昨年のFUJI奨学金授与の旅に参加し、ハノイ市に滞在している高階さんから、東日本大震災から1年たった今年の3月11日、ラオスとの国境沿いの町で感じたことが届きました。高階さんは、帰省する友だちのフェンさんに同行して、3月10日から13日まで、その実家のあるソンラー省ソンラー市で過ごしてきたそうです。
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大震災から、 はや1年が経過。
東北地方の方々にとっては、長い1年だったかもしれない。
震災以降、気仙沼市・唐桑町で街づくりに携わり続ける知り合いの加藤拓馬君のブログを読むと、地元の方々が力強くも、いまも大変な想いや苦労をして日々の生活を送っていることが伝わってくる。
一方で、ベトナムの人からよく聞こえてくるのは、
「日本人の忍耐力・我慢強さ」
「経済復興の早さ」
に対する褒め言葉の数々。
さらに、
「日本にとってはほんの微々たる額かもしれないけれど、寄付させてもらった。何もしないよりもはいいかと思って。」
という声も聞いた。
一日本人として、感謝の気持ちが込み上げた。
11日、私はフェン一家とニュースを見ていた。
ここでもやはり、日本の経済回復の早さを褒められた。
原発に対する指摘や、政府の対応に対する批判は、これまでベトナム人から聞いたことは一度もない。
メディアの影響か、あるいは遠慮して言わないだけなのかは、定かではない。
両方かもしれない。
ただ、普段の生活を通じて感じるのは、ベトナム人の日本・日本人に対する印象が全般的にとてもいいこと。
震災の一件で、すでに美化されたイメージが、さらに美化されているような気さえした。
フェン一家によると、ベトナム人の日本人に対するイメージは「おしん」だと言う。
ところで、この翌日、フェン一家の犬がこの世を去った。
食事もやっとという感じの、年老いた犬だった。
死んでしまったことに対する家族の反応は、思っていたよりも普通だった。
「死んでしまった。」
淡々とその事実を受け止めている家族の姿を見て、ある1年前の記憶が蘇った。
震災直後、奇跡的にレスキューされた年配のご夫婦と犬が一匹いた。
テレビは、そのご夫婦・犬と、娘さんらしき若い女性の再会を報道した。
この女性は、向かってくるご両親ではなく、飼い犬に抱きついて号泣した。
ペットを飼ったことがなく、動物に親近感のない私は、この光景にショックを受けた。
一緒にテレビを見ていた両親も驚いていた。
でもその後、母が知り合いの年配の方と話しをしたところ、その方は報道された若い女性の気持ちが、何となくわかる気がする。
そう言ったそうだ。
母のお友達も犬を飼っている。
動物・ペットに対する価値観を、一概にベトナム人と日本人の2つに分けて考えることはできないけれど、一般的にベトナムで見かける動物への接し方は、それほど優しいものではないと思う。
動物はあくまで動物で、人間の二の次。
ベトナムでは、吠える犬に小枝を投げつける人、蹴飛ばすフリをする人、石を投げる人がいる。
ハノイ市内ではガリガリに痩せ、汚い色に染まった犬や猫もよく見かける。
彼らの目はうつろに見える。
(もちろん可愛がられ愛されているペットもいる)
ただ、テレビで見た日本の犬と、フェン一家の犬の扱いが対照的で、なんとなく印象的だった。
もう一つ感じたこと。
フェンの家は4階建てで、とても広かった。
とにかく広かった。
でも、その割に荷物は少なく、部屋の中はスッキリしていた。
震災後に用事があり、石巻と気仙沼へ3度行った。
無残な街の光景を目の前に、とにかく「物が多い」と感じた。
数多くの家が流されてしまったので当然かもしれないけれど、もしベトナムが同じ状況に遭遇したら、ここまで荷物は溢れかえっていなかったのかな。
スッキリしたフェン宅を見て、物は人を幸せにできないことを再確認した。
一方で「買い物が楽しみ・ストレス解消」という、日本や中国の友だちが私に言った言葉が、個人的には虚しすぎて忘れられない。
震災で家族や親戚、大切な人を失ってしまった人は、それまでのその人との人間関係を振り返り、後悔していないだろうか。
いろいろな記憶を思い起こした2012年3月11日だった。
今ベトナムにいる自分は、ベトナムでできること、ベトナムの人とできることを、できる範囲でやりたい。
