ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

FUJI教育基金奨学金授与の旅2009年:(5)10月9・10日チャウドックの中・高校生へ奨学金授与

2009-11-14 | TKN(ツ・コア・ギア)高校

  10月9日、ベトナム・アンザン省の省都ロンスエンから、カンボジアとの国境の街チャウドックに向かう。バスの車窓から見る風景は一面の水である。稲作文化を共有するからだろうか、この風景は不思議と違和感がない。ちょうど代掻きが終わるころ、パッと一斉に広がる日本の水田を眺めているようで、どこか郷愁さえ感じる。

ビンミー幼稚園、ビンチャウ幼稚園、ビンチャウ中学校訪問
  チャウドック近郊で、FUJI教育基金会員が援助した幼稚園2園と中学校1校に立ち寄る。

  最初に訪れたビンミー幼稚園では、園児たちが教室でワイワイとにぎやか。日本から持ってきた牛乳パックで作った“ドラえもん”や“ピカチュウ”をわたすと、園児たちは大喜び。このおもちゃは、口をパクパクさせることができる。
←ビンミー幼稚園で
  “ごっこ”遊びでもするのかと想像していたところ、これを手に持つや否や、男の子も女の子も一斉に、お互いに噛み合いを始めた。その騒がしいこと。この反応は日本の子どもとまったく同じ。

  もう1つのビンチャウ幼稚園は、残念ながら午前の部が終わった直後に訪問したので、園児は不在であったが、7人の先生方が私たちを待っていてくれた。この幼稚園が建築された当初は、砂漠のような殺風景な所にぽつんと建っていたそうだが、現在は園長さんたちの努力で前庭一面に赤いマツバボタンが咲き、幼稚園にふさわしいかわいい園となっている。

  ビンチャウ中学校は高床式の校舎である。以前、増水期には校庭が水没して、登下校時に親が生徒たちを船で送迎したそうであるが、堤防がかさ上げされてからは、水没することはまれだとのこと。しかし、私たちが訪問したとき、中学校のすぐ近くを流れる川は堤防から50cmほどの下を流れ、その水位は校庭より2mほども高かった。
←ビンチャウ中学校
  ベトナムでは幼稚園を含めてほぼすべて2部制だそうだが、この中学校も2部制で生徒数は340名、教員数は35名とのこと。私たちが訪問した時には教室でピタゴラスの定理の授業中であった。(岩田・記)

ツ・コア・ギヤ高校、ボー・ティ・サウ高校、グエン・デイン・チュー中学校奨学生への奨学金授与
  午後4時、ツ・コア・ギア高校で私たちは、廊下に並ぶ真っ白なアオザイ(制服)の女子高生たちに出迎えられる。
←制服の女子高生による出迎え
  大きな教室には「歓迎!」「FUJI教育基金2009-2010年度奨学金授与式」と書かれ、すでに3校の奨学生(ツ・コア・ギア高校20名、ボー・ティ・サウ高校20名、グエン・デイン・チュー中学校40名)が勢ぞろいして待っていた。
  最初に FUJI教育基金の協力者・世話役フーンさんが挨拶され、続いてツ・コア・ギア高校代表キエットさんが、
  「子どもは国の将来を担う重要な力だが、すべての子どもはいろいろな困難を抱えている。 こうして遠く日本から来られ、援助して下さることはそれを乗り越える大きな力と励みとなっている。 FUJI教育基金の奨学金は1996年から受けている。 最初の奨学生はもう社会に出て働いているが、皆さんの気持に答えるようがんばっている」と挨拶された。 
  また、ボー・ティ・サウ高校のホア副校長も、
  「毎年入学して来る1200-1300人の生徒の15%は、親がなかったり、孤児であったりして勉学が困難である。 育英会も奨学金を出しているが、FUJI教育基金の奨学金は成績が優秀でないと受けられないので、とても励ましになる。 これは大変ありがたいことで、これからも続けてほしい」と述べられた。
  つづいて、壇上に上がった生徒たちに交代で1人ずつ奨学金を渡して握手し、記念撮影をした後、ノートと筆記具を贈る。
←奨学生(中学生)
←奨学生(高校生)
  これに対し、奨学生を代表してボー・ティ・サウ高校2年生トウアンさんから、
  「奨学金をいただき、とても感動している。 チャウドックは、最近の調査によると300年前からの歴史を持つ町で、最近は年間100万人の観光客を迎えている。 ふるさとに誇りと責任を持ち、もっと発展させるよう頑張りたい。 この奨学金は幸せいっぱいの中でいただく。あらためて厚くお礼を申し上げる」 との立派なお礼の言葉があった。
  その後、「FUJI教育基金とはどういう会か」「日本の高校生はどんな生活をしているか」「どうしてチャウドックを選んだのか」などなど生徒たちからのさまざまな質問に対して、私たちは交代で答える。
  最後にFUJI教育基金(宮本)から、「ここに遠くても来たのは、皆さんに会いたい、皆さんの元気な顔が見たいと思ったから。また、チャウドックはルーンさんの故郷であり、信頼できる人たちが、私達の奨学金を有効に使って下さるから」と挨拶して締めくくった。(宮本・記)

