ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):旅の記録(4) by Takahashi (10月2日)

2011-11-23 | 奨学金授与の旅

2011年10月2日 お天気晴れ

ヴォーティサウ高校、グェンディンチュウ中学校学生20人と1日ハイキング

[午前中:サム山登山]

朝一、近くのマーケットを探検。

アオザイの生地や地元の食べ物を見て回った。


途中、少年が物を売りに来た。

子どもを利用して物を売らせ、裏で操っている人が世の中にはいる。

よく聞く話なので、何も買わなかった。


マーケットの外へ出ると、片足のない人がお金を求めている姿を目にした。

ベトナムへ来て似たような光景を見過ぎてしまったからか、あるいは元から冷めているのか、何とも思わなくなっている自分に気付く。

人間慣れることも、割り切れることも時に大切だと思う。

でも、感情の薄れが無関心へと繋がらないよう、気を付けたい。


その後、学生と共にサム山へ向かう。

目的地に到着すると、誰の指示があったわけでもなく、皆バスを降りるなり隣に座っていた学生とペアになり、手をつなぎ、歩みだした。


サム山の中間地点にあるフックディエン寺まで、少々急な階段を登ること10分。

途中、お坊さんがたくさん集まり、体育座りやあぐらをかきながら、チェーらしき美味しそうな物を食べている姿を発見。

日本のお坊さんのイメージとは違い、とてもラフな感じ。


お寺から街を見渡し、景色を楽しみながら、写真撮影パーティー。

人が油断しているスキを狙っては、シャッターを切るカーさん。


その後、希望者のみ引き続きサム山登山。

途中、疲れ果ててバテる私たち日本人。

それに対し手を握り、引っ張ってくれる学生。

足元に気を付けてと、誘導してくれる学生。

後ろから押してくれる学生。

優しい…。

急な山道をしばらく登り続け、何とか到着。


頂上で撮影した集合写真は、皆汗だくになりながらも誇らしげ。

地上を見渡すと、綺麗な山や川、田んぼが視界一面に広がる。

どれが何だかわからなかったけれど、きれいな景色に見とれ、安らぎを感じ、身体いっぱいに新鮮な空気を吸い、再び来た道を戻る。


下山途中、地元の人が木に成っている小さな実をわけてくれた。

あの実が何だったのかは不明。

カーさんがベトナム語で聞いてくれたけれど、どうやらよくわからなかった模様。

小さく、黄色い実で、不思議な味がした。


昼食はフォー。

久しぶりの軽食で、胃がほっとため息をつくのを感じた。

初めて2種類の麺が混ざっているフォーを食べた。

阿部さんが描いた、女子中学生のスケッチ

前や隣に座る学生に何度か質問し声をかけてみたけれど、その後会話が続かず。

心と気力が折れ、しばし沈黙。

[午後:クルージング]

下手に手を出したり、左右に揺れると、今にもひっくり返りそうなボート。

360度見渡すかぎり緑に包まれた自然の空間。

木々が深々とそびえ、水面は花や葉で覆われ、木の隙間からは、サギがひょっこり姿を現す。


途中、大きなボートから小さなボートに乗り換え、さらに奥へと進んで行く。


ボートの台数に制限があり、半分以上のメンバーがしばし待機。


予想外に長い待ち時間だったため、ついにカラオケ大会が始まった。

最初は学生、次に先生、そしてFUJI教育基金へと順番が回ってきた。

ルーンさんが私の知らない日本の曲を披露している姿を見て、何だか恥ずかしくなった。

昔の曲だからではない。

日本を知らなさすぎる自分を改めて自覚。


その後ゲームをして遊び、ようやくボートにありついた。


絵に描いたような美しい景色。

ベトナムではじめてゴミ一つない自然に触れた今回のクルージング。

緑の香り。

鳥の鳴き声。

風の音。

申し訳ないことに、しばし学生のことを忘れてしまった。

ボートに乗り、心地よい向かい風をあび、気持ちよさそうにする鈴木さんの表情が懐かしい。

初めて来たという学生も、笑顔が絶えなかった。

普段はいつも勉強か家事に追われているのかな。


残念ながら展望台へは時間の関係で行けず。

でもクルージングで充分幸せ。


いちど皆でホテルに戻り、けん玉や駒の遊び方が伝授された後、学校へ戻り、学生は各自自転車などで帰宅。

      

