八月某日。
IS学園の学生寮の室内で、黒猫の着ぐるみパジャマを着込んだラウラが頭を抱えていた。
この場合、頭を抱えているというのはもちろん比喩であり、実際にはカーペットの床にあぐらをかき、腕組みをして、眼前に置かれた〝とあるもの〟を睨みつけていた。
〝とあるもの〟とは、下着だ。
より正確に言うと、男性もののボクサーブリーフというやつである。黒地に薄くチェック柄が刻まれている、さほど珍しくもないシンプルなデザインの一品だった。
ここIS学園には基本的に女性しかいないので、この下着の持ち主も自然と特定される。
早い話、ラウラが睨みつけているボクサーブリーフは、IS学園唯一の男子生徒である織斑一夏の所有物だった。
客観的に見て、着ぐるみ姿の女子が、他に誰もいない室内で男子のパンツを凝視している図というのは、かなりおかしい。異常と言っても過言ではない。
が、それはラウラ自身も十分に理解しているのか、
「……どうして」
唸るような呟きが、ラウラの口からこぼれる。
「……どうして、私はこんなことをしてしまったのだ……」
それはもはや懺悔だった。
後悔に彩られたラウラの言葉は、誰に受け止められることもなく、室内の静寂に吸い込まれていく。
同室のシャルロットの姿はない。彼女もラウラと同じく帰省していないので、おそらく所用で少し出かけている、といったところだろう。
いつ出かけたのかは、わからない。
そして、いつ帰ってくるのかもわからない。
「くっ……もしこんなものをシャルロットに見られたら、私はもうここにいられなくなるかもしれないというのにっ……!」
忌々しげに吐き捨てながら、ラウラは強く唇を噛み締めた。
「クラリッサ……私は……私はどうすればいい……?」
弱気の虫が顔を出し、ラウラは思わず手元の携帯電話を強く握りしめる。短縮のボタンひとつで信頼する「戦友」に繋がるそれに、知らず頼ってしまいそうになる。
しかし、とラウラは首を横に振った。
ただでさえクラリッサにはいらぬ世話をかけているのだ。頼りきりになるわけにはいかない。
ゆっくりと息を吸って、吐く。
それを何度か繰り返すと、徐々に頭の中がクリアになっていくのを感じる。
「落ち着け。これしきのアクシデントは想定内だろう、ラウラ・ボーデヴィッヒ」ラウラは自らに言い聞かせるように口を動かす。「そうだ。私は誇り高き軍人だ! そして、女だ! 軍人として、女としての矜持にかけて、私はこのミッションを遂行してみせる!」
ひとりきりの室内に、凜とした声が響く。
その声音から、先ほどまでの悲壮さは微塵も感じられない。
「私を見守っていてくれ、クラリッサ!」
完全に気持ちを切り替えたラウラは、直面した問題――一夏のパンツをどうするかということ――について正面から向き合う決意を固めたのだった。
<黒ウサギと男性下着をめぐる冒険>
とは言ったものの。
そもそも、こうしてラウラが頭を悩ませているのは、遡ること一時間ほど前、当のクラリッサと行った通話が原因である。
定時報告という名目の「今日は一夏とどうした」とか「これから一夏を嫁にするためにはどうする」とかいった話が一段落したとき、クラリッサが不意にこう切り出したのだ。
『ときに隊長は、〝おまじない〟というものをご存じですか?』
「む。なんだそれは」
『いわゆる呪術というものです。神秘的な力を持つものに祈りを捧げることで、その力を借りて特定の願いを叶えようとする行為を総称し、〝おまじない〟と呼ぶのです』
「ほう。つまり占いのようなものか」
ラウラの脳裏に、教室の姦しいやり取りが浮かぶ。クラスの女子たちが、布仏本音あたりの机を囲んで占い雑誌を肴にするのは、一学期中によく見かけた光景だった。
