ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年10月12日ホーチミン市師範大学訪問

2009-11-27 | ホーチミン
ホーチミン市師範大学を訪問

  10月12日(月)は、平田、宮本、松永、そしてFUJI教育基金代表・ルーンの4人がホーチミン市師範大学日本語科の授業を見学に行きました。
  日本語科は開設されて2年目、2年生までしかいません。50人ぐらいの学生たちです。
  はじめに、私たちから1人ずつ自己紹介しました。「日本語で大丈夫」とのことで、日本語でゆっくり話しました。

  お邪魔したときは文法の授業中、「敬語の使い方」についてを勉強中でした。ベトナム人の女性の先生は、訛りのない綺麗で見事な日本語で、「日本語の難しい点は、敬語」とおっしゃり、学生たちが私たちに質問することになりました。

   「“お寺” と“神社”ですが、“お寺”には “お”がついているのに、“神社”には、なぜ“お”がつかないのですか?」
  この質問には、平田、宮本、松永が答えたのですが、学生は、納得しなかった様子でした(“神社”については古くから使われている“社(やしろ)”という言葉があり、これは寺と同じく“お社”という、神社は漢字から来た言葉なので“お”はつけない、などと説明したのですが、難しくなってしまってダメでした)。
  私たちも何気なく、ふだん“お寺”“神社”と口にしていますが、質問されるまで、どうしてなのか考えたこともなく、改めて考えさせられました。レベルが高い!
  つぎの質問は、

  「“料理を作る”“モノを造る”とつかいわけていますが、どうして“子供をつくる”と言うのですか?」
  宮本、松永が答えたのですが、やっぱり納得してない様子(まずはじめに、「子供は授かるもので、作るのではない」からスタートしたのがいけなかった。でも、「作る」と言うわね――実際、ゆうべの少子化問題についてのテレビ番組では、ばっちり「子供を作ってもらうには」とやっていました)。

  このやりとりを見ていた代表のルーンが、ベトナム語で漢字の覚え方をホワイトボードに書き、さすが苦労して日本語を習得したベトナム人だけのことはあって、学生の心をワシ掴み、拍手喝さいでした。

  ちなみに学生が知っていた日本の地名は、東京、渋谷、京都でした。
  冷や汗をかきながら、あっという間に2時間が過ぎ、師範大学の先生・学生に感謝し、記念写真を撮ってお別れしました。 (ベトナム語にも漢語がありますね、DAI HOCとか)                    (松永・記)

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(7)10月12日ホーチミン市師範大学訪問、クチ観光

2009-11-14 | ホーチミン
  10月12日、旅の最終日。
  平田、宮本、松永、ルーンさんも4人はホーチミン市師範大学日本語学科を訪問、残りの者はベトナム戦争の激戦地、クチの観光に向かう。
  午後には全員が落ち合い土産物などの買い物をした後、ホテルをチェックアウト。ホーチミン市の中でも最も伝統あるマジェスティックホテルで夕食。夕食後、ホテル屋上にある“M バー”でサイゴン河の夜景を見ながら各自思いを巡らす。 (岩田・記)

←サイゴン河の夜景

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(6)10月11日カンゾー観光

2009-11-14 | ホーチミン
  奨学金授与の行事がすべて終わり、私たちはベトナム戦争の激戦地の一つ、カンゾーに向かう。カンゾーへの道はすごい悪路で、私たちは何度も左右に振られ、飛び上がった。
  ベンチェの「支援する会」の訪問などで、枯れ葉剤が人体に深刻な影響をもたらすことについては理解できたつもりだが、枯れ葉剤が自然にどのような影響を与えたか、車窓から見る風景だけではよく分からなかった。
  しかし、カンゾーに着いて、繁殖旺盛なマングローブ林がすべて大人の腕ほどの若い木々のみからなっているのを見て、やっと枯れ葉剤がこの一帯の自然を破壊しつくしたのだ、ということが実感できた。
  また、このあたりは現在の地球上で最大の爬虫類、イリエワニ(400-1500kg)の生息地で、ベトナム戦争当時、この付近でゲリラ戦を展開していた解放戦線部隊の総兵員数の実に3分の1に相当する850名もの兵士が、任務遂行中にこのワニに襲われ命を失った。このため、カンゾーの森林公園内に建てられている戦没者を追悼するモニュメントの裏側にはワニが彫られている。
  このような悲惨な死をもたらしたイリエワニも、枯れ葉剤の影響で、現在は絶滅の危機に瀕しているとのことである。この話をしてくれたガイドのハ・トンさんが、いつもは陽気で、私たちを笑わせてばかりいるのに、このときは真顔で、
  「植物はなんとか回復するが、動物は回復しない」と言った言葉が重い。 (岩田・記)

