ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

ベトナム北部、チャットビン中学校・先生からの手紙

2011-04-28 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちとともに届いた、先生からの“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

                   

15HOANG VAN THONG (ホアン・ヴァン・トン) 先生

 アジア各国での迎春の候に当たり、皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。そしてFUJI教育基金のおかげで、チャットビンの地元の人々、また先生や生徒たちが一緒に頑張れたことを感謝いたします。

 私のいちばん下の妹も皆様の奨学生)でした。おかげさまで妹は、地元の高校に進学し、大学を卒業して、現在、銀行で働いております。

 私は学校で、大勢のチャットビンの生徒が、FUJI教育基金の奨学生となり、大きく成長したことを実感いたしました。

 奨学金を受けた妹の兄として、学校の教師として、地元の一人の県民として、皆様の教育支援活動に心からお礼を申し上げます。

 これから先もチャットビンの生徒が皆様の支援を受けられよう、また皆様の活動がよりいっそう発展されますよう期待いたしております。

 

 

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アンザン大学奨学生からの手紙を

 *) トン先生の妹さんがFUJI教育基金の奨学生だったころ、チャットビン中学校を訪れた旅の記録を、以下、再掲します。

 FUJI奨学金授与の旅(2003.10.21~10.28)

 参加者 平田煕、ト・ブー・ルーン、ファン・マン・カー、佐野良子、林勝、小倉くら子、小倉恭二郎(7名)(敬称略)

 [10月21日(火) 成田→ハノイ]

ハノイ到着  16:30成田発VN955便、飛行機は定刻どおり離陸、19:55(ベトナム時間)ハノイのノイ・バイ空港に到着。気温25度と涼しい。 早速、本日のホテル・コンドアンへ、夕食は機内ですませてあったので、明日の旅程を考えて早めの休息。

 [10月22日(水) ハノイ→ニンビン]

ハノイから南東100キロメートルへ   07:55出発 ニンビン省への旅には、メンバーの他にハノイ在住で日越の文化交流に活躍している小松みゆきさん(小松さんは83歳の母親を日本から引き取って、2人で暮らしています)、カーさんの甥御夫婦(ファン・ホァン・キーさんとデイン・グエト・アンさん)が道案内として、奨学金の旅に参加してくれました。

 訪問するチャット・ビン中学校はハノイから南100キロメートルほどのところにある純農村地帯の中学校で、カーさんの故郷でもあります。

 今回の旅は昨年(2002年)に続いて2回目になります。朝、ハノイ市内で文房具を調達したとき、時間をとられるハプニングがありました。いちどに大量の品物を求めたため、店内に在庫がなくて、お店の人が倉庫まで取りにいったため、多少時間をとられ、学校への到着が若干遅れてしまったのです。それは、全校生徒の手に渡る数を揃えるためでありました。

チャット・ビン中学での授与式   式場には中学生が行儀よく一行の到着を待っていました。到着後すぐに式が始まり、最初にチャット・ビン中学校の校長先生ファン・マン・フンさんの挨拶。

 「FUJI奨学金の方々が遠い日本からこのチャット・ビン中学校に援助をしてくださることに感謝しております。願わくばこのFUJI奨学金が1年でも永く続くよう、よろしくお願いします」。

 地区人民委員会、教育委員会幹部、村長などの挨拶が続きます。みな一様に、

「FUJI奨学金が永く続いて、大きく発展するよう願っています」

と話されました。

 続いて第2回奨学金授与式、30名の生徒一人ひとりに奨学金を手渡す。

 生徒代表のキエウさん(PHAM・THI・THANH・KIEU:中学2年)が真剣な眼差しで感謝の言葉を述べ、最後にFUJI奨学金メンバー代表の平田先生が、中学生に向かって、

 「皆さんは21世紀に生きる人間として、可能性を大いに秘めているので、その可能性を伸ばしてください」

と挨拶。全員で写真撮影をして、式を終える。

 式の後、学校側が用意してくれた昼食(女性の先生が作ってくれた家庭料理、全部美味しかった)を校長先生、人民委員会幹部、村の幹部、教職員と奨学金メンバーでいっしょにいただきました。

 食後カーさんの従兄弟の家でお茶をご馳走になり、祖先を祀ってある廟にお線香をあげてチャット・ビン村を後にする


FUJI奨学金授与の旅(2004.09.17(金)~09.24(金)6泊8日機中1泊)

参加者:平田煕、ト・ブー・ルーン、ファン・マン・カー(加藤和範)、小倉恭二郎、滝本健雄、出井富美、森戸規子、松永実姫子(8名)、および小松みゆき、鈴木結(ハノイ在住、チャットビン中学校のみ参加)(敬称略)

