ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

会員のNさんから、お便りをいただきました。

2012-08-10 | 東日本大震災への支援

会員のNさんから、お便りをいただきました。



今週は福島第一から20キロ圏内の楢葉町の子供たちをサポートする
プログラムにかかわっています。
11日までのプログラムです。

福島県楢葉町教育委員会の後援と楢葉町小・中学校の協力、
さらに関係諸団体・個人の尽力で、
楢葉町の子どもたち40人近くを横浜に招いています。

楢葉町には小学校が2校、中学校が1校ありますが、
3・11以後、住むことができず、楢葉の人々は
いわき市などに建設された仮設住宅や借上げ住宅に住んでいます。
子どもたちは工業団地の中にある仮校舎に、スクールバスで通学しています。

が、この仮校舎で学ぶ子どもたちは激減し、
3・11以前には全生徒250人だった楢葉中学校ですが、
現在はたったの43名です。

これらの現状からプログラムの内容は、学習支援、短期の保養、
そして離れ離れになった子どもたちが横浜で再会し、
一緒の時間を過ごすことを目的に合宿スタイルで、生活を共にし、
避難で遅れがちな学習支援をしています。


福島第一の事故は大変な事件です。
マスコミの怠慢と欺瞞で国民が馬鹿を見ているのは
今に始まったことではありませんが、歴史を学ばない市民集団ですから
本当にどこから手をつけたらいいか.......。

原発施設があるところは、百姓一揆がなかった地域ということを
ご存知ですか。馬鹿じゃダメなんです、馬鹿は命を取られるの、と
生徒には口酸っぱくいっていますが、ダメなのよね~。

     *     *     *

昨日は、外国人が孤立しないで暮らすには.....をテーマにした
懇話会に行っておりましたが(生徒がパネリストで出ていたこともあって)
個人的な日本人の親切とお節介が、
国のシステムとして働いていないことを痛感しました。
犠牲になるのはいつも子供です。

楢葉の子供たちにも、私はたくさん援助をしてあげたいけれど
援助を申し出るのが怖かったです。彼らの多くは白血病を発症して
将来苦しむことが目に見えている。長く関わらなければいけない企画、
しかし長く親身にかかわれば関わるほど、私自身もつらくなる。

しかし、今後どんな不幸があっても、生きてきた人生を肯定し
感謝できなかったら、安らかに死んでもいけない......。
そう思ったら、やはりしっかり援助はすべきだと思ったのです。

まったくねぇ、政府も東電も関係者はあれで人間ですかね。
誰も自殺者が出ないことも信じがたいことです。

  「こんなことがあっても革命的運動が起こらないのも老人社会の弊害です。
  革命は若い世代が起こすものですから」
という若い人たちの言葉が
今でも胸に突き刺さっています。

高齢化社会は本当に問題山積だと自戒を込めて思います。

     *     *     *

多くの仕事の中で、その比重が大きくなっているのが
「瓦礫を活かした森の長城プロジェクト」という仕事です。

http://www.youtube.com/watch?v=1xwb69eJf64

細川元総理と宮脇昭国際生態学センター長をトップに
新しく立ち上げた財団ですが、ものすごい寄付が集まってきています。
細川さんの人格と財団自身の持つアイデアが、
善意の市民に受け入れられているからかなぁ???

国から完全に見捨てられた福島を何とかして上げたい、と思っています。


ベトナム北西部、ラオスとの国境沿いのソンラー市で過ごした今年の3.11 by TAKAHASHI Mariko

2012-03-16 | 東日本大震災への支援

昨年のFUJI奨学金授与の旅に参加し、ハノイ市に滞在している高階さんから、東日本大震災から1年たった今年の3月11日、ラオスとの国境沿いの町で感じたことが届きました。高階さんは、帰省する友だちのフェンさんに同行して、3月10日から13日まで、その実家のあるソンラー省ソンラー市で過ごしてきたそうです。

