ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

メコンデルタで2つの橋が開通

2010-04-24 | カントー大学
ホーチミン市は最高気温35度。大変暑いです。

本日はメコンデルタで2つの橋が開通になりました。

そのひとつは日本の援助で作られたカントー橋です。
2007年の崩落事故がまだ記憶に新しいでしょうがやっと完成しました。
これでベトナム全体が北から南まで道路で、縦につながることになりました。

もうひとつはベンチェ省のハムルオン橋です。(ルーン 記)

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(3)10月8日カントー大学での奨学金授与

2009-11-13 | カントー大学
  早朝、希望者のみで水上マーケットの見学に向かう。その途中、建設中の橋が前方に見えてくる。
  「日本の援助によって建設中のあの橋は、2年前、橋梁が崩落し、150名近いベトナムの建設作業員が死傷した」とガイドのトンさんの説明。
←日本の援助で建設中のカントー橋
  杜撰なODA事業を浮き彫りにする悲惨な事故だが、なぜか日本では大きく報道されることがなかった。その一方、大手ゼネコンなどが絡んだ胡散臭い数々の因子が招いた事故であると、いろいろ取りざたされている橋でもある。まさか、このような大事故を起こした橋を今回の旅で間近に見ようとは、日本を発つ前に予想もしなかった。なお、このカントー橋(約2700m)は来年には完成するとのことである。

カントー大学
  カントー大学での授与式は、農学部事務局長チュンさんの式辞から始まった:
 
  ↑式辞を述べるチュンさん                  ↑奨学生代表クエンさん
  「奨学金を渡すために遠い所から来て下さり、みなさまと奨学生たちがこうして直接交流できることは他に代えることのできない大きな励みとなる。奨学金の額の多少に関わらずこのような交流をこれからも継続願いたい」といった趣旨の話しがあった。
  次いで、FUJI教育基金側から宮本さんの挨拶、カントー大学の関係教官7名の紹介、私たちの紹介と順に式が進む(この式に列席されたカントー大学の教官は、日本での留学経験を持つ方ばかりだ)。
  そして、今回、奨学金を授与される5名(男性3名、女性2名)が紹介され、奨学生代表のクエンさんがお礼の挨拶を行った。
  5名の奨学生の選考に携わった教官スアン・トゥさんからは、どのような基準で選考したかの説明があった:
  「親がなく、お金に困っている人を優先したが、それだけの理由では駄目で、成績が優秀な人を選んだ」とのことであった。
←カントー大学の5名の奨学生と授与者たち
  最後に、FUJI教育基金を代表して宮本さんが農学部の教室にMERK INDEXを寄贈。
  式の後、農学部の研究棟の一部を見学。日本の生物系のどこかの研究棟のように廊下に器具がはみ出したりせず、研究室が非常に整然としている。開いていたドアから研究室内を見ると1機200万円はするような最新式の遠心分離器が数台設置されていた。
  そのあと、カントー大学の学生食堂で奨学生を囲んでの昼食会となった。食事の終わりごろに鍋が出たが、これを使って中塚さんが関西風のおじやを作り奨学生に振舞ったところ大好評であった。 (岩田・記)

[カントー大学奨学金授与式] (2007年10月11日)

2007-12-18 | カントー大学
カントー大学は、FUJI教育基金の出発点で、在日の元ベトナム留学生たちが初めて奨学金を贈呈した。この1991年から、奨学基金を設立した1996年を経て、いままで17年間奨学金の授与がつづいている。
これまで延べ431人に奨学金を授与してきた。その間、事務的な世話をしていただいた職員も入れ代わり、また大学の経済的な環境も改善されてきたため、2006年からは奨学生数をそれまでの20人から5名に絞り、逆に金額は3倍にして、年間1人300万ドンを授与している。
 メコンデルタ最大の街カントー市にあるカントー大学は、2006年に創立40周年を迎え、記念式典には我々も招かれて出席した。理学部、工学部、農学部、教育学部があるが、これからは文系を整備して総合大学を目指している。特に農学部は、メコンデルタの主要な生産を担っている農業の発展に大きく寄与している。東京農工大学と姉妹校でもある。
1年後には整備されるという分子遺伝学の建物を見ながら、我々は授与式の行われる教室に入った。そこでは顔なじみのキム先生(名誉教授)、副学科長のチュン先生がお待ちだった。若い方のキム(チョン?)先生の司会で、式が始まった。
はじめにFUJI教育基金からの挨拶と紹介、キム先生の奨学生選択の過程の紹介、奨学金授与、園芸科3年のジュンさんのお礼、などがつづいた。ご出席の先生方のなかには、九州大、東京農工大、広島大等日本に留学された人も多かった。メコンデルタはとても生活が厳しいところで、学生達たちにとって、奨学金はとてもありがたいとのことであった。
その後学生食堂で、教室のスタッフや大学院生を交え、奨学生とともに昼食を囲み懇談した。今年の奨学生は男子1人・女子4人で、いぜん女子が優勢であった。(宮本記)

FUJI教育基金・奨学金授与の旅【2007年10月11日】

2007-12-17 | カントー大学
【2007年10月11日】
水上マーケットへ行く。船着場が変わっていて、探しているうちに時間が少し遅くなり、賑わいが少なかった。帰りに、日本のODAで建設中、突如崩壊した橋