 [9月17日(金)成田(VN959)18:10発→ハノイ]

アクシデント発生! でも無事ハノイ到着   VN959便に予定どおり安心して搭乗したものの、飛行機の中が異常に暑い。国際経済の悪化で節減がここまできているのかと思いきや、“空調”故障が原因ということで、搭乗したのに即、降りるはめになる。再度搭乗した時間が20:00。こんどは、飛行機の中にオイルの臭いが異常にする。大丈夫かな? 一瞬思い疑う!(私の性格)。結局2時間20分遅れの20時30分に離陸。機内食は何を食べたか忘れたが、これだけ待たされたので、美味しかったことだけが?印象深い。参加者の約1名がワインの飲みすぎで、スチュワーデスさんの仮眠室で休ませていただき、本人は大変反省をしている様子!

 ベトナムの首都ハノイ、ノイバイ国際空港に到着。政治と文化の中心地、初めてのベトナムでワクワクするが、夜で気分は最高とまではいかなかった!宿泊はアーミー・ホテル、明日からに備えて早く寝よう!

 [9月18日(土)ハノイ(8:00)→ニンビン→ハノイ]

何かが、私の後ろから励まし語りかけてくる   一足先に訪越していた出井さん、そしてハノイ在住13年の日越の文化交流に活躍されている小松さん、ハノイ留学3週間目の鈴木結ちゃん(沖縄の大学生)と合流。8:45分、ニンビン省キムソン県のチャットビン中学校を目指して、一路、国道1号線を南下する。

 専用車から見るハノイ市内に点在する湖や公園など、緑あふれる町並みに、フランス統治時代の面影を残す建物が映える。水、山、緑豊かな自然の中の美しい村々。知らない民族に触れながら今までにない何かが、私の後ろから励まし語りかけてくる。この自然のパワーはどこから発しているのだろうか!

チャット・ビン中学での授与式   カーさんの母校であるチャットビン中学校には3時間半弱で到着。チャットビン村はハノイの南方、93Kmの地に所在する純農村地帯である。小さな村で特に見所はないが、私たちを出迎えてくれた中学生の目がキラキラと輝き、笑顔が美しかったことが印象に残る。

 すぐにFUJI奨学金授与式が始まり、校長先生(ファム・マン・フン)、および生徒代表から、FUJI奨学基金への感謝の気持ちが述べられる。チャットビン中学校の生徒たちの学業に対する真剣さ、熱心さを目の当たりにして、つい“日本の中学生よ、もっとしっかり勉強して”と思ってしまう。

 式典終了後、先生方や生徒のお母さん方が作って下さった心の籠もったたくさんのチャットビンの郷土料理、わざわざホテルから取り寄せて下さった“ぶどう”に、私たち一同、恐縮しながらご馳走になる。何とも感激したのは美味なるアルコール度45度の地酒。口当たりがさっぱりして、食事がますます進みジャンジャン飲んでしまう。このことを後の“仕舞い”と言うのでしょうね! 校長先生がとてもご機嫌で後の“仕舞い”まで飲んでおられた。

 私たちも校長先生の笑顔で和み、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、思い出深い先生方と交流を深めた。滝本さんが日本伝統の楽器・尺八を吹奏し、“宴”をますます盛り上げ、最高の昼食会・交流の場となった。

 帰路途次で中学校の近くにお住まいのカーさんの叔母さんをお訪ねする予定だが、猛烈なスコールで降車できず、カーさんだけが訪ねる。帰路の車窓からの風景を見ながら、初めての訪越、チャットビン中学校での生徒、先生方との交流などに思いを巡らしているうち、車は早くもハノイ市内に到着。


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(6)

2011-04-27 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

13PHAM  THANH  HUNG(ファム・タン・フン)男子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月20日 チャットビンにて。

(中略)

 いただいた年賀状で、ベトナムと日本のお正月の違いが分かりました。この違いは、国の風俗や習慣の違いからくるものですね。

 私は、ベトナムの発展のため、病気を治す医者、もしくは高層ビルディングの設計士になる夢を持っています。皆さんからの奨学金は、私たちが夢をめざす力となり、私たちの勉強の費用の一部を支援してくれました。

 私たちの田舎は、環境はたいへん良いと思いますが、大部分の人々は農家で、経済面ではまだ厳しいところがたくさんあります。そのため一部の生徒は、勉強がよくできても、貧しいために学校をやめなければなりません。ですからFUJI奨学基金は、貧困世帯の生徒にとって、たいへん大きな助けなのです。彼らに夢を与えてくれるのです。

 最後になりますが、チャットビンの貧困世帯の生徒が、よりよく勉強できるために、これからも支援を続けていただきたいです。またそのために基金がもっと発展してほしいです。