『方向性は似ていますね。ですが、あくまでも結果のみを導き出す占いに比べ、〝おまじない〟はむしろ自らの力で望む結果をたぐり寄せるものです。――どちらが隊長に向いているかは、私が言うまでもないでしょう』
クラリッサは挑発的な響きを隠そうともしていない。言外に「やれるものならやってみろ」という意図と、「隊長ならばやれるはず」という信頼が強く感じられる。
幾多の困難を共に乗り越えた仲間だからこそ、ラウラはクラリッサの言わんとするところをこれ以上ないくらい正確に捉えることができた。
「ふっ……面白い」クラリッサの信頼にラウラは不適な笑みで応える。「我が親愛なる副官、クラリッサよ!」
『はっ!』
「私にその〝おまじない〟の詳細を教えてくれ。私は……私は、どのような困難であろうと必ずやり遂げてみせる!」
『はい、そうおっしゃられると思っていました。それでこそ私の――いえ、我々『黒ウサギ隊』の隊長です!』
結果。
現在、ラウラの目の前には、一夏のボクサーブリーフが鎮座している。
理由は実にシンプルで、『気になる異性の持ち物を常に身につけていることで想いが伝わるという有名な〝おまじない〟があります』とクラリッサに教えてもらったからだ。
そんなアドバイスをよりどころに、ラウラは普段と同じように一夏の部屋に忍び込み、しかし普段と違い「一夏の所有物を持ち帰る」という行為には言い知れない罪悪感があり、どうしようどうしようとテンパっているうちに一夏が戻ってきた気配を感じ、咄嗟に近くにあったものを懐に突っ込んだら、それがたまたまボクサーブリーフだった。
そういった経緯を辿り、ラウラは一夏のパンツを持て余している。
ミッションを遂行するため――つまりクラリッサが言うところの〝おまじない〟を実行に移すためには、こうしてボクサーブリーフを睨みつけていても埒が明かない。何故ならば、〝おまじない〟は、思い人の持ち物を常に身につけていなければならないのだから。
「身につけるというと……や、やはり、本来の用途に従うべきだろうか……」
誰かに問いかけるというより、自らに言い聞かせるように口を動かし、ラウラはおずおずとボクサーブリーフに手を伸ばそうとする。
これが他の、例えば一夏の文房具などであれば、自分のペンケースに入れておけば済んだかもしれない。
が、ラウラが手に入れたのは文房具ではないのだ。パンツなのだ。
パンツ本来の用途とは、即ち穿くこと。
ようするにコレを自分が穿く、ということであり、それはなんだかいけないことのような気がすごくする。
「う、うう……」
あと数センチで指先がボクサーブリーフに触れる、といったところで、ラウラの手が止まった。ラウラは困り果てた顔で、うめき声をしぼり出す。部屋はちゃんと空調が効いているのに、頬がうっすらと紅潮している。
べつに男性ものの下着を穿くことを忌避しているわけではない。元来そういったことに無頓着なラウラは、納得に足る理由さえあれば、大抵のことはさらりと実行に移してしまえるはずだった。
しかし、
「い、一夏の下着を……私が穿く……?」
言葉にしてみると、より明確にイメージできてしまう。それはつまり、一夏のアレが触れていた部分に自分のあんなところが触れるということで、もはやコレは間接キスならぬ間接性行為と言っても過言ではない。もちろんボクサーブリーフは洗濯してあったが、この場合、洗濯済みかそうでないかというのは些細な問題に過ぎないのである。
なんだこの女ネンネぶりやがって前は素っ裸で一夏のベッドに潜り込んでたじゃねえか――などと言ってはいけない。
いっさい臆することなく全裸で関節技を極めるのがラウラ・ボーデヴィッヒであるならば、水着を披露するときにバスタオルおばけになってしまうのもまたラウラ・ボーデヴィッヒなのである。
ラウラは想像する。
他になにも身につけていない自分が、一夏のボクサーブリーフに片足ずつ通し、神妙な面持ちで穿いている姿を。