_____________________________________________________

大震災から、 はや1年が経過。

東北地方の方々にとっては、長い1年だったかもしれない。
震災以降、気仙沼市・唐桑町で街づくりに携わり続ける知り合いの加藤拓馬君のブログを読むと、地元の方々が力強くも、いまも大変な想いや苦労をして日々の生活を送っていることが伝わってくる。

一方で、ベトナムの人からよく聞こえてくるのは、
  「日本人の忍耐力・我慢強さ」
  「経済復興の早さ」
に対する褒め言葉の数々。
さらに、
  「日本にとってはほんの微々たる額かもしれないけれど、寄付させてもらった。何もしないよりもはいいかと思って。」
という声も聞いた。
一日本人として、感謝の気持ちが込み上げた。

11日、私はフェン一家とニュースを見ていた。
ここでもやはり、日本の経済回復の早さを褒められた。
原発に対する指摘や、政府の対応に対する批判は、これまでベトナム人から聞いたことは一度もない。
メディアの影響か、あるいは遠慮して言わないだけなのかは、定かではない。
両方かもしれない。
ただ、普段の生活を通じて感じるのは、ベトナム人の日本・日本人に対する印象が全般的にとてもいいこと。
震災の一件で、すでに美化されたイメージが、さらに美化されているような気さえした。
フェン一家によると、ベトナム人の日本人に対するイメージは「おしん」だと言う。

ところで、この翌日、フェン一家の犬がこの世を去った。
食事もやっとという感じの、年老いた犬だった。
死んでしまったことに対する家族の反応は、思っていたよりも普通だった。

  「死んでしまった。」
淡々とその事実を受け止めている家族の姿を見て、ある1年前の記憶が蘇った。
震災直後、奇跡的にレスキューされた年配のご夫婦と犬が一匹いた。
テレビは、そのご夫婦・犬と、娘さんらしき若い女性の再会を報道した。
この女性は、向かってくるご両親ではなく、飼い犬に抱きついて号泣した。
ペットを飼ったことがなく、動物に親近感のない私は、この光景にショックを受けた。
一緒にテレビを見ていた両親も驚いていた。
でもその後、母が知り合いの年配の方と話しをしたところ、その方は報道された若い女性の気持ちが、何となくわかる気がする。
そう言ったそうだ。
母のお友達も犬を飼っている。

動物・ペットに対する価値観を、一概にベトナム人と日本人の2つに分けて考えることはできないけれど、一般的にベトナムで見かける動物への接し方は、それほど優しいものではないと思う。
動物はあくまで動物で、人間の二の次。
ベトナムでは、吠える犬に小枝を投げつける人、蹴飛ばすフリをする人、石を投げる人がいる。
ハノイ市内ではガリガリに痩せ、汚い色に染まった犬や猫もよく見かける。
彼らの目はうつろに見える。
(もちろん可愛がられ愛されているペットもいる)

ただ、テレビで見た日本の犬と、フェン一家の犬の扱いが対照的で、なんとなく印象的だった。

もう一つ感じたこと。
フェンの家は4階建てで、とても広かった。
とにかく広かった。
でも、その割に荷物は少なく、部屋の中はスッキリしていた。

震災後に用事があり、石巻と気仙沼へ3度行った。
無残な街の光景を目の前に、とにかく「物が多い」と感じた。
数多くの家が流されてしまったので当然かもしれないけれど、もしベトナムが同じ状況に遭遇したら、ここまで荷物は溢れかえっていなかったのかな。

スッキリしたフェン宅を見て、物は人を幸せにできないことを再確認した。
一方で「買い物が楽しみ・ストレス解消」という、日本や中国の友だちが私に言った言葉が、個人的には虚しすぎて忘れられない。