 皆さんが、いつまでも貧困の中で頑張っている学生たちの友人でいてくださることを願っています。

 

14NGUYEN VAN BIEN(グエン・ヴァン・ビエン) 男子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。

 親愛なるFUJI教育基金の皆様。まずは、新年おめでとうございます。皆様とご家族のご健康とご多幸をお祈りいたします。

 私たちはベトナムで大変楽しいお正月を迎えました。日本のお正月はいかがでしたか。ベトナムのお正月とは違うのでしょうね。

 いただいた年賀状で、あの山の象のこと*)を初めて知りました。年賀状をいただき、とても嬉しいです。そして皆さんにお手紙を書けることは、もっとうれしいです。

 皆さんとお会いしたのは、数ヶ月前の、一日一緒に旅行したときです。本当に短い時間でしたが、とても親しみを感じました。その日の昼食のときに、二人の方が話してくれたことをよく覚えています。


 「日本の中学校は、午前は思考力を必要とする科目、午後は一般の科目を勉強し、学校には、実験室や体育館などがある」ということでした。 私も、できれば設備が整っている学校で勉強したいです。私の田舎はまだ貧しく、そのような学校の建設は、とても難しいと思います。

 しかし学校と地元は、チャットビンの子供たちのため、がんばりました。現在の学校は、6年前と比べて大きく変わり、きれいになりました。

 

 私の家族の生活は、まだ厳しいです。米の収穫時期は、家族の手伝いのために、学校を休まなければなりません。FUJI教育基金の奨学金のおかげで、私の勉学への家族の負担が少し減りました。また親は、子供の勉強の大切さを理解して、勉強に投資してくれています。

 とくにFUJI教育基金は、私に自分の将来を目指すという自信を持たせてくれました。そして私は、いま、お医者さんになる夢を持っています。

 皆さんからの奨学金に本当に感謝申し上げます。私たちの田舎のような貧しい地域の学生が頑張って勉強できるよう、FUJI教育基金がいっそう発展してほしいです。最後に皆さんが、いつもお元気でお幸せでありますように。

*) ベトナム中部高原・ヨックドン国立公園の近くにあるドン村で行われた「BUON DON(ブオンドン)地区の民族伝統文化祭」での象まつりと、野生象の保護活動をしている新村さんについて、藤村さんの年賀状に書いてありました。藤村さんは、2008年3月に象まつりを見学しました。http://blog.goo.ne.jp/fuji-qhb/c/f93e1356d9c9f5d303b223677a638366/2 、http://blog.goo.ne.jp/fuji-qhb/e/ceb1a892297aa97f123aba70a9356cb7 、http://blog.goo.ne.jp/fuji-qhb/s/%BF%B7%C2%BC をご覧ください。

(つづく)

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アンザン大学奨学生からの手紙を見る。

 

 


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(5)

2011-04-26 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

11TRAN THI LOAN (チャン・ティ・ロアン )女子 9年生(日本の中3に当たる)

 2011年2月21日

 FUJI教育基金の皆さんへ(中略)

 学校へ行くことは、とても楽しいです。私は、家で長女としての責任と自覚を持ち、いつも兄弟のお手本となり、両親にとって良い子であるように頑張っています。学校のクラスでは、良い生徒でいるよう奮闘しています。

 私はもっと良い成績を収め、家族と先生方を喜ばせたいのです。これが私の希望です。

 人間、とくに若者は、みな自分の夢をもっています。お医者さん、技師、画家、歌手、俳優などさまざまですが、私は学校の先生になり、生徒たちに知識を伝えたいです。その夢を達成するために、私は一所懸命に頑張らなければなりません。

 これから学校で、高校受験に合格するため努力します。その後は、大学受験合格のためにです。卒業後、私は今の学校(チャットビン中学)の先生になりたいです。これは私の理想で、どうしても達成したいのです。

 FUJI教育基金の皆さんが、私たちの学力、体力、知力の発展のために援助してくださるようお願いします。

 最後に新年にあたり、FUJI教育基金の皆さんのご健康とご多幸をお祈りいたします。FUJI教育基金がますます発展し、これからも私たちをご援助くださり、見守ってくださいますように。


12TRAN THI HUYEN TRAM(チャン・ティ・フエン・チャム)女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。

(中略)

 皆さんのお正月はいかがでしたか? 私は、親と兄弟たちが帰郷しなかったため、祖父母と一緒にお正月を迎えました。家の中の人数は少ないけれど、お正月の雰囲気が変わることがあってはなりません。