10月10日:奨学金を授与された高校生たちとの交流
  朝、ツ・コア・ギヤ高校とボー・テイ・サウ高校の生徒(各8名)およびそれぞれの高校の先生たちとホテル前で合流し、2台の車に乗って、まずチャウドクの市場の見学。
  そのあと、サム山とバー・チュアスー廟の観光に向かう。車中では、日本から作って持ってきたサイコロキュービックなどで交流。
←サイコロキュービックで交流
  サム山の頂上では、功徳を積むために売られているツバメを買って、奨学生と共に祈りを込めて空に放す。ツバメは手のひらにほのかな温かみを残しながら、瞬く間に視界から消えて行く。ツバメが飛び去った向こうには、空とも水とも区別がつかない茫漠たる氾濫原が広がる。
←高校生たちとサム山で
  観光後、奨学生たちと昼食会。やはり、みんな礼儀正しい。ほぼ、食事がほぼ終了するころ、高校生たちに「何か歌を」と所望すると、一斉にベトナムの歌を歌い出した。歌詞の内容は分からないが、みんな大きな声で歌っているところをみると、ポピュラーな歌らしい。その返礼として私たちが何を歌うべきか思案していると、向野さんがタイムリーに“今日の日はさよなら”を歌い出したので、みんなそれにつられて歌い、一同、拍手の中、交流昼食会はお開きとなった。 (岩田・記)

[ツ・コア・ギア高校における奨学金授与式](2007年10月12日)

2007-12-24 | TKN(ツ・コア・ギア)高校
チャウドック市にあるツ・コア・ギア高校生20名と、グエン・デイン・チュー中学生20名に対する奨学金授与は、一緒にツ・コア・ギア高校で行われた。
12日は金曜日なので、通常の授業中授業が行われている。授与式に出席したのは、その時間に授業のない約半数の生徒たちだった。
高校1年生のアンさん、中学2年生のグエンさんがお礼の言葉を述べた。なかなか立派だった。
生徒がそろう前に、校長先生にツ・コア・ギア高校の費用について伺った。(英語とカーさんの通訳)
「ツ・コア・ギア高校は、文部省の標準校(文部省の指定校)になって、学費が以前より数倍も高くなった。
さらに、親が負担する学校設備費 の額も大きくなっている。年により異なり、多いときは8万5,000 ドンのときもあったが、今年は3万6,000ドンである。」
授与のあと生徒たちが質問した。
――日本の中学生、高校生はどんな勉強やくらしをしていますか?
――日本の人たちは親のことをどう思っていますか?
など。
こちらから、
「なぜ勉強するか」
と質問したら、
「いい仕事につけるから」
ということだった。
授与式が終わったあと、生徒たちと一緒に昼食をとり,、魚の養殖場の見学をした。