「……むっ、むむむ」
一般受けしないというか、一部マニアしか喜ばないというか、ぶっちゃけ普通は軽く「引く」図ではあるのだが、ラウラにとって重要なのは、あくまでも前述の理由で耐えられないほどの羞恥に襲われるということだった。
「無理だぁ―――――――――――っ!!」
ラウラは自分が時計の針になったかのように、頭頂部側のボクサーブリーフを支点にして、ぐるぐると、ごろごろと、円を描くように床を転げ回る。黒猫の着ぐるみがボクサーブリーフの周囲を転がるのは、どこか儀式めいた異様な光景だ。
やがて、ひとしきり転げ回ると、ラウラはぴたりと動きを止める。うつぶせで床に突っ伏し、五体投地の格好で打ちひしがれている様は、とても初対面で一夏を引っぱたいた少女と同一人物とは思えない。
「ダメだ……私には穿けそうにない……」
いや、そもそもこれは最初から詰んでいたのだろう、とラウラは思う。様々な不確定要素が絡んでいたとはいえ、よりによってボクサーブリーフを、下着を持ってきてしまったのは最悪と言えよう。
ため息。
ひとたび無理だと自覚してしまうと、これまでの焦りようが嘘みたいに冷静に考えられるようになってくる。
さすがに、パンツはない。
一夏のパンツを自分が穿くのも、持ち歩いたりするのもありえない。
いわゆる等価交換の法則的な意味で、行為が困難であればあるほど〝おまじない〟の効力が増すというのはいかにもありそうな話ではあるが、「恋愛成就のために相手のパンツを身につけています」と言ってしまうと急に眉唾に思えてくる。もしも相手に知られでもしたら、百年の恋でも冷めてしまいそうだ。
「……ミッションは失敗だな……」
五体投地から微動だにせず、ラウラは呟く。
こうなると、あとに残された問題はひとつだけだった。いかにして誰にもバレずに一夏の下着を元の場所に戻してくるか、ということである。
もっとも、これに関してはそれほど難しくはない。一夏の部屋に忍び込むのはお手のものだし、一夏は下着の数をこまめにチェックするほど神経質ではないだろう。気づかれずに元に戻すのは容易なはずだ。
しょうがない。
諦めよう。
あとでこっそり返しておくか。
のそのそとラウラが身を起こそうとした瞬間、
「ただいまー」
挨拶と同時に部屋のドアが開いた。
同室のシャルロットが帰ってきたと認識するよりも早く、ほとんど脊髄反射のような超反応で、ラウラは床に置いたボクサーブリーフを隠さねばと決断した。どこかに放り投げてしまうわけにもいかず、着ぐるみパジャマを着ているせいで懐にしまうこともできず、ラウラにできたのは猫耳のついたフードの下にボクサーブリーフを突っ込むことだけだった。
「………………おかえり、シャルロット」
「って、うわあ!? な、なにしてるの!?」
「なにもしていないが?」
「していないが? って、むしろどうしてそんなに自信たっぷりなのか不思議なんだけど……」
咄嗟の行動には無理が出る。ラウラは「ボクサーブリーフを隠すこと」を最優先した結果、不自然にブリッジした体勢でシャルロットを出迎えるハメになった。
表面上、平静を装ってはいるものの、内心ではかなり焦っている。それでもポーカーフェイスを貫き通せるのは、決して短くはない軍人生活のたまものだ。
「なに、少し体操をしていただけだ」
「へ、へぇ……」
無表情で答えるラウラの様子を見て、丈の長いワンピースを着たシャルロットは口元を引きつらせている。どう見ても納得はしてないようだが、あまり深く突っ込むのもどうかと考えているのだろう。
「そ、そうだ。ラウラ、喉かわいてない?よかったらアイスティーでも淹れようか?」
「うむ。ではお願いしよう」
やっぱり今日暑かったせいかなあ……というシャルロットの呟きは引っかからないでもなかったが、ラウラは素直に申し出を受けた。
