FUJI教育基金代表と大石芳野さんエイボン訪問
1月25日、FUJI教育基金代表ト・ブ-・ルーンと他2名は、大石芳野さんと新宿のオペラシティにあるAVON東京本社(エイボン・プロダクツ社)を訪ねました。
大石芳野さんは2007年エイボン女性大賞を受賞されました。
エイボン女性大賞は、「1979年から人々に勇気や希望を与える女性たちに贈られてきました。特に活動の分野を問わず、社会的にめざましい活躍をし、立派な功績をおさめ、その年を代表する女性としてふさわしい女性」に、毎年贈られています。
大石さんは、
「戦時下の国々を戦後も継続的に訪れ、
最も無力な子どもや女性、家族の姿を
「写真」という言語を超えた手段で記録。
夢や未来を奪い環境を破壊する戦争を告発し、
力強く生き抜く人々の“今”を伝え続けている。」
ことに対して、賞を贈られました。
さらにこの賞は、「受賞者の活動分野の関係者及び協力者の今後の発展を願い、受賞者本人への副賞とは別に、副賞と同額を受賞者が指名する指名寄付団体に寄付」しています。
大石さんは、指名寄付団体として、FUJI教育基金を指名されました。
そして、そのお金は、一部は奨学金のために、多くはFUJI教育基金が支援しているベンチェ特別支援学校の刺繍教育のために使わせていただきました。
今回、そのお礼にと、ベンチェ特別支援学校の生徒がベトナム伝統の蘭の花の刺繍を作り、額に入れて、エイボン社に贈りました。
アメリカ人らしい明るいテレンス・ムアヘッド社長は、AVONカラーである美しい蘭の花をとても喜ばれました。
←刺繍を手にするテレンス・ムアヘッド社長
←ムアヘッド社長と大石芳野さん
↑ムアヘッド社長を囲むFUJI教育基金メンバー(右端は岩城昌子さん)
メコンデルタを訪れられた時の話やAGENT ORANGE (ベトナム戦争でアメリカが使用した枯葉剤の一種)の話など瞬く間に1時間がたってしまいました。(以上、宮本記)
* * *
エイボン社を訪れたあと、大石芳野さんが、岩城昌子さん(エイボン女性文化センター事務局長)にお礼のメールを出されました。
ベンチェへの大石さんの思いが綴られていますので、以下、その一部を紹介させていただきます:
「ムアヘッド社長さんがあのように長い時間、ベトナムやベンチェの枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)、障碍者たちの話を聞いてくださり、とても感激しました。
授賞式(2007年)のあと間もなくしてベトナムを訪問されたことには、驚きと同時にとても嬉しく思います。
お話をしているとき、エイボン社の方たちの前で、恥ずかしながらわたしは涙ぐんでしまいました。
あのときのことは思いだすだけで胸がいっぱいになってしまって・・・。
それは、今から6~7年ほど前になりましょうか、
ベンチェを久し振りに訪ねた時のことです。
ベトナムの表通りはどんどん発展しているのに、
ベンチェには、
取り残されたように戦争の後遺症と必死に闘いながら生きている子どもや、
もう大人になった人たちが大勢いました。
わたしはそのあまりにも大きな落差に強いショックを受けました。
初めてこの地を訪れたのは、写真集にもありますが1981年です。
以降、たびたび訪れていましたが、
当時は交通も不便で、悪路を長い時間、車に乗り、
メコン河をフェリーで渡り、また悪路を走るといった所に、
ベンチェの枯れ葉剤汚染地域はありました。
(現在は道路も良くなり、橋も完成して車で楽に行けます。)
かれらのことが気になりながらも他の地域に力を使ってしまい、
久しく訪ねなかったのですが、
多分、あの時は5年ぶりくらいにベンチェ省を訪ねたのでした。
そして、刺繍をしてくれた子どもたち
(全員が枯れ葉剤障碍者と思われる)がいる
ベンチェ市の宿舎兼学校を訪ねたのでした。
かれらの姿を見ながら、
戦争が終わって30年近くにもなるのに・・・と、
たまらない気持になりました。
同時に、
かれらをこの中に閉じ込めていてはいけないと強く思い、
大して持ち合わせていないことを悔やんだのですが
ドルを寄付して、
コンピューターを何台か買う足しにしてもらいました。
パソコンで外と繋がってほしいとも思ったし、
子どもたちも望みましたので。
帰国してルーンさんに早速、相談しました。彼は仕事の傍ら、個人レベルでFUJI奨学基金の活動をしています。
そして、ずっと以前にお会いしていた宮本典子さんに改めてお会いして、ご尽力をいただくところまでになったのです。
彼女は大学を定年退職して、あれこれ忙しいとは思うのですが、時間を作ってくださって、FUJI教育基金(改名)のなかのベンチェ・プロジェクトを一生懸命にしてくださっています。
わたしはなんだかんだと、忙しいなどと言い訳してしまっていますが、彼女がしっかりカバーしてくださっているのでとても助かっていますし安心しています。
そんなわけで、
ベンチェの学校の在学生や卒業生(枯れ葉剤障碍者)の女性たちの刺繍の技術を高め、
売れるルートを見つけ、
自活ができていくようになる応援を
しばらくは続けたいと思っています。
わたしがエイボン女性大賞をいただいたお蔭で、
彼女たちも少し自立の方に向かい出したかな・・・と。
ですから、
わたしにとっても彼女たちにとってもエイボンさんはとても貴重な存在です。
ムアヘッド社長に刺繍の絵をあのように喜んでいただけて本当に嬉しいです。」
1月25日、FUJI教育基金代表ト・ブ-・ルーンと他2名は、大石芳野さんと新宿のオペラシティにあるAVON東京本社(エイボン・プロダクツ社)を訪ねました。
大石芳野さんは2007年エイボン女性大賞を受賞されました。