FUJI奨学基金授与の旅:2005年10月15日(土)-1 奨学金授与式の様子

2006-01-06 | TKN(ツ・コア・ギア)高校

2005年10月15日(土)

 FUJI奨学金は15年前から始められた。毎年そのための“授与の旅が”行われていることを聞いてはいたが、私にとっては今回が初めての参加である。
 ホーチミン市師範大学の聴講生として在籍している私は、前日に日本からホーチミン市に到着している一行と、市内のホテルで合流して授与の旅に同行することになっていた。
 当日15日朝、8時前にワゴン車で出発。一行のメンバーは団長のルーンさん、カーさん、ルーンさんの会社若手スタッフのウットさん、ルーンさんの奥様でミンさん、授与の旅皆勤賞の小倉さん、参加は2年ぶりの宮下さん、初参加の鈴木さん、そしてホーチミン市在住・同じく初参加の私である。

  ベトナム南部は雨季の終わりで、午前中はからりと、雨の心配を感じさせないくらいに良く晴れていた。車内で、私たちの訪問予定地を含む南部各省の地図と、ウットさん作成のメコンデルタ基本情報をいただく。
 ここホーチミン市から昼食予定地のロンスエンまでは南西に約190キロ。日本の感覚でなら3時間足らずで着く距離だが、交通渋滞をかき分けてホーチミン市内を脱出した後、橋を渡りフェリーに乗り、午前中いっぱいはゆうにかかる長旅になりそうだ。
  ホーチミン市を抜け、コメともち米焼酎の名産地ロンアン省、メコンデルタの観光で知られる、フルーツの美味しいティエンザン省を通り、ティエンザン川にかかるミートゥアン大橋を渡る。オーストラリアの援助で2000年に完成した、全長1.5キロの巨大なつり橋の出現に、うとうとしかけた一行もはっと目を覚まして壮観な眺めを鑑賞する。橋を渡って向こう岸はヴィンロン省。ヴィンロン省を越えてドンタップ省に入り、フェリーでもう1つ川を渡ればロンスエンはすぐだ。

ロンスエン
 ロンスエンはベトナムのコメの大生産地アンザン省の省都、南部ではカントー市に続く2番目に大きい町である。町中に入ると、比較的広く、整備された道路が印象的で、こじんまりした地方都市というよりも、大繁盛の小売店やサービス業が目に付く、活気ある都市というイメージである。
 予定よりだいぶ遅れて到着した一行を、アンザン大学の学長のスアン先生が出迎えてくださった。ボー・トン・スアン先生は、元カントー大学の副学長で、日本に留学して学位をとられた後、何度も来日されて日本とベトナムの農業分野での協力関係に大いに尽力されている方だと聞いていた。もちろん対外的のみならず、ベトナム国内の農業開発の第一人者でもあり、ベトナムに滞在しているこれまでにも、私はスアン先生のインタビュー記事、ニュースなど幾度となく読んだことがある。この奨学金授与の旅に参加するつい前日にも、農業の近代化についての先生のコメントがホーチミン市テレビで紹介されているのを聞いた。
 すっかりお待たせしてしまった非礼をお詫びしつつ、町中の食堂でテーブルを囲んだ。元FUJIの奨学生の、アンザン大学の学生2人も来ている。大学の話、お仕事の話、農業の話などをしながらの和やかな昼食となった。 後日もう一度お目にかかる約束をし、スアン先生とお別れして一行はそのままチャウドックに向かう。