 大晦日の朝、私は、お祖母さんと一緒に市場へ、花、線香、果物、肉、バインチュン*)を包むための葉っぱなどを買いに行きました。皆さんもバインチュンの作り方をご存じですか? バインチュンは、時間を掛けて楽しく、細かく丁寧に作ります。バインチュン作りで私が大好きなことは、バインチュンをゆでるときです。外の寒さの中、暖かい火のそばで、出来上がるバインチュンを待つ気分は、とても楽しいです。 

 元旦は、いちばん楽しい日です。祖父母の家に親戚一同が集まり、新年を迎えます。そして皆でご先祖様を迎えるときが、いちばん神聖なときです。外は冷たい風とともに雨が舞い、家の中はご先祖様をお迎えする言葉とともにもくもくとお線香の煙が立ち込めます。ご先祖様を迎えたあとは、家族で食事をします。一年中で正月ほど楽しい日はありません。

 2日は、叔父叔母たちを訪問します。3日は、同じクラスの友達と一緒に先生方に挨拶に行きます。

 正月休みが終わると私たちは学業に戻り、友人や先生方と再会します。先生方と新年の挨拶を交わし、正月休みの出来事などを話します。

 そして数週間たつと、田植えの時期がやってきます。気温は10度をうわまわるぐらい、空気は冷たいですが、作業が間に合うよう、私たちは田んぼに出なければなりません。

 私は自分の両親のことも思います。両親は田植えの時期が来るたび夜中に起きて仕事をしなければならず、たいへん苦労しています。ですから私は愛する両親のために学業に励み、奨学金を受けることができるようにがんばりました。奨学金は、学費や他の費用に使いました。奨学金のおかげで、毎回、両親が私に学費を送らなくてもよくなりました。

 私の家族は兄弟が多いです。しかし、どんな困難があっても勉強に励もうと決心しました。私は自分に合った専門職を目指すことを決めています。私の学校は、各自が望む専門教科に生徒を選抜します。私は受験生の中に入りました。第一に学校の名誉のため、第二に先生と友人のため、第三に私たちがもっと多くのことを学ぶため、私と親しい7人の友人は先生といっしょに高い成績を収めるため、頑張っています。

 皆さん、今年も私たちの学校に来てくださいますか? 私たちの学校はずいぶん変わりましたよ。実験やコンピュータの勉強を受けることができるようになりました。図書館もできました。でも、まだ図書館利用カードがないので、本を借りることはできません。


 皆さんがベトナムいらっしゃって、私の学校を訪問してくれることを願っています。皆さまのご多幸をお祈りします。いつも私のことを思い出してくださいね。もしよろしければ、日本の美しい風景の写真をお送りいただけないでしょうか。どうかベトナムのことを忘れないでください。

 年賀状、ほんとうにありがとうございました。とても嬉しかったです。いつも皆さんのことを思っています。

*)  バインチュン(Banh chung):“バイン”は「もち」を意味し、“チュン”は「蒸す」を意味する。ただし実際の作り方には「蒸す」だけではなく、ゆでたり煮込んだりする方法もある。中国の「粽餅」(ちまき)に似ている。しかしベトナムのバインチュンは中国のものよりかなり大きく、形は正方形で、中身には脂身たっぷりの豚肉や緑豆餡などが入っている。日本の正月用餅と同様、ベトナムの代表的なおせち料理の一つである。

(つづく)


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(4)

2011-04-25 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

9HOANG THI VAN (ホアン・ティ・ヴァン)女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月24日 チャットビンにて。 

親愛なるFUJI教育基金の皆さん

(中略)

 年賀状をいただき、とても嬉しかったです。何より幸せなことは、奨学金をいただいたこと、皆さんにお会いできたことです。

 私のいちばんの夢は、旅行ガイドになることです。そして世界の美しさや特色を理解することです。FUJI教育基金が生活と勉強の費用を援助してくれることは、私の夢を実現する助けとなります。また、私の夢に対する決心や努力への応援となっています。

 私の故郷は、空気がきれいで平和ですが、生活は、厳しく、苦労しています。私の家は、農家なので収入があまりなく、新しい服はあまり買えません。私は兄弟の面倒をみたり、家事手伝いをしています。

 FUJI教育基金の援助は、私たちのような厳しい環境の生徒にとって、とても助けになります。奨学金基金がさらに大きく発展して、チャットビンの生徒がこれからも学校へ行くことができ、夢を持って頑張ることの助けになるよう、お願いします。

 数か月後、私たちには、高校受験があります。私は頑張って、いちばん良い結果をFUJI教育基金の皆さんに贈り物としてお送りしたいと思います。

 最後に、皆さんが、私たち貧しいけれど向上心を持った生徒たちを見守ってくれることに、心から感謝申し上げます。皆さんからの返事をお待ちしています。


10PHAM THI THU(ファム・ティ・トゥー )女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。

