ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):旅の記録(2) by Takahashi (9月30日)

2011-10-26 | 奨学金授与の旅

2011年9月30日 お天気あめ

 

 早朝、ホテルのバイキングで朝食をとった。

 春巻など揚げ物類が目に入り、身体に悪そうと思いながらも、朝からガツガツ胃袋に詰め込んだ。

 昨夜はふかふかのベッドでぐっすり寝てしまった。

 こんな贅沢をしていいのだろうか……。

 

 朝食を済ませた後、水上マーケットを見学。

 

水上マーケット

 しばらくの間、川を突き進んだ。

 川の両側に、人が住んでいるらしき素朴な家がポツポツと並んでいた。

 川の左右で家の素材が多少違っているように感じた。

 気のせいかな。

 左側のほうが、少し新しいというか、頑丈な造りに見えた。

 

 途中、メコン川で大量に掻き集められた砂の山を運ぶ船や、ガソリンスタンドに遭遇。

 しばらくして、ようやく水上マーケットの現場に到着。船がたくさん集まっていた。

 生まれて初めて間近で見た水上での果物の売買は新鮮そのもの。

 常に陸の上で生活をしている私からすると、ここでの生活は不思議でならない。

 逆に、ここで暮らしている人からすると、私の生活環境は不思議なものなのだろうか。

 

 各船からは、長い棒が空に向かって突き上がり、そのてっぺんには品物が引っ掛けてあった。

 どの船で何を売っているのか、遠くからでも見えるようになっていると、カーさんが教えてくれた。

 果物を山盛り積んだ船が近付いてきてはとりあえず試食をし、味や気分で買ったり買わなかったり。

 種や皮はポイポイと水の中へ放り込む。

 日本でやったら、ご近所の人に白目で見られそう。

 

 水上では果物以外に、宝くじやフォーまで売っていた。

 これには驚いた。

 

 宝くじを売るおじさんは、以前までは船を購入するお金がなく、泳ぎ回って販売していたとか。

 紙を濡らさずに、どうやって泳いでいたのだろう。

 そしてフォーは、波で船が左右に揺れる中、スープをこぼさずに食べられるものなのだろうか。

 見学が終わった頃に、タイミングよく雨が降りだした。

 

カントー大学(Can Tho University)

 その後、FUJI教育基金が支援を開始してちょうど今年で20年を迎えるというカントー大学(Can Tho University)へ向かった。

 (カントーは、いくら口で言っても発音が下手すぎてベトナム人に聞きとってもらえない。私の場合だけかもしれないけれど。)

 

 カントー大学の奨学生の1人に尋ねたところ、現在6万人の学生が在籍しているという。

 早稲田大学より多い。

 

 授与式には、現在社会人や院生となった過去の奨学生も出席していた。

 私たち日本人に笑顔で親しみを込めて接してきてくれた。

 こちらもその笑顔につられてにっこり。

 

 現役の奨学生は少し緊張しているのか、あるいは形式的な授与式にとまどったのか、顔が硬くこわばって見えた。

 こちらも、つられてこわばってしまった。

 無事に授与式が終わり、昼食をとるべく学生食堂へ向かおうとバスに乗り込むと、ルーンさんが1人の女子大生を紹介してくれた。

 トゥー(Tu)さんという。

 彼女はボー・ティ・サウ高校の元奨学生で、今この大学で3年目を迎え、電気(理系)の勉強に励んでいるという。

 感謝の気持ちを込めて、FUJI教育基金のために、電気を利用した置物を作ってくれた。

 「FUJI」という文字と富士山の絵が、スイッチ1つでピカピカと可愛いらしく光る。

 単純にその技術が凄いと思い、また感謝の気持ちを行動で表すトゥーさんを素敵だと思った。

 その後、偶然昼食で席が隣になったトゥーさんに将来の夢を聞いてみた。

 記憶が間違っていなければ、彼女はこのようなことを言っていた。

 

 「私が今勉強している電気に関わる仕事には、機材が重く肉体労働が多いので、ほとんど男性が就いている。

 でも私は小柄で、男性のようには働けない。

 だから、女性でも働けるような仕事のモデルを考えて作ることが夢。」

 

 現実的かつ冷静に、そして前向きに逞しく話す彼女の姿は21歳。

 でも、頭と心は私より年上な気がした。

 授業以外の時間は、勉強するか友達とカフェに行くかのどちらかだそうだ。

 

アンザン大学(An Giang University)

 長い昼食を終え、次なる目的地のロンスエン市(Long Xuyen)にあるアンザン大学(An Giang University)へ進んだ。

 2年前にここを訪れたメンバーの方々は、その変貌ぶりにだいぶ驚かれているようだった。

 

 以前工事していた建物がほとんど完成し、まるで別の場所のようだという。

 私は比較ができず残念。

 ただ、広々としていて雰囲気が好きだった。

 

 アンザン大学は創立11年(注

 教師900人に生徒1万3,000人。

 ベトナムの大学ランキングトップ10に名を留めているという。

 

 FUJI教育基金のアンザン大学への奨学金授与は、2006年に開始したという。

 奨学金を受け取る学生の選定方法は:

 ① 成績

 ② 家庭の収入

 ③ 担任と相談、大学が決定

の順序だという。

 

 アンザン大学にはFUJI奨学基金以外からの奨学金があるが、奨学金によっては、①と②の順序が逆の場合もあるという。

 副学長の姿勢は、奨学金を提供してくれる相手の考えを尊重するというものらしい。

 日本側からの

 「今後も奨学生を20人にするか、減らして1人当たりの金額を上げるか」

という問いかけに対しても、FUJI教育基金に任せるとの回答だった。

 