夜は、久しぶりに会食ではなく、FUJI教育基金の皆さまとのみの晩御飯。

飲酒派。

無飲酒派。

どちらもいける派。

お酒により、自然と座る位置が大体決まる。

      

明日はいよいよ(個人的に)最終日。


*高階さんのウェブサイト http://blog.canpan.info/maripo
                 http://vietnamworkcamp.com
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2011年奨学金授与の旅(ベトナム南部):旅の記録(3) by Takahashi (10月1日)

2011-11-20 | 奨学金授与の旅

2011年10月1日 お天気晴れ

午前中:ヴォーティサウ高校にて授与式に参加

ヴォーティサウ高校と、グェンディンチュウ中学校の合同授与式が行われた。

今回の旅で、初めて高校生以下の学生と接する機会。

授与式の会場に向かう途中、通りがてら授業中の教室をちらっとぞき込むと学生がこちらに気づき、外国人の私たちを興味深そうに、そろって眺める。

スター気分で手を振り、授業を妨害。

予定より30分ほど早く到着してしまったにもかかわらず、学校関係者の方々は全員揃い、私たちを暖かく出迎えてくれた。


先生方と女子高校生は素敵なアオザイに、中学生は可愛いユニフォームに身を包んでいた。

[授与式での感謝の言葉で思ったこと]

1人の中学生が奨学生を代表し、FUJI教育基金へ感謝の言葉を述べてくれた。


メモを読み返し、こんな話をしてくれたことを思い出した。

  一生懸命勉強することで、家族を助けることができ、それが脱貧困につながる。

  奨学金をもらえたことは、努力が実った1つの証。

何となく印象に残る言葉だった。

 「自分が◯◯をしたい。」

 「自分が〇〇の仕事に就きたい。」

 「親が子どもを養ってくれる。」


当然のように「自分」ばかりを主張してきた私など、思ったこともない奨学生の言葉。

中学生にしては、ずいぶん大人っぽいスピーチだったように感じた。

テレビでもなく、新聞でもなく、目の前にいる学生が言っている言葉だから、心に残った。

でもこのような発言は彼女に限らず、他の奨学生もしている。

共通しているのは、「家族」というキーワード。

  「お金持ち=幸せとは限らない」

よく聞く言葉だけれど、本当にそうだろうなと思った。

ふと、自分自身の家庭における役割、存在価値、存在意義を自問した。

これまで、私は家族のために何をした?

してもらったことなら、数えきれないほどあるのに。

したことは思い付かない。

      

授与式の終盤には、学生が歌を披露してくれた。

あ、やっぱり…笑

「ベトナムの人は特に歌が好き。」

初めて渡越した時以来、その印象が私の中で非常に強い。

ハンセン病の療養所へ行き、そこで暮らす子どもと交流をすると、親や先生方の多くが私たちへのお礼にと、歌を歌うよう子どもたちに進める(強制的にも見える)。

ベトナム人の友達の多くも、本当に気持ちよさそうに歌う。

いつでも、どこでも。

さすがに、これまでの大学で歌の披露はなかったけれど、今回は中高生がそろって歌ってくれた。

[質疑応答と、私の疑問]

全てのプログラムを終え、質疑応答の時間が設けられた。

FUJI教育基金のルーンさんが、以前にも毎年奨学金を受け取っている学生がいるかどうかを尋ねたところ、2人の学生が挙手した。

(私の席からは2人見えたけれど、もしかすると陰に隠れて他にも数名いたかもわからない。)

このうち1人は高校2年生で、もう1人は3年生。

それぞれ2年、3年連続奨学金を受け取っているという。

正直、その少なさに驚いた。

      

旅中気になっていて、そのままにしてしまった疑問があった。

FUJI教育基金では、奨学生の選出は各学校に任せているということを、授与式を通じて理解した。

そして今回ヴォーティサウ高校を訪問し、奨学生の多くが毎年変わるという印象を受けた。

最初、奨学生の多くは家庭の事情により、奨学金なくして学校に通うことが困難であると理解していたので、毎年奨学生が変わるという状況の中、学生個々人に対する継続的なフォローアップはどのようになされているのか気になった。

