ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

元奨学生の消息

2010-01-14 | チャウドック
 FUJI奨学基金の元奨学生の何人かと、奨学金授与の旅のとき、いっしょに食事をしたりすることがあります。
元奨学生たちが、高校や大学を卒業したあと、どんなことをしているか教えてもらうとうれしいものです。
そんな消息を、大石芳野さんが伝えてくださいました。

大石芳野さんは、今月ホーチミン市に行かれました。
そのとき、FUJI奨学基金でチャウドックの高校を卒業したハーさんに会われたそうです。
ハーさんは、ホーチミン市師範大学の日本語学科2年生。
昨年の奨学金授与の旅の最終日、FUJI教育基金の会員がホーチミン市師範大学を訪問しましたが、そのときもハーさんはいました。
←前列右から3人目がハーさん

会員の訪問を、学生たちは皆とても喜んだそうです。

以下、大石さんからのレポートです:

***************************
ハーさんは、とても頭の良い女性でがんばりやで、感心しました。
そして若い娘さんらしく、とてもお洒落です。お洒落が上手で、これも感心しました。


彼女は、「FUJI奨学基金のお蔭で今の私があります・・・」と、とても感謝の気持ちを持っているように思いました。

彼女は高校を卒業して働いたあと、師範大学に入学したので、周囲の学生より年齢は高いわけですが、そうしたことはほとんど気にしていないように感じました。
漢字も得意です。試験ではひらがなの質問文なので、むしろ彼女にとっては分かりにくかったりするそうです。
漢字を交えながら、簡単な文章を書くと、「ああ、そうですか・・・」などと理解したりするほど、漢字が得意なようです。
わたしが普通に話していても、ついてこれますが、むろん、まだ2年生ですから、まだまだ・・・です。けれど急速に上達していくことでしょう。
ハーさんの日本語との出会いは、ルーンさんから日本語ヴェトナム語の一冊の本を貰ったことで興味を持ったことがきっかけだったそうです。


卒業したら、日本語の教員になりたいそうです。
「今の先生がとても素敵なので」と言っていました。

わたしが彼女に初めて会ったのは、彼女が高校生のときです。基金の援助を受けていた学生たちと面会したときの一人です。
彼女ともう一人の仲良しと3人で写真を撮りました。
わたしも二人のことをよく覚えています。
今回、初めて会うときに(再会ですが)、彼女はそのときの写真を持ってきました。
もう一人は結婚して保育園の先生になっているということでしたが、実は、高校生のとき彼女は将来は女優になりたいと言っていたのを記憶しています。
印象に残った二人でした。

彼女から、FUJI教育基金のみなさんに「よろしく」とのことでした。

ビンチャウ幼稚園(ベトナム、アンザン省チャウドック市)訪問2008年7月21日

2008-07-27 | チャウドック
 ベトナム、アンザン省チャウドック市の、藤村さんが援助して建設したビンチャウ幼稚園を2008年7月21日に訪問しました。

 子供たちの幼稚園での活動を撮った、ビンチャウ幼稚園の壁に貼ってある写真です。


 1月に藤村さんたちが訪問して記念植樹したパンノキが元気で育っています。


 ビンチャウ幼稚園のミー・カン園長。


 ビンチャウ幼稚園5年生の卒園式の写真です。



FUJI教育基金・奨学金授与の旅【2007年10月12日】

2007-12-17 | チャウドック
【2007年10月12日】
FUJI奨学基金を通じて建設を援助した幼稚園、中学校、建設中幼稚園等を見学。
ツ・コア・ギア高等学校へ行き、奨学金を授与。
 奨学金授与式の様子は別途報告
高校生6人と中華の店で昼食。鶏にしては少し骨が細いなと思われるから揚げが出る。これは何かと学生に聞くと、“クウェ”(蛙)であった。
水上生活をして魚(鯰の仲間)の養殖をしているところを見学。ここの犬はタイリッジバックの血を引いているらしく、背中の毛並みが逆立ち興味深い。
その後、回教徒のチャンパ族のところへ行く。雨期のため周り一面が水浸し。、機場も水で作業できず、見学は中止。モスクの脇のみやげ物店で布の買い物をする。
5名がホーチミンへ一足先に帰るため、別れる。残った一行で、一面の雨期のメコンの凄さを見ようと、サム山の頂上を目指したが、バスが大きいので上がれない。
バイクタクシーと交渉したが、料金を吹っかけてきたので登るのをあきらめ、ミーハーさんのいる山の幼稚園を訪問。
その後、ハーさんのいる中学校も見学。建物が老朽化して使えない教室もあり、援助を望んでいるらしい。校庭が日本と比べ狭いので、体育などはどうしているのだろう? 木も植わり、石もある狭い校庭で、子供たちは走ったりボールをけったりしていた。
ホテル近くのレストランまで、夜のチャウドックをぶらぶら歩いていく。これまで強行軍で、1名が軽い熱中症にかかる。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月16日(日)-1 チャウドックでフラフープ

2006-01-06 | チャウドック
10月16日(日)