 奨学生が20人と多く、またルーンさんのお心遣いもあり、私もFUJI奨学基金の皆さまに紛れ込み、奨学金を手渡させていただいた。

 支援をしていないのにとても申し訳なく、複雑な気持ちで顔がひきつってしまった。

 でも、手渡す相手が偶然、授与式のあいだ隣の席に座っていた男子学生で、会話を交わしていたことから、ほんの少し気持ちが和らいだ。

 その後、彼は思い出にとキーホルダーをくれた。

 (ありがとう。)

 

 奨学生を代表して、1人の学生が、FUJI教育基金の皆さまへ感謝の気持ちを述べた。

 偶然近くに座っていた私には、スピーチを続けるにつれ、彼女の瞳が徐々に潤んでいくのが見えた。

 彼女の隣の席に座る女子学生も、同じく目に涙を浮かべていた。

 2人の女子学生の姿が、今も頭に焼き付いている。

 同情したからではない。

 

 スピーチをした学生に関しては、その瞳に力強さと、自分にはとうていない逞しさを感じた気がした。

 自分のことだけを考え自分のためだけに生きている自分と、家族のために生きる彼女の違いはとても大きい。

 

 とはいえ、授与式の終盤、FUJI教育基金から可愛い消しゴムやお菓子が配られると、学生の緊張・集中力は一気に切れた。

 もう後は永遠と、がやがやざわざわ。

 でも、学生の作り笑顔や聞いているフリをする態度でなく、この自然なリアクションに何故かほっとする自分がいた。

 

 授与式後は、学生からFUJI教育基金の皆さまへサイン攻撃。私も何人か書かせてもらった。

 日本では有名人でない限り、こんな経験はない。

 とても不思議に思っていたら、どなたかが、

 「(サインをもらうという行為は)外国人とコミュニケーションを取るための1つの手段として学生が学んだことなのかな」

とおっしゃっていた。

 確かにそうなのかな。

 

 夜は奨学生や先生方の他、アンザン省で日本のお米を栽培していらっしゃるという江森さんと、青年海外協力隊でこちらにいらしているという木戸さんも交えての夕食。

 

 学生たちの遠くに座ってしまい、交流できたのは1人の学生と先生方数名のみ。

 後悔。

 

 連日毎食、さまざまな種類のお鍋を皆で囲んでいる気がする。

 確実に胃袋が大きくなっている。

 

 今日も長い1日が終わった。

 


(注) The Prime Minister (PM) signed the Decision on An Giang University's Establishment in December 1999, thereby meeting the requirements of the Mekong Delta provinces to improve the quality of education in Vietnam and to share the responsibility with Can Tho University to offer higher education to the 40,000 high school students graduating every year throughout the Mekong Delta provinces.

*高階さんのウェブサイト http://blog.canpan.info/maripo http://vietnamworkcamp.com  http://fiwc.jp/index.html

 

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):旅の記録(1) by Takahashi (9月29日)

2011-10-26 | 奨学金授与の旅

*FUJI教育基金では、2011年は9月29日から10月6日まで、ベトナム南部で奨学金授与の旅を行いました。土屋さんから寄せられた同行日記につづけて、高階まりこさんによる旅の記録を掲載します。

 高階さんのウェブサイトも、ご覧ください。

 http://blog.canpan.info/maripo

 http://vietnamworkcamp.com

 http://fiwc.jp/index.html


2011年9月29日 お天気晴れ

  「FUJI教育基金」の「FUJI奨学金授与の旅」に同行させていただくため、早朝からホーチミンへ向かった。
 私は9月7日からハノイで生活を始めたので、皆様と現地で合流することになった。
 これから5日ほど南部を転々とする。
 わくわくする。

 ハノイ市のノイバイ空港から早めの便に乗り、ホーチミン市のタンソンニャット国際空港に到着し、いったん市内へと向かった。
 ホーチミンへ来るのはこれで3回目。
 前回・前々回は時間の都合上タクシーを利用したが、今回はバスに初挑戦。
 空港の係員さんやバスの運転手さんが優しく、問題なく市内に到着。

 FUJI教育基金代表のルーンさんから以前伺っていた一押しの小物店に立ち寄りつつ、しばらくホーチミンの街をふらふらした後、wifiのあるカフェで時間をつぶした。

 お昼過ぎに再びバスで、待ち合わせのタンソンニャット国際空港へ向かった。
 14時にすでに空港へ到着されていた一部のFUJI教育基金のメンバーと合流し、その後、関西、東京からいらした方々とも初顔合せ。
 長年活動に携わっている方が多く、久々の再会を喜んでいらした。

 到着したメンバーが扉の向こうから出てくるのを見るや否や、ロビーへ出て来るのを待ちきれず外から中へと入り、通路の真ん中で抱き合うメンバーの方々の姿がとても印象的だった。
 こういう再会の瞬間って好き。

 今回はFUJIメンバーの出井さんがいらっしゃれないとのことで、正直この中に上手く溶け込めるのかという不安と心細さを感じつつも、いざ出発。

タンタオ大学(Tan Tao University)

 タンソンニャット空港から大型バスで、ロンアン省(Long An province)のドゥック・ホア市(Duc Hoa)にあるタンタオ大学(Tan Tao University)へ向かった。
 ホーチミンからはバスで2時間ほど。