震災で家族や親戚、大切な人を失ってしまった人は、それまでのその人との人間関係を振り返り、後悔していないだろうか。

いろいろな記憶を思い起こした2012年3月11日だった。

今ベトナムにいる自分は、ベトナムでできること、ベトナムの人とできることを、できる範囲でやりたい。


3・11「東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式」に寄せて

2012-03-16 | 東日本大震災への支援

ハノイ在住の高階さんから、在日ベトナム人が主催して営んでくださった3.11犠牲者追悼式に寄せて、下記のメールをいただきました。


先ほど、ブログを拝見しました。

追悼式のとき、せっかく読んでくださった詩は、どなたか日本語 - ベトナム語のできる方が翻訳してくっださっていれば、さらに意味深かったでしょうね。

震災からあっという間に1年が経ってしまいました。(地元の方にとっては、とても長い一年だったかもしれませんが。)
ベトナムには震災後3度訪れましたが、来るたびに、震災の心配と、回復の早さ、そして何よりも被災した地元の人の忍耐強さを褒められました。
そして、「日本にとってはほんのわずかな額だけれど、寄付をしたよ」という声も聞きました。
額なんかよりも、その気持ちが嬉しかったです。

ちょうど1年が経った3月11日は、友達の実家があるソンラー省のソンラー市へ行っていました。
みんなで、日本で震災が起きたときのテレビニュースを見ました。

ベトナムの方々には、この震災を通じてとてもお世話になっていることを感じました。
個人的に、自分の国を見つめ直すきっかけももらいました。
私も、ベトナムでこれからできることを、改めて考えて行きたいと思っております。


在日ベトナム人協会主催の東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式(2012年3月11日)

2012-03-11 | 東日本大震災への支援

 東日本大震災が起きて、ちょうど1年が経ちました。
 地震と津波で亡くなられた方は1万5,854人、いまだ行方不明の方を含めると1万9,009人が犠牲になりました。


 きょうは、各地で慰霊の行事が行われたようですが、港区芝にある浄土宗のお寺「日新窟」でも、午後2時から、「東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式」が執り行われました。

 

 主催は、在日ベトナム人協会です。
 会場には、在日ベトナム人、日新窟の方ほか、80人ぐらいが集まりました。
 ここ日新窟には、東北3県に在住していて、東日本大震災で被災したベトナム人が、一時避難しました。このことに対し、昨年11月に来日したグエン・タン・ズン首相から、日新窟の吉水大和尚に対して感謝の言葉があったそうです。
 また、吉水大和尚は、昨年3月27日にホーチミン市普光寺で行われた東日本大震災で犠牲になられた方への追悼と被災者支援の集いに参加されています。

 式は2時から始まりました。

 主催の在日ベトナム人協会副会長からの挨拶のあと、在日ベトナム社会主義共和国公使など、来賓が紹介され、吉水大和尚からの挨拶、来賓の挨拶がありました。吉水大和尚の子供時代からの友人だという元港区議は、和尚が40年ものあいだベトナムと仏教を通じてかかわってきたこと、今回の大震災でベトナム人からいただいた暖かい励ましへの感謝を口にされていました。


  2時40分献香につづき、2時45分から全員で1分間の黙祷を捧げました。
  そのあと、3時半まで、日本語、ベトナム語での勤行があり、全員焼香をしました。

 全員で般若心経などを唱和し、日本のお寺では見かけない光景でした。

 南三陸町復興協会会長から届いた電報が紹介されました。

 在日ベトナム人の信者さんがつくられた詩が朗読されました。翻訳は機械翻訳そのままで意味がわかりにくかったですが、津波で命を奪われた無念、鎮魂が伝わりました。

 最後は、釈心智尼から、ベトナム語、日本語による閉会挨拶でした。

 「無常」と「因果応報」ということをおっしゃっていました。突然の津波に呑みこまれて命をなくした方々の魂は、家族、友人、思い出があるところへ戻りたいと思っていて、成仏できない。自分は、三陸の海岸へ7回、8回と行って、追悼を捧げてきた。きょうここで追悼をしたように、皆さんが祈りを捧げることによって霊をなぐさめ、被災した方々を応援していくことが大事だ、と訴えたのが、心に残りました。


