ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

「FUJI教育基金2012年奨学金授与の旅」の報告-2(滝本)(ベトナム北部ニンビン省)

2012-11-21 | CB(チャット・ビン)中学校

チャット・ビン中学校の訪問

  学校まで大型バスで行けないために先生方が小型車やバイクで途中まで迎えに来ていた。

  

  学校には午後3時頃に着いた。生徒40人全員と先生及び関係機関の皆様が教室で迎えてくれた。授業も終わっていたので校内は静かだった。

  

  
  (以前、生徒達に家庭や生活、学費等を調査した結果が栞にあります。)

1 奨学金の授与式
 (a)タク校長

    
  歓迎のあいさつと学校の紹介があった。
  学校創立38年、現在の生徒数は230人。

 (b)キム・ソン郡党委員会書記

        
  11回目の訪問に感謝の意を表された。
  奨学金は学校全体の学力向上になっているとの挨拶があった。

 (c)FUJI教育基金(宮下)

    
  教育基金の紹介と生徒達への思いを伝えた。

 (d)チャット・ビン地区党委員会書記ワンさん

   
  チャット・ビン地方政府を代表して、チャット・ビン中学の生徒に関心をもってくれたことへの謝意が表された。そして、教育レベルが上がったとの報告があった。

 (e)生徒代表
  奨学金に対する感謝の挨拶があった。

       

――きょうは、奨学金をいただき、自慢できる思いです。
 学校に来るのが誇りです。
 学校に来て、新しい知識を増やせることに感謝しています。
 FUJIの人たちは、去年、日本に大きな災害があって、経済的にもたいへんだったのに、私たちに関心をもって学校を訪問していただき、感謝します。
 精神的な面でも、私たちのがんばろうという気持ちが一歩進み、私たちへの励ましになります。
 私たちは、がんばって勉強します。
 そして、次の世代の生徒たちにもこの幸福を与えてもらうことを希望します。――

2 奨学金の授与

  奨学金(120万ドン/人)は参加メンバーから40人の学生に手渡された。
  3年連続で奨学金を受けた生徒を尋ねたところ、11名が手を挙げた。

  

  

  

3 先生たちとの意見交換

  式終了後に先生たちと同じ会場で意見交換を行った。

  
  校長先生は、16年目になる。ニン・ビン省の出身。
  現在生徒は232人、先生は26人いる。クラスは8クラスで、1クラス30人弱である。

)生徒数の減少について
  1夫婦子供2人までとの国策により減少している。

)授業について
  教室も増設されて、午前・午後の2部制の授業は無くなった。
  校舎も増築されて、施設も標準的になっている。

10月7日(日)

 チャット・ビン中学校の生徒、職員の皆さんとバス2台に分乗して、クック・フォン国立公園にハイキングに行った。

  
 約2時間の行程で車酔いをした生徒もいた。
 石灰岩の洞窟、

  

 千年樹がある原生林、

  

 絶滅危惧種になっている霊長類(手長猿、尾長猿)の仲間を保護している施設等を見学。

   

   
 普段は平坦な水田地帯に住んでいる生徒たちにとって、自然林は印象に残ったと思います。
 湖のほとりの施設で、昼食を食べ、

   

   
 公園で別れて、

  

 ハノイにバスで移動。

   

   

   
 ホテルチェックイン後、みんなで夕食に出かけましたが、午後ハノイに到着し、ホテルで合流予定だった佐野さんと桃田さんをうっかりホテルに忘れてしまいました。大変申し訳ございませんでした。


チャットビン中学校のアンケート

2011-09-10 | CB(チャット・ビン)中学校

チャットビン中学校のアンケート

 〔出井運営会員〕


201010月、授与の旅」実施時に、ベトナム 北部ニンビン省のチャットビン中学校の奨学生へのアンケートを実施しました。

目的は、奨学生の日常生活および教育環境の実情を把握し、当基金の今後の活動に生かしていくためでした。


「旅」実施前に運営委員会で設問事項・内容を綿密に検討しましたが、委員間の連絡が不十分だったため、実施したアンケートでは最初のアンケート票素案を使用してしまいました。そのため、一部曖昧かつ不十分な設問もありましたが、奨学生の生活および教育環境の実態を把握することができました。これからも奨学金授与の旅のときに同様のアンケートを行い、各地域の奨学金授与活動に生かしていく予定です。

集計結果を、次のブログで紹介します。

 


チャットビン中学校(ベトナム・ニンビン省)奨学生へのアンケート集計

2011-09-10 | CB(チャット・ビン)中学校

 

以下、チャットビン中学校のアンケート結果の概要を紹介します: 

■実施時期:2010108 

■対象奨学生総数:36人(女子25人、男子11人) 

1)     両親の職業:

父親――農業=30人、医者=1人、その他(軍隊、建築関連職人など)

母親――農業=31人、教員=2

2)     家族数

2人~3=2世帯、4~5人=28世帯、6人以上=7世帯(最大世帯=7人)

3)     兄弟数 (*兄弟数に本人を含めるかどうかが、曖昧でした)

1人=9世帯、2人=14世帯、3人=10世帯、4人以上=3世帯

4)     教育費 (1円=約260ドン):

学費――90,000ドン/=36人、

教科書代――150,000ドン/=4人、200,000ドン=27人、250,000ドン=5

その他――08人、150,000ドン=1人、500,000ドン=5人、100万ドン以上=22

5)     勉強時間と家の手伝い (*授業時間を含んでいる可能性があります)

    勉強時間――4~6時間=11人、7~9時間=20人、10時間=5

    家の手伝い――する=36人(100%)

手伝いの内容――主として、女子は家事や弟妹のめんどうなど、男子は農作業。

6)     通学手段と通学時間:

徒歩――15人  5分~15=13人、30分=1人、60=1

自転車――20人 1525=10人、30分以上=7

7)     小遣い:

もらっている――11人。1,000ドン~5,000ドン、多くても1万ドン(40円程度で、文房具、自転車の修理代、友人の誕生祝いなどに使用)

  もらっていない――25

8)     進学希望:

   36人全員が「ある」と回答。

9)     将来就きたい職業(複数回答):

医者=15人、教師=14人、社長=2人、スチュワーデス=2人、ファッションデザイナー、サッカーのコーチ、ウエートレス、歌手、エンジニア、旅行ガイドなど。

10)最も困難な家庭の問題は?:

経済的問題を挙げた生徒が圧倒的に多い。とくに“家業が農業なので経済的に困難”とする生徒が多々いました。

また中心的働き手が死亡したり、病気療養中のため経済的に困難と記した生徒も23人いました。

11)心配事があったときの相談相手は?:

 母親=18人、父親=6人、同性の友人=6人、姉=4人、先生=4人、祖父母=3人など。

12)FUJI奨学金の使途は?

大半の奨学生たちは、「両親を助けるために授業料と参考書、学用品などの購入」等に充当していると答えています。

13)FUJI教育基金に対する要望や意見は?