 バスに乗るとベトナムのお餅にお菓子、バナナにお手拭き、南部の地図など次々と嬉しいものを手渡され、事細かな配慮の行き届いたベトナム人スタッフの方々の準備に感動。
 自分が活動している時に不足している気配りを、この旅で学びたい。

 タンタオ大学は去年できたばかりの真新しい私立大学で、各高校からトップクラスの学生だけを集めたエリート校を目指しているという。


 海外とのコネクションが強く、1年目の学生は皆ベトナム人だが、教授はハンガリーやアメリカなど外国の方が多く、ベトナム人の教授も海外で活躍している人を呼び戻しての大きな取り組みを行なっているとのこと。


 授業は全て英語で行う。早稲田大学の国際教養学部みたいだ(国際教養学部はエリート校を目指しているわけではないと思うけれど)。
 今は科学学部(School of Engineering)、経済学部(School of Business)、文学部(School of Humanities & Languages)しかないが、来年は医学部が加わるという。

 タンタオ大学の1年目の新入生は200人を目標としていたが、85人にとどまった。
 真新しい大学で前例がないと、「大丈夫なのか」と不安を抱く学生が多いのだろうか。

 ここでは1年目の学費と寮生活(学生はみな寮生活が義務)の費用が全額無料だという。
 2年目からは各自の成績によって学費が異なるそうだ。
 結果が全て。
 私ならそもそも入れないけど、入ってもプレッシャーに負けそう。

 図書館に入ったところで、海外からの訪問者を面白そうにジーッと見つめる学生を見つけた。
 近づいて話しかけてみた。
 高卒なのに英語ペラペラ。

 この大学の教授は一流の人ばかりだから、これからもっと、たくさん学生が入ってきてくれると良いと思う、と話していた。

 いかにも秀才な顔つきで、大学に大きな誇りと期待を持っているように見えた。

 自分を振り返ると、こんな誇りと期待、学生時代持ってなかった。
 「大学に行くのが当たり前」
 「それが進むべき道」
 当然のようにそう思っていた。
 恵まれすぎて考えたこともなかった。
 この学生の顔が頭から離れない。

 この大学が着実に今目指すエリート校を実現した時、タンタオ大学は勿論、ベトナムという国が更に脅威になると改めて感じた。
 それはハノイの同世代と付き合っていても感じる。
 パワーがみなぎっている。

 大学の周りは一面野原。
 この近場で、勉強以外いったい何ができるのだろう。
 学生は遊んだりするのかな。
 クラブ活動とかするのかな。
 スポーツとか音楽とか。

 美術館のような豪華な内装に少々戸惑いつつ(こんなに豪華にする必要はあるのだろうかという疑問も少々あり)、

 タンタオ大学を後にし、そのままホテルへと向かった。

 バスでぐっすり寝てしまい、目を覚ました時、辺りはすでに真っ暗。
 窓の外を眺めると、道路が水で覆われていた。

 …ん?

 一瞬何が起きているのかわからなかったが、バスの中のどなたかの声で、メコン川がこの時期になると溢れ出すことを知った。

 バイクはもはや水に浸かり、タイヤが見えない状態。
 バイクを二人乗りするお姉さんの長いジーパンが、今にも水に浸かりそうだ。
 恒例行事のように、家の中の水を掻きだすおばちゃんを発見。
 いたって冷静。

 日本だと、家の中にアリやクモ1つ見つけて大騒ぎする家庭もあるのに……。

 カントー市のホテルに到着後、夕食。


 日本人がビールやウィスキーを楽しむなか、ベトナムの女性は一滴も飲まなかった。
 私がこれまで付き合った数少ないベトナムの女性(主に10代後半か20代前半が多い)は、誰もお酒を飲まない。タバコも吸わない。
 ベトナムの女性は日本人の女性ほど飲まない&吸わないというイメージが一層強くなった(付き合う人が限られているので、偏見かもしれないが)。

 一日目を無事終えた。


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):授与式・交流会(2) by Luong (10月1日)

2011-10-20 | 奨学金授与の旅

 

10月1日

08:00頃 ホアビンホテルを後にして、メコン川を遡ってカンボジア国境近くのチャウドク市へ。

09:30頃 予定より早く着いたけれど、そのままボー・ティ・サウ高校へ。

 チャウドクでは、2つの学校、ボー・ティ・サウ高校とグエン・ディン・チュー中学校の授与があります。

 今回は、時間と手間を節約して、1箇所で式を行うことにしてもらいました。

 以前はずっとツ・コア・ギア高校で授与式を行っていましたが、今はツ・コア・ギア高校への授与はなくなりました。

 今回、ボー・ティ・サウ高校での授与式は初めてです。

 幸い新しい広い教室が完成したばかりで、授与式を室内で行うことができました。

 大人数の式典ですと、ふつうは屋外でやるのが常です。

 2つの学校に、それぞれ40人の生徒に奨学金を贈呈します。

 しかし、室内のスペースの関係で、グエン・ディン・チュー中学校の生徒は20人に限定しました。

 高校生には1人150万ドン(約5,600円)、中学生には1人120万ドン(約4,500円)の奨学金を授与しました。


 授与式には、ボー・ティ・サウ高校のファム・バン・トイ校長、グエン・ディン・チュー中学校のレ・タン・フォン副校長、他の中学校・小学校の校長、FUJI 基金の現地アシスタントであるティン・フオンさん(女性)など、チャウドク市の教育関係者が出席しました。

