78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎カピバラルート攻略物語(第1話)

2012-09-22 04:07:20 | ある少女の物語
「どちらか好きなほうを選んで下さい」
「じゃあこれで」
 勤務に必須とも言えるボールペンすら持っていない女子高生スタッフの為に、僕は様々な店を渡り歩きプーさん、カピバラさん、センチメンタルサーカスのキャラクターが描かれたボールペンを自腹で購入した。人生で異性にプレゼントなんてした記憶はほぼ無いから本当にこのセンスが正しいのか不安だった。まずWに選ばせ、彼女はプーさんを選んだ。残る2本からKが選んだのはカピバラさんだった。
 これは、今や女子高生スタッフ唯一の在籍者であるK改め“カピバラ”を育てる立場になってしまった僕と、ある男子大学生スタッフとの戦いの物語である。



 事の始まりは2012年6月16日まで遡る。この日は土曜日で、カピバラは“午後勤”と呼ばれる13時から17時までの勤務だった。僕は13時から22までで、17時までは5月に入ったばかりのカピバラと2人のみで乗り越えなければならない。しかも、社員である僕は午後勤の仕事と並行して精算作業を15時までに終わらせる義務があった。12時30分に出勤するや否や、2台のレジを1台ずつ締める作業に入る。12時50分にカピバラも出勤し、まずはトイレ清掃と店の外の清掃をやって貰う。レジ締めを終えた僕はバックヤードのPCを使って精算作業に入り、その間カピバラはレジ応対の傍らで前日納品された競馬新聞の返品作業をする。僕は防犯ビデオを見つつお客様が込んできたら売場に出てもう1台のレジで応対に入る。つまり、ただでさえ時間のかかる精算を何度も中断させなければならないのだ。カピバラも慣れていない上にレジをやりつつなので返品作業に多大な時間を要しており、通常なら5分もあれば終わる作業を40分以上もかかっていた。
 やっとの思いで精算作業を終えると時すでに14時半。レジ横のホッターの揚げ物商品がほとんど無くなっていた。カピバラに指示を出しチキンやフライドポテトを揚げてもらうも、お客様もそれなりに訪れる為上手く進まない。短針は3の方向を差し、夕刊及び競馬新聞と煙草がほぼ同時に納品される。新聞の品出しはカピバラに任せ、僕は150カートンもの煙草をレジの真後ろ、単品売場の上にあるカートン保管棚に置いていく。これが地味に時間を要する。半分も終わらないまま15時半にレジ点検を始める必要があった。これは2台あるレジを2人同時に行う。15時45分に廃棄商品の撤去、16時にはセンター便が納品され息つく暇もない。夕方に向けてお客様も増えていく為、カピバラはレジ応対優先で、大量にあるセンター便の品出しは僕一人で行う。といっても精算時と同様、混雑時は僕もレジフォローに入らざるを得なくなり、品出しは思うように進まない。全ての作業がお客様の為に存在するのに、そのお客様を優先する事でいかなる作業も中断されるパラドックスに悩まされ、気が付くと17時を回ってしまった。

 ESを維持する為にも無駄な残業をさせないのが僕のスタンス。すぐにカピバラを退勤させ、入れ替わりで2人の男性スタッフが顔を出す。そのうちの一人が、後に宿命のライバルと化す大学生のTだった。
 17時の時点では悲惨な状況だった。センター便の品出しがほとんど終わっていない上に、煙草の品出しもほとんど手付かず状態。それは僕とカピバラ、新規スタッフ同士の2人では止むを得ない事だと思っていた。しかし、
「T君がアンタに怒っていたよ」
 それはマネージャーの言葉だった。
「センター便が終わっていない、煙草も手をつけていない、揚げ物もすっからかん、割り箸やストローの補充も出来ていない。何一つ出来ていないから最初からやる気を無くしていたって」
 Tは僕に直接怒れば済む事を、わざわざマネージャーに報告していた。故にTの感情にすら気付かなかった。
「アンタもう入社して2ヶ月以上、この店に来てからも2ヶ月近くいるんでしょ? もう新人だからじゃ済まされないんだからね」
 カピバラはともかく、僕はいつまでも新人気分で居る訳にはいかなかった。仕事を完璧に覚えるまで3年はかかる業種もたくさんある中で、コンビニは僅か数ヶ月でマスターしなければならないのだと悟った。現に何人かの社員は入社2~3ヶ月で店長やマネージャーに昇進している。大器晩成型の僕には辛い現実だった。もう少し待ってくれ。今の僕にはキャパオーバーだ。



 そんな弱音を吐いている場合でも無い事に気付かされたのは1週間後の事だった。6月23日、僕は夜勤の明け休みとはいえお休みを頂いた。接客業で土曜に休めるなんて奇跡に等しかったが、僕を絶望の淵へ突き落とす奇跡も同時に起きてしまった。この日の午後勤はカピバラと、僕の代打としてUという大学生スタッフが勤めていた。
 翌日、24日の朝に僕が出勤すると、またしてもマネージャーの怒号が飛んだ。
「Uから聞いたけど、カピバラが仕事何も出来ていなかったって。宅急便も検品も揚げ物も。アンタ今まで彼女に何を教えてきたの?」
 ちょ待てよ。宅急便は何度も教えてきたし、検品も一回は教えている。揚げ物なんて先週の土日にやらせまくったはず。だが、問題はそこではなかった。
「で、それを聞いたTがカンカンに怒っていたよ」
 何故Tまで怒るのだ。13時から17時までカピバラと一緒に組んでいたのはUであり、Tは17時から21時までの夕勤で、マネージャーは21時から。この3人が同じ日にその場に居ない人間に対して怒りを露にしたのだ。一体どういう事なのか。
「今のアンタ、Tからの信頼はゼロよ、ゼロ。俺にいくら迷惑かけてもアルバイトだけは困らせるなよ」
 冷静に考えると簡単な話だった。UとTは仲が良く、両者は共にマネージャーのお気に入り。Uの怒りはTの怒りに繋がり、その現状をマネージャーは許せなかったのだ。
「で、来週の土曜だけど」
 この業界に限らずだと思うが、一週間は月曜から始まる。故に“来週の土曜”とは6日後の30日を差す。
「午後勤がアンタとカピバラ、夕勤がアンタとT。先週みたいに17時の時点でやるべき作業が終わっていなければTは何もせず帰るって。そうなったら夕勤はアンタ一人だけになるよ。いいか、本当に帰るって言っていたからな」
 この日から、僕の壮絶な戦いは始まった。


(つづく)

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