去年奨学金を受け取り学校へ通えたけれど、今年は選ばれず、結果的に退学あるいは進学しないという学生はいないのだろうか。

もしいるならば、どれくらいいるのだろうか。

同じ学生を、必要に応じて入学から卒業まで面倒を見る、という方法をとる学校もあるのだろうか。

でもそうすると、他の学生にチャンスがまわらず、フェアではないのだろうか。

などなど…。

[女性教師に聞いたこと]

その後、ヴォーティサウ高校の先生方と近くのレストランにて昼食。

授与式で司会を務めた英語教師のロアンさんと隣りの席になった。

とても若く、私とあまり変わらないと思ったので、失礼を承知で聞いてみたところ、20代後半で既に3歳の子供がいるという。

ビックリ。

ロアンさんに、なぜ教師になったのか尋ねてみたところ、

「親の希望・勧め」だと言う。

ベトナムにおいて、教師は女性にとって最高の仕事だと考えられていると教えてくれた。

ロアンさんいわく、彼女の時代はまだ親の言うことが絶対だったという。

次いで、なぜ英語の教師になったのかを尋ねてみたところ、これまた、

「父親の希望・勧め」というので驚いた。

よくグレなかったなぁ…。

他にも、ベトナムでは育児休暇が4ヶ月あること(収入あり)や、親が信頼し安心して子供を預けられる保育所を見つけることが困難な現状を教えてくれた。

ちなみに、女性の先生方がアオザイを着ているのは、学校の決まりだという。

アオザイが制服。日本で教師が着物を着る感じだろうか。

大変だ。太ったらもっと大変。

私が小中学生の頃、日本の先生はジャージを着ていた。

午後:ビンチャウ中学校とビンチャウ幼稚園を訪問

中学校はわずかな滞在で、学生と交流する時間がほとんどなかったが、バレーボールやサッカーをして遊ぶ学生に混ぜてもらい、少し身体を動かした。

スポーツは言葉がいらないから打ち解けやすい。

中学生の多くは、年齢よりも若く、そして小さく見えた。

中には小学校低学年かと思うような子もいた。

それでも印象的なのは、やっぱりエネルギーと笑顔。

      

FUJI教育基金の皆様が初めてこの中学校を訪れたときとは、だいぶ変わっているのかもれない。

その変化をいっしょに味わうことができず残念に思いつつ、私にとっては今回のこの明るい印象が非常に強い。

      

ビンチャウ幼稚園は、本日休日のため、子どもたちはいなかった。

各部屋にはおもちゃの他、壁や天井一面に様々な飾り付けがなされていた。


先生方がアイディアを出し合いながら、時に自費で材料を調達し、手作りで作った飾りがたくさん。

本当に、子どもにとっては夢のような部屋。


      

夜はビンチャウ幼稚園の先生方と会食。

今晩もお鍋。

でも毎回違うお鍋。こんなに種類が豊富とは。

ルーンさんや現地スタッフの皆様のお気遣いに感動。


*高階さんのウェブサイト http://blog.canpan.info/maripo
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2011年奨学金授与の旅(ベトナム北部):旅の記録(3) by Kono (10月5日)

2011-11-14 | 奨学金授与の旅

 

10月5日

チャットビン中学

 次の訪問校までは少し時間調整が必要でした。

 カーさんの従兄の家を訪ねました。ここでは、アヒルの大群が迎えてくれました。


 大乗仏教の国、お線香の香を久しぶりに嗅ぎ、手を合わせる幸せも得ました。


 いよいよ最後の訪問校、チャットビン中学。

 来賓は、Kimson B高校とよく似た顔ぶれ。 来賓のお一人が、カーさんの従兄だったとは驚き。

 宮本(典)さんの挨拶で、

 「2002年に比べると、この学校が美しくなり、校庭の木々も大きくなり、ベトナムの発展していく力を感じます。」

には、同感でした。

 タク校長は、前年、副校長だったとのこと。

 「1人あたり1 200 000ドン×40人=48 000 000ドン(私はこの0000を見ると目がまわり、お金のことがわからなくなる性質)というお金を贈っていただき、FUJIの皆さまが、定年退職後も節約して来てくださる」