 英語の先生スアン・ロアンさん(女性)の慣れた司会で、式はスムーズに行われました。

 途中、生徒たちの歌など、暖かい盛りだくさんサービスがありました。

  「日本では未曾有の東日本大震災があったにもかかわらず、FUJI 基金の皆さんはベトナムのことを忘れることなく、はるばるお越しいただいた。

  そして、今年も続けて奨学金を生徒たちにくださる。

  これは大変ありがたいことで、生徒たちはもっと努力して、そのお気持ちに応えなければならない」

という感謝の言葉がありました。


 今回の旅で特筆すべきことは、奨学生たちが日本語を覚えてくれたことです。

 行き先々で、

  「 ohayou 」

  「 konnichiwa 」

  「 arigatou 」

  「 sayounara 」

など、響きのよい挨拶の声が聞こえました。(実は、前もってメールで教えておいたのです。)


 それに対して旅の参加メンバーも負けじと、ベトナム語

  「シンチャオ」(こんにちは はじめまして、こんにちは、さようなら、こんばんは;挨拶の言葉)

  「カムオン」(ありがとう)

  「タムビエト」(さようなら)

  「ゴン」(美味しい)

など、声高々挨拶しました。

 これで交流がもっと楽しく印象に残ったものになったと思い、嬉しかったです。

(以上、文責:ト・ブー・ルーン)

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):授与式・交流会(1) by Luong (9月30日)

2011-10-20 | 奨学金授与の旅

 

*2011年奨学金授与の旅で行った授与式の様子、学生や生徒・先生方との交流の様子を中心に、当基金代表のト・ブー・ルーンさんにまとめてもらいました。

ルーンさんからは、「交流のとき、いろいろな意見はあったけれど、その場を一生懸命取り仕切るのに、自分は精一杯だったので、思い出そうと時間をかけてもなかなか思い出せない」というコメント付きです。

実際ルーンさんは、過去の授与の旅のときも、ベトナム人へはベトナム語で、日本人へは日本語で、それぞれの発言を通訳しつつ、同時に、交流の場を実りあるものに一生懸命まとめているので、細かいことを記憶している余裕はとてもないだろうなと思いました。

 


 

9月30日

09:45 最初の奨学金授与学校カントー大学に到着。

 FUJI 教育基金の歴史は、1991年に、この大学から始まったのです。(注)

 あっという間に、20年という長い年月が経ちました。

 感無量です。


 授与式が、日本留学経験のあるグエン・ミン・チョン先生の司会で進められました。

 5人(女性2人、男性3人)の学生に、前年と同じく、それぞれ300万ドンを手渡しました。

 現在の実勢レートで換算すると、約1万1,000円ずつです。


 クメール族のキム・テ・ニーさん(男性)が、奨学生を代表して感謝の言葉を述べました。


 また、新渡戸稲造『Bushido: The Soul of Japan』(1900年刊)の日本語訳版からベトナム語に翻訳した『武士道』を、奨学生全員と大学の図書館に10冊贈呈しました。

 ベトナム語版の翻訳者は東北大出身のレ・ゴック・タオ氏で、ハノイで出版しました。

 氏はこの本の印税を、東日本大震災への寄付金として贈っています。

 当基金のカー運営委員から、ベトナムの人々、とくに奨学金を受けている若い人に日本人の精神構造や背景などをもっと理解してほしいという提案があり、この本を寄贈することに決めました。


 大学から、農業・応用生物学副学部長のグエン・ミン・トゥイ先生(女性)や学部事務局長のフア・バン・チュン先生が出席しました。

 以前FUJI奨学金をもらっていた学生も何人かが同席しました。


11:00 式終了。学生食堂に移動し、昼食をとりながらの交流に入りました。

13:20 別れるのを惜しみながら、カントー大学を後にしてロンスエン市へ。


15:05 オープンしてまだ1年足らずの、ま新しいホアビンホテルに到着。

 チェックインをすませ、すぐまた出発。

16:00頃 アンザン大学に到着。

 40 haもある広々とした新しいキャンパスになっていて、びっくり。

 古いキャンパスは、先生を養成する師範学科として使われています。


 授与式はボー・バン・タン副学長出席のもと、ミー・ホアン(女性)さんの司会によって行われました。

 とても進め方が上手な司会者です。

 あとで聞いて分かったのですが、彼女が在学4年生ということで、またびっくり。

 ベトナム学学科(後、文化旅行学科になる)の学生です。


 旅の参加メンバーが順次20人の奨学生(男女10人ずつ)に、それぞれ230万ドンを手渡しました。

 実勢レートで換算すると、約8,500円。

 この額は、昨年より15%アップです。

 FUJI教育基金の総会で、ベトナムではインフレが激しいことから、奨学金の増額を決めました。

 学校側から、感謝状と大学のバッチをいただきました。


 質疑応答の時間をとり、しばし、お互いのことを質問しました。

17:30頃 授与式が無事終了。

 予定時間より少し早かったけれど、そのまま夕食交流の場所に移動。

 旅の一行19人と奨学生20人に加えて、大学の関係者たち、アンザン省で長年日本米を栽培している日-越合弁会社の社員・江森さん(帰化前の名前はタム、男性)、JICAの女性支援プロジェクトの担当者・木戸さん(女性)など、総勢50人ほど。

 20:10頃まで盛り上がりました。


(注) 1991年、日本に在住している元ベトナム留学生たちが、母国ベトナムでせっかく入学したのに経済的困難のため勉強をつづけられない学生が少なくないことを見かねて、奨学金制度を設けることにしたのが、FUJI奨学金の始まりで、その後、趣旨に賛同した日本人も加わりました。当初は毎年、交流のあるカントー大学の学生20人に奨学金を授与していました。