 敬愛するFUJI教育基金の皆さま。(中略)長い間、皆さまは、私たちを見守り、がんばって勉強するよう激励してくれました。皆さまが見守って、激励してくださるので、若い私たちは勉強に対する決意と頑張りを持つことができます。FUJIの皆さんだけでなく、日本の方々も私たちの大恩人です。私たちが勉強することができるのは、皆さまのおかげだと思っています。

 私は、たくさんの希望と夢をもっています。勉強で友達に負けないように努力します。これまで15年間頑張って、私はある程度の知識を身につけることができました。

 でも私は人間関係に対して積極性がないので、この欠点を頑張って直します。そうすれば社会に出て、自信をもって夢を達成することができると思います。皆さんもそう思うでしょう?

 私は、まだ皆さんにベトナムと日本の好きな点について話していません。

  まずベトナムについてですが、団結心、向学心といったベトナムの伝統は、私の自慢です。この伝統を維持し発展させることが大事だと思います。その他、アオザイ*)とノンラー**)が好きです。これらは、ベトナムの女性の美しさを表現しており、とても工夫が凝らされています。またドンソン太鼓***)も大好きです。

 日本にも、私の好きなことがたくさんあります。例えば日本の伝統の着物です。とても印象的な服で、色とデザインが綺麗です。富士山も特別な山です。もうひとつ日本の好きなことは、漫画と映画です。とくに映画が大好きです。映画はとても意味深く、私にたくさんの感動を与えてくれます。

 私の夢は、高校に合格し、その後、大学に合格し、最後に学校の先生になることです。もし実現できれば、とても嬉しいです。

 そろそろ筆を置くことにします。皆さんからのお返事を待っています。皆さんの願いがかない、成功されますようお祈りいたします。

 

*) Ao dai:「長衣」を意味する。ベトナムの民族衣装。

**) Non la:シュロの葉で編んだ女性用の笠。日本の菅笠に似ている。

***) ドンソン太鼓:紀元前4世紀頃から紀元1世紀頃にかけて、ベトナム北部の紅河流域を中心に、東南アジア初期の金属器文化(ドンソン文化)が栄えた。1920年代、フランス極東学院の考古学者らによって遺跡が発見され、特徴的な銅鼓が有名になった。鉄器の銅鼓もあるが、青銅器の銅鼓が発達した。これがドンソン太鼓である。

(つづく)


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(3)

2011-04-24 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

6NGUYEN THI YEN(グエン・ティ・イエン)女子 7年生(日本の中1に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。 

 親愛なるFUJI教育基金の皆さま、年賀状をいただき、とても嬉しいです。私もたくさんのことを、皆さまに書きたいです。(中略)

 皆さまはお元気ですか。お仕事も順調でしょうか。私は元気いっぱいです。皆さまの助言を思い出して、いつも勉強を頑張っています。

 今年のお正月を、家族一緒に楽しく迎えました。大晦日の日は、花見をしながら、美味しい料理を楽しみました。お正月を過ぎると、私の年齢が1つ増えるので、一所懸命、両親の手伝いをしながら、勉強も頑張ります。

 私の田舎は、経済的にまだ厳しいですが、皆さまのご支援のおかげで、私の勉強の環境は前より良くなり、今は勉強が楽しく感じられるようになりました。

 これは、私のささやかなお願いです――もし皆さまがずっと私たちのことを支えてくだされば、きっと私たちは自信をもって頑張れると思います。

 最後に、皆さまがいつもお元気でありますように。とても感謝しています。皆さまが大好きです。


7PHAM THI HONG LY(ファム・ティ・ホン・リー)女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月20日(日)

 私はいろいろなことを皆さんに書きたいですが、まず皆さんのご健康をお祈りしたいと思います。チャットビン中学校に在学中、皆さんは、私たちのために精神的、物質的に支援してくださいました。ですから私たちは、皆さんや両親、先生方々の期待に応えるため、一所懸命、勉強を頑張ります。

 ベトナムの楽しく幸せなお正月が過ぎました。ベトナム人は誰でもこの伝統的な祝日が好きで、とくに私たち生徒は大好きです。なぜならば、お年玉がもらえるからです。

 お正月のあと学校で、どんなお正月を過ごしたか、みんなでお喋りすることを、たいへん楽しみにしています。例えば、家族と一緒にバインチュン*)を作ったこと、大晦日の夜の花見、あるいは大晦日の漫才でお腹が割れるぐらい笑った話しなどです。小さい子供たちは、桃の木の周りを走ったり、ボール遊びをしたりして、ほんとうに可愛いです。