東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式

2012-03-10 | 東日本大震災への支援

 在日ベトナム人協会が、3月11日(日)に、

  「東日本大震災一周忌物故者之精霊追悼式」

を開催するそうです。

 場所は東京港区にある日新窟というお寺(東京都港区芝公園2-11-1-204)です。 

 日新窟は、去年、東日本大震災が起きたときすぐに、被災地からのベトナム人研修生や留学生を100人ほどを迎え入れました。

 日新窟住職の吉水大智 和尚は、去年3月27日、ベトナムホーチミン市のお寺(普光寺)で営まれた東日本大震災の犠牲者を追悼する集いに参加されました。


東日本 大震災:宮城県・亘理町の被災者に、元ベトナム留学生が温かいフォーで支援

2011-04-17 | 東日本大震災への支援

  宮城県亘理郡亘理町は、宮城県の南部、仙台市から南に約20キロ、福島県相馬市から北に約20キロのところにあって、太平洋に面した町です。阿武隈川が、町の西側から北側を流れて太平洋に注ぎ込む、河口にあります。

 常磐線・亘理駅は海岸から東に6キロほど、町役場は駅の東側にあります。
 3月11日の東日本大震災で、亘理町も大きな被害を受け、多くの被災者が不自由な生活を余儀なくされています。
(被害の状況は、http://shi.na.coocan.jp/tohokukantodaijisin-1.html に詳しく出ています。 )
 先週、元ベトナム留学生たち6人が亘理町の被災者にフォーの炊き出しをしてきました。
 1000食分のフォーを東京で仕込み、車に、麺や牛肉、鶏肉、スープ200リットルなどを積んで前日の夜中に出発し、14日に現地で炊き出しを行い、深夜に現地を出発して帰ってきました。
 フォーを食べたのは初めてという方もおられましたが、大勢の方々に召し上がっていただきました。
 また、避難所でボランティアをしている方にも食べていただきました。ボランティアの方もふだんはおにぎりと缶詰の食事なので、温かいものを食べられたと喜んでいただいたそうです。
 以下、現地に行った、FUJI教育基金代表・ルーンさんからの報告です:
_______________________________
 4月14日、亘理町の亘理高等学校と亘理中学校で行ったフォー炊き出しの写真の一部
を紹介します。
 これは日本に留学していた元ベトナム留学生が呼びかけて寄付金を集め、留学のときから大変お世話になった日本人、日本国に対しての恩返しの気持ちを込めた活動の一環です。
 元ベトナム留学生のみならず、その家族や友人(ベトナムや海外に住んでいる人たち)もこの活動を知り、浄財をよこしてくれたのです。
 これからも何回か炊き出しをするつもりです。それでもなお寄付金が残るようでしたら、できることなら現金を直接避難者の方々に差し上げたいと思っています。

 


元ベトナム日本留学生が、大震災で被災した亘理町の方々へ支援準備

2011-04-16 | 東日本大震災への支援

  4月9日(土曜日)の夜から宮城の亘理町まで行って被災現場を見てきた、FUJI教育基金代表・ルーンさんの報告です。

 ルーンさんたち元ベトナム留学生たちは、4月13日の夜に東京を出発し、14日のお昼に、避難所の方々にベトナムの温かいフォーを召し上がっていただく計画をしており、その準備に9日から10日にかけて、現地に行きました。
 フォーの費用は、現在は世界中散らばった、日本に留学した元ベトナム留学生が集めた募金から当てる予定です。
 これは、元ベトナム留学生たちが大事にしている「皆さんとの分かち合いの精神」と、留学時代以降大変お世話になった日本への感謝の気持ちからの支援です。
 以下、4月10日、準備のために亘理町を訪れたときに撮った、現地の写真を紹介します。
 大地震と大津波から1ヶ月たっても、まだ、爪あとが残ったままであることが、東京にいる我々には衝撃です。
↓家が家の上に!
  