チャウドック ツー・コア・ギア高校学校
 FUJI奨学金授与の旅の、今日の目的地であるツー・コア・ギア高校学校で、大勢の生徒たちが待っている。 省都ロンスエンからチャウドックまでは約60キロ。車はハウザン川沿いの細い道を北西にまっすぐ進んで行く。窓からは魚を取る仕掛け網、ヤシの木など、メコンデルタの風物詩のような風景が続く。チャウドックはカンボジア国境近くの町で、ルーンさんの出身地でもある。奨学生たちと一緒に明日、明後日とゆっくり見て回る予定になっている。
  予定の16時を少し過ぎたところで、奨学金の授与式のツー・コア・ギア高校に到着した。チャウドックでは、ツー・コア・ギア高校の35名とグエン・ディン・チュー中学の30名に奨学金を贈ることになっている。両校の対象の生徒が一堂に集まっており、行儀良く座って私たちを待っていてくれた。男の子は白いシャツ、女の子は白いアオザイという制服姿が、すらりとした体型に本当に良く似合う。学校側の代表としてツー・コア・ギア高校の校長、グエン・ディン・チュー中学の校長と元校長が列席してくださった。
 まずツー・コア・ギア高校のティン校長から奨学金の趣旨、今年で15年目になる活動の内容などの説明があった。

  “私たちに奨学金をくださるのはどのような組織なのか、どんな方からいただくのか知らないことは恥ずかしいことですよ。”

と、先生は教え諭すようにてきぱきとした口調で話す。また驚いたことに“お客様が入室した際、立って挨拶をしなかった”ことへのお叱りがあった。
 ただ形式的な儀式として集まるのでなく、こうした機会を通じて自分の言葉で語り、自分の考えを伝えている先生の態度から、きっと普段からこのように生徒と真摯に向かい合っているのだなあという印象を受けた。さらに先生から、

 “奨学金とは、生徒たちの学業を奨励するためのものです。家庭が貧しくても、品行が良くない生徒は対象外です。また成績自体はあまり良くなくても、前年と比べてかなり進歩が見られれば、奨学金の授与の対象になります。そして奨学生のリストは毎年見直し、変更がなされます。”

と説明があったが、これは生徒たちへの激励とも受け取れた。11年生(日本の高校2年生に相当)の6名が奨学金支給2年目ということで、生徒たちのがんばりと奨学金の意義が明らかにされたようだった。
 FUJI奨学金の他に、ツー・コア・ギア高校はロンスエン漁協組合銀行、建設宝くじ基金、学校父母会からも奨学金を受けており、また篤志家や企業から不定期の奨励金を贈られることもあるという。これらのうち最も頻繁にやりとりがあるのが父母会とFUJIの基金であるが、父母会の基金はむしろ、家庭の経済的事情のために学業を放棄してしまう生徒を救うための、いわゆる貧困撲滅対策活動の一環のようである。
 そのような意味でFUJI奨学基金は、政策的な援助の対象外ではあるが、経済的支援をまだ必要とする生徒のための、有意義な活動になっているのではないかと思った。

 次に生徒代表の挨拶。先生から促されて、11年生の女子生徒が前に進んだ。恥ずかしそうな様子をしていたが、マイクの前に立つとスッと落ち着いたように、“皆さんの気持ちに報いるようにがんばりたい”と、きちんとした口調で挨拶した。
 ベトナムのテレビのクイズ番組やスピーチ大会に出演する高校生を見ても、私の在籍するホーチミン市師範大学の学生を見ても、恐れ入るのは学生、生徒たちの堂々とした話し振り。ベトナムの子供たちは小さいときから人前でスピーチする方法を鍛えられているのだと実感した。

 “日本からの方々がここに集まっている機会に、皆さんでぜひ交流をしましょう”とのルーンさんの呼びかけで、質問、交流の時間が始まった。FUJI奨学基金が1つのきっかけになって、生徒たちが日本のことを少しでも知るようになってくれることは、私たちにとっても大変嬉しい。
 生徒たちからは、
 “日本の中高生、大学生はどういう環境で学校に行っているのでしょう。経済的に苦しい家庭のために奨学金制度はあるのでしょうか”
 “私たちの学校の他に、どんな学校に奨学金を贈っているのですか”
などの質問の他、
 “FUJI奨学金をいただいて本当に嬉しい。安心して勉強できます”
 “学校を卒業した後の進路が不安”“ベトナムは勉強も仕事も大変です。日本はどうですか”
など、心中の思いを打ち明けたような語りかけもあった。