例のあれこれをごまかすのに好都合だというのは言うまでもなく、部屋の中を転げ回ったせいで喉がかわいているというのも嘘ではないのだ。
シャルロットがキッチンのほうに移動したのを確認し、ラウラはようやくホッとひと息をつく。どうやらバレずに済んだらしい。
「それにしても」ちょうど気が緩んだタイミングで声をかけられ、ラウラはびくっと背筋を伸ばす。「ホントに日本の夏は暑いよね。ちょっとびっくりしちゃった」
どうやらシャルロットは、紅茶の用意をする傍ら、沈黙を嫌って話題を振っただけのようだ。
「……そうだな」
ラウラは胸を撫で下ろし、返事をした。
「気温が高いのも辛いんだけど、なによりも湿っぽくて息苦しいのが大変だよね」
あるいは先ほどから挙動不審なラウラを気遣っている、という側面もあるのかもしれない。本人が意識しているかどうか定かではないにせよ、こういう性格のシャルロットだからこそ、自分と同室でも大きな問題が起こらないのだということを、ラウラは自覚していた。
「たしかにな。ドイツの夏はとても過ごしやすかったぞ」
「フランスも同じだよ。ドイツよりは少し暑いかもしれないけど。……まあ、暑いのは我慢すればいいんだけどさ。汗をかいちゃうのは困るよね」
途中で微妙に声のトーンが変わり、ラウラはかすかに眉根を寄せる。シャルロットはまだキッチンにいるので、表情などをうかがい知ることはできない。
「汗が出るのは生理現象だから仕方がないだろう。水分補給さえ怠らなければ脱水症状や熱中症の危険はないと思うが」
「そ、そうじゃなくて……」
なんとなくバツの悪そうな雰囲気が伝わる口調で、シャルロットはおずおずと話を続ける。
「ほ、ほら……匂いとか……気になるじゃない? い、一夏に汗くさいとか思われたらイヤだし……」
「!」
ラウラは思わず自分の襟元や脇の下に鼻を寄せる。幸いなことに柔軟剤の匂いしかしなかった。
ここだけの話、洗濯などはすべてシャルロットがまとめてやってくれている。これまで洗い残しがあったりしたことは一度もなかった。
「僕も色々気をつけてはいるけど、自分の匂いは自分じゃわからないっていうし、日本の男の人は外国の女の人の匂いに敏感だっていう話も聞くし……」
「なにっ? そ、そうなのか?」
驚愕の事実だった。
次の機会にクラリッサに詳しく聞いておこう、とラウラは心に深く刻み込む。
「うん。だから僕たちもお互いに気をつけることにしようよ」
「どういうことだ?」
「自分の匂いはわからなくても、僕はラウラの、ラウラは僕の匂いには気づけるんじゃないかってこと」
もちろんお互いに指摘されるようなことがないようにするのが前提だけど、とシャルロットが早口で補足する。
「了解した」
これはラウラにとっては是非もない申し出だった。IS学園にやってきてからというもの、日々自らの無頓着さ痛感しているのだ。クラリッサのアドバイスはもちろんのこと、こうしてシャルロットが世話を焼いてくれるのは非常に助かる。
「お待たせ」ふたり分のグラスをトレイに載せてシャルロットが戻ってきた。「ガムシロップがなかったからストレートだけどいいよね?」
「うむ。シャルロットの紅茶はなにも淹れなくても美味いからな」
「あはは……普通の水出しだけどね」
空調の効いた室内だというのに、氷の入ったグラスはすでに水滴が浮かんでいる。
シャルロットはトレイをテーブルに置くと、一緒に持ってきたハンカチで水滴を拭き取ってから、グラスをラウラに差し出した。カラン、という氷がグラスに当たる音が、なんともいえない清涼な空気を耳に届ける。
「はい、どうぞ」
控え目な笑顔。
そして細やかな気配り。
こういったシャルロットの立ち居振る舞いは、心から敬意に値すると改めてラウラは感じる。
「……ふむ」
「? どうかした?」
「シャルロットは良い嫁になるな」