FUJI教育基金・奨学金授与の旅2007年10月9日~18日【2007年10月9日】

2007-12-17 | ホーチミン
FUJI教育基金・奨学金授与の旅
 
2007年10月9日~18日

参加者:成田から10名、関空からの2名、現地から1名、13日より1名。
 
【2007年10月9日】

朝成田に集合。ターミナルビルが工事中のため、ベトナム航空の受付はいちばん奥に追いやられ、不便だが、逆に、人が混雑しておらずゆったりしていた。
窓の外は良いお天気で、(雲の上はいつもお天気)眼下に沖縄らしい島が見える。昼のフライトはこのような景色が楽しい。何事もなくホーチミン市に到着。
昨年は工事中だった空港施設が出来上がっていて、スッキリとして明るく良い感じ。現地にてミンさん、バンさん、ニャンさん奨学金を受けていた2人の学生、関空からの2人と合流して、ツーズー病院に直行。
 ツーズー病院での詳しい様子は、別途報告
夕食はベトナム料理をいただき、サイゴンホテルに泊まる。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月19日(水)

2006-01-06 | ホーチミン
10月19日(水) 

カンゾー
 ルーンさん、ミンさん、カーさんは各自のお仕事へ。高橋さんも急ぎの仕事が入って、今日はお休み。
 小倉さんとウットさんと3人でベトナム カンゾーへ出かける。お二人とも何度かこの地を訪れているので、ガイドさんが二人の贅沢なコースでした。

 都心を抜けて、フェリーに乗り、進むと林が見えてくる。以前はフェリーで二つ渡ったそうですが新しい橋のおかげで一つだけフェリーに乗り干潟に着いた。
 小さいえびやムツゴロウがぴくぴく出迎えてくれた。車を降りて泥んこ道に足をとられないように歩いて、船着場からモーターボートに乗る。
 かなりのスピードと爆音でマングローブ林を駆け抜ける。魚やえびを採っている人々の姿もみられた。
 マングローブ林の一角に船が停められ、少々歩く。
 小さな小船に乗り換えマングローブジャングルを巡る。
 途中、ここでもお休み中のこうもりを散見。
 戦争でマングローブ林も枯葉剤で大打撃を受けたのだが、植林の甲斐あって大分成長している。 私が初めて見たマングローブ林であった。

 その後、養殖中の蟹を釣る。良くかかる。
 育った卵のたくさんあるものを選んで、後で茹でてもらうことにした。
 案内人付きで、サギの棲息地を見たり、川にいるワニ釣りをする。 ワニに舟から餌をやり、太いテグスで釣り上げる。すぐ飛びついてくるが、釣れるわけは無い。ちょっと力比べを楽しむだけだ。
 鉄骨のスロープと階段でつくられた展望台に登るとマングローブの絨毯に囲まれる。アメリカが手を焼いたジャングルはこんなものではなかったのだろう。

 森のなかのコテッジで昼食、先ほど釣った蟹、そして海老、ムツゴロウ、そして鍋物。満腹の連続である。

 池のそばに猿小屋が二つ。 白と黒のギボンが人の気配を見て池の真ん中の遊び場まで来て、愛嬌をふりまいている。
 手足が長いせいか、なぜか動きがゆったりとしている。
 観光客は外国人ばかりでなく、ベトナム人のグループの姿もみられた。

