78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎奏(かなで)(第3話)

2013-09-30 10:45:02 | ある少女の物語
 カピバラの絵を描くプロジェクトの傍ら、管理表の余白にも定期的に絵を描いた。ミク、ひこにゃん、ピーポくん、ふなっしー、黒子テツヤ、小野寺小咲、黒木智子。ゆるキャラから萌え系まで、顔のみとはいえボールペンでの一発勝負というプレッシャーの中、慎重に丁寧に描いた。上手いと褒めてくれるパートスタッフも居たが、目的はそれよりも僕が絵を描いている事実を周囲に植えつけること。はたから見れば暇つぶしにちょこっと描いたとしか思わないだろうが、実際は家や電車内で練習までして本気で描いている。白鳥の水かきとは良く言ったものだ。

 しかし、本筋のほうは窮地に追い込まれていた。2週間かけて何とかカピバラを含む高校生スタッフ4人の顔の線画を完成させたは良いが、まだ着色という作業が残されている。色鉛筆を使えば塗り絵感覚ですぐに終わるだろう。だがそれは失敗すれば線画からやり直しというハイリスクを背負うことを意味する。ならば残る選択肢は一つ、パソコンでの着色である。
 まずはセブンイレブンへ行き、マルチコピー機に4人の顔の線画が描かれた紙をセットする。スキャナ機能で手持ちのUSBメモリに画像として保存することに成功した。
 続いて自宅のPCに『JTrim』と『Pixia』、2つのフリーソフトを入れる。特に後者はデジタル着色のフリーソフトとして広く普及している定番ソフトであり、まさに今回のプロジェクトには必要不可欠と言える。本当は『Photoshop』や『Sai』などの有料ソフトを購入したかったが、そこまで予算に余裕が無かったのが悔やまれる。
早速USBメモリを差し込み、『JTrim』でカピバラの線画の画像を呼び出す。トリミングをし、「二階調化」と呼ばれる機能で鉛筆の薄い線を濃くし、完全な白黒状態にする。その画像を別名保存し、それを今度は『ペイント』で呼び出し、消しゴムで余分な線を消し、逆に足りない線は描き足す。
 これで下準備は完了、いよいよ『Pixia』での着色作業に入る。だが基礎知識すら無い僕にとって、これがフリーとは思えないほど難解なソフトだった。レイヤー、乗算、マスク、領域、ハイライト……使い方を調べれば調べるほど専門用語が束になって右脳を攻撃する。小5から16年間ウィンドウズを触り続けてきた経歴とは何だったのか。ワードとエクセル以外に何も興味を抱かなかった弊害である。
 だが時間はもう無い。原理を理解していないままレイヤー機能を使い、理由も分からぬまま乗算で重ねていく。



 その一方で、もう一つのプロジェクトは動いていた。
 鎌倉の荏柄天神社。本殿が重要文化財に指定されている日本三天神の一つであり、学問の神で知られる菅原道真を祀り、合格祈願のスポットとしても有名である。
 9月11日、給料の入ったタイミングで僕は高校生スタッフ4人分の学業成就お守りと鉛筆を購入した。うち3人は受験生。カピバラの合格を祈願し、かつ他の高校生にも渡しカムフラージュするには最適なプレゼントといえるだろう。更に参拝をし、絵馬を購入した。

『職場の高校生スタッフが全員志望校合格できますように』

 人の為に参拝をしたのは初めてであり、絵馬を書いたのも初めてだった。そして駅ビルで職場スタッフ全員に対するお土産も購入。交通費も含めると鎌倉だけで計7000円を超える出費になってしまった。

 お土産は一口大の和菓子を選んだ。女性が、カピバラが食べやすいように、その一点しか考えていなかった。
「どこへ旅行されたんですか?」
「鎌倉です」
「近いですね(笑)」
 男子大学生スタッフのUである。トークの上手さと面白さで多くのスタッフから支持されている。おそらくカピバラからも。だが彼は煙草を吸い、この夏休みはほぼ毎日雀荘に入り浸っているのだ。おっさんではないか。何故こんな男に僕は負けているのか。
 だが、今回のイラストプロジェクトはそんなUをもギャフンと言わせるチャンス。否、Uのみならず全てのリア充スタッフを見返してやろうではないか。27歳童貞の底力を見せてやる。そう、これは絶対に失敗できないミッションなのだ。


――絶対に失敗できない、はずなのに――


 絵とお守り、全くの別次元に位置する2つのプロジェクトを結ぶ鍵は「お土産」だった。一口大の和菓子とは別に、高校生スタッフ4人には個別のお土産を用意する。それが「合格祈願お守り」と「顔画の描かれたカード」である。僕の絵をさりげなくカピバラに渡す方法としては悪くないだろう。
 だが、絵も完成しないまま先にお守りを買ってしまったがために、完全に追い込まれた。次にカピバラがシフトインする9月15日までに絵を完成させなければならない。
 9月13日、仕事終わりの深夜。僕は眠気と戦いながら3時間もPCの画面を睨み続け、マウスを四方八方に動かし続けた。今日中に着色まで完成させないと間に合わない。だが影のつけ方から髪の毛のハイライトまで、いくら時間をかけても全てが上手くいかない。


――お前の実力は、こんなものなの?!――


 何度も自分に言い聞かせた。カピバラの為ならもっと頑張れるはず。それでも着色が終わらないまま深夜2時を迎え、僕は更なる重大な事実に気付いた。


――この絵、そんなに上手くない――


 線画を完成させたときはそれなりに上手いと思い込んでいたカピバラの顔が、改めて冷静に見直すとそんなに上手くないのだ。まさかこれをカピバラに見せようとしているのか。相手はデザイン科の生徒だぞ? 僕がやろうとしていることは、デザイナーの卵に喧嘩を売る行為なのではないか。



 それは、プロジェクトの失敗を確信した瞬間だった。


(つづく)