 1995-96年度からカントー大学では、他からも奨学金を受け入れることが多くなってきたこともあって、この年度から奨学金の対象を、アンザン省チャウドック市にあるTHU KHOA NGHIA(ツ・コア・ギア)中・高等学校に、さらに2002-03年度から北部ニンビン省キムソン県チャット・ビン村のChat Binh(チャット・ビン)中学校に、2006-07年度からアンザン省のアンザン大学に広げ、現在にいたっています。なお、ツ・コア・ギア校は生徒数が急増したため、2001-02年度からグエン・ディン・チュー中学校が独立し、FUJI奨学基金は両校に奨学金を贈ってきました。その後、ツ・コア・ギア高校は所得が比較的高い家庭の生徒が多くなったため、より困難な生徒が多いチャウドック市のボー・ティ・サウ高校を2008-09年度から対象に加え、ツ・コア・ギア高校への奨学金は2009-10年度を最後に使命を終えることにしました。

 設立当初は、毎年、寄金をあつめ、あつまった金額で奨学金として給付していましたが、1996年、趣旨に賛同する人も増えてきたのを機会に、一定金額を基金として拠出し、その運用益を奨学金として給付する「FUJI奨学基金」を設立しました。これによって、継続的・安定的に奨学金を給付できる条件を整えることができました。2006年から、奨学金の給付に加え、広く、教育に役立つ事業を行うことにし、会の名称を 「FUJI教育基金」と改称しました。

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):同行記(4) by Tsuchiya (10月5日)

2011-10-18 | 奨学金授与の旅

 

7日目    ホーチミン市からミトーへ、またホーチミン市 

 

105日(水)雨 

0740 クチの地下トンネル見学を目的に小型車で出発。しかし、雨であることや現場の状況を考え、ミトーに急遽変更。

クチもミトーも同じような距離で2時間ぐらいかかるらしい。かっぱを着たバイクの群れを抜けて車が郊外に出ると、青々とした田園風景が広がっていた。途中からワイパーがきかないくらい激しい雨。台風が来ているらしい。

 

0920 メコンデルタの入口の町ミトーに到着。これから果樹園を見学に。

オブラートに包まれたような格好(超薄の全身ビニールカッパ)で小舟に乗る。ニッパ椰子の林を、手漕ぎのボートは結構早く進む。中洲状の1つの島に上陸。

ハチミツやローヤルゼリーの売り込みに、たくさん買い込む。

次は民族楽器の演奏と歌を聞きながら、果物をいただく。ここでようやくジャックフルーツを食べることができた。味、歯ごたえとも微妙。

そこを出て、昼食は、日本の皇太子も訪れたというレストランへ。2日前、ロンスエンでお昼に食べたライスボールの実演をやっていた。じっくり見学。長い柄のついたお玉と、スティクを左右の手に持ち、大きな中華鍋で、どろどろのもちを転がしながら、ボール状にふくらませて揚げていく。時に黒煙があがるほどの熱さの中、大変な作業。味わっていただかねば。

帰りはまた来た道をおしゃべりし放題で、時間も忘れ1430ホテル帰着。

 

しばし休憩ののち、最後の訪問施設「あたたかい家」へ。

1520 強制されないオープン施設「あたたかい家」訪問。

ここは元ストリートチルドレンや親のない8-16歳の男の子ばかり、22人がいるという。ここから学校へ通ったり、14歳からは職業教育を行ったりする。16歳までの子供を収容しているが、それ以上の子も続けられる子は、いることができる。政府が管理し、費用の3割を負担している。スタッフは4人。

収容する子供は減ってきている。社会が豊かになってきていると考える。以前はカンボジアからも子供がたくさん来ていた――などと、日本流でいえばイケメンの青年が話してくれた。(最後だと思ってしっかり聞いていた。)

ここでも持参したコマに、みんな真剣に取り組んでいた。他に日本からのおみやげ。うめぼし、ほしがき、せんべいなど。

帰り際にトイレを借りようとのぞいて見たら、シャワーのないシャーワー室みたいなところに、隅に吸い込み口があり、かたわらにバケツと手桶。大は違うところにあるのだろう。ちょっとむり。早くホテルへ帰ろう。1620 帰途に。

 

1730 サイ・ゴンホテル帰着。荷物整理。帰り支度。忙しい。

1815 レストランにて、最後のベトナムの夕食。熱々のキノコ鍋。サトイモなども入り、ちょっと変わっている。たべきれなかったエビは、ビニール袋に入れお持ち帰り。なごりをおしみながら2030にお開き。一路空港へ。

 

21:00 タンソンニャット空港着。0005発の夜行便。明日の朝は日本。

出国手続きをすませ、みんな思い思いにベトナムでの楽しかった日々を振り返りながら、出発を待つ。

さようなら。お元気で奨学生の皆さん。おいしいものをたくさんありがとう、メコン。

(以上、文責:土屋 喜久子)

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):同行記(3) by Tsuchiya (10月3・4日)

2011-10-17 | 奨学金授与の旅

 

5日目  チャウドク市からホーチミン市 

 

