

さらに言います。

コーチが子供達を叱るときは、コーチ自身と子供達が理解できる「筋」がなくてはならないのです。

もっと言えば、「普段、子供達を指導していない、関係のないコーチが、子供達を直接、叱ることは筋が違うだろう。」

子供達も、「いつものコーチは叱らないのに、なんで、別のコーチから僕達は叱られるの?」と納得できないでしょう。

その時の「筋」は、叱った子供達を、普段から指導しているコーチに、まず話すべきなのです。

「あの応援は、こういう理由でよろしくないと思うけれど、いかに?」と聞くことで、「筋」はとおるのです。

「筋」をとおさない、人を「傲慢この上ない」と私は言っています。

もしくは、「天上天下唯我独尊」(この世の中に自分より尊い者は存在しない。)

つまり、自分が、すべての「筋」であるとおもっている人を言います。

…と言いつつ、自分も、そうならないように戒めなければと思う今日この頃です。

メンタルとフィジカル…2014

2014-04-28 06:37:42 | やっぱりミニバス!
平成26年4月28日 月曜日
 
「メンタルとフィジカル…2014」


「メンタル」とは、「精神に関するさま、心理的」という意味です。

特に、「ファンダメンタル」という言葉がありますが、

これは、そもそも経済用語で、「ファンド&メンタル」からきており、経済に関する「基礎的事項」という意味です。

バスケットボールでの、「ファンダメンタル」とは、プレーの基礎となる必要な技術で、「シュート・ドリブル・パス」の基本的な技術を言います。

しかし、「ファンダメンタル」のそもそもの用語の意味から考えてみると、

「基礎的事項」の基本となるものは、「メンタル」、つまり、「精神に関するさま」、

もっと言えば、「心の有り様」を言うのだと思います。

ですから、まず、その本人の「心」が、技術を身につけるために「前向き」な状態にあることが大事なのでしょう。


一方、「フィジカル」とは、「肉体的なさま。身体的。」という意味です。

これは、スポーツにおいては、肉体的な強さを言い、いわゆる、スポーツに必要な「筋力・持久力・俊敏性・跳躍力」などの視覚的に目に見える基礎的身体能力だと思います。

確かに、「フィジカル」は必要です。

この基礎的な身体能力を身につければ、技術力は向上するでしょう。

しかし、本番の試合という場面で、その「フィジカル」に基づいた、「技術力」が100%発揮できるかどうかは、すべて、本人の、そしてチーム全体の「心の状態」によって左右されると思います。

試合開始前の「メンタル」面における、「集中」と「ゲーム・イメージ」は大切です。

まず、弱気になろうとする自分の「心」との闘いから始まるのです。

「弱気にならない自分」と「弱気になろうとする自分」の葛藤に勝ち、

「心の有り様」をしっかり持つための、強い「メンタル」が必要です。

試合が始まった後は、相手チームとの勝負になりますが、

相手に押されている試合展開になったときに、相手の圧倒的強さなのか、それとも、自分達が普段通りに出来ていない、動けていないからなのか、はっきり自覚する必要があります。

重要なのは、このときのベンチ・ワークでしょう。

コーチは選手達に、チームとして出来ていない状況と、

相手に如何に対処すべきか、自分達はどう動くべきか指示をするでしょう。

そして、最後に、「あきらめるな、まだ行ける。集中して、全力!」と言って選手達を再びコートに送り出すのです。

あとは、選手達自身の「心の有り様」です。

普段の練習通りやれば、できれば、「いける! いくぞ!」という思いを強く持ち、

チーム・リーダーが声を出すことです。

ここで、誰からもその声が出ないチームは、チーム・メンタルが無いのです。

これは選手達自身の自覚の問題であり、コーチの問題ではないのです。

だからといって、そのままにしておくことは、コーチとしての責任を果たしていないことも事実なのです。

去年の今頃…2014

2014-04-27 07:31:21 | やっぱりミニバス!
平成26年4月27日 日曜日

「去年の今頃…2014」


G/Wに突入してワクワク気分の人達もいるでしょう。

私も昨年は、息子の大学バスケの追っかけやら、ミニバスの練習試合やらで、バスケ三昧の10連休ほどのG/Wで満喫していました。

今年の自分など創造も出来ませんでした。

今年の2月に介護施設の管理事務員として再就職して、3ヶ月足らず、就業して半年は有給休暇なしで、休日は土日のみの出勤勤務が続きます。

身体的にはキツサもあります…が、辞めて他の仕事を探すとしても、事務員として50台半ばを過ぎた者を雇用してくれるところはありません。

ここはじっと我慢の子でいくのでしょう。

前向きに考えたいと思いますが…正直、平日の朝を迎える気分はドーンと重い気分です。

そんな気分を引きずりながら、決められたことをして通勤しています。

過ぎていく平日を数えながら、毎日を過ごし、土日に期待してルーティンワークの日々を過ごしています。

さて、今年のG/Wはそうですが、三か月後、半年後、一年後はどうなっているでしょうか?

とにかく、今の気分の重さを変えていければと思っています。