ということを強調されました。

 生徒代表の挨拶は、

 「私たちはFUJI奨学金を得られ、幸運を得ました。」

というもの。


 中学生の女の子が、肩を寄せ合ってきて、お礼を言ってくれました。

 写真を撮るとき、いまにも折れそうな細い骨格にビックリしている私に、

 「先ほどいただいたお土産の本には、何が書いてあるのか?」

と、これまた驚き。

 私は、『武士道』のなかの「礼」の項に書いてあったことを答えるのがやっとでした。

 「日本もベトナムも、また一人ひとりの人も、バックボーンが必要なの。バックボーンってわかる?」

 それはね、日本もベトナムも、苦しい時があったでしょう。

 その苦しい時にも耐えて、人をうらやむことなく、また自慢することもなく、思い上がらずに生きていく力。

 自分の利益だけを求めない。

 お互いにいい生き方をしよう――と書いてあるの。」

と説明しながら、このベトナムの地で自分にも言い聞かせたことでした。


 それにしても、何とキラキラした目をして私の話を聞いてくれたことでしょう。

 この旅の終わりに、この幼い者から、私は力をもらっていたのです。

 旅から帰って1か月が経ちました。

 この旅はハードな旅でしたが、何とも充実感のあった旅だったと思います。

 8日間(実質6日間)で、11校(幼稚園、中学校、高校、大学、特別支援学校)を訪問したのですから。

 終わりに、皆さま、お世話になりました。(向野・記)

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム北部):旅の記録(2) by Kono (10月5日)

2011-11-13 | 奨学金授与の旅

 

10月5日

Kimson B高校(注)

 ここは、今回が初の奨学金授与。

 私たち一行が学校に着くと、教育委員長、副委員長、校長、地域の代表者も交え、20名の奨学生が待っていてくださいました。

 カーさんが私たちを紹介し、20名の生徒に奨学金を手渡しました。



教育委員長の挨拶:

 「3.11の震災を、日本は安定した国だから、きっと乗り越えるでしょう。」

 「もう10年以上も前からチャットビンに来てくださっていることは知っていた。

 2010年10月8日にチャットビン中学においでになったとき、思いきって、このキムソンB高校にも優秀なのに貧しくて勉学に困難をかかえている貧しい子がいることを話し、FUJI教育基金に申し入れをした。

 そして今日、この日を迎えた。

 その間、生徒たちは勉強にがんばって、FUJI奨学金を受けようと努力してきました。」

 (私は、危うく涙が出そう)

 「ベトナムの人には、いちばん苦しいときに自分の障害を乗り越える姿を伝えたい。

 この学校は、いろいろなコンテストにも最優秀を出していることをFUJIの皆さまにお伝えし、来年もよろしくお願いします。」


 続いて、小柄な女子学生フンさんの挨拶:

 「学生代表として、私はFUJIの皆さまにお約束します。

 私は奨学金をいただいたことを自慢できるようにがんばります。

 また、私の自慢である、私を健康に育ててくれた両親に感謝します。

 そして、この国の大切な人になるよう、建国の精神にめざめて生きることを約束します。」

 (立派!!! ベトナムに息づく儒教の心。私の背筋がピンとした)


ホン校長の挨拶:

 「この学校は45周年になります。1,315人の生徒と100人の教員がいます。

 私は校長として12年目ですが、この学校の誇りはトップの学生がいること。

 12年間のうち11年間、国家レベルの力を、国から認めてもらっています。

 学校・地域もひとつになって、この学校を誇りにしています。」

 (私も、現職時代、校長をしていたことがある。ホン校長に、惜しみない拍手、パチパチパチッ)