103日(月)晴れうす曇 雨   

0800 ビン・ミー幼稚園を訪問。

1クラス三十数名の3-4歳くらいの子に、先生1人で対応。先生はけっこうきびしいらしい。全員で354人いると聞いてびっくり。

しばらく子供たちを観察したり、一緒に遊んだり。思い思いに過ごす。

私はかわいい子供にしばし見とれる。どの子もまったく日本人とかわらない。

ところが、かなり小さい子でも、ほとんど耳にピアスをしている。首にはネックレス。腕にはいくつものブレスレット。足につけている子もいる。これは習慣の違いだからとまあ理解。

また、子供たちは肩のところに大きな安全ピンで、小さなハンドタオルをつけている。口や手などをふくのだろう。首にくさりがからまるのではないか、安全ピンが刺さるのではないか・・などと話していたら、日本の子供は守られすぎ?という結論に達した。

 

0940 園を後に、以前支援していたというベンチェ刺繍教室をめざす。この施設はベトナム戦争の枯葉剤使用による障害者のためにもうけられた施設という。

道中、長い旅。途中、ロンスエンで昼食。

またまた鍋、今度はカエル入り。以前、日本の割烹でフライにしたものを食べたことがあるが、カエルと言われなければ、わからなかった。で特に驚かない。まあ弾力のあるチキンといった感じか。でもこちらは、しっかり足の形がわかる。足の付け根から先っぽまで長いまま。

昼食をとり、汗だくのまま、またバスに。

それから大きな河にさしかかり、かなりの時間待たされて、やっとフェリーに乗る。フェリーに乗ってしまえば、あっという間に対岸へ着いてしまった。ほんの少し居眠りをしていたので、バスの外に出るひまがなかった。ちょっと残念。

そのままバスに乗っていると、途中から雨、涼しくなってむしろほっとする。それからどしゃぶりになった中、教室に到着。

 

一見、障碍者が少ない。ところが、ほとんどの子が耳がきこえないという。教室の作業を見学させてもらう。少しでも助けになればという気持ちから、皆さん刺繍された小物やシャツなどたくさん買い込んで1840帰途に。

 

1920 ようやく食事。

こちらに来てはじめてお目にかかります。小ぶりのバレーボールといった感じの物がテーブルに。もちをふくらませボールのようにして揚げたもので、これをつぶし皆で切り分けていただく。とてもおいしい。象耳魚もまた出てきた。今日はめずらしいものを堪能、どしゃぶりだった雨もあがり、ホーチミン市のホテルへ。

 

2140 サイ・ゴンホテル到着。満足満足、満腹満腹。

 

6日目    ホーチミン市

 

104日(火)晴れ

今日からは、ハノイへ行き、ベトナム北部の学校での奨学金授与式に参加するグループ。アオザイを作りに行くグループ。個人で自由行動する人など、それぞれ別れて行動。急にさみしくなる。  

 

0830 私たちは、オーソドックスにタクシーでホーチミン市内観光。

まず定番、統一会堂(旧大統領官邸)。中を現地ガイドさんの案内で見学。社会主義国家になってどう変わったかなど、ほんの少し話しを聞く。

外に出て、こんどはサイゴン大教会付近をぶらぶら。ちょうど花嫁花婿さんが、カメラマンをひきつれ、教会をバックに写真を撮りにきていた。台湾などでも名所旧跡をバックに何枚もプロが写真を撮り、豪華なアルバムを作って、結婚式で披露していた。ベトナムでも同じような習慣があるのだろう。

「立派なアルバム作って、別れるときどうするんだろう」なんて勝手に想像。(失礼)

もっと見学したかったが、お昼は、ホーチミンに残っている方と一緒にとることになっているので、見学は終了。食事へ。もうこのころから食事にも慣れてきて、なんでもオーケー。その分、何を食べたかも忘れた。

 

1410 一息ついて、また学校訪問へ。

こんどは奨学金授与ではないらしい。ホーチミン師範学校の日本語学科へ。

学校へ行くと、日本語を学ぶ学生が減っている・・という話をしていた。世界中で日本語が通じるのは日本のみ。効率からいえば英語に勝る言語はない。

それでも熱心に日本語を学ぶ学生に敬意を表して、今日はにわか日本語教師になる。授業の一環だというので責任あり。

すでに各班に分かれてる中に私たちは1人ずつ入り、思い思いの教育法?で日本語を学んでもらう。日本人であるというだけで、教えられるわけでなし、冷や汗をかきかき2時間。ようやく終わって、声もかれ、疲れもどっと出てきた。

終了後、今回この授業に同行したかつての奨学生2人を交え、喫茶店でしばし休息。「トゲバンレイシ」という果物のジュースをいただく。アイスクリームシェイクみたいな感じでとてもおいしい。帰途へ。

 

1800 先ほどの先輩学生2人をふくめ、こちらに残っている人たちも一緒に夕食。

これは忘れない。メニュー豊富なホテルバイキング。カキやホタテ、エビなど、その場で焼いてくれる。お寿司もある。

ゴルフボールより大きなタニシ(?)のような物も焼いてもらい食べてみた。同行したベトナムの女の子が好物らしく、たくさん焼いてもらっていた。

片っ端から食べてみたいが、そろそろ体重が気になり少しセーブ。

 

2000 長い暑い汗びっしょりの1日が終了。ホテルは目の前。歩いてサイ・ゴンホテルに帰着。いよいよ明日を残すのみとなった。 

 

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):同行記(2) by Tsuchiya (10月1・2日)

2011-10-16 | 奨学金授与の旅


3日目  ロンスエン市からチャウドク市 

 