 ところで、私自身のことを皆さんにお話します。

 私は、6年生のとき、頑張ったけれど、残念ながら奨学金をもらうことができませんでした。7年生のときも、私と友人は同点でしたが、最終選考で友人が選ばれました。しかし、私は希望を失わず、続けてがんばりました。そして今年、私は奨学金をもらうことができたのです。

 いま、小雨が降ってきました。そろそろ書くのを終わりにします。また時間があるときに、現在の私の田舎や学校のいろいろなことを書きます。皆さんが、いつもお元気でありますように願っています。

*)  バインチュン(Banh chung):“バイン”は「もち」を意味し、“チュン”は「蒸す」を意味する。ただし実際の作り方には「蒸す」だけではなく、ゆでたり煮込んだりする方法もある。中国の「粽餅」(ちまき)に似ている。しかしベトナムのバインチュンは中国のものよりかなり大きく、形は正方形で、中身には脂身たっぷりの豚肉や緑豆餡などが入っている。日本の正月用餅と同様、ベトナムの代表的なおせち料理の一つである。


8PHAM VAN HAO(ファム・ヴァン・ハオ)男子 9年生(日本の中3に当たる)

FUJI教育基金の皆さん、こんにちは。(中略)

 私の家族は、両親、兄、姉と私の5人です。私が2年生のとき、父が亡くなりました。母が、私たち兄弟3人を育てています。現在、兄は働いていて、家族を助けています。

 私の夢は、お医者さんになって、人々を助けることです。私は、毎日5時間勉強しています。私は友達と同じように学校へ行き、先生方のお世話になっています。

 皆さんの奨学金のおかげで、私を含めた40人の生徒は励まされて、国レベル、県レベルの優等生の賞を受賞しました。

 最後に、学校の生徒を代表して皆さんに感謝申し上げます。また皆さんが、より多くの生徒たちを助けてくれることを願っています。皆さんのご健康とご成功をお祈りいたします。

(つづく)

 


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(2)

2011-04-23 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

4PHAM THI TRANG LY(ファム・ティ・チャン・リー)女子 8年生(日本の中2に当たる)

敬愛するFUJI教育基金の皆様

 (中略)年賀状をいただき、とっても嬉しいです。ありがとうございました。奨学生になれたことで、私は一所懸命、勉強に励んでいます。ほんとうに有難うございます。

 FUJIの皆さんとは数回しかお会いしていませんが、皆さんはとっても優しい方々だと感じました。2008年のタムコック*) 、ビックドンへの旅行のこと、ずっと覚えています。言葉が分からないので、皆さんとたくさん話すことができませんでした。でも、私とずっと一緒にいて日本語を教えてくれた実姫子さんのことを、いちばんよく覚えています。


 ベトナム女性にとってアオザイは伝統的なものですが、テレビなどで見る日本の着物も、とても綺麗です。

 私は、あと数ヶ月で中学を卒業します。高校の試験に合格するよう頑張ります。私は将来、英語の先生になりたいです。そしてチャットビンの中学校で働くことを望んでいます。そうすれば、また皆さんとお会いすることができるでしょう。

 最後に、皆さまのご多幸をお祈りします。またお会いできる日を、楽しみしてます。皆さまからの返事を、お待ちしています。

*) Tam Cocは「三つの洞窟」の意味。ハノイの南100kmに位置するニンビン省の観光地の一つ。


5TRAN THI HUYEN TRANG(チャン・ティ・フエン・チャン)女子 9年生(日本の中3に当たる)

2011年2月19日 チャットビンにて。 

 明けましておめでとうございます。皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。

 毎年、新学年が始まるたび、皆さまからのご支援のおかげで学校の本や制服などを買うことができ、家族に少しですが心配をかけずに済むことができます。皆さまの優しいお心遣いは、私たちを励まし、私たちの力になり、勉強も頑張ることができます。ですから、親に会うような嬉しい気持ちで、いつも皆さまにお会いしています


 学校の先生方、親、そして皆さまの応援に応えるため、私は学校の優等生として、インターネットを通じて行われる県の英語コンクールに参加し、最高得点(300点満点の300点)を得ることができました。こんどは数学のコンクールにも参加します。私は、全身全霊で頑張ります。

 先日、ニンビン省の新聞社が私にインタビューしました。そして、よく勉強したお手本となる中学3年生として、私を新聞に載せてくれました。先生方とFUJI教育基金の皆さまの支援のおかげで頑張ることができ、私は幸せです。