 そのあと、2階の学習風景を見せてもらう。先ほどからの挨拶、さもありなんと納得。

 最初の教室は数学。

 前列の子のノートを見せてもらい、一見、教科書かと見間違うほど、きれいな字。

この子は特別?と思い、数人の子のノートを見て驚く。

 どの子の字も、きれいを通り越して美しい。ノートの上端からビッシリと。落書きなど、もってのほか。

 感心しつつ、隣の教室に移動。

 物理の授業らしいが、私たちの気配を感じてか、全員起立している。

 その椅子はと見れば荒削りの板一枚に4人、机もまた板一枚に4人。

 胸が詰まりました。

 感動のあまり、教壇の上から“Sit down please! ”

 えっ?! なんで私がそんなことをしたの?と、あとで反省するのですが、皆の注目を浴びた勢いで、

 「みなさん、“はやぶさ”ということばを聞いたことがありますか?」

 知らないらしい雰囲気に、つい私は黒板に大きな丸で地球を描き、

 「この地球から“はやぶさ”という小惑星探査機が、」

 ここで、サツマイモみたいな形でイトカワを描き、

 「“イトカワ”という長さ500mの小惑星に飛んでいったこと。

この間、7年がかりで60億kmも飛んで“イトカワ”からサンプルを採取してリターンしたこと。

 このことで、私たちの住んでいる地球の成り立ちや、これからどうなるかが分かるというすばらしいことやねん。」

 とうとう関西弁も飛び出し、黒板の絵と、必死に数字と記号で理解を得ようと努力しました。

 ほんとうに恥ずかしいことをしたものですが――だって、いまの日本で誇れるものは“はやぶさ”と“なでしこ”しかないのだから――。

 高潮した心で、FUJIの仲間に、「国語やったらよかったのにー」と弁解。

 ところが次の教室は、なんと国語ではないか。

 「ホラ、国語よ!!!」FUJIのやさしい仲間が、私の背中を押す。


 もう破れかぶれの私は教壇に立ち、

 「日本の有名な文学者をだれか知っていますか?」

 これには、即、反応あり。

 「松尾芭蕉」「俳句」と声があがりました。

 こんどは、私が芭蕉に苦しむ番。

 「(うーん、)静けさや、岩にしみ入る 蝉の声」

 「(えーと、)古池や 蛙とびこむ 水の音???」

 冷や汗が出そう。

 だいたい5・7・5なんて、英語でなんか説明できるもんやない、とその時は思ったのですが、英語俳句があるのですねぇ。こんなふうに!

The opening ceremony

Flowers flowing

On the river

(入学式に期待と不安で揺れ動く心情を花びらに託して、川を流れていく)

 異文化理解は俳句の世界もOKなのです。

 いずれにしても私は、ベトナムの優等生を前に、日本の恥をさらしてしまいました。

 皆さん、ゴメンなさい。


 

 

キムソン B 高等学校の紹介

創立 1966年

住所 フン・ティエン・キムソン・ニンビン省

校長先生 レ・グエン・ホン (Lê Nguyên Hồng 男)

副校長 ブー・スァン・シン (Vũ Xuân Sinh 男)

副校長 ダオ・ティ・ヒエン (Đào Thị Hiền 女)

副校長 ド・ティ・ホア (Đỗ Thị Hoa 女)

先生数 75名

全職員 84名

学生数 1,435名

クラス数 33クラス

1クラス 44名

チャットビン中からの入学数 152名(2010年度)

卒業率 99%以上

大学進学率 55%以上

学費 450,000vnd/1年/1人(2,250円:2011年7月初のレート)

教科書代 360,000vnd/1年/1人(1,800円)

その他の経費 700,000vnd/1年/1人(3,500円)

合計経費 1,510,000vnd/1年/1人 (7,550円)

通学手段 自転車

学校の予算 少ない

他からの援助 ハノイのグエン・コン・ツー育英基金及び個人。


参考のため

[面積]

ニンビン省 1,400平方キロメートル

東京都 2,188平方キロメートル

大阪府 1,898平方キロメートル

香川県 1,877平方キロメートル

[人口]

ニンビン省 898,459人(2009年1月1日の人口調査)

和歌山県 1,005,710人

香川県 1,000,169人

山梨県 869,132人

[平均人口密度:1平方キロメートル当たり]

ニンビン省 642人

福岡県 1,018人

兵庫県 667人

沖縄県 609人

(ニンビン市 2,000人)