10月1日(土)晴れ    

08:00 ホテルを出てバスに乗ると、間もなく激しいスコール。ものの10分も走ると、うそのようにやんでいる。

走る道の両側の店や民家(?)の奥には、きまって何本ものハンモック。ずーと以前、子供のころ家にもあった。なつかしい。ゆられてみたい気分にさせられる。

 

09:20 カンボジアの国境に近いチャウドク市のヴォーティサウ高校に到着。

先生はじめ、赤いスカーフを巻いた中学生、アオザイの高校生60名が出迎える中、私たちは到着。思わず「カッワイイ カッワイイ」を連発。

授与式開会とともに、私たち全員に立派な花束をいただき、今までの生涯で数回しかこのような経験のない私は、涙!が出んばかりに感激。(旅の途中だし花束もらってもね・・・式終了後は、出席の校長先生に渡すことになっていた。)

 

授与式では、生徒それぞれに手渡す。

中学生はみな小柄。本当にかわいい。

高校生は真っ白なアオザイ。ちょっとセクシー!かな。

式は男子学生の独唱など。日本側は、東北の地震、津波以来、盛んに歌われている「ふるさと」の合唱。歌っていると涙が出てきてしまう。困った。中学生など、なんで涙を流しているんだろう、なんて思ったかもしれない。

しばし交歓。

 

ベトナム側は「さようなら」。日本側は「タムビエット」で、挨拶しつつ、学校をあとに、その足で先生たちと昼食交流のレストランに。

これが本当ににぎやか、すっかり盛り上がり、帰りには、先生手作りの貴重な薬用酒をメンバーに届けてくれることになり、バイクで家へ取りに帰ってしまった。他のメンバーは、しばし待つことに。

無事に薬用酒が届き、13:30いったんホテルにて、しばし休憩。

 

また次なる訪問校、基金のメンバー個人が教室建設を支援したビンチャウ中学校へ。

途中から大型バスが入れないので、乗り換える小型の車2台が来るまで、休憩タイム。

ココナツジュースを飲んだり、付近を散策したり、数枚でいくらのマスクの交渉に手間取ったり、と思い思いに待ち時間を楽しんだ。私は、8万ドンの半ズボン(たぶん男物)を購入。これで、今までの汗まみれの臭いズボンから解放される。

 

15:30 基金メンバー個人の好意で授与式、奨学生20名。

式終了後、剣玉やコマの贈り物。実演をしてみせる。お互い夢中になり大騒ぎ。

ちなみに私は、何をやらせても、ぶきっちょ。剣玉もコマもできない。こんなときは、やはり何か得意技があるほうがいい、と思うことしきり。

サイン攻めの中、帰途へ。

 

次なる訪問校ビンチュウ幼稚園へ。

16:00 アオザイ姿で出迎えてくれた先生(年に何枚か制服として支給されるとか)に、剣玉やコマを贈呈。実演をして、いったんホテルへ。

19:00 ビンチャウ幼稚園の先生たちと鍋を囲んでの交流会。アオザイに着替えてきたので、ちょっとちがう人みたいな気分。暑いうえに鍋。つゆだくならぬ、あせだくの交流会でした。

21:00 ドン・ナムホテル帰着。やっと汗臭さから解放される・・・。

 

4日目  チャウドク市 

 

10月2日(日)晴れ   

08:00  昨日の奨学生のうち、中学生10人、高校生10人と一緒に今日はハイキング。

 グエン・ディン・チュー中学校とヴォーティサウ高校から、女の先生が2人ずつ参加。


 天気もよく気分もよし。気楽になれる。

 

市場近くの駐車場に着いて、私たちが市場見学のため降りている間に、バスが奨学生を迎えにいってきた。市場から戻ってみると、バスの中には、名札をつけた奨学生たちが1人ずつ座って、私たちを待っていた。

私のとなりは、トアちゃんという女の子。資料には8人兄弟となっていた。

 

バスから降りて歩くときは、それぞれ手をつなぐ。

すっかり子供と手をつなぐ習慣から解放されているので、手をつなぐことを忘れてしまう私は、どの子かわからなくなってしまう。そこで、足元をしっかり覚えておくことに。(トアちゃん、ごめんなさい)

 

まず始めに、サム山の中腹にある福田寺へ。寺からチャウドックの美しい田園風景がながめられる。

次は神聖なサム山登山。「頂上まで30分、頂上からはカンボジアの田園風景が見渡せる」というガイドブックの説明に、簡単に行けそうなので楽しみにしていた。

が、時間がないとのこと。それでもねばり、途中まででもと、希望者のみ地元の小学生をガイド代わり行く。

ずうっと急な階段が続く。

前を行くトアちゃんの足元だけを見て、階段を上る。トアちゃんはサンダル履き。足のひとさし指(?)が長く先がまあるい。しっかり大地を踏みしめている感じが伝わってくる。

見晴らしのよいところで、風景を目に焼き付け、記念写真を撮って下山。

もう1ヶ所寺をまわり、それから、みんなでフォーの昼食。

また一緒にバスに乗り、次なる予定のクルージングへ。

 

マングローブならぬ、ユーカリに似たカユブテの林をボートで行く。

さぎの営巣地になってるとかで、夕方にはたくさんのさぎが帰ってくるそうだ。

ボートをおりて今度は展望台へあがり、望遠鏡で湿原に帰ってきたさぎの群れを観察。有料の望遠鏡に子供を忘れ、大人が夢中になって見てしまった。

 

帰りのバスは、男子学生の独唱に始まり、ベトナム語、日本語両方の「ドラえもん」の歌や、ベトナム民謡など。日本側は「上を向いて歩こう」「また会う日まで」など、歌の交歓会。