  “誰でも最初は自分の行動や知識に自信がもてず、不安なものです。だからこそ私たちは、本で読んで学んだことを、人と触れ合ったり、実践したりすることで、本当の知識として身につけていくんです。
 …皆さんはベトナムで、いろいろな苦労をして学校に行っています。しかしどこに行っても、苦労はあります。日本も同じです。勉強には勉強の、仕事には仕事の、さまざまな場面で困難はありますが、ぜひ皆さんにはそれを乗り越えていってもらいたい。
 そしてFUJI奨学金は、あなたたち個人に贈って完了するものではなく、贈られたあなたたちがこの奨学金を使って勉強して、将来他の人たちのために役に立つ仕事をするという、いろいろな人につながっていく意味をもつということをわかってほしい。”

とルーンさんが説明する。また鈴木さんも、ご自身が奨学金を受けながら通学したご苦労やここにいる生徒たちの境遇への共感の気持ちを語られた。日本側から贈るこうした言葉が、ここにいる生徒たちの心にいつまでもとどまっていてほしいと私も願った。

  授与式は1時間半程度で終了。生徒たちが退出した後、日本側のメンバーと先生方が引き続き残って奨学生の状況確認と今後のための話し合いをした。日本側からの質問は、

 FUJI奨学金の額は他の支援金、奨学金に比べてどうか?
 今の金額で充分なのか?
 学校の新学期は9月から始まるが、奨学金の授与はいつごろが適当か?
 お金以外のコンパスなどの学用品、本などは足りているのか?

といった実質的なことに及んだ。

 “金額について言えば、FUJI奨学金より多いところもあります。また今の金額で充分かどうかは…充分と言えば充分だし、足りないと思えば足りない。お金とはそういうものでしょう。
 先ほど生徒たちの前でも話したように、お金をどれだけいただいたかを考えるのではなく、皆さんの思いの込められたお金をどれだけ有効に使えるかを考えなければいけないと思います。だからこそいただいた奨学金は、その目的から外れないようにいつも注意しています。
 たとえばお金を渡すと、生徒の保護者が生活費として使ってしまうケースもあるんです。だから一時は学校側が管理して、一度には渡さない、または必要なものを購入して生徒に渡し、後で保護者に報告するという作業をしていたこともあります。
 …今のところ、学用品、本などの参考書は足りていると思います。当面の問題はやはり、お金でしょう。学校側としても学費免除、経費免除などいろいろな形で支援はしているのですが、まだまだ充分ではありません。
 奨学金の申請の方法については、基本的にはクラスごとに登録申請を行います。友達同士で教えあったり勧めたり、また奨学金を受けている生徒が、自分の家庭の経済状況が良くなったからと友達に譲ったり、いろいろなパターンはありますが、良く機能していると思います。”

  説明してくださる先生の傍らの奨学生リストを見ると、対象の生徒の家族構成、経済状況が詳細に記されている。
 “父親がなく、母親は日雇い労働者。成績優”
 “住まいは貧困者用仮設住宅。成績良”
 “父親は輪タク運転手、母親は廃品回収業。兄弟姉妹多し。成績優”…。

 “毎年見直しがなされる”というこのリストが先生と生徒の対話、努力の結果なのかと、先ほどの先生の話が思い浮かんだ。先生たちとの話し合いは1時間以上に及び、最後にルーンさんがこう結んだ。

  “日本の支援者の皆さんに報告する責任があることからこのように細かい話になりましたが、奨学生を選抜するにあたっての学校側の苦労はよく理解できました。奨学金の額については、もっと上限を増やして家族の経済的な負担を軽くしてあげたいという意見がある一方、一人当たりの額を少なくしてでもなるべく多くの生徒に分配できるようにした方がいいとの意見もあります。いろいろな状況を検討した上で、こうした意見をこれからの活動に反映させたいと思います。”