↓車が車の上に!
 
 ↓墓地がこんな姿に.
 
 
↓こういうふうに家の土台しか残っていないところがあちこちに!
 
 
↓2階建が1階建に!
 
↓家、車、船などが橋の上に!
 
↓JR亘理駅。
 町の中心地はほとんど無事だったが、断水のため無期限閉鎖されている。
 
↓日本赤十字の貸し出し鍋。
 われわれもこれを借りて、4月14日にフォーを提供する。
 

 


ベトナムから、東日本大震災の被害者追悼、被災者支援の行動

2011-03-31 | 東日本大震災への支援

 

ベトナムから、東日本大震災の被害者追悼、被災者支援の行動

 去る3月27日(日)、ベトナムホーチミン市のお寺(普光寺)で東日本大震災の被害者を追悼する集いが催されました。

 呼びかけたのは、半世紀近く前に立正大学に留学した THICH  TRI QUANG (釈智広)和尚と、同じく日本留学したドンズ日本語学校校長グエン・ドク・フエさん。

  

Be strong Japan, we are with you, We love you Japan, Our prayers and thoughts are with Japan, Japan, we share your grief, Japan you are never alone, Buddha bless you all. Love and peace for Japan forever.

 元日本留学生を含めて参加者は約3,000人になりました。

 たいへんお世話になった日本への恩返しの気持ちを、改めて示しました。

 なかには、日本の 吉水大智 和尚のように、わざわざ日本から参加された方もいます。

 被災地からのベトナム人研修生や留学生を100人ほど収容してくださった日新窟の住職です。

 このお寺は東京の芝公園にあります。 

 

 募金の結果、約 6万8,000ドルが集まりました。

 この想像を絶する大震災にたいしては大した金額ではありませんが、ベトナム人の日本国、日本人に対する気持ちの表われです。

 

   *            *              *

 偶然で信じがたい話ですが、あるベトナム企業が日本大使に感謝されました。

 詳細は下記の共同通信のニュースをご覧ください。

ベトナム企業に感謝状、福島原発冷却化使用の生コン圧送機提供で

  谷崎泰明駐ベトナム大使は24日、福島第1原発の事故で、放水に使われている生コン圧送機の提供に関わったベトナム企業2社の社長に対し、感謝状を贈った。

 長さ50メートル以上のアームを備えた生コン圧送機はドイツ製。不動産開発などを手掛けるソンダー・ベトドク社がディーラーのミンホアン社を通じてベトナムに輸入する途中で、ちょうど横浜港にあった。日本側からの連絡を受け、両社は協力に同意。圧送機は同原発4号機への放水に使用されているという。

 

 感謝状を贈られたソンダー社のグエン・バン・バイ社長は「これも何かの縁。今後も小さいことでも協力していきたい」と述べた。ミンホアン社のホアン・ミン・フン社長も「ベトナムは日本から技術などを学んできた。日本が困難を早期に克服できると信じている」と話した。(共同)

【MSN産経ニュース 2011年3月24日】

(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110324/asi11032421570004-n1.htm)

   *            *              *

 フィリッピンでも「日本への恩返し」の動きがあります。下記をご参考に。 

「日本へ恩返し」地滑り被害の町で募金箱 フィリピン

 「貧しい我が町の住民から集められるお金は、日本の人から見ると、わずかかもしれない。でも、私たちを救ってくれた人たちをなんとか助けたい」(2006年に大規模な地滑りに見舞われ、1千人が死亡したフィリピン中部のレイテ島セントベルナルド町のリコ・レントゥサ町長。仮設住宅を建て、復興を担ったのが日本政府の援助だったことから今回、「恩返し」の募金活動を始めた)