大多数の奨学生が当基金に対し感謝の意を表しています。加えて、「願わくば」として、「貧困克服のために長期の支援を望む」とともに、「他の多くの貧しい生徒たちを奨学金授与対象者に加えてほしい」「さらに対象者枠の拡大を」も強く望んでいます。

なお、奨学生たちにとって当基金の「授与の旅」参加者と行く「小旅行」はとてつもなく楽しい催しのようです。56人の生徒がこの小旅行について言及し、「毎年旅行に連れて行ってください。Thank you very much!」と記しています。

【以上、集計:出井】


 


ベトナム北部、チャットビン中学校・先生からの手紙

2011-04-28 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちとともに届いた、先生からの“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

                   

15HOANG VAN THONG (ホアン・ヴァン・トン) 先生

 アジア各国での迎春の候に当たり、皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。そしてFUJI教育基金のおかげで、チャットビンの地元の人々、また先生や生徒たちが一緒に頑張れたことを感謝いたします。

 私のいちばん下の妹も皆様の奨学生)でした。おかげさまで妹は、地元の高校に進学し、大学を卒業して、現在、銀行で働いております。

 私は学校で、大勢のチャットビンの生徒が、FUJI教育基金の奨学生となり、大きく成長したことを実感いたしました。

 奨学金を受けた妹の兄として、学校の教師として、地元の一人の県民として、皆様の教育支援活動に心からお礼を申し上げます。

 これから先もチャットビンの生徒が皆様の支援を受けられよう、また皆様の活動がよりいっそう発展されますよう期待いたしております。

 

 

ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(1)に戻る。

アンザン大学奨学生からの手紙を

 *) トン先生の妹さんがFUJI教育基金の奨学生だったころ、チャットビン中学校を訪れた旅の記録を、以下、再掲します。

 FUJI奨学金授与の旅(2003.10.21~10.28)

 参加者 平田煕、ト・ブー・ルーン、ファン・マン・カー、佐野良子、林勝、小倉くら子、小倉恭二郎(7名)(敬称略)

 [10月21日(火) 成田→ハノイ]

ハノイ到着  16:30成田発VN955便、飛行機は定刻どおり離陸、19:55(ベトナム時間)ハノイのノイ・バイ空港に到着。気温25度と涼しい。 早速、本日のホテル・コンドアンへ、夕食は機内ですませてあったので、明日の旅程を考えて早めの休息。

 [10月22日(水) ハノイ→ニンビン]

ハノイから南東100キロメートルへ   07:55出発 ニンビン省への旅には、メンバーの他にハノイ在住で日越の文化交流に活躍している小松みゆきさん(小松さんは83歳の母親を日本から引き取って、2人で暮らしています)、カーさんの甥御夫婦(ファン・ホァン・キーさんとデイン・グエト・アンさん)が道案内として、奨学金の旅に参加してくれました。

 訪問するチャット・ビン中学校はハノイから南100キロメートルほどのところにある純農村地帯の中学校で、カーさんの故郷でもあります。

 今回の旅は昨年(2002年)に続いて2回目になります。朝、ハノイ市内で文房具を調達したとき、時間をとられるハプニングがありました。いちどに大量の品物を求めたため、店内に在庫がなくて、お店の人が倉庫まで取りにいったため、多少時間をとられ、学校への到着が若干遅れてしまったのです。それは、全校生徒の手に渡る数を揃えるためでありました。

チャット・ビン中学での授与式   式場には中学生が行儀よく一行の到着を待っていました。到着後すぐに式が始まり、最初にチャット・ビン中学校の校長先生ファン・マン・フンさんの挨拶。

 「FUJI奨学金の方々が遠い日本からこのチャット・ビン中学校に援助をしてくださることに感謝しております。願わくばこのFUJI奨学金が1年でも永く続くよう、よろしくお願いします」。

 地区人民委員会、教育委員会幹部、村長などの挨拶が続きます。みな一様に、

「FUJI奨学金が永く続いて、大きく発展するよう願っています」

と話されました。

 続いて第2回奨学金授与式、30名の生徒一人ひとりに奨学金を手渡す。

 生徒代表のキエウさん(PHAM・THI・THANH・KIEU:中学2年)が真剣な眼差しで感謝の言葉を述べ、最後にFUJI奨学金メンバー代表の平田先生が、中学生に向かって、

 「皆さんは21世紀に生きる人間として、可能性を大いに秘めているので、その可能性を伸ばしてください」

と挨拶。全員で写真撮影をして、式を終える。

 式の後、学校側が用意してくれた昼食(女性の先生が作ってくれた家庭料理、全部美味しかった)を校長先生、人民委員会幹部、村の幹部、教職員と奨学金メンバーでいっしょにいただきました。

 食後カーさんの従兄弟の家でお茶をご馳走になり、祖先を祀ってある廟にお線香をあげてチャット・ビン村を後にする


FUJI奨学金授与の旅(2004.09.17(金)~09.24(金)6泊8日機中1泊)

参加者:平田煕、ト・ブー・ルーン、ファン・マン・カー(加藤和範)、小倉恭二郎、滝本健雄、出井富美、森戸規子、松永実姫子(8名)、および小松みゆき、鈴木結(ハノイ在住、チャットビン中学校のみ参加)(敬称略)

 [9月17日(金)成田(VN959)18:10発→ハノイ]

アクシデント発生! でも無事ハノイ到着   VN959便に予定どおり安心して搭乗したものの、飛行機の中が異常に暑い。国際経済の悪化で節減がここまできているのかと思いきや、“空調”故障が原因ということで、搭乗したのに即、降りるはめになる。再度搭乗した時間が20:00。こんどは、飛行機の中にオイルの臭いが異常にする。大丈夫かな? 一瞬思い疑う!(私の性格)。結局2時間20分遅れの20時30分に離陸。機内食は何を食べたか忘れたが、これだけ待たされたので、美味しかったことだけが?印象深い。参加者の約1名がワインの飲みすぎで、スチュワーデスさんの仮眠室で休ませていただき、本人は大変反省をしている様子!

 ベトナムの首都ハノイ、ノイバイ国際空港に到着。政治と文化の中心地、初めてのベトナムでワクワクするが、夜で気分は最高とまではいかなかった!宿泊はアーミー・ホテル、明日からに備えて早く寝よう!

 [9月18日(土)ハノイ(8:00)→ニンビン→ハノイ]

何かが、私の後ろから励まし語りかけてくる   一足先に訪越していた出井さん、そしてハノイ在住13年の日越の文化交流に活躍されている小松さん、ハノイ留学3週間目の鈴木結ちゃん(沖縄の大学生)と合流。8:45分、ニンビン省キムソン県のチャットビン中学校を目指して、一路、国道1号線を南下する。

 専用車から見るハノイ市内に点在する湖や公園など、緑あふれる町並みに、フランス統治時代の面影を残す建物が映える。水、山、緑豊かな自然の中の美しい村々。知らない民族に触れながら今までにない何かが、私の後ろから励まし語りかけてくる。この自然のパワーはどこから発しているのだろうか!

チャット・ビン中学での授与式   カーさんの母校であるチャットビン中学校には3時間半弱で到着。チャットビン村はハノイの南方、93Kmの地に所在する純農村地帯である。小さな村で特に見所はないが、私たちを出迎えてくれた中学生の目がキラキラと輝き、笑顔が美しかったことが印象に残る。

 すぐにFUJI奨学金授与式が始まり、校長先生(ファム・マン・フン)、および生徒代表から、FUJI奨学基金への感謝の気持ちが述べられる。チャットビン中学校の生徒たちの学業に対する真剣さ、熱心さを目の当たりにして、つい“日本の中学生よ、もっとしっかり勉強して”と思ってしまう。

 式典終了後、先生方や生徒のお母さん方が作って下さった心の籠もったたくさんのチャットビンの郷土料理、わざわざホテルから取り寄せて下さった“ぶどう”に、私たち一同、恐縮しながらご馳走になる。何とも感激したのは美味なるアルコール度45度の地酒。口当たりがさっぱりして、食事がますます進みジャンジャン飲んでしまう。このことを後の“仕舞い”と言うのでしょうね! 校長先生がとてもご機嫌で後の“仕舞い”まで飲んでおられた。