「え、ええっ!? い、いきなりなにを――」
「もっとも、一夏ほどではないだろうが」
「……………………はあ。だよね。そうだよね。ラウラって思ったことをそのまま口に出すから、どう反応すればいいのか未だによくわからないよ……」
百面相の末に重々しいため息を吐き出したシャルロットを、ラウラは無表情ながら微笑ましく見つめていた。
グラスに口をつけ、アイスティーをひと口。
ほんのり渋みの効いた味もさることながら、冷たさと清涼さがかわいた喉に潤いを与えてくれる。実に美味い。
もうひと口、とラウラがアイスティーを口に含みかけたとき、
「そういえばさ、ラウラ」
「うん?」
「そのパジャマ、部屋にいるときはずっと着てるよね」
「んぐっ!?」
危ないところだった。ひと呼吸タイミングがズレていたら、アイスティーを水平噴射していた。
「ちょっ、だ、だいじょうぶ?」
慌ててハンカチを差し出すあたり、シャルロットは先ほどの意趣返しをしようと思ったわけではないようだ。
「お、驚かせちゃってごめん。気に入ってくれたみたいで嬉しいなって思っただけなんだよ?」
「あ、ああ……まあ、その……たしかにこれは気に入っている、ぞ?」
「そ、そっか、よかった。じゃあ、今度はべつの服も一緒に買いにいこっか」
「そ、そうだな……そのときはよろしく頼む……」
絶妙な間の悪さも手伝って、ふたりの間には気の乗らないお見合いのときのような居心地の悪い空気が横たわっている。
この雰囲気をどうにかしようと、ラウラは必死に思考を巡らせるが、これまでコミュニケーション能力を軽視していた自分にそんな都合のいいスキルが備わっているはずもなかった。
こうなってしまっては、もはやシャルロットに頼るしかない。やり取りがぎくしゃくしているのは向こうも感じているだろうし、忙しなく視線が泳いでいるのはラウラ同様、頭の中から場に適した言葉を探しているからに違いない。
ラウラは祈るような気持ちで――というほど深刻ではないにせよ、期待感の籠もった目でシャルロットの様子を窺っていた。
だから気づいた。
ふらふらとあちこちを行ったり来たりしていたシャルロットの視線が、不意に一点で停止した。眼帯に覆われていないほうの瞳で、その視線を辿っていくと、どこを見ているのか一発でわかった。
「あれ? ラウラ、フードのところ、なにかはみ出してるよ?」
あるいは。
シャルロットが部屋に戻ってきてすぐだったら、素早く、迅速に反応できたのかもしれない。
が、アイスティーと汗とパジャマの話題を経たラウラの集中力は、残念ながら少しずつ確実に目減りしていたのだ。
だから為す術がなかった。
まずい、と思った次の瞬間には、シャルロットの手によって、ラウラがフードに隠したボクサーブリーフが抜き取られていた。
唖然として口を開け放ったラウラと、笑みと戸惑いを半分ずつ混ぜた表情のシャルロットが、ちょうど正面から向き合う格好になる。
ふたりの間には、シャルロットの手にしっかりと握られた一夏のボクサーブリーフが、その存在を眩いほどに主張している。
「……え……なにこれ……?」
「え、あ、シャ、ちょ、ちがっ」
「……男性用の……下着……?」
「ち、ちち違うぞ! これは断じて一夏の下着などではない! 私は一夏の部屋から持ってきてなどいないぞ!」
語るに落ちるというやつだった。
「えっ、ラ、ラウラってば一夏の下着を持ってきちゃったの!?」
「~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
終わった、とラウラは思う。
今このとき、自分の学園生活も、恋心も終わってしまったのだと思う。
これが見ず知らずの他人であれば、口封じなども考えたかもしれないが、さすがにシャルロットに対してそのようなことはできない。