を見に行く。
その後、カントー大学に行く。
 カントー大学での奨学金授与式の様子は、別途報告
その後、ロンスエンアンザン大学に行く。
 アンザン大学での奨学金授与式の様子は、別途報告

元気なアンザン大学学長ボ・トン・スワン先生と夕食を共にする。

若いマンゴーの漬物が好評。上流で取水をするため水量が年々少なくなり、何年か後にはロンスエンあたりまで海水が上がって来るようになるという。稲作もできなくなり、景色が一変するだろうとのことで、生活にも困ることになる。
チャウドックへ向かう。新しい国営のチャウ・フォー・ホテルに泊まる。ここは換気があまりよくなく、洗濯物が乾かない。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月17日(月)-3 アンザン大学、カントー大学

2006-01-06 | カントー大学
10月17日(月)(つづき)

ロンスエン
 再び、ロンスエンに向かい、アンザン大学学長のボー・トン・スアン先生のお宅を訪ねる。
 脳卒中でたおれられ、治療の甲斐あって、だいぶ回復された奥様にもお会いした。大学構内の官舎の居間の立派な仏壇の前で、お茶とザボンをご馳走になった。
 ベトナム農業学者の温和な笑顔の奥に、さまざまな業績や体験を思い巡らされたひとときであった。
 昼食は先日、スアン先生たちと食べた食堂で、おいしい、おいしいベトナム料理をいただく。暑いのにもちろん鍋ものも・・・

カントー大学
 食後は一路、カントーへ。
 夕方5時前にカントー大学着。授与式を行う教室へ農学部教授のキム先生に案内された。
 すでに奨学生たちが集まっている。
 ルーンさん、カーさんの挨拶、そして、われわれメンバーも紹介された。特に、現在、ホーチミンの大学に籍をおいている高橋和泉さんのベトナム語の挨拶は奨学生から親近感をもって歓迎された。
 現在、カントー大学へは20人分、2千万ドン(約14万円)の奨学金を贈っているが、農学部学生の実情に応じて大学側で独自に配分しているとのことだった。
 カントー大学メコン デルタ地帯の最大の総合大学であり、日本の援助なども受け、かなり大規模な教育機関となっている。
 東京農工大学とは姉妹提携関係にあり交換制度もある。留学体験のある学生も参加した。
 奨学金授与の後、われわれ訪問団もそれぞれ大学のロゴ入りの湯飲みのカップをいただいた。
 昨年も行われた学生食堂での懇親会は、事情で急遽、大学の近くのレストランに変更、なべを囲み、ベトナム奨学生、先生方とともにひとときを楽しんだ。

FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月18日(火)

2006-01-06 | カントー大学
10月18日(火) 

カントー

 朝食をニンキュウ・ホテルで、カントー大学の奨学生たちとともにとり、観光をした。

ローソク寺
 カントーの水上マーケットがはるかに見える橋をわたり、最初に行ったのはソクチャンにあるローソク寺といわれるところ。
 ここはクメール風のお寺。 民家のような佇まいの本堂には、もう何十年も燃え続けているという大きく、太い灯明とまだ点火されていない柱のような蝋燭が何本もある。
 さらにご本尊さまのほかに虎、猿を含んだ動物群が紙粘土で製作されており、にぎやかで楽しい寺であった。
 正式の名は門に賓山寺としるされており、境内でみやげ物も販売していたが、あまりご利益がありそうな感じがしなかった。

こうもり寺
 また、しばらく車に揺られ、こうもり寺へ行く。 こうもりが境内の杜の木々にぶら下がり、小鳥のようにチチチと鳴いている。
 木の葉との判別もつかず、夕刻からの活動のためにお休み中のようであった。
 自分の勝手な想像から、こうもりは洞窟の中と思っていたら大間違いであった。固定観念は禁物である。首を上にじっと眼を凝らし、そのまま帰ってしまい、バンコックの観光地によくあるような極彩色をした肝心の寺院には眼もくれず、みんな帰ってしまった感がある。 日が照り暑かったせいもあるが、反省。

 昼食はおいしいラーメン屋さんがあるとのことで、探しに探してなかなか見つからず苦労して、別の店で、奨学生とともに食す。空腹のせいもあり、美味至極。
 そばやの孫娘がおしゃれな洋服を着て、母親のバイクで登校する。まだ、多くの学校は二部授業なのだ。

ホーチミンへ
 再び、ニンキュウホテルに戻り、奨学生とお別れ。
 そして、荷物を積んでホーチミンへの道をたどる。

 夕陽のかげるころ、往路で休憩したメコン・レスト・ショップに到着。
 庭も売店もおしゃれな感じで、欧米人や日本人観光客を対象にしているようなリゾート風、ベトナム風なのか、どの地方風なのかわからなかったが、とても素敵で贅沢な気分にさせられた。
 広々として、藁葺き屋根のようで天井が高く、エアコンは巨大扇風機のみ。
 従業員もとてもうやうやしくスマートな立ち居振る舞いである。えび、魚、風船もちなど料理はもちろんとてもおいしかった。生春巻きの手巻き風も楽しかった。

 ホーチミンのサイゴンホテルへ無事到着。 宮下さんは帰国の途へ。