2011年9月30日 お天気:あめ
早朝、ホテルのバイキングで朝食をとった。
春巻など揚げ物類が目に入り、身体に悪そうと思いながらも、朝からガツガツ胃袋に詰め込んだ。
昨夜はふかふかのベッドでぐっすり寝てしまった。
こんな贅沢をしていいのだろうか……。
朝食を済ませた後、水上マーケットを見学。
◆水上マーケット
しばらくの間、川を突き進んだ。
川の両側に、人が住んでいるらしき素朴な家がポツポツと並んでいた。
川の左右で家の素材が多少違っているように感じた。
気のせいかな。
左側のほうが、少し新しいというか、頑丈な造りに見えた。
途中、メコン川で大量に掻き集められた砂の山を運ぶ船や、ガソリンスタンドに遭遇。
しばらくして、ようやく水上マーケットの現場に到着。船がたくさん集まっていた。
生まれて初めて間近で見た水上での果物の売買は新鮮そのもの。
常に陸の上で生活をしている私からすると、ここでの生活は不思議でならない。
逆に、ここで暮らしている人からすると、私の生活環境は不思議なものなのだろうか。
各船からは、長い棒が空に向かって突き上がり、そのてっぺんには品物が引っ掛けてあった。
どの船で何を売っているのか、遠くからでも見えるようになっていると、カーさんが教えてくれた。
果物を山盛り積んだ船が近付いてきてはとりあえず試食をし、味や気分で買ったり買わなかったり。
種や皮はポイポイと水の中へ放り込む。
日本でやったら、ご近所の人に白目で見られそう。
水上では果物以外に、宝くじやフォーまで売っていた。
これには驚いた。
宝くじを売るおじさんは、以前までは船を購入するお金がなく、泳ぎ回って販売していたとか。
紙を濡らさずに、どうやって泳いでいたのだろう。
そしてフォーは、波で船が左右に揺れる中、スープをこぼさずに食べられるものなのだろうか。
見学が終わった頃に、タイミングよく雨が降りだした。
◆カントー大学(Can Tho University)
その後、FUJI教育基金が支援を開始してちょうど今年で20年を迎えるというカントー大学(Can Tho University)へ向かった。
(カントーは、いくら口で言っても発音が下手すぎてベトナム人に聞きとってもらえない。私の場合だけかもしれないけれど。)
カントー大学の奨学生の1人に尋ねたところ、現在6万人の学生が在籍しているという。
早稲田大学より多い。
授与式には、現在社会人や院生となった過去の奨学生も出席していた。
私たち日本人に笑顔で親しみを込めて接してきてくれた。
こちらもその笑顔につられてにっこり。
現役の奨学生は少し緊張しているのか、あるいは形式的な授与式にとまどったのか、顔が硬くこわばって見えた。
こちらも、つられてこわばってしまった。
無事に授与式が終わり、昼食をとるべく学生食堂へ向かおうとバスに乗り込むと、ルーンさんが1人の女子大生を紹介してくれた。
トゥー(Tu)さんという。
彼女はボー・ティ・サウ高校の元奨学生で、今この大学で3年目を迎え、電気(理系)の勉強に励んでいるという。
感謝の気持ちを込めて、FUJI教育基金のために、電気を利用した置物を作ってくれた。
「FUJI」という文字と富士山の絵が、スイッチ1つでピカピカと可愛いらしく光る。
単純にその技術が凄いと思い、また感謝の気持ちを行動で表すトゥーさんを素敵だと思った。
その後、偶然昼食で席が隣になったトゥーさんに将来の夢を聞いてみた。
記憶が間違っていなければ、彼女はこのようなことを言っていた。
「私が今勉強している電気に関わる仕事には、機材が重く肉体労働が多いので、ほとんど男性が就いている。
でも私は小柄で、男性のようには働けない。
だから、女性でも働けるような仕事のモデルを考えて作ることが夢。」
現実的かつ冷静に、そして前向きに逞しく話す彼女の姿は21歳。
でも、頭と心は私より年上な気がした。
授業以外の時間は、勉強するか友達とカフェに行くかのどちらかだそうだ。
◆アンザン大学(An Giang University)
長い昼食を終え、次なる目的地のロンスエン市(Long Xuyen)にあるアンザン大学(An Giang University)へ進んだ。
2年前にここを訪れたメンバーの方々は、その変貌ぶりにだいぶ驚かれているようだった。