 私たちも校長先生の笑顔で和み、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、思い出深い先生方と交流を深めた。滝本さんが日本伝統の楽器・尺八を吹奏し、“宴”をますます盛り上げ、最高の昼食会・交流の場となった。

 帰路途次で中学校の近くにお住まいのカーさんの叔母さんをお訪ねする予定だが、猛烈なスコールで降車できず、カーさんだけが訪ねる。帰路の車窓からの風景を見ながら、初めての訪越、チャットビン中学校での生徒、先生方との交流などに思いを巡らしているうち、車は早くもハノイ市内に到着。


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(6)

2011-04-27 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

13PHAM  THANH  HUNG(ファム・タン・フン)男子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月20日 チャットビンにて。

(中略)

 いただいた年賀状で、ベトナムと日本のお正月の違いが分かりました。この違いは、国の風俗や習慣の違いからくるものですね。

 私は、ベトナムの発展のため、病気を治す医者、もしくは高層ビルディングの設計士になる夢を持っています。皆さんからの奨学金は、私たちが夢をめざす力となり、私たちの勉強の費用の一部を支援してくれました。

 私たちの田舎は、環境はたいへん良いと思いますが、大部分の人々は農家で、経済面ではまだ厳しいところがたくさんあります。そのため一部の生徒は、勉強がよくできても、貧しいために学校をやめなければなりません。ですからFUJI奨学基金は、貧困世帯の生徒にとって、たいへん大きな助けなのです。彼らに夢を与えてくれるのです。

 最後になりますが、チャットビンの貧困世帯の生徒が、よりよく勉強できるために、これからも支援を続けていただきたいです。またそのために基金がもっと発展してほしいです。

 皆さんが、いつまでも貧困の中で頑張っている学生たちの友人でいてくださることを願っています。

 

14NGUYEN VAN BIEN(グエン・ヴァン・ビエン) 男子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。

 親愛なるFUJI教育基金の皆様。まずは、新年おめでとうございます。皆様とご家族のご健康とご多幸をお祈りいたします。

 私たちはベトナムで大変楽しいお正月を迎えました。日本のお正月はいかがでしたか。ベトナムのお正月とは違うのでしょうね。

 いただいた年賀状で、あの山の象のこと*)を初めて知りました。年賀状をいただき、とても嬉しいです。そして皆さんにお手紙を書けることは、もっとうれしいです。

 皆さんとお会いしたのは、数ヶ月前の、一日一緒に旅行したときです。本当に短い時間でしたが、とても親しみを感じました。その日の昼食のときに、二人の方が話してくれたことをよく覚えています。


 「日本の中学校は、午前は思考力を必要とする科目、午後は一般の科目を勉強し、学校には、実験室や体育館などがある」ということでした。 私も、できれば設備が整っている学校で勉強したいです。私の田舎はまだ貧しく、そのような学校の建設は、とても難しいと思います。

 しかし学校と地元は、チャットビンの子供たちのため、がんばりました。現在の学校は、6年前と比べて大きく変わり、きれいになりました。

 

 私の家族の生活は、まだ厳しいです。米の収穫時期は、家族の手伝いのために、学校を休まなければなりません。FUJI教育基金の奨学金のおかげで、私の勉学への家族の負担が少し減りました。また親は、子供の勉強の大切さを理解して、勉強に投資してくれています。

 とくにFUJI教育基金は、私に自分の将来を目指すという自信を持たせてくれました。そして私は、いま、お医者さんになる夢を持っています。

 皆さんからの奨学金に本当に感謝申し上げます。私たちの田舎のような貧しい地域の学生が頑張って勉強できるよう、FUJI教育基金がいっそう発展してほしいです。最後に皆さんが、いつもお元気でお幸せでありますように。

*) ベトナム中部高原・ヨックドン国立公園の近くにあるドン村で行われた「BUON DON(ブオンドン)地区の民族伝統文化祭」での象まつりと、野生象の保護活動をしている新村さんについて、藤村さんの年賀状に書いてありました。藤村さんは、2008年3月に象まつりを見学しました。http://blog.goo.ne.jp/fuji-qhb/c/f93e1356d9c9f5d303b223677a638366/2 、http://blog.goo.ne.jp/fuji-qhb/e/ceb1a892297aa97f123aba70a9356cb7 、http://blog.goo.ne.jp/fuji-qhb/s/%BF%B7%C2%BC をご覧ください。

(つづく)

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アンザン大学奨学生からの手紙を見る。

 

 


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(5)

2011-04-26 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

11TRAN THI LOAN (チャン・ティ・ロアン )女子 9年生(日本の中3に当たる)

 2011年2月21日

 FUJI教育基金の皆さんへ(中略)

 学校へ行くことは、とても楽しいです。私は、家で長女としての責任と自覚を持ち、いつも兄弟のお手本となり、両親にとって良い子であるように頑張っています。学校のクラスでは、良い生徒でいるよう奮闘しています。

 私はもっと良い成績を収め、家族と先生方を喜ばせたいのです。これが私の希望です。

 人間、とくに若者は、みな自分の夢をもっています。お医者さん、技師、画家、歌手、俳優などさまざまですが、私は学校の先生になり、生徒たちに知識を伝えたいです。その夢を達成するために、私は一所懸命に頑張らなければなりません。

 これから学校で、高校受験に合格するため努力します。その後は、大学受験合格のためにです。卒業後、私は今の学校(チャットビン中学)の先生になりたいです。これは私の理想で、どうしても達成したいのです。

 FUJI教育基金の皆さんが、私たちの学力、体力、知力の発展のために援助してくださるようお願いします。

 最後に新年にあたり、FUJI教育基金の皆さんのご健康とご多幸をお祈りいたします。FUJI教育基金がますます発展し、これからも私たちをご援助くださり、見守ってくださいますように。


12TRAN THI HUYEN TRAM(チャン・ティ・フエン・チャム)女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。

(中略)

 皆さんのお正月はいかがでしたか? 私は、親と兄弟たちが帰郷しなかったため、祖父母と一緒にお正月を迎えました。家の中の人数は少ないけれど、お正月の雰囲気が変わることがあってはなりません。

 大晦日の朝、私は、お祖母さんと一緒に市場へ、花、線香、果物、肉、バインチュン*)を包むための葉っぱなどを買いに行きました。皆さんもバインチュンの作り方をご存じですか? バインチュンは、時間を掛けて楽しく、細かく丁寧に作ります。バインチュン作りで私が大好きなことは、バインチュンをゆでるときです。外の寒さの中、暖かい火のそばで、出来上がるバインチュンを待つ気分は、とても楽しいです。 

 元旦は、いちばん楽しい日です。祖父母の家に親戚一同が集まり、新年を迎えます。そして皆でご先祖様を迎えるときが、いちばん神聖なときです。外は冷たい風とともに雨が舞い、家の中はご先祖様をお迎えする言葉とともにもくもくとお線香の煙が立ち込めます。ご先祖様を迎えたあとは、家族で食事をします。一年中で正月ほど楽しい日はありません。

 2日は、叔父叔母たちを訪問します。3日は、同じクラスの友達と一緒に先生方に挨拶に行きます。

 正月休みが終わると私たちは学業に戻り、友人や先生方と再会します。先生方と新年の挨拶を交わし、正月休みの出来事などを話します。

 そして数週間たつと、田植えの時期がやってきます。気温は10度をうわまわるぐらい、空気は冷たいですが、作業が間に合うよう、私たちは田んぼに出なければなりません。

 私は自分の両親のことも思います。両親は田植えの時期が来るたび夜中に起きて仕事をしなければならず、たいへん苦労しています。ですから私は愛する両親のために学業に励み、奨学金を受けることができるようにがんばりました。奨学金は、学費や他の費用に使いました。奨学金のおかげで、毎回、両親が私に学費を送らなくてもよくなりました。