そういえば、こういうときに日本では「真っ白に燃え尽きた」と言うらしいとクラリッサから聞いたことがある。
真っ白に燃え尽きた。
実に言い得ている。これほどまでに現在の自分の状態を的確に表した言葉は他にないだろう。
ラウラは今や死刑宣告を待つ囚人と変わらない心持ちでいた。
シャルロットの性格を考えれば、周囲に言いふらしたりはしないとは思うし、今後ラウラとの接し方を変えたりはしないとも思うのだ。
しかしそれとこれとは話が別である。
たとえシャルロットのほうが気にしなくとも、針のむしろに座らせられているような気分で日々を過ごさなければならないとしたら、辛い。
目を伏せたまま、ラウラは待つ。
果たしてシャルロットがどんなふうに自分のやったことを評するのか、無駄だとわかっていても頭の中でシミュレートしてしまう。
引き延ばされた時間は、一秒が一分のようにも感じられた。
「や……」
シャルロットの声。
ついにきた、とラウラは身をすくませる。
ところが、
「やっぱり、これ、被ってたの?」
続けてしぼり出されたのは、シミュレートを重ねたいかなる言葉とも異なるものだった。
思わず顔を上げると、いつの間にかシャルロットは一夏の下着を両手で抱え、ちょっと心配になるくらい目を血走らせていた。
ラウラは軽く引きつつも、先ほどの台詞を頭の中で反芻する。
やっぱり、
これ、
被ってたの?
シャルロットが口にしたのは、ラウラの理解の及ぶ範囲外の出来事だった。
というか、いくらラウラがフードの中に隠していたとはいえ、下着を頭に被るというのは並の発想ではない。
そのためラウラは、理解が追いつかないまま「やっぱり、これ、被ってたの、とはどういうことだ」と、そのまま聞き返すだけで精一杯だった。
するとシャルロットは、
「う、あ、か、被ってた、じゃなくて――」
平坦なラウラの質問をどう受け止めたのか、妙に焦った様子で、
「――か、嗅いでたの? って聞きたかったんだよね、僕は!」
見事なまでに、完膚無きまでに、更に深い墓穴を掘ったのである。
*****
その後。
ラウラはボクサーブリーフ持参で一夏のところに行き、正直に事情を説明した。
結論から言うと、一夏は「俺のものを勝手に持っていくのはやめてくれよ」と軽く注意しただけで、それ以上ラウラの行動を咎めようとはせず、拍子抜けするくらいあっさりと問題は解決した。
正直、もっと他になにか反応のしようがあるように思えなくもないが、IS学園にその名を轟かす唐変木であるところの一夏には〝おまじない〟がどういう意図を持つものなのか気にならなかったらしい。
そして、ラウラは現在、べつの問題に頭を悩ませている。
「言っておくけどね、僕は、本当に、匂いフェチとかじゃないんだよ?」
「う、うむ」
「ねえ、ラウラ、ちゃんと聞いてる? 僕のこと信じてくれるよね? 疑ってないよね?」
「何度も言っているだろう。疑ってなどいない。だから、その、いい加減解放してくれないか?」
「むー……」
シャッロットにジト目を向けられ、ラウラは少したじろぐ。
端から見れば、白猫が黒猫にじゃれついているような微笑ましい光景だったが、実際にじゃれつかれているほうとしてはたまったものではない。その内実が「性癖をつまびらかにされた白猫が必死で言い訳している」のであれば尚更だ。
「まあ、べつに悪いことをしているわけではないし、そんな気にすることもないと思うぞ」
「それって僕が匂いフェチっていう部分はまったく否定してない慰めだよね!?」
「そ、そうか?」
「疑ってないって言ったのに!」
「あれは疑いようもなくシャルロットが匂いフェチだという意味ではないのか?」
「もーっ! 違うってばーっ!」
シャルロットの心の叫びが虚しく響く。
哀れ、黒ウサギに翻弄された二匹の猫たちの一日は、賑やかに、姦しく暮れていくのだった。
おしまい