以前工事していた建物がほとんど完成し、まるで別の場所のようだという。
私は比較ができず残念。
ただ、広々としていて雰囲気が好きだった。
アンザン大学は創立11年(注)。
教師900人に生徒1万3,000人。
ベトナムの大学ランキングトップ10に名を留めているという。
FUJI教育基金のアンザン大学への奨学金授与は、2006年に開始したという。
奨学金を受け取る学生の選定方法は:
① 成績
② 家庭の収入
③ 担任と相談、大学が決定
の順序だという。
アンザン大学にはFUJI奨学基金以外からの奨学金があるが、奨学金によっては、①と②の順序が逆の場合もあるという。
副学長の姿勢は、奨学金を提供してくれる相手の考えを尊重するというものらしい。
日本側からの
「今後も奨学生を20人にするか、減らして1人当たりの金額を上げるか」
という問いかけに対しても、FUJI教育基金に任せるとの回答だった。
奨学生が20人と多く、またルーンさんのお心遣いもあり、私もFUJI奨学基金の皆さまに紛れ込み、奨学金を手渡させていただいた。
支援をしていないのにとても申し訳なく、複雑な気持ちで顔がひきつってしまった。
でも、手渡す相手が偶然、授与式のあいだ隣の席に座っていた男子学生で、会話を交わしていたことから、ほんの少し気持ちが和らいだ。
その後、彼は思い出にとキーホルダーをくれた。
(ありがとう。)
奨学生を代表して、1人の学生が、FUJI教育基金の皆さまへ感謝の気持ちを述べた。
偶然近くに座っていた私には、スピーチを続けるにつれ、彼女の瞳が徐々に潤んでいくのが見えた。
彼女の隣の席に座る女子学生も、同じく目に涙を浮かべていた。
2人の女子学生の姿が、今も頭に焼き付いている。
同情したからではない。
スピーチをした学生に関しては、その瞳に力強さと、自分にはとうていない逞しさを感じた気がした。
自分のことだけを考え自分のためだけに生きている自分と、家族のために生きる彼女の違いはとても大きい。
とはいえ、授与式の終盤、FUJI教育基金から可愛い消しゴムやお菓子が配られると、学生の緊張・集中力は一気に切れた。
もう後は永遠と、がやがやざわざわ。
でも、学生の作り笑顔や聞いているフリをする態度でなく、この自然なリアクションに何故かほっとする自分がいた。
授与式後は、学生からFUJI教育基金の皆さまへサイン攻撃。私も何人か書かせてもらった。
日本では有名人でない限り、こんな経験はない。
とても不思議に思っていたら、どなたかが、
「(サインをもらうという行為は)外国人とコミュニケーションを取るための1つの手段として学生が学んだことなのかな」
とおっしゃっていた。
確かにそうなのかな。
夜は奨学生や先生方の他、アンザン省で日本のお米を栽培していらっしゃるという江森さんと、青年海外協力隊でこちらにいらしているという木戸さんも交えての夕食。
学生たちの遠くに座ってしまい、交流できたのは1人の学生と先生方数名のみ。
後悔。
連日毎食、さまざまな種類のお鍋を皆で囲んでいる気がする。
確実に胃袋が大きくなっている。
今日も長い1日が終わった。
(注) The Prime Minister (PM) signed the Decision on An Giang University's Establishment in December 1999, thereby meeting the requirements of the Mekong Delta provinces to improve the quality of education in Vietnam and to share the responsibility with Can Tho University to offer higher education to the 40,000 high school students graduating every year throughout the Mekong Delta provinces.
*高階さんのウェブサイト http://blog.canpan.info/maripo http://vietnamworkcamp.com http://fiwc.jp/index.html