チャウドック
 今日の“ピクニック”参加者は10、11、12年生の計12名。一足先に学校に迎えに行ったルーンさんたちに連れられて、7時30分に全員がホテル集合した。休日の遠足スタイルの元気な高校生は、制服のアオザイ姿とはまた違った一面がみられた。
 出発の前のウォーミングアップにと、ルーンさんが持ってきたのはフラフープ。ベトナムのスポーツ用品店でよく売っているところをみると、結構ベトナムでは流行っているのかもしれない。 
“お手本”のルーンさんに続いて数人の高校生が恥ずかしがりながらも上手に鮮やかな輪を回して見せてくれた。宮下さんと鈴木さんも、見事な杵柄ならぬフラフープ。初挑戦した私には、来年の課題として残されてしまった。


FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月16日(日)-2 カム山

2006-01-06 | チャウドック
‐カム山に登る
 チャウドックの町から30キロほど離れたところにある標高700メートルほどの山。南部のデルタ地帯には丘陵地がほとんどないが、北西部の国境沿いの一部に七山と呼ばれる若干小高い山の連なりがある。カム山はそのうちの一つで、比較的登りやすい緩やかな山道と草木の茂った豊かな自然の景観とで、地元の観光客を多く集めている。
 10月の朝の空はまだ強い日差しもなく、山登りにはまずまずの条件の元、私たちは3時間ほどの山登りを一緒に楽しんだ。頂上までの山道には人家もあり、寺、神社もありで、参拝客と行商人が絶えず行き交ってにぎやかな印象である。

 元気な高校生たちも山登りの経験は少ないらしく、だらだらと長く続く山道にはだいぶ苦戦していた。平均年齢では高校生を遥かに上回るとはいえ、日本側グループは足腰の強さと山歩きのテクニックではかなり優勢だったのでは?
 頂上までの道程の3分の2ぐらいのところで、早めのお昼を兼ねた小休止。折りしもスコールが降り、屋根の下で皆で写真を取ったり遊んだりと、気長に雨宿りをして過ごす。午後の予定もあることから、そのまま下山することになった。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月16日(日)-5 トゥック・ズップ丘陵の要塞

2006-01-06 | チャウドック
チャウドック‐トゥック・ズップ丘陵の要塞
 トゥック・ズップ丘陵の要塞はカム山から南に15分ぐらい走ったところにある自然要塞である。今は緑豊かな“観光区”として開発されているが、ベトナム戦争の末期にはすさまじい激戦が繰り広げられたところである。

 “ベトナム側の首脳陣が集結する軍事拠点のひとつとして、72年から73年ごろにはトゥック・ズップはアメリカ軍の攻撃の標的となりました。一億ドルの戦費で2ヶ月もあれば攻略できるというアメリカ軍の読みは大いにはずれ、結局2億ドルを費やしてもこの地を落とすことはできなかったのです。それほど入り組んだ、また強固な自然要塞だったんですね。”
と、ルーンさんが皆に説明する。

 “歴史の授業で聞いたことはある地名だけど…”
 “先生から教わった。でも、来るのは初めて”

と、生徒たちは山登りの疲れを多少見せながらも、目の前に広がるごろごろした岩山の奇妙な景観に惹かれてか、皆嬉々としてその中へ入っていった。
 ホーチミン市郊外のクチ トンネルが人の手による地下の迷宮なら、トゥック・ズップは自然が造った地上の迷路だ。これが1枚の岩だなんて信じられない。その岩の間に入り組んだ通路があり、人が行き交い、活動していたなんて、なおさら…。ところどころでざーっと開けた空間に出会うが、そこが兵士たちの作戦会議や娯楽の場所として利用されていたらしい。
 華奢なベトナムの生徒たちはキャーキャーはしゃぎながらカンボジア人の少女のガイドに導かれてするすると岩の隙間をくぐり抜けている。身重な日本グループはおぼつかない足場の確保に苦労しながらも、それでも巨大な岩盤の隙間からから差し込む細い光の筋や、外の日差しとは対照的なひんやりとした岩山の中の空気、そして何よりもここが決して落ちなかった要塞だという事実を満喫することができた。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月16日(日)-6 バーチュックの虐殺現場

2006-01-06 | チャウドック
チャウドック‐バーチュックの虐殺現場
 最後の訪問地はバーチュック村の小さなお寺。境内がそのまま子供たちの遊び場になっていたり、お菓子や小間物を売る屋台も出る村人の休憩所になっていたりする、北部ハノイの農村でも良く見かける光景である。
 今でこそ平安なたたずまいだけれど、この地を含んだカンボジア国境のアンザン省15の村で、1978年4月18日から30日、ポルポト軍の侵攻、大虐殺が起きている。この12日間の犠牲者は4100人余り。特にカンボジア国境から直線距離でわずか7キロのここチートン郡バーチュック村の被害は甚大で、3000人以上の村人が至極野蛮な方法で殺害されたという。 このバーチュック村の素朴な寺には、この事件の犠牲者の膨大な数の頭蓋骨を展示し、祀った碑がある。小さな幼児のものから大きな壮年の男性のものまでが整然と並び、虐殺が無差別で容赦ないものだったことをうかがわせる。
 学校で学んだ事実とはいえ、この地を訪ねるのは初めてという生徒がほとんどで、皆表情は真剣である。寺の敷地内にある小さな展示室には当時の現場の写真、遺物、犠牲となった村人やかろうじて生き残った人たちの写真とエピソードが陳列されている。
 展示物を見ている私たちの後ろで、地元の方らしい老女がところどころで説明をしてくれている。聞くと、当時の虐殺で生き残った“証人”であった。