 私の家族は兄弟が多いです。しかし、どんな困難があっても勉強に励もうと決心しました。私は自分に合った専門職を目指すことを決めています。私の学校は、各自が望む専門教科に生徒を選抜します。私は受験生の中に入りました。第一に学校の名誉のため、第二に先生と友人のため、第三に私たちがもっと多くのことを学ぶため、私と親しい7人の友人は先生といっしょに高い成績を収めるため、頑張っています。

 皆さん、今年も私たちの学校に来てくださいますか? 私たちの学校はずいぶん変わりましたよ。実験やコンピュータの勉強を受けることができるようになりました。図書館もできました。でも、まだ図書館利用カードがないので、本を借りることはできません。


 皆さんがベトナムいらっしゃって、私の学校を訪問してくれることを願っています。皆さまのご多幸をお祈りします。いつも私のことを思い出してくださいね。もしよろしければ、日本の美しい風景の写真をお送りいただけないでしょうか。どうかベトナムのことを忘れないでください。

 年賀状、ほんとうにありがとうございました。とても嬉しかったです。いつも皆さんのことを思っています。

*)  バインチュン(Banh chung):“バイン”は「もち」を意味し、“チュン”は「蒸す」を意味する。ただし実際の作り方には「蒸す」だけではなく、ゆでたり煮込んだりする方法もある。中国の「粽餅」(ちまき)に似ている。しかしベトナムのバインチュンは中国のものよりかなり大きく、形は正方形で、中身には脂身たっぷりの豚肉や緑豆餡などが入っている。日本の正月用餅と同様、ベトナムの代表的なおせち料理の一つである。

(つづく)


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(4)

2011-04-25 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

9HOANG THI VAN (ホアン・ティ・ヴァン)女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月24日 チャットビンにて。 

親愛なるFUJI教育基金の皆さん

(中略)

 年賀状をいただき、とても嬉しかったです。何より幸せなことは、奨学金をいただいたこと、皆さんにお会いできたことです。

 私のいちばんの夢は、旅行ガイドになることです。そして世界の美しさや特色を理解することです。FUJI教育基金が生活と勉強の費用を援助してくれることは、私の夢を実現する助けとなります。また、私の夢に対する決心や努力への応援となっています。

 私の故郷は、空気がきれいで平和ですが、生活は、厳しく、苦労しています。私の家は、農家なので収入があまりなく、新しい服はあまり買えません。私は兄弟の面倒をみたり、家事手伝いをしています。

 FUJI教育基金の援助は、私たちのような厳しい環境の生徒にとって、とても助けになります。奨学金基金がさらに大きく発展して、チャットビンの生徒がこれからも学校へ行くことができ、夢を持って頑張ることの助けになるよう、お願いします。

 数か月後、私たちには、高校受験があります。私は頑張って、いちばん良い結果をFUJI教育基金の皆さんに贈り物としてお送りしたいと思います。

 最後に、皆さんが、私たち貧しいけれど向上心を持った生徒たちを見守ってくれることに、心から感謝申し上げます。皆さんからの返事をお待ちしています。


10PHAM THI THU(ファム・ティ・トゥー )女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。

 敬愛するFUJI教育基金の皆さま。(中略)長い間、皆さまは、私たちを見守り、がんばって勉強するよう激励してくれました。皆さまが見守って、激励してくださるので、若い私たちは勉強に対する決意と頑張りを持つことができます。FUJIの皆さんだけでなく、日本の方々も私たちの大恩人です。私たちが勉強することができるのは、皆さまのおかげだと思っています。

 私は、たくさんの希望と夢をもっています。勉強で友達に負けないように努力します。これまで15年間頑張って、私はある程度の知識を身につけることができました。

 でも私は人間関係に対して積極性がないので、この欠点を頑張って直します。そうすれば社会に出て、自信をもって夢を達成することができると思います。皆さんもそう思うでしょう?

 私は、まだ皆さんにベトナムと日本の好きな点について話していません。

  まずベトナムについてですが、団結心、向学心といったベトナムの伝統は、私の自慢です。この伝統を維持し発展させることが大事だと思います。その他、アオザイ*)とノンラー**)が好きです。これらは、ベトナムの女性の美しさを表現しており、とても工夫が凝らされています。またドンソン太鼓***)も大好きです。

 日本にも、私の好きなことがたくさんあります。例えば日本の伝統の着物です。とても印象的な服で、色とデザインが綺麗です。富士山も特別な山です。もうひとつ日本の好きなことは、漫画と映画です。とくに映画が大好きです。映画はとても意味深く、私にたくさんの感動を与えてくれます。

 私の夢は、高校に合格し、その後、大学に合格し、最後に学校の先生になることです。もし実現できれば、とても嬉しいです。

 そろそろ筆を置くことにします。皆さんからのお返事を待っています。皆さんの願いがかない、成功されますようお祈りいたします。

 

*) Ao dai:「長衣」を意味する。ベトナムの民族衣装。

**) Non la:シュロの葉で編んだ女性用の笠。日本の菅笠に似ている。

***) ドンソン太鼓:紀元前4世紀頃から紀元1世紀頃にかけて、ベトナム北部の紅河流域を中心に、東南アジア初期の金属器文化(ドンソン文化)が栄えた。1920年代、フランス極東学院の考古学者らによって遺跡が発見され、特徴的な銅鼓が有名になった。鉄器の銅鼓もあるが、青銅器の銅鼓が発達した。これがドンソン太鼓である。

(つづく)


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(3)

2011-04-24 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

6NGUYEN THI YEN(グエン・ティ・イエン)女子 7年生(日本の中1に当たる)

2011年2月22日 チャットビンにて。 

 親愛なるFUJI教育基金の皆さま、年賀状をいただき、とても嬉しいです。私もたくさんのことを、皆さまに書きたいです。(中略)

 皆さまはお元気ですか。お仕事も順調でしょうか。私は元気いっぱいです。皆さまの助言を思い出して、いつも勉強を頑張っています。

 今年のお正月を、家族一緒に楽しく迎えました。大晦日の日は、花見をしながら、美味しい料理を楽しみました。お正月を過ぎると、私の年齢が1つ増えるので、一所懸命、両親の手伝いをしながら、勉強も頑張ります。

 私の田舎は、経済的にまだ厳しいですが、皆さまのご支援のおかげで、私の勉強の環境は前より良くなり、今は勉強が楽しく感じられるようになりました。

 これは、私のささやかなお願いです――もし皆さまがずっと私たちのことを支えてくだされば、きっと私たちは自信をもって頑張れると思います。

 最後に、皆さまがいつもお元気でありますように。とても感謝しています。皆さまが大好きです。


7PHAM THI HONG LY(ファム・ティ・ホン・リー)女子 8年生(日本の中2に当たる)

2011年2月20日(日)

 私はいろいろなことを皆さんに書きたいですが、まず皆さんのご健康をお祈りしたいと思います。チャットビン中学校に在学中、皆さんは、私たちのために精神的、物質的に支援してくださいました。ですから私たちは、皆さんや両親、先生方々の期待に応えるため、一所懸命、勉強を頑張ります。