その後いったんホテルに立ち寄り、寄贈するコマなどの実演をして、子供たちを学校へ送りとどけた。

 

19:00 私たちは夕食。子供たちは、これから1時間かけて自転車で帰る子や、バイクで帰る子などがいると聞いて、少々心配になる。

とにかく楽しく、長い1日が終わる。

さあー、これから夕食。ここでやっと、我々も冷たいビールにありつける。

ヨー!の大歓声とともに乾杯。飲んで食べて飲んで・・・なにを食べたか忘れてしまった。

 

21:00 ドン・ナムホテル帰着。疲れたー。おやすみなさい。 

 

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):同行記(1) by Tsuchiya (9月29・30日)

2011-10-15 | 奨学金授与の旅

 

 

*FUJI教育基金では、2011年は9月29日から10月6日まで、ベトナム南部で奨学金授与の旅を行いました。以下、初めて参加の土屋さんから寄せられた同行日記です。なお、南部への授与の旅を終えてから、役員を中心にベトナム北部も訪問しました。

 


 

1日目      成田からホーチミン市 

929日(木)晴れ   成田→ホーチミン市 VN951 10001400

 定刻発、少々早めの到着。途中気流の関係で多少ゆれる。 

 入国手続きを終え、いよいよスタート。 

 チベットに発し  南シナ海に注ぐ延長4,000km超の大河メコンに出会える! ただそれだけの、多分に旅行気分の参加なので、先行きが心配。

空港を出ると一気に蒸し暑い。気温は32度あるという。 

空港で合流した方々と、現地参加者5人を加え、総勢18人、専用車でまず最初の訪問校、カントー市への途中にあるタンタオ大学へ。 

 

バスをおり、案内され、大学の中に。広大な土地に、ただいま校舎を次々建設中。 

現在85名の学生。学費、寄宿舎無料という。

最初の訪問校なのに、まわりの景色ばかり気をとられ、印象が薄い!

 

ここへ来る途中、休憩した市場ばかりが思い出される。

トロピカルフルーツがたくさんあり、皆おりて少しずつ試食する。

ゆでピーナツがおいしかった。

その傍らに、真っ黒なつけひげのような形をして、硬い殻におおわれ、どうして食べたらいいの・・・の菱の実があった。食い気と好奇心で挑戦。中身は甘みのうすい栗のような感じ。

そこで、すでにいろいろ食品を買い込む。

 

タンタオ大学では、スワン先生を知っている方は再会!

だが、私は、だれが誰だかわからない。(すみません)

何もわからないままに、1つクリア。

 

最初の宿泊地、ニン・キュウホテルへ向かう。

ホテルに近づくあたりから、床下浸水くらいの水。メコン川が溢れるらしい。(679月が雨の多い月らしい)

大型バスなので迂回せざるをえないようだ。

 

2020分過ぎに、カントー市のニン・キュウホテル到着。

ようやく食事に・・・

夕食は、生春巻き三昧。

なんの葉っぱかわからないが、たくさんでる。どくだみの葉はわかる。それも含め少々刺激的に春巻きを楽しむ。

メコン川で養殖されている「象耳魚」のからあげもおいしい。しっぽまでカリカリ。頭まで、バリバリ食べられそう。ここはちょっと気取ってしっぽでやめておく。

 

たらふく食べて解散。

やれやれ!緊張の初日が終わった。

 

 

2日目    カントー市からロンスエン市へ

 

930日(金)晴れ時々小雨

0730 時々小雨が降る中、メコン川へ水上マーケットを見学へ行く。

途中、道路が冠水。向こう側へ気合もろとも飛び越えたり、渡れるところまで歩いたりと、ボート乗り場まで行くのも大変。

やっとモーターボートに乗り、メコン川を下り、水上マーケットへ。

近づいてくる小舟から、マンゴーやリュウガンを試食したり、買ったりと、豊富な果物を楽しむ。

 

その後、バスに乗り、農業研究でその名を知られるカントー大学へ。奨学金授与式に参加。

授与式終了後は、学生たちと昼食をとりながら交流。

食べることに夢中になっているうちは、まあまあ。一息ついてからの交流が大変。

シャイな男子学生にどう話してよいやら、習いたてのNgonしかでてこない。

ケイタイやデジカメを見せながら、つたない英語を交え交流。

多少のベトナム語も習っておくべきかも。それでも何とか努力!

 

次なる訪問校へ。メコン川を右に見ながら、ロンスエン市へ。

1500 いったんロンスエン市のホアビン(平和の意とか)ホテルへ。

すぐに出発、アンザン大学へ。

 

立派な会議室に通され、私には、ちょっと場違いな感じ。偉い人になった気分。

 また、その都度、各大学へ、ベトナム語に翻訳された新渡戸稲造の『武士道』を寄贈しているが、日本人の私すら読んでおらず、反省しきり。

読んでみなくては、と思うばかり。帰ったらすぐ忘れそうだが・・・

式では、230万ドンの目録を手渡す。(当日のレート、この円高で1円が280ドン程度)

この金額で、こんなに感謝される!

奨学金の額を多くするか、授与する人数を多くするか、など、話がでてる様子。(両方が当然いいでしょうね)

その後、奨学生・元奨学生など50人くらいが長テーブルに一同に会し、夕食をとりながら交流。学生は一様にシャイな感じ。

でこの後は、何を食べたか、記憶がすっかりぬけている。

2030 ホアビンホテル帰着。