エイボン女性大賞は、「1979年から人々に勇気や希望を与える女性たちに贈られてきました。特に活動の分野を問わず、社会的にめざましい活躍をし、立派な功績をおさめ、その年を代表する女性としてふさわしい女性」に、毎年贈られています。
大石さんは、
「戦時下の国々を戦後も継続的に訪れ、
最も無力な子どもや女性、家族の姿を
「写真」という言語を超えた手段で記録。
夢や未来を奪い環境を破壊する戦争を告発し、
力強く生き抜く人々の“今”を伝え続けている。」
ことに対して、賞を贈られました。
さらにこの賞は、「受賞者の活動分野の関係者及び協力者の今後の発展を願い、受賞者本人への副賞とは別に、副賞と同額を受賞者が指名する指名寄付団体に寄付」しています。
大石さんは、指名寄付団体として、FUJI教育基金を指名されました。
そして、そのお金は、一部は奨学金のために、多くはFUJI教育基金が支援しているベンチェ特別支援学校の刺繍教育のために使わせていただきました。
今回、そのお礼にと、ベンチェ特別支援学校の生徒がベトナム伝統の蘭の花の刺繍を作り、額に入れて、エイボン社に贈りました。
アメリカ人らしい明るいテレンス・ムアヘッド社長は、AVONカラーである美しい蘭の花をとても喜ばれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/1a/452feaffea9188fee5608325db2bf3ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/73/bd56c907c0bbf25a7c6bffbd53633716.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/61/8df11d40d2459c8a92838f94edcd6d71.jpg)
↑ムアヘッド社長を囲むFUJI教育基金メンバー(右端は岩城昌子さん)
メコンデルタを訪れられた時の話やAGENT ORANGE (ベトナム戦争でアメリカが使用した枯葉剤の一種)の話など瞬く間に1時間がたってしまいました。(以上、宮本記)
* * *
エイボン社を訪れたあと、大石芳野さんが、岩城昌子さん(エイボン女性文化センター事務局長)にお礼のメールを出されました。
ベンチェへの大石さんの思いが綴られていますので、以下、その一部を紹介させていただきます:
「ムアヘッド社長さんがあのように長い時間、ベトナムやベンチェの枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)、障碍者たちの話を聞いてくださり、とても感激しました。
授賞式(2007年)のあと間もなくしてベトナムを訪問されたことには、驚きと同時にとても嬉しく思います。
お話をしているとき、エイボン社の方たちの前で、恥ずかしながらわたしは涙ぐんでしまいました。
あのときのことは思いだすだけで胸がいっぱいになってしまって・・・。
それは、今から6~7年ほど前になりましょうか、
ベンチェを久し振りに訪ねた時のことです。
ベトナムの表通りはどんどん発展しているのに、
ベンチェには、
取り残されたように戦争の後遺症と必死に闘いながら生きている子どもや、
もう大人になった人たちが大勢いました。
わたしはそのあまりにも大きな落差に強いショックを受けました。
初めてこの地を訪れたのは、写真集にもありますが1981年です。
以降、たびたび訪れていましたが、
当時は交通も不便で、悪路を長い時間、車に乗り、
メコン河をフェリーで渡り、また悪路を走るといった所に、
ベンチェの枯れ葉剤汚染地域はありました。
(現在は道路も良くなり、橋も完成して車で楽に行けます。)
かれらのことが気になりながらも他の地域に力を使ってしまい、
久しく訪ねなかったのですが、
多分、あの時は5年ぶりくらいにベンチェ省を訪ねたのでした。
そして、刺繍をしてくれた子どもたち
(全員が枯れ葉剤障碍者と思われる)がいる
ベンチェ市の宿舎兼学校を訪ねたのでした。
かれらの姿を見ながら、
戦争が終わって30年近くにもなるのに・・・と、
たまらない気持になりました。
同時に、
かれらをこの中に閉じ込めていてはいけないと強く思い、
大して持ち合わせていないことを悔やんだのですが
ドルを寄付して、
コンピューターを何台か買う足しにしてもらいました。
パソコンで外と繋がってほしいとも思ったし、
子どもたちも望みましたので。
帰国してルーンさんに早速、相談しました。彼は仕事の傍ら、個人レベルでFUJI奨学基金の活動をしています。
そして、ずっと以前にお会いしていた宮本典子さんに改めてお会いして、ご尽力をいただくところまでになったのです。
彼女は大学を定年退職して、あれこれ忙しいとは思うのですが、時間を作ってくださって、FUJI教育基金(改名)のなかのベンチェ・プロジェクトを一生懸命にしてくださっています。
わたしはなんだかんだと、忙しいなどと言い訳してしまっていますが、彼女がしっかりカバーしてくださっているのでとても助かっていますし安心しています。
そんなわけで、
ベンチェの学校の在学生や卒業生(枯れ葉剤障碍者)の女性たちの刺繍の技術を高め、
売れるルートを見つけ、
自活ができていくようになる応援を
しばらくは続けたいと思っています。
わたしがエイボン女性大賞をいただいたお蔭で、
彼女たちも少し自立の方に向かい出したかな・・・と。
ですから、
わたしにとっても彼女たちにとってもエイボンさんはとても貴重な存在です。
ムアヘッド社長に刺繍の絵をあのように喜んでいただけて本当に嬉しいです。」