 ベトナムの楽しく幸せなお正月が過ぎました。ベトナム人は誰でもこの伝統的な祝日が好きで、とくに私たち生徒は大好きです。なぜならば、お年玉がもらえるからです。

 お正月のあと学校で、どんなお正月を過ごしたか、みんなでお喋りすることを、たいへん楽しみにしています。例えば、家族と一緒にバインチュン*)を作ったこと、大晦日の夜の花見、あるいは大晦日の漫才でお腹が割れるぐらい笑った話しなどです。小さい子供たちは、桃の木の周りを走ったり、ボール遊びをしたりして、ほんとうに可愛いです。

 ところで、私自身のことを皆さんにお話します。

 私は、6年生のとき、頑張ったけれど、残念ながら奨学金をもらうことができませんでした。7年生のときも、私と友人は同点でしたが、最終選考で友人が選ばれました。しかし、私は希望を失わず、続けてがんばりました。そして今年、私は奨学金をもらうことができたのです。

 いま、小雨が降ってきました。そろそろ書くのを終わりにします。また時間があるときに、現在の私の田舎や学校のいろいろなことを書きます。皆さんが、いつもお元気でありますように願っています。

*)  バインチュン(Banh chung):“バイン”は「もち」を意味し、“チュン”は「蒸す」を意味する。ただし実際の作り方には「蒸す」だけではなく、ゆでたり煮込んだりする方法もある。中国の「粽餅」(ちまき)に似ている。しかしベトナムのバインチュンは中国のものよりかなり大きく、形は正方形で、中身には脂身たっぷりの豚肉や緑豆餡などが入っている。日本の正月用餅と同様、ベトナムの代表的なおせち料理の一つである。


8PHAM VAN HAO(ファム・ヴァン・ハオ)男子 9年生(日本の中3に当たる)

FUJI教育基金の皆さん、こんにちは。(中略)

 私の家族は、両親、兄、姉と私の5人です。私が2年生のとき、父が亡くなりました。母が、私たち兄弟3人を育てています。現在、兄は働いていて、家族を助けています。

 私の夢は、お医者さんになって、人々を助けることです。私は、毎日5時間勉強しています。私は友達と同じように学校へ行き、先生方のお世話になっています。

 皆さんの奨学金のおかげで、私を含めた40人の生徒は励まされて、国レベル、県レベルの優等生の賞を受賞しました。

 最後に、学校の生徒を代表して皆さんに感謝申し上げます。また皆さんが、より多くの生徒たちを助けてくれることを願っています。皆さんのご健康とご成功をお祈りいたします。

(つづく)

 


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(2)

2011-04-23 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから届いた“年賀状”(FUJI教育基金会員の藤村さんが出した年賀状への返信)です。 

 ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。カッコ内に日本式呼称を併記しました。

                  

4PHAM THI TRANG LY(ファム・ティ・チャン・リー)女子 8年生(日本の中2に当たる)

敬愛するFUJI教育基金の皆様

 (中略)年賀状をいただき、とっても嬉しいです。ありがとうございました。奨学生になれたことで、私は一所懸命、勉強に励んでいます。ほんとうに有難うございます。

 FUJIの皆さんとは数回しかお会いしていませんが、皆さんはとっても優しい方々だと感じました。2008年のタムコック*) 、ビックドンへの旅行のこと、ずっと覚えています。言葉が分からないので、皆さんとたくさん話すことができませんでした。でも、私とずっと一緒にいて日本語を教えてくれた実姫子さんのことを、いちばんよく覚えています。


 ベトナム女性にとってアオザイは伝統的なものですが、テレビなどで見る日本の着物も、とても綺麗です。

 私は、あと数ヶ月で中学を卒業します。高校の試験に合格するよう頑張ります。私は将来、英語の先生になりたいです。そしてチャットビンの中学校で働くことを望んでいます。そうすれば、また皆さんとお会いすることができるでしょう。

 最後に、皆さまのご多幸をお祈りします。またお会いできる日を、楽しみしてます。皆さまからの返事を、お待ちしています。

*) Tam Cocは「三つの洞窟」の意味。ハノイの南100kmに位置するニンビン省の観光地の一つ。


5TRAN THI HUYEN TRANG(チャン・ティ・フエン・チャン)女子 9年生(日本の中3に当たる)

2011年2月19日 チャットビンにて。 

 明けましておめでとうございます。皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。

 毎年、新学年が始まるたび、皆さまからのご支援のおかげで学校の本や制服などを買うことができ、家族に少しですが心配をかけずに済むことができます。皆さまの優しいお心遣いは、私たちを励まし、私たちの力になり、勉強も頑張ることができます。ですから、親に会うような嬉しい気持ちで、いつも皆さまにお会いしています


 学校の先生方、親、そして皆さまの応援に応えるため、私は学校の優等生として、インターネットを通じて行われる県の英語コンクールに参加し、最高得点(300点満点の300点)を得ることができました。こんどは数学のコンクールにも参加します。私は、全身全霊で頑張ります。

 先日、ニンビン省の新聞社が私にインタビューしました。そして、よく勉強したお手本となる中学3年生として、私を新聞に載せてくれました。先生方とFUJI教育基金の皆さまの支援のおかげで頑張ることができ、私は幸せです。

 でも、もうすぐ私の大好きな先生や学校とお別れです。皆さまと一緒に写した写真を目にすることがなくなり、皆さまとお会いできなくなることがたいへん寂しいです。

 私は、みんなの病気を治すため、医者になるために勉強がしたいです。

  私の家族は経済的余裕がありません。私の親は、3人の子供を養うため、とても苦労しています。いちばん上の姉は、ホーチミン市の大学2年生、兄はツードクの専門学校に入っています。2人は、1か月400万ドンで一所懸命に節約して生活しています。姉は、何か月も肉のない食事をしながら、父と母のために節約しています。私の母は足が悪く、父は腰がいつも痛くて、重いものを持つ仕事ができません。ときどき母が悲しい顔をしています。それを見ると、母のことで胸がいっぱいになります。

 私は、両親、先生、FUJI教育基金の皆さまのため、良い子供となるように、そして勉強ができる生徒になれるように頑張ります。もう一度、皆さまとご家族がいつまでもお元気で幸せでありますようお祈りします。

(つづく)

 


ベトナム北部、チャットビン中学校・奨学生からの手紙(1)

2011-04-22 | CB(チャット・ビン)中学校

 ベトナム北部、首都ハノイから南に 100kmほど離れたところにあるニンビン省のチャットビン中学校の奨学生たちから、“年賀状”が届きました。 


 FUJI教育基金会員の藤村知子さんが、しばらく前からチャットビン中学の生徒たちに、毎年ベトナムの新年、テトのときに年賀状を送っていました。


 しかし、去年までは返事がきませんでした。ベトナムには、ごく親しい人や取引先の人との間ぐらいでしか年賀状をやりとりする習慣がないので、生徒たちは“年賀状”受け取っても、どうしていいかわからなかったのでしょう。

 今年はチャットビン中学校の先生にも、“年賀状”の趣旨説明を書いて送ったところ、生徒たちから、たくさんの“年賀状”が届きました。数回に分けて、紹介いたします。

 なお、ベトナムの学校制度は5・4・3年制を採っています。ただし、日本と違って、小学1年、中学1年あるいは高校1年とは呼称せず、小学1年から高校3年まで一貫して、1年生、2年生、…、12年生と呼称されます。ここでは理解しやすいように、カッコ内に日本式方法を併記しました。

                  

1PHAM  THI THUY(ファム・ティ・トゥイ)女子 8年生(日本の中2に当たる) 

 年賀状をありがとうございました。

 FUJI奨学金を受け取ることができ、また、皆さまと一緒に野外参観に行くことができ、本当にありがとうございました。奨学金は、きっと私の夢を実現するための大きな力になってくれると思います。