(岐阜市 2,027人)

(熊本市 1,873人)

(京都市 1,771人)

ニンビン省の高等学校の数 25校

 


2011年奨学金授与の旅(ベトナム北部):旅の記録(1) by Kono (10月4日)

2011-11-12 | 奨学金授与の旅

 

 

*FUJI教育基金では、2011年は9月29日から10月6日まで、ベトナム南部で奨学金授与の旅を行いました。一行のうち6人は10月4日、ハノイに向かい、ベトナム北部の2つの学校で奨学金を授与してきました。うち1校は、今年が奨学金をはじめて贈呈することにしたKimson B高校です。向野さんが報告します。向野さんは、『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』などの著書があります。『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』は、2007年7月13日(金)にフジテレビでドラマ化されました。

 


 

10月4日

 ハノイ組は、6人(カー、小倉、宮本(典)、宮本(依頼)、向野)。

 ハノイへのフライトは11時30分なので、サイゴンホテルを9時30分に出ればよいのだが、ホーチミンでアオザイを作りたいというわがままをルーンさんが受け止めてくださり、8時ホテル発となる。

 今回は、生地を求める店と仕立ては別の店、出来上がったアオザイはルーンさんが持ち帰ってくださるという方法。

 皆さんにご迷惑をかけながら、予定より20分遅れでタンソンニャット空港着。ほっとしました。

 2時間のフライトでハノイ・ノイバイ空港着。

 ファム・ティ・トゥ・ザンさん(Pham, Giang Thi Thuが迎えに来てくれる。この旅のなかでいちばん逢いたいと願っていたザンさんに出逢えてうれしい。


 空港からニンビン市に直行。

 途中でザンさんとはお別れと思うと、話したいことは山ほどあるのに、顔を見ただけで満足。

 ザンさんは現在ハノイ国家大学東洋文学部日本語学科の教授なのだが、近く、副学部長になるよう要請されているとか。

 私は2010年3月12日に、ベトナムから来られたグエン・タン・ズン首相の直近の越日友好協会会長カイさんを、奈良・東大寺に案内したことがあります。

 そのとき、「ハノイ―ホーチミン新幹線」「南北高速道路」「ホアラック・ハイテクパーク」という三大案件への日本の全面協力要請のことを小耳にはさみました。

 私はザンさんにお逢いして、この話をベトナムの人はどう思っているのか、じかに問うてみたかったのです。

 宗教も文化もよく似たベトナム。皮膚感覚からくる親近感をもつザンさんからこそ。しかし、これは次回に……。


 ニンビンのトゥイアンホテルまでの道、私は夢見心地でした。

 久々に見た野焼きの風景が、やたら故郷の景色に似ていて胸いっぱい。

 

 


FUJI教育基金・奨学金授与実績(1991‐2011年度)(ベトナム)

2011-11-06 | ベトナム

 FUJI教育基金は、2011-2012年度の奨学金268,346,625ベトナムドン(7月初めの為替レートでは、約1,060,295円)を奨学生に授与しました。

 1991‐2011年の20年間に奨学金を授与した生徒・学生の人数は、延べ2,000人を超えました

ご寄付いただいた皆さまに御礼申し上げます。


   1991-1996年度…………151名

   1996-1997年度…………58(+13)名

   1997-1998年度…………81名

   1998-1999年度…………112名

   1999-2000年度…………112(+7)名

   2000-2001年度…………112(+5)名

   2001-2002年度…………112名

   2002-2003年度…………100名

   2003-2004年度…………100名

   2004-2005年度…………120名

   2005-2006年度…………120名

   2006-2007年度…………145名

   2007-2008年度…………145名

   2008-2009年度…………145名

   2009-2010年度…………145名

   2010-2011年度…………145名

   2011-2012年度…………165名

    合計…………………2,068(+25)名


 現在、ベトナム南部では、

    CTN:カントー(CAN THO)大学

    AG:アンザン(AN GIANG)大学

    NDC:グエン・ディン・チュウ(NGUYEN DINH CHIEU)中学校

    VTS:ボー・ティ・サウ(VO THI SAU)高校

 北部では、

    CB:チャットビン(CHAT BINH)中学校

     2011年度からキムソン B高校

へ、奨学金を授与しています。


 1991年、日本に在住している元ベトナム留学生たちが、母国ベトナムでせっかく入学したのに経済的困難のため勉強をつづけられない学生が少なくないことを見かねて、奨学金制度を設けることにしたのが、FUJI奨学金の始まりで、その後、趣旨に賛同した日本人も加わりました。当初は毎年、交流のあるカントー大学の学生20人に奨学金を授与していました。