 帰りのモーターボートは大変だった。
 小倉さんの「カメラに注意!」の予告がばっちりあたった。
 ものすごいスコールだ。
 急遽もらったビニール製の合羽もなんのその、びしょ濡れで対岸の船着場へ到着。
 しかし、モーターボートのドライバーさんがフォーの昼食をとって引き上げるころはもう青空になっていた。

 遊び疲れて、帰りの車中、頭痛がしてきた。後一日、元気で過ごしたいので、我慢はやめにして、ウットさんに頭痛薬をお願いした。
 即座にPanadol EXTRAと韓国製のBMg-B6という錠剤を買って下さった。
 フェリー乗り場で“頭痛にノーシン”みたいな感じでPanadolの広告を眺めていたが、まさかこれにお世話になるとは思わなかった。
 ちなみに、これですっきり回復したのはいうまでもありません。 

ホーチミンにて
 市内に戻り、ウットさんの案内で、枯葉剤の後遺症のある人々が働いているベトナム特産の漆塗りの工場Cong TY 27-7を見学。
 係員はそれぞれ、英、仏、日など客の言語で案内をしてくれる。
 韓国スターのコン・サンウやチェ・ ジュウのポスターが貼ってあったりする工場内は和やかな雰囲気だ。
 コースの最後は作品の展示即売場。それぞれ、お椀やお盆などを購入した。

 夕食はルーンさんに小倉さんといっしょにマジェスティックホテルのブッフェをご馳走になる。
 こういう豪華な雰囲気は何か独特の気分がするものだ。
 ロビーやレストランの壁にかかっていたベトナムの画家のものと思われる作品はなかなか良かった。 作家の名前をひかえてこなかったのが残念。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月20日(木)

2006-01-06 | ホーチミン
 10月20日(木) 

ホーチミン

 いよいよ今日が最終日。 市内観光はお買い物をしながらということで、歩きまわる。お仕事を終えた高橋さんもいろいろ薀蓄ある案内をしてくださった。

 日本の女性雑誌記事では雑貨ものブームが続いている。その中心地は今やベトナムである。
 ホーチミンの目抜き通りをそれらしき店が連なり客を呼んでいる。
 経営者が日本人とおぼしき店も多い。
 布製品、竹製品、陶器等々、それぞれ民族色豊かな技巧を凝らしてある。
 買い物が大好きな私は「また、来るから。」と財布の紐を引き締めたけれど結構買い込んだ。

 ホーおじさん記念館は休館中、市民劇場は「ベトナム女性の日」の催物の看板が見える。
 ホーチミン市庁舎、統一会堂などを遠く外から眺めて、刺繍専門店のギャラリーを見物。
 書店では、小倉さんは今、話題を集めているベトナム戦争に関する体験記ものの一つ“ギャムの日記”のオリジナルを購入。
 私は残念ながらベトナム語がわからないので高橋さんお薦めの写真集を2冊購入。Bikes of Burden, by Hans Kempはバイクで様々な荷物を工夫して運ぶ姿が逞しい生活力をうかがわせ傑作だ。
 表へ出るとバイクの主が新聞を読み、荷台にサングラスをかけたワンちゃんがすわっている。
 彼or 彼女は荷物じゃないので、優雅に一匹だけで荷台に鎮座していた。

 昼食はベンタイン市場でコーヒー、茶などの買い物のあと、ウットさんのなじみの店でおいしくいただいた。
 食後は有名な喫茶店ケム・バクダンに入る。
 隣の席では優雅にベトナムコーヒーをテーブルで点てていたが、われわれはそれぞれ、山盛りのアイスクリームを注文。大きなココナッツをくりぬいてその中にいっぱいのアイスクリームはさすがに完食するのは至難の業であった。

 出発前の小休止の後、最後の晩餐となった。
 ルーンさん、カーさんも一緒に日本人が経営するというサイゴンホテルの近くの店でフォーをいただく。みんなで今回の旅の総括の後、小倉さんと私はお別れだ。ルーンさんと高橋さんが空港まで送って下さった。
 搭乗まで時間と若干のドルやドンがあったのでチョコやゴマのお菓子を買ったりしてのんびり過ごす。 往路は後部にかなりの空席があり、横になれたが、今回はほぼ満席。