 

 私は小さいころ、学校の先生になる夢を持っていました。その後、ガンで亡くなった父のことを思い、いまは医者になる夢を抱いています。ベトナムの発展のため、また私の家族のような悲しみをなくすために、良い医者になりたいです。

 最後に、新しい年を迎えるに当たり、FUJIの皆さんのご健康とご幸福をお祈りします。皆さまがニンビンに、また来られる日を楽しみにしてます。


2PHAM THI THU UYEN (ファム・ティ・トゥ・ウエン)女子 7年生(日本の中1に当たる)

 こんにちは。年賀状をいただき嬉しいです。私たちのことを見守ってくださる心遣いを、ありがたく感じました。

 今年のベトナムの正月休みは、とっても楽しかったです。私は、自分で3つのバインチュン*) を作りました。また、お年玉をもらいました。お年玉は、本を買ったり、塾の学費などに使います。

 昨年10月に皆さんと一緒に旅行できたことを、ずっと覚えてます。言葉は通じなかったけれど、旅行のおかげで皆さまのことをより知ることができました。

 経済的に困難な友人たちが、これからも学校へ通えるように、奨学金を続けてください。お願いします。私は、これからも皆さんと手紙を交換したり、連絡ができるといいなと思います。 FUJIの皆さまとご家族のご健康をお祈りいたします。

*)  バインチュン(Banh chung):“バイン”は「もち」を意味し、“チュン”は「蒸す」を意味する。ただし実際の作り方には「蒸す」だけではなく、ゆでたり煮込んだりする方法もある。中国の「粽餅」(ちまき)に似ている。しかしベトナムのバインチュンは中国のものよりかなり大きく、形は正方形で、中身には脂身たっぷりの豚肉や緑豆餡などが入っている。日本の正月用餅と同様、ベトナムの代表的なおせち料理の一つである。


3NGUYEN THI HIEN(グエン・ティ・ヒエン)女子 8年生(日本の中2に当たる)

 2011年2月22日 チャットビンにて。

 最初に、FUJIの皆さんのご健康をお祈りいたします。そしてFUJI教育基金が、大勢のチャットビンの生徒たちを支援できるよう願っています。年賀状を受け取り、たいへん感激しました。

 私たちの勉強を助けるための基金を創ってくださいましたこと、ほんとうにありがとうございます。FUJI教育基金が、これからもチャットビンの貧しい生徒たちだけではなく、他の地域の貧しい生徒たちの力になってくださることを希望しています。現在、私は8年生で、来年高校に合格するため、一所懸命に勉強しています。

 日本にはすばらしい伝統がありますね。ベトナム女性のアオザイと同じように、日本女性の着物姿は、とってもチャーミングで美しいです。私は日本の桜を見ることを夢見ていますが、たぶん難しいでしょう。

 日本の中学校のことをいろいろ知りたいです。べトナム語の資料などがあればいいのですが……。私の叔父が日本で研修を受けていたとき、日本のことを、ときどき電話で話してくれました。とっても面白かったです。私は、日本のドラエモンや名探偵コナンのファンです。これらの漫画の作家をたいへん尊敬しています。日本人の才能は、ほんとうに素晴らしいと思います。

 私は、学校の先生になるという夢のために、また愛するベトナムの発展のために、そして皆さんや学校の先生の期待に応えるために、一所懸命に勉強しようと思っています。

 まだまだ、いろいろ書きたいのですが、これくらいにしておきます。皆さんがいつもお元気で、楽しく過ごされることを願っています。また皆さんにお手紙を書きますね。

(つづく)

2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):12(10月10日:タンロン遷都千年祭)

2010-12-08 | CB(チャット・ビン)中学校
 きょうは、タンロン遷都千年祭の記念式典の日だ。
 ハノイ市街は、式典会場を中心に厳しい交通規制が敷かれ、人々で大混雑が予想されるとのことだ。
 ハノイ市民は、きょうはハノイ市の中心街には近寄らず、式典を見るならテレビに限るをきめこんでいるらしい。
 こんな状況で、タクシーもつかまらないので、式典を見るのはあきらめざるをえない。
 前日夜の打ち合わせで、きょうの行動は、朝8時までに朝食をとり、その段階で得られた情報を参考に、決めることになった。

 私は、みなより一足早く、きょうの夜、帰国するので、朝食前にホテル周辺を散歩することにした。
 同室のカーさんがつきあってくれた。

 ようやく、ハノイの1日が明けてくる。
 

 もう、ホテルの近くの路上では、お店が開いている。
 

 近くの「統一公園」にはいってみる。
 入場料は1人4,000ドンで、8,000ドンを支払う。
 実は、今回の旅で、はじめてベトナムのお金をつかった。
 両替する間もなく移動したし、食事もホテルもおやつの果物も、すべて賄ってもらっていて、お金を使う必要がまったくなかった。
 前々日のレンタサイクル代は、もっていたドルで支払った。
 前回(8年か9年前)のベトナム旅行で残ったドン紙幣をもってきていた。
 しかし、数年前に新札が発行され、旧来の高額のドン紙幣は1年間の交換期間をすぎると通用できないことになっていたのだそうだ。
 したがって、使えるドンは、小額紙幣を集めても1万5,000ドン(70円ないし80円)しかなかった。
 
 公園のなかに入ると、音楽がきこえてきた。
 そちらに向かうと、中高年の女性軍団が、美容体操の最中だった。
 圧倒され、とてもカメラを正面から向ける勇気がでてこない。
 隠し撮りのように、撮っているとはみられないように、やっとシャッターを押せた。
 

 公園を進むと、sフォークダンスをしている男女がいる。
 中国人はフォークダンス、社交ダンスが大好きだが、ベトナムでもはやっているようだ。
 

 池のほとりを歩いていると、瞑想している集団がいた。
 池のところで、大勢が瞑想している。
 
 

 公園の別の門から出たら、路上で肉を売っていた。
 1日に、どれだけの肉を売るのだろう。
 売れたら、近くの冷蔵庫から肉を補充するのだろうか?
 

 そうこうしていたら、ホテルに戻ったのが8時近くになってしまった。
 カーさんと私が朝食を食べに現れないので、どうしたのだろうかと心配をかけていた。
 やはり、市街地の交通規制がきびしいので、ぶらぶら中心街のほうに歩いていくことになった。

 まだ朝10時を過ぎたばかりで早いからか、それとも式典のある休日で買い物をする雰囲気ではないのか、中心街のマーケットにはほとんど客がいない。
 

 でも、道には、天秤棒で賞品を運んでいる人、路上で肉を売っている人がいる。
 
 

 鳥の丸焼きも、山になって売られている。
 

 早めの昼食にフォーを食べ、青年劇場を訪れる。
 青年劇場の責任者を昼食に誘ったようだが、交通規制で混雑しているなか、中心街まで出てきたくない、とのことだったそうだ。
 ベトナム青年劇場は、2010年11月20日(土)と21日(日)、あうるすぽっと(豊島区舞台芸術交流センター)の「国際イプセン演劇祭」で、「人形の家」を上演する。
 

 劇場には、大道具の手入れをしている人が1人いただけで、がらんとしていた。
 

 創立者のレリーフがある。
 

 のんびり、ホテルへ戻る。
 

 路上の床屋を見つけた。
 

 夕食をみなと一緒に食べたあと、ルーンさんに空港まで送っていただき、成田へ一人で戻った。                            (齋藤・記)


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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):11(10月9日:中学生と遠足)

