ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

ドクさんの子どもたちが、3歳になりました。(ベトナム)

2012-10-24 | ドクさん

 ドクさんご夫妻のお子さんが、あした、3歳の誕生日を迎えます。

 PHU SI (フ・シ)君とANH DAO (アン・ダオ)ちゃん(家で呼ぶ場合などはニックネームでそれぞれ FUJI と HANA と呼んでいます)です。

 写真が送られてきたので、紹介します。
 かわいいですね~。

←ご両親といっしょで、みんな、うれしそう。

 ←仲がいいねー。

  ←かっこ、つけちゃって。

 ←日本の和服がよく似合う。

←HANAちゃん、すてきだよー。


ドゥック・ニホン“美しい世界のために”

2012-07-20 | ドクさん

 ドクさんが、最近、友人たちとともに、「ドゥック・ニホン“美しい世界のために”」というグループを立ち上げました。

 このグループの趣旨は、

「利潤やその他いかなる利益を得るためではなく、私たちのグループ、ドゥック・ニホン“美しい世界のために”は私自身の名前を冠し設立され、活動することとなりました。困難や恵まれない状況にある人々、孤独な高齢者、寄る辺のない孤児、障害者、貧困にありながらもそれを乗り越え学ぶ生徒たち等への支援を目的としています」

です。

 ホーチミン市で発行されている新聞『Tuoi Tre"(若者)』紙・英語版の記事「Surviving Siamese twin gives back to society」で、紹介されています。


ドクさんの家族

2012-03-28 | ドクさん
ドクさんから、家族の最近の写真が届きました。
 
子供たちは、もう2歳5カ月と2日になりました(生まれは2009年10月25日)。
 
元気そうです。
 
親曰く:このように育てるには、大変でした。

映画「沈黙の春を生きて」

2011-08-23 | ドクさん

 FUJI教育基金会員のMさんが、今日、渋谷で坂田雅子監督作品ドキュメンタリー『沈黙の春を生きて』試写会に行ってきました。

 Mさんによれば、坂田雅子監督は、我々に、

 「戦後35年たったいまも、被害はアメリカの帰還兵にも広がっている事を知って、渡米した。
 そこで出合ったのは、自分と同じ帰還兵の夫を持った未亡人や、その子供たちだった。戦争の傷痕は、当時生まれてさえいなかった子供たちに、国境を越えて残っていた。
 未来の世代に再び負の遺産を残さないように、今、私達に何ができるのだろうか。この映画は、その1つの問いかけである。」

と訴えていたそうです。。
 なお、坂田監督の御主人グレッグさんは2003年春、54歳で亡くなりました。
  「原因は肝臓がん。ベトナム戦争時に浴びた枯葉剤が原因ではないか、と友人に指摘され、私は枯葉剤について知り、今のベトナムを自分の眼で確かめたい、と思いました。悲しみを乗り越えるため、何かをせざるを得なかったのです。」(http://cine.co.jp/hana-doko/director.html より)

 また、ゲストとして、この作品に協力したヘザー・A・モリス・パウザーさんが来られました。
 1972年生まれ。ベトナム帰還兵の父を持ち、彼女自身右足の膝から下と左足のつま先、両手の指が何本か欠損しています。、 「お父さんは、38歳のとき枯葉剤の影響で病気を発症、PTSDやアルコール依存症、うつ症状抱え、1998年に50歳の若さでなくなった」との紹介でした。
 インタビューは、マスコミ関係者のみでしたが、何か私も、感じるものがあって感動しました。

 沈黙の春を生きて』は、2011年9月24日(土)~10月21日(金)まで、岩波ホールで上映されます。ぜひ、ご覧ください。

 今秋、大阪(第七藝術劇場、長野(長野ロキシー)でも上映が予定されています。

[ 月~土 ] 11:30/14:00/16:30/18:50 ※1
[ 日 ] 11:30/14:00/(16:30) ※2 

※1…土曜日の18:50は日英字幕併記版の上映
※2…日曜日の16:30は同監督作品『花はどこへいった』の上映 

 公式ホームページでの内容紹介は、

 「1962年にレイチェル・カーソンが著した『沈黙の春』は、当時隆盛を誇った農薬の危険性を予言し、DDTが禁止されるきっかけとなった。

 一方、その頃ベトナムでは、ジャングルにひそむゲリラの隠れ場所をなくすため、米軍による枯葉剤散布がはじまった。枯葉剤は農薬と同じ成分を持つが、人体や自然環境に多大な影響を及ぼす、猛毒のダイオキシンが含まれていた。

