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ベトナム戦争記録映画「ハーツ・アンド・マインズ」「ウィンタ-・ソルジャー」上映のご案内

2010-06-20 | ベトナム
東京都写真美術館で、6月19日から、下記の映画の上映がはじまっています。

上映期間 :2010年6月19日(土)~7月16日(金)
休映日 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
料 金 : 一般1,500円(税込)/学生1,300円(税込)/中学生以下・シニア(60歳以上)障害者手帳をお持ちの方1,000円(税込)
■上映時間:≪各回定員入替制≫
6/19(土)~7/2(金)
「ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実」 10:20(予告なし)/14:35/19:00(予告なし)
「ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白」 12:30/16:55
7/3(土)~7/16(金)
「ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実」 12:15/16:50
「ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白」 10:20(予告なし)/14:45/19:15(予告なし)

「ハーツ・アンド・マインズ」 ベトナム戦争の真実
インドシナ戦争後の南北分断に端を発する戦争勃発の原因、アメリカの政治家や官僚たちのエゴイスティックな大義と、1000年以上に渡って他国の侵略を受けてきたベトナム人たちの怒り、最前線から帰還した兵士たちの生々しい証言、村を焼かれ、子供を殺されたベトナムの人々の叫び…。なぜ、アメリカはベトナムと戦うことになったのか?
そして彼らはそこで何をしたのか?
そして、そこでの行為はどんな結果を生み、どんな影響を及ぼしたのか?映画はアメリカ、ベトナム、大統領から庶民まで、賛成派、反対派、戦争を体験したあらゆる層の人々の証言を積み重ね、無意味な戦争の真実を浮かび上がらせていく。
監督はNBC、ABC、CBSといったテレビ局で数々のドキュメンタリー番組を製作してきたピーター・デイヴィス。製作にあたっては、キリスト教会の国家評議会に勤めながらベトナムに2年在住したブレノン・ジョーンズと、ニューヨーク・タイムズやタイム・マガジンで働き6年間ベトナムで暮していたトーマス・C・フォックスをコンサルタントに迎えた。
製作期間は1972年から2年間。製作費100万ドル(当時)をかけ、150時間分ものフィルムを使用した。
74年のカンヌ国際映画祭批評家週間でワールドプレミアが行われ、大絶賛されたものの、当初、配給を行うはずだった会社が政治的報復を恐れて配給を降り、年末になってようやくワーナー映画の配給が決まり、12月20日にロサンゼルス、ウエストウッドのUAシネマで特別上映された。だが、その後、ジョンソン元大統領の政策補佐官ウォルト・ロストウが自分の出演シーンの削除と、上映差し止め要求を裁判所に提出するなど、上映を妨害する行為が相次いだ。製作サイドは再編集を拒否して裁判が行われ、翌年1月22日に最高裁が一般公開を認め、1月30日に一般公開が開始された。
日本では当時劇場公開が見送られ、1975年9月5日にNET(現テレビ朝日)が夜の11時15分から放映し大反響を巻き起こした。1987年12月16日には、HRSフナイよりVHS版ビデオが発売された(既に廃盤)。今回の上映が、日本では初の劇場公開となる。
本作の題名となっている“ハーツ・アンド・マインズ”という言葉は、ジョンソン大統領が行なった演説での「(ベトナムでの)最終的な勝利は、実際に向こうで暮らしているベトナム人の意欲と気質(ハ-ツ・アンド・マインズ)にかかっているだろう」という言葉から取られている。

「ウィンタ-・ソルジャー」ベトナム帰還兵の告白
ベトナム戦争が泥沼化していた1971年初頭、1月31日から2月2日の3日間、ミシガン州デトロイトのハワード・ジョンソンズ・ホテルのホールで、“戦争に反対するベトナム帰還兵の会(VVAW)”の主催により、ベトナムで行われた米軍による戦争犯罪や残虐行為を公の場で証言する“ウィンター・ソルジャー公聴会”が開催された。公聴会には100人を超える帰還兵が参加し、無意味で悲惨な戦争を止め、自分たちの人間性を取り戻したいとの思いから、自分たちが犯し、目撃した行為の数々を生々しく語った。そして、そのすべての証言記録は4月6日から7日にかけて連邦議事録に載せられた。
この映画は“戦争に反対するベトナム帰還兵の会”の企画に賛同した17人の映画人からなる“ウィンターフィルム・コレクティブ”のメンバーが、公聴会の模様を克明に記録し、全米へ、そして世界へと伝えるために製作された。
公聴会には一般の傍聴者をはじめ、全米の主要な新聞社やテレビ局が集まり、取材を行ったが、その公聴会でのあまりにも衝撃的な証言の数々は、地元デトロイトの一部メディアを除き、ほとんど報道されることなく完全に黙殺されてしまう。また、完成した映画は、72年の1月27日にニューヨークで限定公開された後、ベルリン国際映画祭フォーラム部門で上映され、インターフィルム賞を受賞、カンヌ国際映画祭でも上映されて高い評価を受けるが、一般マスコミの大半がこの作品を無視し、批評が掲載されることもほとんどなかった。

詳しくは、公式ホームページ をご覧ください。 http://www.eigademiru.com/