2010-12-06 | CB(チャット・ビン)中学校
 10月9日、チャットビン中学の奨学生と遠足に行く。
 トゥィ・アン・ホテルまで、大型バスで寄ってもらう。
 

 ここで、我々のマイクロバスと大型バスに分乗して、8時に出発。
 ルーンさんが、我々、中学生、それから先生たちの名札(ベトナム語とカタカナ)を用意してきていて、胸につける。このおかげで、中学生たちと片言の会話が成り立つ。

 マイクロバスのほうは、Aさんが日本の童謡に手振り・身振りの振り付けをして、中学生たちといっしょに歌って楽しむ。
 

 また、中学生たちの自己紹介もあった。みな、恥ずかしがらずに姿勢よく立ち、話をするのが印象的だった。
 

 バスは国道を左折し、川沿いのいたんだ舗装路をゆっくり進む。
 気分が悪い子がでてきた。
 バスに乗る機会がない子たちで、かわいそう。

 バスは1時間以上走って、止まる。
 あたりには、何もない。休憩なのか、トラブルなのか分からない。
 15分ぐらい、その場にいただろうか。日差しがきつい。
 

 川に、舟が2艘やってきた。
 舟に分乗して、上流へ進む。
 

 ゆったりした景色が見えてくる。
 

 足でオールをこいでいる。
 

 川の三叉路を右に曲がると、浮き橋が行く手をさえぎっている。
 すると、若い女性が橋を切り離し、舟が通れるようにしてくれる。
 天の橋立に、回転して舟を通す橋があるが、その手動版だ。
 

 桂林の両岸の奇岩のような、あるいはハロン湾の島のような景色が広がってくる。
 

 流れはゆったりしている。
 網をうつ姿もある。
 

 遠く、右手の岩山の絶壁の中ほどに山羊がいると、子どもたちが騒いでいる。
 野生の山羊が数頭いた。目がいい。

 この川は「黄龍川」といい、さらに上流を進むと、2年前に遠足に行ったタムコック(Tam Coc)へ続いているそうだ。
 このあたり一帯は、今後、エコツーリズムの観光資源として開発されていくようだ。
 近くには、「ケインガー温泉リゾート(Suoi Nuoc Nong Kenh Ga)」もあるそうだ。

 船着場で、舟からおりる。
 

 水溜りで、水につかっている小さな子がいた。
 われわれが大勢で通りかかったので、びっくりしているのか、固まっていた。
 

 こんどは歩きだ。30分ほど、黙々と歩く。
 

 ようやくヴァンチン鍾乳洞(Dong Van Trinh; Van Trinh Village, Gia Minh Commune, Nho Quan Dist., Ninh Binh)に着いた。
 山の階段をのぼったところに入り口がある。
 元気な子どもたちが、休んでいる大人たちを置いて、洞に向かっている。
 私も負けじと、一緒に階段を駆け上った。

 内部は暗い。
 鍾乳洞の中は、広大な空間が広がっている。
 入り口からは、その空間の底へむかって、ゆるい階段を下りていく。
 

 電球が、数個ついているだけで、目が慣れるまでは、一歩一歩、段を確かめながらすすむ。
 巨大な鍾乳石、石筍が、「無造作」に並んでいる。
 日本の鍾乳洞のように整備されておらず、柵はない。
 

 子どもたちは、石筍を攀じ登る。
 

 大冒険に興奮している。
 
 

 私も、子どもたちについて、奥へ、上へ、進んだ。
 

 ひとしきりまわったころ、懐中電灯を持った案内の人と、先生や一行がやってきたので、冒険はおしまい。
 

 この洞窟は200年前から知られていたが、当時、官僚たちがこのなかで悪いことをしていたので、怒った農民たちが入り口を閉じてしまったそうだ。
 

 帰りは、もとの道を歩く。
 疲れた人は、バイクタクシーの荷台に乗って船着場へ。
 途中、山羊に草を食べさせながら移動している男の子とすれちがった。
 この日は学校がお休みだから、家の手伝いをしているのだろうか。
 

 舟に乗って、バスのところに戻る。
 

 おなかがすいた。もう12時5分だ。
 国道沿いにあるレストランに午後1時着、一緒に昼食となる。
 

 食事前に、ルーンさんが変わり消しゴムのおみやげを中学生にとってもらっていた。
 



 昼食には、山羊料理が2品でてきた。
 
 
 食事を終え、2時半に中学生たちとお別れ。
 


 ハノイに戻る。
 

 ハノイでの夕食には、ミンさん夫妻がきてくれた。

 ダン・ニャット・ミンさんは、1938年ベトナム・フエ生まれ。映画監督。
 名刺には、「Film Director - Writer - Journalist」とある。
 60代前半にしか見えない若々しさで、びっくり。

 ミンさんは記録映画の制作を手掛けた後、1975年から劇映画の制作を始め、代表作に「10月になれば」(84年)、「河の女」(87年)などがある。
 NHKと共同制作した「ニャム」(95年)は国際的水準を示すベトナム映画の代表作として、数多くの国際映画祭に招待されている。
 99年、第4回日経アジア賞文化部門を受賞

 最近では、2009年制作「きのう、平和の夢を見た」が、「福岡国際映画祭2009」で上映された:

「2005年の春、ハノイに住む年老いた母親のもとへ、1冊の日記が届けられる。
 1968年から2年間、国家解放戦線の戦地病院で働いていた若い女医が、死の直前まで書き綴ったノートだった。
 その古い日記は、ベトナム戦争に従軍したアメリカ人将校が戦地で見つけ、35年間保管していたもの。
 ベトナムで出版され、国中にセンセーションを巻き起こす。」

 ミンさんは、杉良太郎が、ベトナムの中学生に映画を作らせたり、他国の生徒たちと一緒に作らせたりしている活動を称えていた。

 ピアニストの奥さんも、チャーミングでした。
 ベトナムのお祖母ちゃんは、孫の世話がたいへんだとのこと。
 孫が生まれると、とくに娘の側の親は、しばらくのあいだ、面倒をみるそうだ。
 ハンガリーで医者をしているお嬢さんに最近子どもが生まれたとき、半年間、ハンガリーに行って面倒をみたと、目を細めながら話していました。

 あしたは、タンロン遷都千年祭の式典の日。
 街は、夜おそくまで賑わっていました。



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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):10(10月8・9日:ニンビン市の村を自転車で走る)

2010-11-29 | CB(チャット・ビン)中学校
 宿泊したニンビン市のトゥィ・アン・ホテルは、あたりに何もない、荒野のまんなかに突然あらわれた近代的なホテルだ。

 ホテルの玄関の前には、まだ新しい、マウンテンバイクのレンタサイクルが並んでいた。
 部屋に荷物を置いて、さっそく借りる。
 10ドルとのことだったが、午後5時という遅い時間だったので、3ドルにしてくれた。
 しかも、翌日の早朝にも1時間半、乗ってしまった。

 一人であたりを走る。
 陽が沈んできた。
 

 しばらく走ると小さな集落があり、お寺があった。
 

 お寺に入ろうとしたら、犬が2頭でてきて吠え立て、威嚇してくるので、後ずさりしながら、その場を去った。
 タイの地方の小さなお寺で、同じように犬が出てきて恐怖を感じたことを思い出す。
 お寺の先に、集落がある。
 

 次第にあたりが暗くなり、自転車にはライトがないのでホテルに戻った。
 すると、ミンさんとAさんが、これからレンタサイクルで出かけようとしていたので、再び一緒にひとまわり。

