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ベトナムから来日・ドクさん講演会:枯葉剤被害者支援・モニュメント建設のつどい

2009-09-22 | ドクさん

 2009年9月21日、明治大学リバティホールで、「枯葉剤被害者支援・モニュメント建設のつどい」があり、ベトナムから来日されたドクさんも、講演しました。
 350人ほどの参加者で会場はいっぱい。FUJI教育基金の会員も数名、聞きにいきました。
 その様子を報告します:

【中村梧郎さんの講演】  最初は、写真家・中村梧郎さん(http://www.goro-nakamura.com/japanese/photo_exhibition.html)の「枯葉作戦とはなんだったのか」で、中村さんが撮影した写真、米軍が撮影した写真のスライドを映しながらの講演でした。

 先日、カリフォルニアであった枯葉剤についての国際シンポジウムに、30年以上枯葉剤問題に取り組んでいるからと中村さんが招待されて、基調講演をしたときのこと。
 市民、研究者だけでなく国防総省の役人も参加したこの会議で、非常な反発を覚悟して枯葉剤に対する米国政府の役割を批判した話をしたところ、会場から拍手がわきおこったそうです。
 米国がかわりつつあるのを実感しているという話が印象的でした。

 それに対して、一昨日、成田空港で報道陣とともにドクさんの到着を待っていたときのこと。
 若者が中村さんに、タレントのだれを待っているのかと訊ね、ベトちゃん・ドクちゃんのドクさんだと教えたところ全く知らず、枯葉剤作戦のことを説明したら、タレントじゃないのかと言ってどこかへ行ってしまったそうです。
 世代が若くなり、ベトナム戦争のことを知らない人たちが大勢いるという認識で、この問題を考えていかなくてはならないという感想を話していまし<た。

 中村さんが写した、枯葉剤で枯れ木となったマングロープの林のまんなかに立つ1人の子供「カマウの枯れ死の森 Destroyed mangrove forest in Cape Ca Mau, South Vietnam, 1976」。
 この写真をセラミック製の壁画モニュメントにして、HCMの戦争証跡博物館に永久に展示しようというというのが、本日の講演会のタイトルにある「モニュメント建設のつどい」の趣旨のひとつでした。

【ドクさんの講演】   つづいてドクさんの講演がありました。
 ベトさんと一緒だったときの思い出、平和村で自分より重い障害をもった子供たちを励ますことに頑張っているいまの生活、まもなく自分の子供をもつ喜びを語り、これから、障害をもっていても活動を広げられるように、という抱負を述べられました。 

 また、「こうして、私が東京に来て皆さんと交流できているけれど、こういう交流がもっともっと広がってほしいのです。」

 「僕はどこへ行っても平和を呼びかけます。皆が平和の中に生きていけるように皆さんにも是非平和を呼びかけていただきたいのです。」
 そして、ぜひベトナムに来て、平和村を訪れてほしいと、とのことでした。

 「東京に来て皆さん、とりわけ日本赤十字社や京都の先生に感謝しています。いろいろと助けていただきました。」と、日赤への感謝のことばがありました。

【アーサー・ビナードさんの講演】   そのあと、日本語で詩をつくり、中原中也賞や講談社エッセイ賞を受賞している日本在住アメリカ人アーサー・ビナードさん(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89)の講演がありました。

 中村梧郎さんの著書『母は枯葉剤を浴びた』の冒頭にある「どうして、なんで」という疑問から、話が始まりました。大きな疑問だけれど、一部の人にとって、答えは単純=「儲かるから」だ。

 そして、平和についての2つの定義の紹介がありました:
 「戦争と戦争のあいだのつかの間の静謐な時間」
 「戦争を仕掛けようとしている人たちが、次の戦争を考えている準備の時間」。
 後者は、ベトナムを一昨年おとずれたとき、HCMを案内してくれたガイドのことば。

 枯葉剤は、1967・68・69年に、農薬としての使用とは比べものにならない量がベトナム戦争で消費され、莫大な儲けを化学会社にもたらした。いま、同じ構造が、遺伝子組み換え食品をめぐってある。

 長くなりましたが、新鮮な刺激を受けた講演会でした。(S)

 

 



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1 コメント

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若者を考える (JS)
2009-09-26 22:23:05
直接いただいたメールでしたが、ご本人の了解を得て、コメントとして投稿します。

*************

講演会のご報告をありがとうございました。
所用で伺えなかったことを大変残念に思っておりましたので
とても興味深く拝読いたしました。

空港での日本の青年の無知と無感動には
私も大いに危機感を抱きます。
そして忘れかけていたことを思いだしました。

実は以前に伺った中村さんの講演のときに、
ゲストでお越しになっていたベトナムの青年のことです。
詳しくは忘れましたが、戸惑いながら正直に率直に
対応してくださったこの好青年の、
ベトナム戦争への思いが私たち老人の感覚とかなり違っていて、
こりゃ~、いかん、と思ったことがございました。

おそらく、若い彼らにとって、第二次世界大戦とかベトナム戦争は
私たちの世代にとっての日清・日露戦争に当たるくらい
昔のことらしい。

これはその青年に限らず、日本の若者も、そして対象を変えれば
私自身も同じです。人の子が死んでも、自分の子の手が
折れたくらいにしか感じない。

高校生を相手に、世界史の授業でクリミア戦争の写真を見せていたときのこと。
生徒が大声で言いました。

「先生、救急車!!」
「はっ???」と私。
「電話、電話!」とその生徒。
「携帯持ってないの?」と言いかけて、その生徒は流石に黙りました。

世代間のギャップや実体験に裏打ちされない事象への感覚の希薄さ、
共感性のなさ、などなど。避けられないことなのでしょうか。
自分がその目に合わないと理解できないのは人間の宿命でしょうか。
忘れることも必要、という慰めがある半面、
この都合のいいエゴイズムは、時にひどく残酷です。
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