ハノイ在住の高階さんから、在日ベトナム人が主催して営んでくださった3.11犠牲者追悼式に寄せて、下記のメールをいただきました。
先ほど、ブログを拝見しました。
追悼式のとき、せっかく読んでくださった詩は、どなたか日本語 - ベトナム語のできる方が翻訳してくっださっていれば、さらに意味深かったでしょうね。
震災からあっという間に1年が経ってしまいました。(地元の方にとっては、とても長い一年だったかもしれませんが。)
ベトナムには震災後3度訪れましたが、来るたびに、震災の心配と、回復の早さ、そして何よりも被災した地元の人の忍耐強さを褒められました。
そして、「日本にとってはほんのわずかな額だけれど、寄付をしたよ」という声も聞きました。
額なんかよりも、その気持ちが嬉しかったです。
ちょうど1年が経った3月11日は、友達の実家があるソンラー省のソンラー市へ行っていました。
みんなで、日本で震災が起きたときのテレビニュースを見ました。
ベトナムの方々には、この震災を通じてとてもお世話になっていることを感じました。
個人的に、自分の国を見つめ直すきっかけももらいました。
私も、ベトナムでこれからできることを、改めて考えて行きたいと思っております。
東日本大震災が起きて、ちょうど1年が経ちました。
地震と津波で亡くなられた方は1万5,854人、いまだ行方不明の方を含めると1万9,009人が犠牲になりました。
きょうは、各地で慰霊の行事が行われたようですが、港区芝にある浄土宗のお寺「日新窟」でも、午後2時から、「東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式」が執り行われました。
主催は、在日ベトナム人協会です。
会場には、在日ベトナム人、日新窟の方ほか、80人ぐらいが集まりました。
ここ日新窟には、東北3県に在住していて、東日本大震災で被災したベトナム人が、一時避難しました。このことに対し、昨年11月に来日したグエン・タン・ズン首相から、日新窟の吉水大和尚に対して感謝の言葉があったそうです。
また、吉水大和尚は、昨年3月27日にホーチミン市普光寺で行われた東日本大震災で犠牲になられた方への追悼と被災者支援の集いに参加されています。
式は2時から始まりました。
主催の在日ベトナム人協会副会長からの挨拶のあと、在日ベトナム社会主義共和国公使など、来賓が紹介され、吉水大和尚からの挨拶、来賓の挨拶がありました。吉水大和尚の子供時代からの友人だという元港区議は、和尚が40年ものあいだベトナムと仏教を通じてかかわってきたこと、今回の大震災でベトナム人からいただいた暖かい励ましへの感謝を口にされていました。
2時40分献香につづき、2時45分から全員で1分間の黙祷を捧げました。
そのあと、3時半まで、日本語、ベトナム語での勤行があり、全員焼香をしました。
全員で般若心経などを唱和し、日本のお寺では見かけない光景でした。
南三陸町復興協会会長から届いた電報が紹介されました。
在日ベトナム人の信者さんがつくられた詩が朗読されました。翻訳は機械翻訳そのままで意味がわかりにくかったですが、津波で命を奪われた無念、鎮魂が伝わりました。
最後は、釈心智尼から、ベトナム語、日本語による閉会挨拶でした。
「無常」と「因果応報」ということをおっしゃっていました。突然の津波に呑みこまれて命をなくした方々の魂は、家族、友人、思い出があるところへ戻りたいと思っていて、成仏できない。自分は、三陸の海岸へ7回、8回と行って、追悼を捧げてきた。きょうここで追悼をしたように、皆さんが祈りを捧げることによって霊をなぐさめ、被災した方々を応援していくことが大事だ、と訴えたのが、心に残りました。
在日ベトナム人協会が、3月11日(日)に、
「東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式」
を開催するそうです。
場所は東京港区にある日新窟というお寺(東京都港区芝公園2-11-1-204)です。
日新窟は、去年、東日本大震災が起きたときすぐに、被災地からのベトナム人研修生や留学生を100人ほどを迎え入れました。
日新窟住職の吉水大智 和尚は、去年3月27日、ベトナムホーチミン市のお寺(普光寺)で営まれた東日本大震災の犠牲者を追悼する集いに参加されました。