 でも、もうすぐ私の大好きな先生や学校とお別れです。皆さまと一緒に写した写真を目にすることがなくなり、皆さまとお会いできなくなることがたいへん寂しいです。

 私は、みんなの病気を治すため、医者になるために勉強がしたいです。

  私の家族は経済的余裕がありません。私の親は、3人の子供を養うため、とても苦労しています。いちばん上の姉は、ホーチミン市の大学2年生、兄はツードクの専門学校に入っています。2人は、1か月400万ドンで一所懸命に節約して生活しています。姉は、何か月も肉のない食事をしながら、父と母のために節約しています。私の母は足が悪く、父は腰がいつも痛くて、重いものを持つ仕事ができません。ときどき母が悲しい顔をしています。それを見ると、母のことで胸がいっぱいになります。

 私は、両親、先生、FUJI教育基金の皆さまのため、良い子供となるように、そして勉強ができる生徒になれるように頑張ります。もう一度、皆さまとご家族がいつまでもお元気で幸せでありますようお祈りします。

(つづく)

 


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(1)

2011-04-22 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから、“年賀状”が届きました。 


 FUJI教育基金会員の藤村知子さんが、しばらく前からチャットビン中学の生徒たちに、毎年ベトナムの新年、テトのときに年賀状を送っていました。


 しかし、去年までは返事がきませんでした。ベトナムには、ごく親しい人や取引先の人との間ぐらいでしか年賀状をやりとりする習慣がないので、生徒たちは“年賀状”受け取っても、どうしていいかわからなかったのでしょう。

 今年はチャットビン中学校の先生にも、“年賀状”の趣旨説明を書いて送ったところ、生徒たちから、たくさんの“年賀状”が届きました。数回に分けて、紹介いたします。

 なお、ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年、中学1年あるいは高校1年とは呼称せず、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。ここでは理解しやすいように、カッコ内に日本式方法を併記しました。

                  

1PHAM  THI THUY(ファム・ティ・トゥイ)女子 8年生(日本の中2に当たる) 

 年賀状をありがとうございました。

 FUJI奨学金を受け取ることができ、また、皆さまと一緒に野外参観に行くことができ、本当にありがとうございました。奨学金は、きっと私の夢を実現するための大きな力になってくれると思います。

 

 私は小さいころ、学校の先生になる夢を持っていました。その後、ガンで亡くなった父のことを思い、いまは医者になる夢を抱いています。ベトナムの発展のため、また私の家族のような悲しみをなくすために、良い医者になりたいです。

 最後に、新しい年を迎えるに当たり、FUJIの皆さんのご健康とご幸福をお祈りします。皆さまがニンビンに、また来られる日を楽しみにしてます。


2PHAM THI THU UYEN (ファム・ティ・トゥ・ウエン)女子 7年生(日本の中1に当たる)

 こんにちは。年賀状をいただき嬉しいです。私たちのことを見守ってくださる心遣いを、ありがたく感じました。

 今年のベトナムの正月休みは、とっても楽しかったです。私は、自分で3つのバインチュン*) を作りました。また、お年玉をもらいました。お年玉は、本を買ったり、塾の学費などに使います。

 昨年10月に皆さんと一緒に旅行できたことを、ずっと覚えてます。言葉は通じなかったけれど、旅行のおかげで皆さまのことをより知ることができました。

 経済的に困難な友人たちが、これからも学校へ通えるように、奨学金を続けてください。お願いします。私は、これからも皆さんと手紙を交換したり、連絡ができるといいなと思います。 FUJIの皆さまとご家族のご健康をお祈りいたします。

*)  バインチュン(Banh chung):“バイン”は「もち」を意味し、“チュン”は「蒸す」を意味する。ただし実際の作り方には「蒸す」だけではなく、ゆでたり煮込んだりする方法もある。中国の「粽餅」(ちまき)に似ている。しかしベトナムのバインチュンは中国のものよりかなり大きく、形は正方形で、中身には脂身たっぷりの豚肉や緑豆餡などが入っている。日本の正月用餅と同様、ベトナムの代表的なおせち料理の一つである。


3NGUYEN THI HIEN(グエン・ティ・ヒエン)女子 8年生(日本の中2に当たる)

 2011年2月22日 チャットビンにて。

 最初に、FUJIの皆さんのご健康をお祈りいたします。そしてFUJI教育基金が、大勢のチャットビンの生徒たちを支援できるよう願っています。年賀状を受け取り、たいへん感激しました。

 私たちの勉強を助けるための基金を創ってくださいましたこと、ほんとうにありがとうございます。FUJI教育基金が、これからもチャットビンの貧しい生徒たちだけではなく、他の地域の貧しい生徒たちの力になってくださることを希望しています。現在、私は8年生で、来年高校に合格するため、一所懸命に勉強しています。