 1995-96年度からカントー大学では、他からも奨学金を受け入れることが多くなってきたこともあって、この年度から奨学金の対象を、アンザン省チャウドック市にあるTHU KHOA NGHIA(ツ・コア・ギア)中・高等学校に、さらに2002-03年度から北部ニンビン省キムソン県チャット・ビン村のChat Binh(チャット・ビン)中学校に、2006-07年度からアンザン省のアンザン大学に広げ、現在にいたっています。なお、ツ・コア・ギア校は生徒数が急増したため、2001-02年度からグエン・ディン・チュー中学校が独立し、FUJI奨学基金は両校に奨学金を贈ってきました。その後、ツ・コア・ギア高校は所得が比較的高い家庭の生徒が多くなったため、より困難な生徒が多いチャウドック市のボー・ティ・サウ高校を2008-09年度から対象に加え、ツ・コア・ギア高校への奨学金は2009-10年度を最後に使命を終えることにしました。

 設立当初は、毎年、寄金をあつめ、あつまった金額で奨学金として給付していましたが、1996年、趣旨に賛同する人も増えてきたのを機会に、一定金額を基金として拠出し、その運用益を奨学金として給付する「FUJI奨学基金」を設立しました。これによって、継続的・安定的に奨学金を給付できる条件を整えることができました。2006年から、奨学金の給付に加え、広く、教育に役立つ事業を行うことにし、会の名称を 「FUJI教育基金」と改称しました。

 


ベトナム南部チャウドク市、グエン・ディン・チュー中学校奨学生の感謝のことば

2011-11-04 | 奨学金授与の旅

2011年の FUJI 奨学金授与の旅を9月29日~10月6日に実施しました。10月1日には、チャウドク市のボー・ティ・サウ高校で授与式を行いました。その折、グエン・ディン・チュー中学校の3年生(ベトナムの学制では「中学4年生」)、レ・ティ・チュオン・アン(Le Thi Truong An。女生徒) さんが奨学生を代表して、以下のような感謝の言葉を私たちに贈ってくれました。



 私は、レ・ティ・チュオン・アンといいます。
 グエン・ディン・チュー中学校3年A6組に在籍し、幸運にもFUJI 教育基金の奨学金をいただいている多くの奨学生のうちの一人です。

 本日、皆様がご来訪し、私たちと交流していただくにあたり、私は友人たちを代表し、心からの感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。

 私たちは、次のことを、はっきりと自覚しています。
 それは、もし私たちに対する皆様のご関心とご援助がなかったならば、おそらく私たちの仲間の多くが「学ぶこと」を追い続けることはできなかったということです。
 学ぶことは、私たち自身にとって最も大きな幸せです。
 学ぶことは、すなわち生きるということであり、自分を含め、あらゆる人々にとってのよりすばらしい将来を生きるということだと思います。

 皆様のご支援は、単に金銭面だけに留まりません。
 私たち全員の困難を克服するための努力を認めていただいたことでもあるのです。
 人間だれしも自分の努力が認められれば、どんなに大変なことでも、どんなに困難な試練にぶつかっても、それらを乗り越えるに十分なエネルギーが沸いて来るものです。
 もちろん私たちもそうです。

 ほかならぬ皆様のご理解、思いやりのおかげで、私たちはあらゆる障害を乗り越えて立派な社会人になり、国づくりはもとより、この社会をより平穏でより幸せなものにすることができると固く信じています。
 一人では世界を変えることはできません。
 しかし、もし自らの家庭の困難さを変え、自らが生活する環境を変えることができれば、そこから国ひいては世界を変えることができるでしょう。
 私たちにはそれができると信じています。