 “あの生き残った人の写真の女性に、よく似てるなあと思ったわ”

と、鈴木さんが言った。両親も兄弟も殺されて、自分だけ生き残ったという若い女性の写真が、今私たちの目の前にいる老女であった。
 ベトナムのメディアや教育機関は、75年の南北統一の栄光と功績をたたえるだけでなく、若い世代の人たち侵略戦争の害悪、被害の甚大さ、これからの国づくりのための任務を、当時を生きた人たちの実際の言葉で伝えようと常に意識しているように見受けられる。
 奨学金授与の旅で出会った生徒たちも、そのような教育を受けている世代として、これからどのようにベトナムで成長していくのだろう。
 チャウドック市内で夕食のフォーを食べてお別れ。
 楽しい時間をありがとう。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月17日(月)-1 チャウドック市場

2006-01-06 | チャウドック
10月17日(月)  

チャウドック
 前日のカム山登山の余波で脚に筋肉痛を感じながら、二晩過ごした川沿いのホテルから荷物を車に積み出発。今日はカントーへ向かう。

チャウドック市場
 その前にチャウドック市場のにぎわいを見つつ、ちょっとお買い物。
 主食の米、茹でてあるフォー用の麺類、各種野菜・果物(輸入ものもあり)、魚、肉、とにかく種類がいっぱい、日用品から薬草類まで。
 8月に亡くなったルーンさんの父上へのお供え物の購入が主目的でしたが、各自、干しえび、ライスぺーパーなどを買ったり、ベトナムスィーツを食べたり、各種塩辛を試食したり・・・
 朝もだいぶ経った時間だったので、市場の雰囲気も何となくのんびりで、売り手の女性たちもアチコチでどんぶりを手に食事をしていたり・・・
 私も24金のゴールドがピカピカ光る店でベトナムの思い出に小さな翡翠の指輪(18金)を購入した。 かわいいデザインで目方を量って26万9千ドン。みんなから「東京で買ったら2万円だよ。」と言われた。

チャウドックの風景
 チャウドックの小さな運河沿いにあるルーンさん宅にお邪魔する。ルーンさんにそっくりのお母さんにご挨拶し、記念写真の撮影。ルーンさん宅を裏から見学、以前あったコンクリート造りの橋が何だか変とみんなが言う。どうやら水かさが増すとボートが通れないとのことで、真ん中だけ壊して板張りに修理したようだ。
 デルタ地域の川、運河はほんとうに日常生活に密着している。 細いヘナヘナの橋も上手に人々はバイクで超えている。
 近頃は、川沿いの家々が区画整理のため、移動させられたりもしているようだ。
 ルーンさん、ミンさんも一緒にルーンさんの弟さん宅へ。人やバイクの通れる橋はいくつもあるが、ワンボックスの大きな車は渡れないので、道(橋)を探しつつ、果樹園が続く中、新築の建物が眼に入る。
 ルーンさんの弟さん、市場でたまたま出会った弟さんの奥さんとお嬢さんに迎えられた。
 居間に父上の立派な祭壇がまつられてあり、みんなでお参りをした。
 父上が楽しみにしていたというこのお家は亡くなる一月前に出来上がったそうだ。
 門のそばに高さ2メートルほどの椰子の種類の木があり、その赤い実が印象的であった。

 帰り道に見かけた庭から狭い道路いっぱい広げて結婚式準備をしている様子は地方の村の人々の和やかさもうかがえた。子豚の丸焼きもつくるのかしら。

ビン・チャウ中学校
 その足で、佐野良子さんが校舎を寄付したビン・チャウ中学校へ。
 運河や道路より低い位置に立つ校舎は高床式。
 一階は自転車置き場になっている。
 ちょうど午前の部と午後の部の入れ替わりの時間で生徒たちの登下校風景がみられた。
 校舎の痛み具合など先生方から伺い、一年生の授業風景をちょっとのぞきみた。
 机・いすはともかく、黒板は日本のどこに行っても無いようなものなので、きっと見にくいのだろうなと思った。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月17日(月)-2 ビン・チャウ中学校

2006-01-06 | チャウドック

10月17日(月)

ビン・チャウ中学校
 その足で、佐野良子さんが校舎を寄付したビン・チャウ中学校へ。
 運河や道路より低い位置に立つ校舎は高床式。
 一階は自転車置き場になっている。
 ちょうど午前の部と午後の部の入れ替わりの時間で生徒たちの登下校風景がみられた。 校舎の痛み具合など先生方から伺い、一年生の授業風景をちょっとのぞきみた。
 机・いすはともかく、黒板は日本のどこに行っても無いようなものなので、きっと見にくいのだろうなと思った。