 日本にはすばらしい伝統がありますね。ベトナム女性のアオザイと同じように、日本女性の着物姿は、とってもチャーミングで美しいです。私は日本の桜を見ることを夢見ていますが、たぶん難しいでしょう。

 日本の中学校のことをいろいろ知りたいです。べトナム語の資料などがあればいいのですが……。私の叔父が日本で研修を受けていたとき、日本のことを、ときどき電話で話してくれました。とっても面白かったです。私は、日本のドラエモンや名探偵コナンのファンです。これらの漫画の作家をたいへん尊敬しています。日本人の才能は、ほんとうに素晴らしいと思います。

 私は、学校の先生になるという夢のために、また愛するベトナムの発展のために、そして皆さんや学校の先生の期待に応えるために、一所懸命に勉強しようと思っています。

 まだまだ、いろいろ書きたいのですが、これくらいにしておきます。皆さんがいつもお元気で、楽しく過ごされることを願っています。また皆さんにお手紙を書きますね。

(つづく)

東日本 大震災:宮城県・亘理町の被災者に、元ベトナム留学生が温かいフォーで支援

2011-04-17 | 東日本大震災への支援

  宮城県亘理郡亘理町は、宮城県の南部、仙台市から南に約20キロ、福島県相馬市から北に約20キロのところにあって、太平洋に面した町です。阿武隈川が、町の西側から北側を流れて太平洋に注ぎ込む、河口にあります。

 常磐線・亘理駅は海岸から東に6キロほど、町役場は駅の東側にあります。
 3月11日の東日本大震災で、亘理町も大きな被害を受け、多くの被災者が不自由な生活を余儀なくされています。
(被害の状況は、http://shi.na.coocan.jp/tohokukantodaijisin-1.html に詳しく出ています。 )
 先週、元ベトナム留学生たち6人が亘理町の被災者にフォーの炊き出しをしてきました。
 1000食分のフォーを東京で仕込み、車に、麺や牛肉、鶏肉、スープ200リットルなどを積んで前日の夜中に出発し、14日に現地で炊き出しを行い、深夜に現地を出発して帰ってきました。
 フォーを食べたのは初めてという方もおられましたが、大勢の方々に召し上がっていただきました。
 また、避難所でボランティアをしている方にも食べていただきました。ボランティアの方もふだんはおにぎりと缶詰の食事なので、温かいものを食べられたと喜んでいただいたそうです。
 以下、現地に行った、FUJI教育基金代表・ルーンさんからの報告です:
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 4月14日、亘理町の亘理高等学校と亘理中学校で行ったフォー炊き出しの写真の一部
を紹介します。
 これは日本に留学していた元ベトナム留学生が呼びかけて寄付金を集め、留学のときから大変お世話になった日本人、日本国に対しての恩返しの気持ちを込めた活動の一環です。
 元ベトナム留学生のみならず、その家族や友人(ベトナムや海外に住んでいる人たち)もこの活動を知り、浄財をよこしてくれたのです。
 これからも何回か炊き出しをするつもりです。それでもなお寄付金が残るようでしたら、できることなら現金を直接避難者の方々に差し上げたいと思っています。

 


元ベトナム日本留学生が、大震災で被災した亘理町の方々へ支援準備

2011-04-16 | 東日本大震災への支援

  4月9日(土曜日)の夜から宮城の亘理町まで行って被災現場を見てきた、FUJI教育基金代表・ルーンさんの報告です。

 ルーンさんたち元ベトナム留学生たちは、4月13日の夜に東京を出発し、14日のお昼に、避難所の方々にベトナムの温かいフォーを召し上がっていただく計画をしており、その準備に9日から10日にかけて、現地に行きました。
 フォーの費用は、現在は世界中散らばった、日本に留学した元ベトナム留学生が集めた募金から当てる予定です。
 これは、元ベトナム留学生たちが大事にしている「皆さんとの分かち合いの精神」と、留学時代以降大変お世話になった日本への感謝の気持ちからの支援です。
 以下、4月10日、準備のために亘理町を訪れたときに撮った、現地の写真を紹介します。
 大地震と大津波から1ヶ月たっても、まだ、爪あとが残ったままであることが、東京にいる我々には衝撃です。
↓家が家の上に!
  
↓車が車の上に!
 
 ↓墓地がこんな姿に.
 
 
↓こういうふうに家の土台しか残っていないところがあちこちに!
 
 
↓2階建が1階建に!
 
↓家、車、船などが橋の上に!
 
↓JR亘理駅。
 町の中心地はほとんど無事だったが、断水のため無期限閉鎖されている。
 
↓日本赤十字の貸し出し鍋。
 われわれもこれを借りて、4月14日にフォーを提供する。