 当時のアメリカ政府が「人体に影響がなく、土壌も1年で回復する」と説明していた枯葉剤は400万人のベトナム人に直接散布され、その被害は戦後35年を経たいまも続く。当時ベトナムに駐留していた米軍兵士も枯葉剤を浴び、帰還兵の多くがいまだにその影響に苦しんでいる。被害は彼らの子供や孫の世代にまで及ぶ。

 帰還兵の娘、ヘザーは片足と指が欠損して生まれた。父の戦場であったベトナムを訪ねたヘザーは、両国の被害者が繋がっていくことの大切さに気づく。

 本作は、枯葉剤の刻印を背負ったベトナム・アメリカ、双方の子供たちの困難と勇気を描き、レイチェル・カーソンの予言的言葉に再び耳をかたむけることの大切さを訴える。」


ドクさん夫妻とPHU SI君

2011-01-30 | ドクさん

 先週、日本に戻ってきました。
 今年は、ハノイは寒い日が続いていて、気温が10度までさがりました。
 ホテルでも、暖房設備が整っておらず、寒い部屋で震えていました。
 サパはもっと寒く、雪がちらつきました。
 作物や、家畜の生育にも影響が出ています。

 ベトナム(ホーチミン)を出る直前、ドク君が来てくれて写真を撮りました。
 

 男の PHU SI (富士山)しかいない。
 もう一方の ANH DAO (花)ちゃんは母方のおばあちゃんにべったりで、付いてきてくれなかったそうです。          (ルーン)


ドクさん夫妻に誕生祝をおくりました

2009-12-12 | ドクさん

11月末の「FUJI教育基金奨学金授与の旅兼忘(望)年会」のとき寄せられた誕生祝とお祝いの寄せ書きを、12月6日、ドクさん夫妻に贈りました。

←ドクさんと赤ちゃん

 
  ↑ FUJI君                              ↑ HANAちゃん


←誕生祝いの寄書きとお祝いを手渡しました

↓FUJI君には富士山の絵の色紙に、HANAちゃんには桜の花の図柄のタオルに、有志がお祝いの言葉を寄せ書きしました。




ドクさん夫妻の子どもたちが生後1か月のお祝い

2009-11-26 | ドクさん

ベトナムのドクさん夫妻のお子さん、FUJI君とHANAちゃんが生まれて1カ月がたちました。
発育は順調で、ドクさんの子供たちはふたりとも退院して、お母さんと一緒にいます。ともに元気ですこやかです。
生後1か月のお祝いをしました。ベトナムのしたきりでは、生後1ヶ月祝いがあります。ここには、お汁粉が必ずあります。


↓親子4人で写しました。お汁粉の他に、おこわも必ずあります。セットです。



↓ふたごのお子さんです。



↓FUJI君です。



↓HANAちゃんです。






ふたたび、ドクさんの息子FUJI君について

2009-11-08 | ドクさん

 ドクさんの子供たちの名前について、ちょっと説明します。
 ふたごの子供たちは、下記のように命名されました:

男の子:正式名: PHU SI (フ・シ)
女の子:正式名: ANH DAO (アン・ダオ)


 そして、家で呼ぶ場合などはニックネームでそれぞれ FUJI と HANA と呼んでいます。
 ドクさんによれば、日本とのつながりが強くて随分お世話になったので、是非日本とゆかりのある名前を付けたかったとのことです。

 ANH DAO の意味は桜ですが、ドクさんによると Sa-ku-ra は長いし、また HANA という言葉が大好きなので、「 HANA」と呼んでいるそうです。
 ちょっと説明させていただきますと、ベトナム語は、単音節でひとつひとつの発音ひとつの言葉でひとつの意味があります。ですから、ひとつの言葉が3つの音節もあるのは、ベトナム人にとって長いほうです。おそらくドクさんは、そう感じたのでしょう。

 それから ANH DAO の発音は アン・ダオ ではなく、アイン・ダオだという人がいるかもしれません。
 両方、間違いではありません、出身地の違いです。北部出身の人の発音はアイン・ダオで、南部出身の人の発音はアン・ダオです。ですからベトナム人にふりがなをつけてもらえば、その人がどちらの出身かが分かります。

 なお、FUJI君は退院したものの、現在まだ小さいため「カングルー式保育」で育てられています。
 つまりお母さんの胸に常に抱きかかえられているというです。期間は出産時と併せてお母さんのお腹に10月10日になるように計算されます。