 ミンさんとAさんと、翌朝5時半にホテルの玄関で待ち合わせ、自転車に乗ることを約束する。

 翌朝、5時半に集まったのは、ミンさん、カーさん、フンさんと私。
 4人で、少しとおくまで自転車で走った。
 昨夕はよく見えなかった遠くに、人の姿があるので、田んぼのなかの道をしばらく走る。
 小さなお寺がある。
 さらに走ると集落があった。
 朝のマーケットには、すでに買い物客が集まっている。
 

 肉屋さん
 

 豆腐屋さん
 

 八百屋さん
 

 別の道でホテルに戻ることにする。
 太陽が昇ってきた。
 

 ホテルの近くには造成中の公園もあり、2年後には様子がすっかり変わっていそうだ。
 

 ホテルの部屋にあった案内には、エコツーリズムについて書いてあった。
 ホテルの社長は、そんな計画を見越して、いまは何もないところにホテルを建てたのだろう。
 


 ニンビン市は、まだまだ昔の生活だった。
 夕方、陽が沈むころ、畑仕事を終えて自宅へと帰る牛たち、……。
 

 小さな子供が、十数頭のヤギたちに草を食べさせ、また家まで追っていく。
 

 早朝、農家から水田へのあぜ道に、雑草を食べ水田を耕す合鴨たちの群れを追っていく、のんびりした農夫。
 


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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):9(10月8日:石教会)

2010-11-26 | CB(チャット・ビン)中学校
 チャットビン中学をあとに、来たとき曲がった小さな橋まで戻ったところで、カーさんの実家に寄ることにしました。
 まず、カー家の廟にお参り。
 中庭には、モミが乾燥させるために敷き詰められている。
 

 カー家の表札。漢字で書いてあった。
 


 お兄さんが我々を歓待してくれる。
 フランスとの戦争で親族が離れ離れになったり、アメリカの爆撃で親族が死亡するなど、背負ってきた悲しい歴史に触れると、お兄さんの口は重い。

 道で出会ったカー家の手前の住民に、コンクリ製の舟のいわれを聞く。
 骨組みは、竹などでつくっているのではなく、鉄筋だそうだ。したがって、「鉄筋コンクリート製の舟」と呼ぶのが正確だ。
 20年ほど前、このあたりの農民が、木製より安い舟をと考えて、つくりはじめた。
 年2回、コメの収穫期にだけ、稲穂や稲藁を運ぶのに使う。なお、いまの収穫は、平作よりは少し良いとのこと。


 脱穀の真っ最中
 
 
 そして、鉄筋コンクリートの舟へ藁を積み込む。毎年、2回、かならず行う仕事。
 


[ファットジェム( Phat Diem)教会]


チャットビン中学からの帰途、ニンビン(Ninh Binh)省キムソン(Kim Son)県Toa Giam Muc Phat Diemにある通称「石教会」(ファットジェム教会)に寄りました。
 ここには、2年前のFUJIの旅でも立ち寄っています。
 
 門をはいると、大きな教会が目に飛び込んできました。
  
 てっぺんの十字架を、エンジェルたちが守っています。
 

 ファットジェム教会は、ハノイの南130kmのところに位置し、Tran Luc神父によって1875年から1899年にかけて建築された。この教会の敷地には、たくさんの東洋風の礼拝堂がある。大聖堂は、4つの礼拝堂、3つの人工洞窟、ひとつの石の聖骨箱に囲まれている。
 大聖堂は、長さ74m、幅21mあり、1本の木の幹からできている柱で支えられている。
 正面の池の中の島に大きなイエス像が、両手を高くかざしてそびえている。
 ファットジェム教会とは、このような建物群の全体をさしています。
 

 先ほどの教会と思った建物は、礼拝堂のひとつで、大聖堂はもっと大きな建物でした。
 

 正面は、石で出来ています。
 

 側面は、日本の古いお寺の講堂のように見えます。
 



 中にはいると、天井は木で組まれていて、石造と木造が合体したユニークな建物です。
 


 周りには聖書を手にしたレリーフ、屋根には鷹を傍らにはべらせ、手に剣を持っているように見える牧師の像がある。


 このあと、ニンビン市を過ぎ、今夜の宿泊先トゥィ・アン・ホテルに向かう。


 ホテルは国道1号線から西に400mぐらい入ったニンビン市街ですが、まわりは空き地の殺風景な場所にありました。
 

 まだ出来たばかりの近代的な建物で、マウンテンバイクのレンタル自転車が入り口脇に並んでおり、2階に大きな宴会場があり、1階にも、ピアノのある広い宴会場がありました。
 2階で晩の食事をしたあと、フンさんが交渉して1階のピアノを使わせてもらえることになり、M3さんのピアノ独奏をみんなで聴きました。
 

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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):7(10月13日)

2010-11-14 | CB(チャット・ビン)中学校
10月13日

 AM6:30 M2さん、M3さんの二人はベンチェへ

 ホテルでの朝食を早い時間に取った方の話ですが、中国人団体客が大勢で、バイキング式なのに、食べるものがほとんどなかったそうです。
 フォークもなく、フォーをナイフで食べた方がいたらしく、よっぽど、お腹すいていたのですね。
 手で食べなくて良かった・・・

 朝食後、タンロン・ハノイ城王宮跡を見学。
 11世紀から18世紀までの古代ベトナムの都であるタンロン都の、最も重要な部分であった。
 ここでは東洋と世界の文化の交流が行われたから、これは1000年にわたり、ベトナムの政治、文化の中心地であるのだ。
 フェステバルはタンロン・ハノイ城王の歴史の式典であった。

 ブンピオー大学、昔の国士舘すなわちエリート中のエリートしか合格できない大学。
 合格者の名前が石に刻まれているのですが、はるか昔の歴史を感じるくらい、名前が読み取れない。
 ここで、3人の女子大生(4年経済学部といっていましたが)、なぜか日本語が堪能。
 「日本人ですか?」
 「そうです」と返事すると、「嬉しい!! キャー!!」と私に寄ってきて、「宿題、宿題」と興奮気味。
 落ち着いて聞いてみると、「日本人と写真を撮ってくるように」とか。
 何の理由なのか分からなかったのですが、礼儀正しくお願いされたので4人で写真を撮る。
 

 私達の騒がしさに、HUJI奨学金のグループも集まり、皆で記念写真。
 

 そこで3人に私の名刺を・・・

 その後、お土産の買い物スーパーへ。
 コーヒー、インスタントのフォー、ベトナムしかない調味料等など・・

 ホテルに戻り、チェックアウトのため、荷物の整理を終えロビー集合。
 皆さん荷物を再確認して夕食のレストランへ。
 お料理は、キノコ鍋。
 美味しいのは、モチロンのこと。
 カーさんのお知り合いのMr. NGUYEN CHI TUYENが加わる。
 赤十字関係にかかわられていた方で、今は、老人問題の研究者としてご活躍されている。
 

 宴もたけなわ。
 最後の夕食とあって、皆さん楽しく和気藹々で終わる。

 空港へと約1名は酔っ払いながら、成田組6人(S2さん、Oさんご夫妻、M4さん、Aさん、M1)、関空組2人(Kさん、S1さん)、それぞれ思いを馳せながらノイバイ空港を出発し、14日早朝、無事、成田、関空に到着。
 本当にご苦労様でした。

 3人の女子大生の1人Miss Tuyen Nguyen Chiから早速メールが届いています。
 「皆さんに敬意と感謝をします。」
 そのような感じでした・・・
 2度ほどそれからメールがきています。
 Chiさんは、「東京とハノイでのメールが出来てとっても嬉しい」と、そのような感じでした・・・

 私の Field work レポート お・し・ま・い。
By 松永


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